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8000m級の高所登山とタロットリーディングの共通点・前編
※また発掘しました!
この文章、たぶん1年以上前に書いたまま、埋もれてました(汗)。
たしか長すぎるかと思って、前後編に分けようとして、
でも分けれないまま…フェイドアウトしてたみたい。
まあたぶんきっと、今見つかったってことは、このタイミングで公表するのがベストだったのでしょう。…というわけで、掲載するね。
いちおう調整して、前編後編に分けてみました〜。

☆☆☆

少し前になりますが、石川直樹さんという写真家のトークイベントに行ってきました。

彼は登山家でもあります。ヒマラヤなどに何度も登っていて、
今回は「DENALI」という写真集の出版にあわせ、
アラスカのデナリ(マッキンリーというアメリカンな名前のほうがメジャーかな?デナリが昔からの名前です)に単独で登頂を果たした遠征について、お話を伺うことができました。

実際に8000m級の山(デナリは6000mくらいだって)を登る体験をした人に直接お会いできたのはよかった。
せっかくなので一番前に座って聞いていましたが、
スライドとともに登山のことをお話ししてくれると、石川さんが「その時」の空気の中に入るのです。

いったいこの先がどうなるのか予想もつかないなか、雪や嵐、クレパスなどに阻まれながら、1人で重い荷物を持って、急ぐこともできず、自分の足で登頂を目指して歩んでいく。

その感覚が、伝わってくる。
自分の足と身体と判断力を信頼するしかなく、目の前のことだけを見て、一歩一歩進んでいく。地道で根気が必要で、でもその一歩ごとのあゆみこそが、そのまま登山の魅力でもあり…みたいな。

そのフィーリングを感じてみて、ふと思いました。
なんか、タロットのセッションと登山、ちょっと感覚が似てるところがあるなあと。
特に長いセッションの時の感覚に似てるかも(もちろん短くても感じる時はありますよ)。


私のセッションは時間が決まってません。
「そのとき必要なこと」をお伝えするので、人により時により、メッセージの量が違うからです。

なので、本人の自覚あるなしに関わらず、その人にとって人生の重大な局面だったりすると、ものすごーく長いセッションになる場合があります。
タロットだけで3〜4時間かかったりね。

おそらく、そういうときはもう、タロットを詠む(言祝ぎ師としては「読む」より「詠む」な感じです)、というよりは、ちょっとカウンセリングに近い世界に入ってるのかもしれません。
その人が心の奥深くへの冒険を始めることを突如決意し、そこにただ付き添わせていただいてるような感じです。

いつの間に、なぜそんなことになるのかは、わかりません。
魂からのメッセージを翻訳するうち、どこかに隠しステージへの扉があったりするみたいで。

気がついたらいつのまにか、それまで通訳していた次元とは別の内容になっているのです。
今までよりも深く潜っている感じ。
タロットが表で伝えてくるメッセージとは別の、表には顕れていないものを喋ってるのです。

ある意味、タロットの表に顕れている部分は、心の旅の最初の扉なのかもしれません。
そして必要であれば、引き続き次の扉を開けることをその人が選ぶのでしょう。
それを魂が許せば、また一つ深い場所に入っていくのです。

なので、そういうとき、今までのイメージでは海の深みに潜っていくような感覚でした。「ああ、何だか遠いところまで、深い静かな場所に来たなあ」と。

この2人でなければ行けないどこかの場所へ、また少し深く潜っていく。みたいな。

でも、登山したことないから知らなかったけど、登山にも似てることが今回判明しました(いや、海にも潜ってないですけどね)。

深いところまでくると、顕在意識とは違って、ちょっと夢の中みたい。
その人の潜在意識みたいな部分に触れているのかもしれません。

私はそれまでと変わらず、ひたすら翻訳するだけですが、しゃべりながらも、私にとってはその言葉や文章の意味が繋がらないときもあります。

イメージ的にいうと「1たす1は5でしょう?」みたいな辻褄のあわないことを伝えてる感じ。
そして相手の方は「ああ、そういうことか!1たす1は7ですもんね!」とか応えてる。
おそらくそのとき必要なものは、理論的なことではないのでしょう。

「あれ、ここはどこ?何を話してるんだっけ?」
と、理論的な頭は状況を理解したがるのですが、そんなことをゆっくり考えるヒマはありません。

なんせヒマラヤ登山状態です。目の前の一歩に集中します。

その人が、どこまで奥深く進んでいくのかは、その時の必要度とか体力とか集中力によって決まってくるのでしょう。
私は、ただただ、一緒についていって、次の行ける道を指し示すだけです。

この道は、いったいどこに行くのか、何を自分は喋ってるのか?と、理論的な頭がときおり遠くから呼びかけてきます。

が、そんなことを考えていたら、動けなくなってしまう。

私がやることは、絶対に焦らないこと。落ち着いていること。

どんなに私にはわからない場所に来ても、相手の方の魂は、必ず今やるべきことを伝えているのだから。それだけは信頼してるから。

2人だけでしか行けない、横川にいるにも関わらず、世間からは遠いヒマラヤ級の山で、根気強く一歩一歩、歩みを進めていきます。

そうして、ある時、ついにフっと、頂上に出るのです。

「ああ、そうなんだ。そういうことなんだ!」と、登ってきた山と周辺の景色を、ついに見下ろせる時がくる。

その時の心揺さぶるフィーリングは独特で、
もちろん一緒に登山した方によっても違うし、説明はできませんが、
なんとなく、登山家の人が何度も山に登りに行くのが、わかるような気がします。
…そんな心持ち。

なんとも言えない夢の中のような、でも心の中では現実で。

これまでは、静かに海の深みに潜っていくイメージだったのですが、
今回のお話会で、同時に山登りのイメージもミックスされました。

…と長くなったので、後編に続く。
道後温泉でストリップ鑑賞
出雲旅行からいくらも経たないうち、年末に1泊2日で道後温泉に行ってきました。
あ、出雲と同じく、道後温泉も3年ぶりだ。
どうやら今は亡き父の容態が芳しくなくなってからは、しばらく行けてなかったのね。

それまでは、道後が大好きで年1回ペースでよく行ってました。
フェリーと宿がセットになった格安パックで気軽に出かけて、温泉と美味しい食事でリラックス。

しかーし。今回はいつもとちょっと違います。
メインの目的は、ニュー道後ミュージック。

つまり、ストリップ鑑賞に行ったのです。

ストリップは1ヶ月を上旬・中旬・下旬と10日で区切って、踊り子さんは10日間ごとに全国の劇場を巡業していきます。
4人くらいの出演者でプログラムを組まれたショーで、10日間ごとにメンバーは変わるわけです。

そうすると、やはり年末とか年始は、お客さんも多くて劇場的には掻き入れどき。
どの劇場も、人気の踊り子さんを呼びたいところでしょう。

で、この年末の道後、私が最も好きな踊り子さんの双璧である、
牧瀬 茜嬢と目黒あいら嬢が、お2人揃ってやってくる。というのです。

秋に広島第一劇場で、あいら嬢に会ったとき、
「こんど年末は道後だから、観においでよ〜。茜姐さんもくるよ」と言われ。

これはですね〜、私からすると、盆と正月が一緒に来たような、ハンバーグとエビフライが一緒に皿にのってるような、東西横綱揃い踏みみたいな、そういうゴージャスな取り合わせなの。

というわけで、同じく彼女たちを大好きな女子友だち2人と私たちの計4人で、
道後ストリップ忘年会ツアーを計画したのでした。

なのですが。
本当に不思議なことに、お友だち2人とも、前々日くらいになって、道後に行けない状況が発生してしまい。
結局、ダンナと2人で向かったのでした。

☆☆☆

いつもの道後だと、夕食付きのお宿をとりますが、今回は夜のストリップがメイン。
夕食ゆっくり食べてたら観れませんからね。
手慣れた友だちがサクサク予約してくれた、お手頃な素泊まりビジネスホテルです。
劇場からも近くて便利。

ストリップメインといいながら、温泉も当然はずせません。

大好きな道後温泉本館と、椿の湯と新しくオープンした飛鳥の湯、
この3つに全部入るのも今回のミッションです。

ちなみに、重要文化財である道後温泉本館が改修工事に入るため、新しい温泉施設「飛鳥の湯」が1年前にオープンしたのだけど、それが劇場のすぐ近くなの。
というか、近くどころか、道を挟んですぐ目の前。

「飛鳥の湯」に行けば、ニュー道後ミュージックもすぐにわかります。

道後は全てのものが、こぢんまりしたエリアに、ぎゅっと集まってるのも好き。
女子の一人旅人気ナンバーワンと聞いたことがあるけど、なんとなくわかるなあ。

というわけで。
夜は劇場に張り付くから、チェックインしてすぐ温泉に行って道後モードにリセットし、
その後はさっそく劇場へ。

温泉観光地の劇場らしく、広島とはシステムが違っていて。
まず開場が夕方の17時(広島はもっと早いです)。そこから4回公演です。

第一劇場だと、いつ入っても入場料3000円均一(男子は5000円)で入れ替えなしですが、
道後は3000円で1回ごとの入れ替え制。
それと入れ替えナシの通し券6000円の2種類あります。
観光でちょっと楽しむには1回で充分ですもんね。

しかし私たちは、とーぜん通し券です。
1回目の終わり頃から閉館まで、たっぷり鑑賞いたしました。

通しでいると、入れ替えごとにお客さんがリセットされるのも面白かったです。
酔っ払いの男性団体客は定番、観光のご夫婦やカップル、常連さん、などなど。
通しのお客さんは少なく、公演ごとに客席のムードが違っていて。

ストリップ劇場、今まで広島以外に行ったことがなかったので新鮮でした。
(東京の浅草ロック座は行きましたが、あそこはまた別モノな感じがします)

広島よりはずっと狭い、ある意味濃密な空間の、目前で踊ってくれます。
かぶりつき席だと、50僂曚廟茲砲呂發ν戮蟷劼気鵑了菎里。

ストリップについてはね〜、もう何度も書いたので今日は書きませんが(笑。こんど再掲載しようかな?)、ナマの、生命力あふれる身体から発するエネルギーたるや。

さらに私にとって、大好きな牧瀬茜嬢と目黒あいら嬢はもう「美しい」の一言に尽きます。
「美しいとは何か」と問われたら、彼女たちの踊りを観ることをオススメします。

あ、そういえば、最近ネットが苦手じゃなくなったので、リンクが貼れるようになったのです。
以前ストリップについて書いた日記、ひとつリンク貼ってみようかな?(笑。やってみたがりのお年頃)

広島第一劇場、期間限定で復活中です☆
http://ayutaya-hompo.jugem.jp/?eid=531

3年前まで、私の「道後温泉の楽しみ方」の中には、ストリップは入ってませんでした。
前回から今回までの間にその素晴らしさに開眼し、3年前には知らなかった世界を味わえました。
同じ街に来てるのに、違う位相にいる感じ。

さて。広島でさっくりお誘いしてくれて、ツアーのキッカケとなった目黒あいら嬢には、
「え〜っ、本当に来てくれて嬉しい!」と喜んでもらえて、こっちが嬉しくなり。

…なんか、もしやキャバクラとかで女の子に
「え〜っ、来てくれて嬉しい!」と言ってもらって、それだけで鼻の下を伸ばしているオジサマたちの気持ちがちょっとわかったかも(笑)。
こういう経験、意外とあんまりできないもんね。貴重貴重。

人生、日々を過ごしているうちに、いつの間にか、生きてる世界も、経験も、どんどんひろがっていくなあ(笑)。
リーディングのご感想ありがとうございます


いつもご感想ありがとうございます。
今日はトモさんからのメールを紹介させていただきますね。

☆★☆★☆

こんにちは!先日タロットをしていただいたトモです。
めっちゃくちゃ、楽しかったです。ありがとうございました!

そして、あゆたやさんの『おめでとう!』の言葉通り、すごい事が起こりました。
もう、凄すぎてかけません(笑)。

薄氷を踏むように恐る恐る生きてきた私はどこに行ったのでしょう?

この数年のモヤモヤが解消され、生まれ変わったようです。

あ、調子に乗りすぎないようにしなきゃ…笑


仕事が落ち着いたら、数秘をお願いしたいと思います。

あゆたやさんのリーディングは、魔法にかかったような、夢のように幸せな時間でした。

早く出会いたかったけど、この悩める時間は必要だったとも思います。

改めて、ありがとうございました。

☆★☆★☆

トモさん、ありがとうございます。
喜んでいただけて嬉しいけど、何があったのか気になるなあ(笑)。

この文面の軽みに、生まれ変わった感をすっごく感じるので、掲載させていただきました。

言葉の表現だけでなく、リズムみたいなのがワクワクしてる。
読んでて私までワクワクさせてもらえました(笑)。

何が起きたかはわかりませんが(笑)、時おり、セッションの後、いつの間にか生まれ変わる方がいらっしゃいます。

生まれ変わると、生きている世界が違うので、起きてくる出来事も前とは変わってくるみたい。

それは本当に魔法のように感じられますが、きっと必然なのです。

自分の鍵穴に合った鍵が来る、という感じでしょうか。
鍵穴が変われば、鍵も変わるのです。

そしてトモさんも仰るとおり、この生まれ変わった感は、
準備ができていたから届いた変化であって、「この悩める時間」はやっぱり必要だったのだと思います。

本人の自覚に関わらず、人生的には悩みを熟成させて準備完了、満を持してご来訪いただき、一気に生まれ変わる。
…魂はこういうドラマチックな展開を楽しみにしてたのかもしれませんね。

トモさん、ありがとうございます。
次はいつか数秘術も体験してみてくださいね。


3年ぶりの出雲旅行・その6 「出雲國一之宮 熊野大社」



出雲を旅行するときは、だいたいダンナがプランを立てる。
私は神社仏閣にあんまり詳しくないので、限りある時間の中で、たくさんある神社のどこに参拝したいのか、とか選びきれないから。

今回も「帰りがけに熊野大社にお参りするよ」と言われ、「え、和歌山?」とか思ったし(汗)。

出雲には熊野大社と出雲大社、2つの大社があって、昔は熊野大社のほうが格が上とされていたらしい。
たしかに「出雲國一之宮」っていう肩書き(?)がついてるものね。
和歌山の熊野本宮大社は、この熊野大社から分かれたという説もあるのだそう。

ご祭神はスサノオノミコト。
でも、この神社では、
伊射那伎日真名子 加夫呂伎熊野大神 櫛御気野命
という別名です。長い。
そしてスサノオがこの地で初めて火を生み出したという、火の発祥の神社でもある。

…とか、いろいろ由緒ある神社なわけですが、私は今回の旅まで寡聞にして知りませんでした。

松江からは車で20〜30分くらいでしょうか。

とても厳かな雰囲気を持つ神社で、清々しい。気持ちいい。
シン、と静まっていて、落ち着いてくる。
かといって出雲大社とは違う。
穏やかというよりは、背筋がスックリ自然に伸びるようなキリっとした感じ。

ぼちぼち、夕方にさしかかる時間だったのもあるのか(あと、交通の便かしら)、
参拝客はほとんどいなくて。

突如、
「好きにやれ、全力で。周りを気にせず。心をこめて」とメッセージ。

それはとても力強く、奔放な感覚で届きました。

「社会のしきたりに縛られず、したいことをやるがいい。降りてきたまま信頼して行為しろ」とも。

これを伝えてくれたのはスサノオかな、って思った。感覚的には。
初めて、くっきりと、スサノオのエネルギーと繋がった気がしました。

繋がると、いつの間にか、参拝の儀礼である二礼二拍手さえ、通常やってるのと違うやり方で、自然に、今あるエネルギーのままに、体が動いていた。

ニ礼ニ拍手。2回お辞儀して2回パンパン、には間違いないんだけど、まるで夢の中のような。

すごーくスロウな流れの中、自分のエネルギーを感じ、風を起こすようなイメージで練り上げ、そのエネルギーと、場にあるエネルギーを融合させて、神々と交歓していくような。
…そんな感じで、時間をゆっくりかけて参拝していたと思う。

たぶん外から見たら、本殿前でゆっくりした舞を舞ってるようだったかも。

ちょうど他に人がいなかったから、ご迷惑をかけず、遠慮なく堂々とできました。いいタイミングだったなあ。

ある意味、オリジナルの二礼二拍手(笑)。

あ、そっか。

スサノオの言ってた「社会のしきたりに縛られない」って、もしかしてこんな感じ?

私は今、スサノオの前で「しきたりに縛られない二礼二拍手」でお参りしたのだ。

そうやって気づいてみれば、
私はいろんな面で、無意識に、社会のルールに縛られているなあと。

普段はこういった神社のご参拝にしても、心を込めてはいても、当たり前のように、いつも同じ形でお祈りしている。
なぜなら、そういうものだと決まっているから。

私が祈りたい方法を考える必要もなく、先にしきたりが決めてくれている。
昔からそうだから、というルールの枠に合わせて、自動的に自分の行為も決めている。

別にしきたりがダメと言ってるわけじゃない。
きっと長い時間の中で培われた、一番良い形なのだろう。
特にこういう神社のご参拝の方法などはね。

でも私は無意識で自動的に盲目的に従っていた。
そのことには気づいているほうがいいと思う。

そこに気づかせるため、今回はスサノオが型破りな形を、本来の自由奔放な私を引き出してくれたのだと思っている。
本当、勝手に身体の奥から、動きが湧き出てきた感じだったから。

もちろん、ルールやしきたり、型は大事。
幼い頃とか初心者とか、型が決まっていると助けになる。

でも今回のスサノオのご参拝で得た感覚からすると、
盲目的にルールに縛られている必要はないのだ。
何のためにそれをやるのか、がわかっていれば。

例えば「赤信号は止まれ」というしきたりであっても。

真夜中の、車も誰もいない道路で、赤信号で止まる必要はあるのか。

そもそも、このルールは安全のために作られたはず。

だとしたら真夜中の信号を守らなくても、安全が確保されているのであれば、
特にルールに従う必要はないはずだ。本質的にはね。

二礼ニ拍手も、おそらく、心のこもったお祈りを表現するために最適と思われているから、それをしきたりとするわけで。

だとしたら、今回みたいにスサノオから「好きにやれ。しきたりに縛られるな」と伝えられたと感じている私が、いつもの型に従わず、オリジナルの祈りを捧げたのは自然なことなのだ。
その時の私は、しきたりのまま祈る以上に、心がいっぱいこめられたと思う。

「好きにやれ、全力で。周りを気にせず。心をこめて」というメッセージどおりに。


素敵なおじさま、ダライ・ラマ法王の有名な十八ヶ条の中に
「ルールを破るために、ルールを学べ」
みたいな条項があります。

ルールを学べば、その破りかたもわかるよ。と仰るのだ。かっこいい〜!

つまり、ルールは破られるためにあるのだと。

いつの時代にも、人類は古いルールを破ることで進化してきたのだと。

ルールを適切に破ることで世界は新しくなっていくのですね。


きっといろんな面で、無意識の制限をかけている部分がいっぱいあるのだろう。
少しづつ、そんな自分を発見しては解除していけるといいな。

うーん、面白いご参拝だったなあ。
スサノオは自由奔放で快活なエネルギーでした。
ますますファンになりました。どうもありがとうございます。

これからも、どんどん、さらに常識に縛られない自分になっていきますね(笑)。

今回の出雲も充実した旅でした。
新しい流れに入る前、空白の時期、余分なものがない時に、心の奥の隅々まで清めてもらえたような。

出雲で出会ったたくさんのご縁に感謝します。

完。
3年ぶりの出雲旅行・その5 「堀川めぐりと松江城」



そんなわけで、松江。人生初訪問です。

これまた天気に恵まれました。
宿を出て、玉造湯神社にお参りするときは、雨が降ってましたが、
松江に移動するにつれ、雲の合間から明るい陽光が射し込んできて。
キラキラ光る宍道湖を眺めながらのドライブを楽しみつつ、松江に到着。

東京にいた頃以来会ってない、友人との再会も楽しみです。
待ち合わせ時間までに余裕があったので、
堀川遊覧船に乗ってみることにしました。
玉造でもらったフリーペーパーに「松江に来たらハズせない!」とか書いてるし。

国宝松江城をぐるっとお堀が囲んでいて、このお堀を乗り合いの小舟で巡る、という趣向。
今の時期はコタツ船になってるのも、魅かれたポイントです。
所要時間約50分なのも、観光客にはお手頃。

体験してみての結論。
フリーペーパーと同じ。
「松江に来たらハズせない!」

思ってた以上に面白いの。
「堀巡りかあ、だいたいこんな感じだろうなあ」とか、想像できる気がするでしょ?

おそらく、かなりイメージを上回ります。私はそうでした。え?こんななの?って。
まあ、天気がよく景色が映えたことで、旅行者ハイになってたことは否めませんが(笑)。

巡るあいだに10個以上の橋の下を潜るのだけど、
中にはものすごーく桁が低くて、幅も狭い橋があって。
そういうところを通るときは、舟の屋根がググッと下がってきて、お客さんもみんな前屈レベルで体を曲げる必要があるのです。

しかも両脇が舟幅ギリギリとか、ちょっとした遊園地のアトラクション的な要素が各所にちりばめられていて。
ガイドさんの案内もリズムがあって名調子。

「これは…ディ○ニーランド松江支店のアトラクションです、と言っても通用するんじゃないか?」などど呟いてみたり。

あと視点がいいよね。お堀の水面ギリギリからの風景とか、ふだん味わえないから。
お城の自然や、城下町の旧い町並みも眺められ。
時間のない観光客には、このアトラクションをクリアしただけで、ひととおり松江体験できた満足感もいただけます。

舟のメンバーは、私たちともうお一人の3人だけだったのですが、ほっこりコタツに入って、船頭さんとおしゃべりしながらの楽しい時間でした。

舟から降りたところで、友人と合流。
この乗船場のすぐ近くにある松江城見学と、ランチの時間を分かち合い。

時々、何年かに一度でも、ほんのわずかの時間でも、ナマで会うのは大事。
特にネットが発達してきて、概要的にはネット上でまるで会ってるかのような気分になれちゃうからこそ、最近特にそう思う。

友人曰く、
とにかくこの時期の松江はどんよりして、陽射しなんてまず出ないのに、こんな天気がいいのは奇跡的だ!という話を熱く語ってくれます。

私たちは、この2日間、そういわれてもわりと天気に恵まれたので「松江はずっとドンヨリ」という噂に実感わいてなかったけど、
彼女の語り口から「うーむ、よっぽど奇跡的なんだな」と(笑)。

そんなこんなで、おかげさまで松江城観光も天気に恵まれました。
天守閣まで登ると、松江が一望できるのですが、これこそ晴天か曇天かで印象ぜんぜん違うと思う。

景色を眺めながら感じていたのは、松江は女性的な優しい街だなあ、と。
奥ゆかしくて落ち着いた空気を感じてました。

初めての街は、理由もなくなんだかワクワクします。

素敵なおじさま、ダライ・ラマ法王の有名な十八ヶ条の中に
「年に1度は、知らない場所に旅に出よう」
みたいな条項があります。

やっぱり新しい場所で新しい何かを体験することが、ハートは大好きなんだろうな。

もう少し松江に滞在したい気持ちはあるものの、私たちの今回の旅にはもう一つミッションが。

冬至間近で日暮れが早いから、腰が重いタチではあるけど、頑張って次へと旅立ちました。

この旅行最後のミッション、それは、出雲國一之宮、熊野大社へのお参り。

続く。

3年ぶりの出雲旅行・その4 「120坪の源泉かけ流し混浴露天風呂。を独占!」


真っ暗になって迷いながらたどり着いたのは、玉造温泉の老舗旅館「長楽園」。
初めての玉造温泉、今回のメインイベントです!

私たち、もともとの感覚がバックパッカーなので、
旅行といえば、一番節約できるのは宿代だ。という認識があって。
ついつい、日本の宿代には抵抗があって、ケチってしまう傾向があります。

玉造温泉自体が人気なので、全体的にどこの宿もお高めなのですが、さらに長楽園は老舗中の老舗。
1万坪の日本庭園!120坪の日本最大級の露天風呂!皇室御用達!…みたいな宿。

特に気になってたのは、日本一とも言われている120坪の広さを誇る、源泉かけ流しの混浴露天風呂。
すごーく、すごーく、入ってみたい!
しかし宿泊代は当然、安い時期でも2人で4万円近く、とても手がでない領域です。

が!
シーズンオフも幸いしたのか、ちょうど宿を探すタイミングに、創業150周年(!)記念キャンペーンをやっていて。
それで普段の3〜4割引のプランを偶然発見!(ダンナ、でかした!)

これは、このタイミングで来いという神様の思し召しねっ☆
と、勝手に解釈。
意気揚々と、伝説の広大な露天風呂を夢見て、やってきた次第なのです。

なので早めのチェックインで、何回も入ろう!と張り切ってたのですが。
やっぱり目先の出雲大社の魅力にやられちゃって、夕方の到着になった次第。

それでも夕飯前に1回、夕飯後に混浴露天風呂と普通の男女別露天と各1回。
朝も1回、そしてもう露天は入れないチェックアウトぎりぎりにお部屋風呂(全室温泉です!)。合計5回入りました〜!
18時チェックイン、10時チェックアウトでよくやった(笑)。

しかも不思議だったのは、このうち2回、120坪の混浴露天風呂が旦那と2人だけの貸切状態だったこと!
宿泊客は結構いっぱいいたのですよ。ただ、タイミングが他の人とうま〜くズレたみたいで。
しかも、雨も降ったり止んだりの天気なのに、入るときにはきっちり降らなくて。

これも温泉の神様、スクナヒコナのご加護かしらね〜。お参りしてよかったね〜。
などと言い交わしながら、のんびりできて最高でした。

混浴で相方と話しながら入れるのも楽しいし。
それに、120坪で源泉かけ流しって、温度的にどうなんだろう?とか思ってましたが、源泉70度以上あるらしく。源泉に近寄るとかなり熱い。寒い冬にもググッと熱が身体に入ってきます。
マグマに温められた、地と火のエネルギーを身体に巡らせて。
湯けむりも幻想的で、朝も夜も、心洗われるような気持ちのいい、貴重な体験ができました。

翌朝、慌ただしくチェックアウト後は、荷物を預けて日本庭園を散策。
この庭園がまた素晴らしかったです。
長い長い時間をかけて、手入れしてきたからこその趣きがあって。
庭内の庵で、しっとり座って眺めてると、穏やかな時間がこっくり流れて。
まさに名前どおり、長「楽園」でした(笑)。

このあと玉造湯神社でスクナヒコナへのお礼参りと、松江で友人と会う約束がなければ、うっかり夕方までいたかもしれません。

いやー、また来たいなあ。
来年、151周年記念キャンペーンで安くしてもらえないかなあ。

というわけで、松江編に続く。
突然ですが意識が変わりまして。


ここしばらく、年末の出雲旅行の日記を連載中なわけですが、

今さっきブログを開けたら、シリアルの話がポッと突然掲載されていて、ビックリしました(汗)。え?なんだこれ?

調べてみたら、昨年3月に書いた文章が再掲載されてました。

ナゾなのは、私には再掲載した記憶がないからです。

少しだけ心当たりがあるとすれば。
ここ数日、ブログ全体の機能がどうなってるのか、管理ページをいろいろイジりまわしているのです。珍しく。
だからその際に、私が理解できてない何かをやらかした可能性はあるかな?と。

ただ、ナゾはナゾです。この文章に触ってないもん。


実は私、ほんの2〜3日前、突然ですが意識が変わりまして(笑)。

あんなに苦手意識があった、デジタルやネット関連のアレコレについて、
ほんとに突如、なぜか、苦手感覚がポロッと落ちちゃったのです。

なので、今までなるべく触らないようにしていたブログの管理者ページも、
「そもそも、どんなモノで、何ができるの?今、私のブログはどんな状態なの?」と、今さらながら好奇心が出て。

この件は、私にとって結構革命的なことだから、いつか詳しく自分のために書きとめておこうと思ってます。でも今はちょこっとだけね。

なぜなら、前の自分が崩壊したばかりで(笑)、まだ言葉になってないのです。
もう少し表現できるようになるまで置いとくつもりだったけど、ナゾの再掲載があったから言及せざるを得なくなって。

いろんな説明すっとばして言うと、
ネット関連について苦手感から抜けた今、感じてるのは、

これらのIT的なものって、私が思ってたより、もっと人間的な感覚でアバウトに扱えるものなんじゃないか、と感じたの。

私は今まで、こういうの系ってロジカルなものだと思ってました。
きちんとロジックに基づいて作られていて、ロジックに合ったことをやらないと、とんでもない間違いをしてしまうような。
きっと無機質で融通がきかなくて、私には扱いづらい苦手なもの。

…意識的ではなかったけど、今思えば、そんなニュアンスだったかと。
だから、腫れ物を触るように関わってたわけです。

それが突然
「もっと人間的な着想で関わっても、そう重大な間違いは起こらないはず」
と、何の根拠もきっかけもなく意識が変化したのです。

でもこの根拠のない理解が訪れた後で、実際にそれを証明するように、ナゾの再掲載が発生したのです。
なんで、こんな意味不明な状況が発生したのか、論理的には説明できません。

私の意識が変わった時点で
「そのとおり、あなたが思ってたほどにはロジカルじゃないんだよ」と言われたような。

やっぱり結局は人が作ったシステムだから、あちこちに未熟なところがあって、目が届かないところがあって、バグがあって、人間っぽい。
あるいは、操作する側が、知らないうちにミスをすることも人間っぽい要素の一つかと。

前は、バグがあると「ロジカルなくせにバグるなんて!」と、イラっときましたが(笑)、
意識変容してからは、
「そりゃ、もとは人間が作ってるんだもんね。むしろバグって普通」
という認識に変わってます。

だから、わからないことが出てきても、わからなくて当然だと思うようになり、焦らず、困らなくなりました。

今回のナゾの再掲載も、なぜ掲載されたのか理由はわかんないけど、別に困らない。
以前だったら、こんなことがあったら気持ち悪くて(苦手だから怖いのね)即行で削除すると思うんだ。
でも、今はそういう事が起きるのは不思議じゃない、と思う。
記事自体が、意志をもって過去から立ち上がってきたように感じます。

「この文章が本日のトップに掲載されるってことは、きっとこれを必要とする人がいるからじゃないの?」と。

思い出した。

そういえばずっと以前、占猫に来たお客さんにこんな不思議を聞いたことがあります。

その人は、ネットで占猫を見つけたのですが、
見つけた時は、占いとはまったくジャンルの違うものをキーワード検索してたのだそうです。

なんだけど、そのキーワードと全く関係なさそうな占猫が検索にひっかかり。

「この、探してるものと全然関係なさそうな店、なんで引っかかったのか?」
と、逆にそこが気になってブログを読んでいただくうちに、興味が出てきて、ご来店の運びとなったとか。

さらにこの話には続きがあって。
そうして予約を入れて後、気になって、そのぜんぜん関係ないキーワードで再度検索してみたんだって。
でもそれ以降は、何回か試してみたけど、占猫は一度も出てこなかったとか。

ネット、ぜんぜん論理的じゃないね(笑)。

そんなわけで、今回の再掲載、
「わざわざ登場してくれたのは、きっとこの文章を読みたい人がいるからに違いない」
と思って、削除せずそのままにしておきます。

ただ、出雲旅行の連載途中にポンと入ったからね〜。
戸惑う方もいらっしゃったかと思い、その事自体をお伝えする文章を書いてみました。
よろしくご了承くださいませ。

うん、私はようやく、世界ではいつの間にか(私が苦手で逃避してるうちに)ネットが思ってたよりもずっと人間になじんで融合してるんだ。と感じられるようになりました。

ん〜、まだ私は馴染みきれてないので、言葉も拾いにくいなあ。

また言葉が降りてきたら書こうと思います。
まずは、ナゾの再掲載をそのままにしておきますよ〜というお知らせでした(笑)。
シリアルでまた少し世界が広がった件。
去年の夏あたりから、マイブームなのがシリアルの朝食。
有機のシリアルにヨーグルト(豆乳ヨーグルトにする時もあるよ。半々かな〜)、それにお気に入りの甘さ控えめジャムやフルーツなどを添えて、さっくりいただきます。

人生これまでは、シリアルにぜんっぜん興味ありませんでした。
ミルクをかけて食べるイメージだったので、
だとしたら、あの食感が好みじゃないなあ…とか思ってました。

それがある日、シリアル&ヨーグルトの組み合わせで食べさせてもらう機会があって、一気に開眼!
ええっ、ミルクをヨーグルトに変えるだけで、こんなに好みになるなんて!

食感がサクサクとして、味のバランスも私好みにアレンジできて。
以来、週に3日くらいは朝食にしてます(笑)。

それからは、今まで視界に入ってなかったシリアルの種類や、合わせるジャムなんかが気になり始めて。
いい感じのカフェで「自家製シリアル」とか販売してたら、ついつい買っちゃったり。
それらは興味のないときは、存在が目に入らなかったモノたち。

この、知らなかった世界(今回の場合はシリアルが存在する世界?)に足を踏み入れて、今まで見えてなかったものが、目に入ってくるようになる感じ、大好き〜。

シリアル以前(B.C.?笑)と同じ現実に生きているはずなのに、でもたしかに違う世界に変わってると実感できる。
シリアルに加えるのはミルクかヨーグルトか?という、こんな些細なことを体験しただけなのにね。

これぞ「知ること」の醍醐味かなあって思う。

体験して、知ることによって、今まで生きていた世界が一気に変わることがある。

そういえば、タロットや数秘のセッションでも、終了後、生きている世界が変わってしまう人がいますが、あれも、自分を「知ること」によって、知らなかった世界が目に入ってくるんじゃないかと思われます。

…とかエラソーに言ってますが、もともとの私はどっちかというと、いろんな言い訳をしながら、ついつい知ってる世界だけに居座りがちです(笑)。
でも「知る」のが好きだったら、やっぱりいろいろ体験してみないとね。
体験こそが冒険であり、スリルであり。歓びであり。

いや〜、世界はいろんな機会に思わぬところで広がっていくものですね。

あっれ〜、何の話をするつもりだったっけ。
もっと全然違う話をするための前振りで、シリアルが登場したハズなのに。
まあいいや。これはこれで、何となくまとまった気がするし(笑)。

何を書きたかったか思い出したら、また次に書きますね〜。
3年ぶりの出雲旅行・その3「天神社と命主社」



出雲大社を参拝後は、隣接する出雲教の天神社(テンシンシャ)へ。
天神社には少彦名命(スクナヒコナノミコト)が祀られてます。

私は神様の中ではスクナヒコナの大ファン。
オオクニヌシとともに国造りを行なったと言われている神様です。
薬や医術、呪術、酒造り、温泉の神様と言われてます。

名前のとおり小さかったらしく、一寸法師のモデルになったという噂も。
どんな神様か、何年か前に書いた記事があるはずだから、探して再掲載してみようかな。

神在月の出雲旅行・その4 「神代神社・前編」
神在月の出雲旅行・その5 「神代神社・後編」

オオクニヌシとコンビを組む神様だから、もっとメジャーでもおかしくないのに、スクナヒコナだけをご祭神としている神社は全国でも少ないらしいの。
だいたいオオクニヌシと合祀されたりするみたい。

なのだけど、出雲では大社内の摂社や末社になることもなく、すっごく小さい神殿ですが、おそらくご神域内で彼にとってもっとも心地よい場所(私が思うにスクナヒコナ好みっぽい場所)に鎮座されているのです。

敷地内の奥にある静かな、木々に囲まれた池の中の小島にましまして、何と滝まであるという。
おいしいとこ取りにも程があるでしょ〜!
私だって住むならココがいい!
正面のオオクニヌシの神殿とかだと、お客さんも多くて忙しそうだし(笑)。

出雲大社のご神域の中では、今回もここで一番のんびりしちゃった。
だってそれまで、またどんより曇ってたのに、天神社に来たとたん陽射しが出てきて。
きっとスクナヒコナの魔法だな。
水面で反射した陽光が、白木の神殿を下から照らしてキラキラしてる。
滝の音を聴きながら、陽だまりのベンチでまったりと。

ここでも大社の続きのような、
「入るものは自然に入るときに入る。信頼して来るものを受け取るように」
というメッセージ。

少彦名命ファンとしては、彼が言ったと思いたい(笑)。
うんうん、信頼します〜。
疑ったら「つまり俺を信頼しないってこと?」とか突っ込みはいりそうだもん。

全然寒くもなく、むしろホッコリあたたかく、心地いい時間をどうもありがとう!
本当に天気に恵まれたひとときだったなあ。

そして不思議なことに、出雲教の敷地を出たとたん、にわかに雲が湧き始め、小雨が降ってきたのです。

なんだか違う世界に行ってたような気分…。

☆☆☆

そして曇天の小雨のなか、出雲教境内から歩いて3分ほどの命主社(イノチヌシノヤシロ)へ。

こちらも不思議なご縁がありまして。
あるとき最初に訪れたのが、年に二度しかないお祭りの当日だったのです。

誰も参拝客の来ていない静かな社で、神官さん達が雅楽を奏でていたのが印象的で。
そのときにいただいた御神酒の盃は今も大切な宝物。

こちらに祀られているのは、天地開闢の神様のうちのお一人である神皇産霊神(カミムスヒノカミ)。
オオクニヌシが八十神に謀られて身罷った時に蘇生させ、スクナヒコナを自分の息子と認めて、共に国造りをするよう命じた神様。

そうきくと、かなり重要な神様だと思うのですが、
お住まいでいらっしゃるのは、住宅街の中に突然ポっとあらわれる、決して広くない空間。

入っていきなり樹齢1000年を超すと言われている、巨大なムクの樹が立っていてビックリします。
天神社と同じく、こちらも「ちょっと違う場所」にたどり着いたような、奇妙な感覚になります。

この場所で、江戸時代(1665年)に弥生時代の翡翠の勾玉が発見されて話題になったそうですが、私、10年以上前に、その実物を見てるのです。

以前(調べたら2004年だって!)国立科学博物館で開催された翡翠展に行ったときに(翡翠大好き〜!)。

展示の一番の目玉が、出雲大社秘蔵、重要文化財の、その発見された勾玉だったのです。
普段は大社まで行って、宝物館みたいなとこに入っても、レプリカしか公開してないらしく。
わくわくドキドキ拝ませていただきましたが、翡翠好きなら、誰もが息を呑むほどの美しさ&愛らしさ。
あれがこの敷地から発見されたときけば、さもありなん、と深く頷けます。

私としても、それから10年の時を経て命主社と出会い、あの翡翠がここで発見されたんだ。と時空を超えてつながったような気がして、ご縁を感じずにはいられませんでした。

☆☆☆

天神社にせよ、命主社にせよ、
出雲大社からほんの数分歩くだけで、大社とはまた違うテイストの不思議なご神域に出会えるのも、このエリアの魅力。

それでついつい、あっという間に時間が経っちゃって。

計画では、今回初めて訪れる玉造温泉をメインにしようと思ってたの。
早めに宿に到着して、いっぱい温泉に入ろうと画策してたのに。
結局、神社でのんびりしちゃって、冬至直前の時期、宿に到着したのは真っ暗になってからでした。

それでも張り切って、いっぱい温泉入ったよ!

続く。
3年ぶりの出雲旅行・その2「出雲大社で思ったこと」



3年ぶりの出雲旅行。イコール3年ぶりの出雲大社。そして3度目のお参り。

これまで2度は神在月だったからか、参拝客が多かった印象ですが、
今回はいかにも雨が降り出しそうな天気もあってか、想像以上に人が少なく。

でもね、写真見て〜!境内に入ったとたん、青空になったんだよ〜!
この辺りの空、平地なのに、コロコロ変わりやすい山の天気みたい。


出雲大社はいつ来ても、不思議な静けさ、静謐さを感じます。

参拝客が多いか少ないかは関係ない気がする。
神社によっては、境内へ入るなりパーンっとトバされて神社ハイ(笑)みたいになることもあるけど(それも好き☆)、出雲大社はスーっと落ち着いてくるの。

「今は全てを空白にして、古いものを手放し、新しいものを迎える準備をするとき。美しく整えて、まっさらにしましょう」

参拝してると、どこからかこんなメッセージが。

ああそうか。今は空白なんだ。と。

スーッとハートに入ってきて納得。
そして、何もないその空白を清めていただいた感じがしました。

そういえば父が亡くなって以来、ずっと走り続けてきていたことに気づきました。
いろいろ気を張っていることの多かった一年。
旅行のちょっと前に一周忌の法要を行い、ようやくひと息ついたところで空白になっていたのだなあと。

たしかに、先のことは何も考えられないし。
ようやく終わった。という感覚だけで「次どうしよう」とか一切なく。ゼロの状態。

余分なものが入ってない空白の時期だからこそ、いいタイミングで奥まで浄化してもらえたような。

このメッセージが来たときのビジョンが、大掃除後に何もなくなってガランとスッキリした、自宅の階段下の物置でした(笑)。

父が他界した後、つい最近まで「典型的に昭和な家」の片付けに取り組んでいて。
親の世代がため込んでいた、今の私たちにとって不要なモノ達を手放しまくる日々でした。
手放すって、けっこうエネルギー必要です。
とくに、一つ一つのモノと向き合いながら取り組むとね。

それで頑張って、あるときようやく、何が入ってるのか分からなかったカオスな階段下(父が捨てさせてくれなかったので「見ないふりをするしかない」エリアだったのです)の床面を、実家に戻って以来初めて見ることができた日のビジョン。

何も入ってない状態にしてこそ、ようやくしっかりスッキリお掃除できるわけで。
もしも何かが入ってたら、そこまでは掃除しきれません。

あの物置と同じで、私自身も今は何も入れないでいる、空白のとき。
何かが入る前に、しっかりスッキリお掃除していただいたような。

しかも私が物置をお掃除したときよりも、ぜんぜん丁寧で繊細です。
心地よく、優しく、清々しく。

メッセージに女性的なニュアンスがあったから、お掃除してくださったのは、オオクニヌシのお嫁さんかな?
気持ち良かったです〜。ありがとうございます。

出雲大社は私にとって、じんわりと滋養を与えてくれるような、不思議に落ち着ける場所みたいです。

続く。

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