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初夏のお散歩
すっかり初夏になりましたね。
私はこの時期の心地よさが大好き。
暑くも寒くもなく、爽やかで、新緑と花々がイキイキしていて。
あ〜生きててよかった!と体も心もゆるやかになる。

さてさて、すごーくお天気のよかった先日、ちょうど予約が入ってない時間があったので店を抜け、川べりを散歩してきました。
ここしばらくバタバタしていたので、実は久しぶりのお散歩でした。
横川の川べりに至っては、たぶん1ヶ月ぶりくらい。桜の終わり頃以来かなあ。

川沿いには、ちょうどいい間隔でベンチが配されています。
この前来たときは、桜の下のベンチが旬でしたが、
今回は花ざかりのクスノキの下がベストポジション。

小さなクスノキの花が、もう散りどきなのか、風の吹くたびパラパラ落ちてくる。
でも爽やかで甘い香りはまだまだ健在で。
大好きなクスノキの香りに包まれつつ、川の上をつがいで翔びゆく鳥達を眺めながら思う。

ああ、いつのまにか時間はどんどん流れているんだな〜、と。

私がバタバタしてるうち、あっという間に旬は桜からクスノキへ。

そして「あっという間に桜からクスノキになったね〜」とか、同じようなセリフを毎年のように横川で繰り返しつぶやいて、はや8年。

今月、あっという間に、占猫8周年が訪れようとしています。
ねこ瞑想


この前の続き的になりますが、おかげさまで今のところ「まいにち瞑想」続いてます。

あらたまって「ザ・瞑想」という時間をとらなくても、短時間なら日々の生活や行為の中で瞑想することは可能ですしね。

特によくやるのは「ねこ瞑想」。
どんなに忙しかろうが、ニャンコ達は必ず毎日、膝にのってきます。
こちらが望んでない時も、無理矢理にでものってきます。
その間、活動的なことは何もできません。

なので、その時間をそのまま、ニャンコを膝にのせたまま瞑想するのです。

そもそも、瞑想、とひとくちに言っても、やり方はさまざま。
おそらく「瞑想ってなんですか」と尋ねても、いろんな考え方があると思います。

ちなみに私の思う瞑想とは、自分に気づいていること、です。
自分が今どのように在るのか、気づきを向けて意識的になる。

内面に静かに向き合うための時間をあらたまって作れたらいいけど、それができないときは、ニャンコを膝にのせた瞑想も悪くありません。

自分が今どのように在るのか。
膝に乗ってるニャンコと共にいる感じを味わってみる。

地球の重力に逆らわないストンとリラックスした重み。
毛並みとその下にある皮膚の感触、呼吸による膨張収縮…。
あたたかさ、やわらかさ…。
また、私が触れているのと同時に、ニャンコも私に触れている。
これらを私はどのように感じているのか。

そしてそのとき、私はどういう感情なのか、どんなことを考えてるのか、身体はどんな感覚なのか…、ただ観ている。その感覚たちに意識的になる。
そうするうちに内面が、どんどん静かになっていく。
耳をすますような、穏やかで静かな世界。

ニャンコはシンクロ率が高いので、内面の静かな私に同調してくる。
普段、瞑想しないで乗せてるときとちょっと違うの。瞑想ニャンコになってるの。
そして、どこかで満足するんでしょうね。膝からパッと降りるときがきて、私もそのときハッと外の世界に戻ってくる。

猫も満足、私も満足。

ニャンコを飼っていて、瞑想にも興味がある方、ねこ瞑想オススメですよ(笑)。
目標を立ててみた。
このまえの春分の日、とーとつに目標を立ててみました。
「なるべく早起き&まいにち瞑想」。

春分の日は、太陽のお誕生日みたいなもの。
新しい始まりの時なので、新年みたいに目標立てたくなったりします。
そういえば、ここしばらく目標というものを立ててなかったな。

しかしこの「早起き」については、私にとって小学生の頃から、目標といえば「早寝早起き」というくらい馴染みの目標。
つまり今まで一度たりとも長続きしたことがないという(汗)。
たいがい自然消滅しては、新年だの立春だの春分だのという節目っぽい時に、また性懲りもなく思いつくのです。

なので今回こそ無理のないよう、ソフトめに「なるべく」と修飾語をつけてみました。謙虚。
「早寝」も仕事の都合上、難しいので割愛。

が。春分の日から約1ヶ月。今回は意外と三日坊主よりは続いてます。
まあでも、そろそろ早起き目標のほうは雲行きがあやしくなりつつあります。
「なるべく」が入ってるのでギリギリOK、くらいかなあ(笑)。
この前、宮島で「早起きは三文の得」を体験したハズなのにね。

でも、今のところ「まいにち瞑想」のほうはキッチリ続いてます。すごい。

瞑想って「心のお風呂」みたいなもの。
普通に生活する中で、私たちは身体を浄めるためにお風呂入ったりシャワー浴びたりする。
それと同じで、心だって毎日生きてると、いろいろ汚れてくるのは当然で(笑)。
心をすっきりさっぱり浄めるには、瞑想がカンタンな方法なのです。

なのですが、ついつい忙しさに紛れて後回しにしてると、結局やらない日々が続いたり。
でもやると気持ちいいんだよね〜。うーん。
…というわけで目標にしてみたのでした。

明確に決めてみたら、早起きよりはしっかり続いてます。
しかも続けているうちに、毎日できなかった原因が判明したのです。

それは「私という人間は、瞑想を始めると1時間位やってしまう」という思い込み。

確かに、瞑想すると気持ちいいから、ついつい長くやっちゃいます。
たいてい気がつくと1時間超えてます。長風呂タイプってことですね。
そのため「私は瞑想すると1時間かかる人なのだ」という無意識の思い込みがあったのです。あらかじめ確定している。

つまり「私は1時間ないと瞑想できない」と思っていたわけで。
「あ〜、今日も瞑想をやるには時間がないなあ(=1時間ないなあ)。また明日にしよう」と先延ばしにしていたのでした。

今回、目標という縛りをつくったことで、その思い込みに気づけました。
いちおう、どうにかしてその目標に行動をあてはめてみようとするので。

時間がない中、なんとか瞑想しようとしてるうちに、
「あれ?もしや、1時間やらなきゃいいだけでは?」と気づき(笑)。
それ以降、今は10分でも毎日やろう、と習慣化を試みています。

…ここまで書いて、読み直したら「何でそんな簡単なことに気づけなかったの?」と、今は笑えますが、こういう思い込み、私は結構多いです。

無意識に「私ってこういうタイプ」「私ってこういう性格」とか思ってる。
そうやって自分が決めた枠のなかで生きてる。
生き方を制限していることに気づくことなく。

20代の頃、私は「焼肉屋にいくとお腹いっぱいになるまで食べちゃう人」という思い込みがありました。
ある日、美味しい焼肉屋があるんだけど寄らない?と誘われたとき、
「うーん、私、焼肉屋ってすぐお腹いっぱいになるまで食べちゃうんだよね〜。このあと朝まで遊ぶし、移動も多いよね…」とか本気で逡巡してたら、相手が目を丸くして、
「え?それ、お腹いっぱいになるまで食べなきゃいいんじゃないの?」と。

あれは青天の霹靂でしたね〜。
革命的な気づきでした(笑)。そうか!食べなきゃいいのか!と。

食べてもいいし、食べなくてもいい。
瞑想も1時間でもいいし、10分でもいい。
本当はもっともっと自由でいいはずなのに、勝手に狭めてるんだよね〜。

自分を無意識に縛っている枠は、気づきさえすれば大抵スグに解除されます。
なんか制限されてるな〜、とか動きづらいのを自覚した時に発見しやすい。

逆にいうと、気づける時には無意識の枠が壊せるタイミングなのだと。
きっと昔の私は、どうしても焼肉はがっつり食べちゃうし、瞑想は長くないとイヤだったのだろう、実際。
でも、人は成長していく生き物。てことは私だって然り(笑)。
枠に気づく時は、おそらく成長して大人になってるのだ。なのでそこから自由になれる。

めずらしく、久しぶりに、目標を立ててみたら、そんな隠れた枠を発見できてよかった。

実は、あんまり目標とか決めて自分を縛るのは苦手です。
でも、目標という軸を中心に行動したり考えることで、普段とは違う刺激や圧力が加わって、今まで見たことのない角度から自分を眺めることができる。

結果、目標で縛られる以上に自分を縛っていた「思い込み」に気づくことができて、おそらく前より自由な私になれていると思う。

やっぱり、たまにもの珍しいことをやると、新しい発見があって面白いなあ。
早起きは三文の得


先日、人生で初めて宮島に宿泊しました。
ちょうど宮島で2日間の研修があって、いちいちフェリー乗って家に戻るのは面倒だったので。

宮島は大好きですが、広島に住んでると日帰りで行けるので、これまで宿泊する機会はありませんでした。
あと、有名観光地って何となく宿泊代が高い気がしてたし。
でも必要に迫られて調べてみれば、さすがにゲストハウスがいくつかあって。
私たちが泊まったのは、フェリー乗り場すぐ近くの便利な宿で、ドミトリー1泊3千円。

ちょうど桜の時期だったので、随分前から予約が混み合ってましたが、何とか男女共用ドミトリーがキープできました。

宿泊にあたって、一番楽しみにしていたのは早朝の厳島神社へのご参拝。

日帰りで宮島に行く場合、深夜に家を出て、始発で張り切って出かけないかぎり、私の住んでる場所から早朝のご参拝は難しいのです。
なので私が行くのはいつも、既にたくさんの参拝者が境内にあふれている時間帯。
一度、能楽を観に行った時に夜の静かな厳島神社を体験しましたが、朝とはまた全然違う空気と思われます。

まだ開門したばかりの新鮮な厳島神社の空間を体験してみたい!

と。そんなわけで研修1日目の夜は、満月と桜をちょこっと味わっただけで、12時には早々に就寝。早朝にぱっきり起きて、念願の朝の参拝へ。

フェリー乗り場から厳島神社まで、のんびり歩くと私の足だと20分くらいかかります。
普段はずっと原宿状態に混み合ってますが、ぜんっぜんガラガラ。人口密度が違います。
途中、大鳥居が見える人気のビュースポットも、誰もいません。昼は記念撮影屋さんもいるほどの混み合う場所ですが、さすがに記念撮影も開店前です。

桜が満開のこの時期、しかも休日。
昼間なら入場さえ順番待ちになりかねないシチュエーションなのに、ぜんぜん余裕で入れます。
いつも入ったとたん、スンとした空気に包まれるような静謐さがありますが、この日はいつも以上の清浄感。
本殿でお祈りする前から、歩くだけで不要なものが落ちる…いや違うな、しゅわわっと爽やかに蒸発していくような。
「朝」という時間のパワーを、ダイレクトに体験させていただきました。

厳島神社に行ったことのある人はご存知かと思いますが、境内には海の中に立つ大鳥居に向かってテラスのように突き出ている場所があります。
そこで写真を撮らない観光客はいないんじゃないか、と思うほどの撮影スポットで、いつも大勢の人で賑わってるのですが…そこに誰もいないんですよ。

うわー、ここに誰もいないなんて!
私たちがコーフンして(笑)写真とってると
「あ、すごくいい場所がある〜」と、それを見て人がのんびり寄ってくるような。うーん、新鮮。

人の少ない境内で海の大鳥居を眺めていると、清涼な風がそよぎ、山を眺めれば満開の桜があちこちに配されて、ほっこりほんのり優しい気持ちに。

いつも以上のピュアなエネルギーを感じられて、とても清々しい時間を過ごせました。

その後、境内を出てみたら、入場のために既にものすごーい行列が。
まだ8時になるかならないかの時間なのに、いつもの光景になってました。
そして海を渡ってくるフェリーを見たら、あふれんばかりの人がずずなりに。
これからまだまだ、閉門まで沢山の人が参拝するのでしょう。

いやー、朝のほんの少しの貴重な時間を体験できて良かった〜。
この日、私はようやく「早起きは三文の得」という諺を理解しました(笑)。

もちろん意味はずっと前から知ってますよ。
でも単なる知識にすぎないから、心から理解してないから、結局早起きしない(笑)。
知識があるだけでは、人生に役立たない。
体験に基づいた理解があってこそ、その知識がようやく知恵になる。

今回は本っ当に「早起きは三文の得」でした。
それまでの私が発するこの諺と、今の私が発するのとはエネルギーが違ってるかも(笑)。

仕事が遅めだから、いつもいつもそんなに早く起きれるわけではないけれど。
それでもなるべく早く起きてみよう。三文の得だから。

そして宮島も、また宿泊で行ってみよう。
1泊3000円で、あの至福が味わえるならコスパ高いと思う。
ご参拝の後には、素敵なカフェでモーニング…とかもいい感じ。
広島に戻って8年、この期に及んで、新しい宮島の楽しみ方を発見した気分です。
お花見ざんまい


このまえの週末、研修で臨時休業させてもらいました。
おかげさまで、すっかりエネルギーがリフレッシュしたような。
ちょっとくたびれていたお布団綿を打ち直した感じ(笑)。

エネルギーがリフレッシュしてどんな感じかというと、いろいろあるけど、
その中のひとつとして「感じ」が打ち直された気がします。
日々の忙しさの中で、感覚、感性がにぶくなっていたのかも。
薄いベールが一枚はがれたようで、外界と接するときもちょっと新鮮です。

ちょうどその週明けは、横川の川沿いの桜も満開を迎えて、すでに桜吹雪もちらほらと。
この新鮮な感覚でお花見したらどんな感じかな?と、ランチがてらのんびり堪能してきました。

横川の川沿いは、私の大好きなお花見スポットです。
まずもって桜と水、という組み合わせが純粋に好きなの。
光の反射でいろんな色に変化する川と桜のコラボレーション。

しかも横川は川の分岐点。
広い三叉路みたいになって、滔々と流れているから視界も開けていて。
川沿いには大きな正方形のベンチもあって、寝転べたりするのもお気に入り。

さらにいうと、人が少ないのも嬉しい。
土日はさすがに多いけど、平日はこんなに静かに楽しんでいいの?と驚くほどの穴場です。

以前、東京では井の頭公園という、首都圏屈指のお花見スポットから徒歩15秒な場所に住んでいて、毎日、朝晩、桜を堪能できるという素晴らしい環境でしたが、いかんせん人が多い。
シーズン中は真夜中でも渋谷にいるような人混みなのです。
それが「お花見の宿命」だと思ってた人間からすると、横川の桜人口密度は奇跡です(笑)。

あれ、また話がそれてきたな。元にもどします。
そんなわけで。初めて川沿いの桜と出逢った時、こんな素敵な場所が占猫の近くに在るなんて!と、心から喜びました。
「人生っていろいろあるけど、やっぱり結局は祝福されてるんだな〜」とか、しみじみ脳天気に思っちゃうのはこういう時です(笑)。

そうそう、それで週明けリフレッシュ後のお花見の話でした。
実は今年は天気に恵まれたのもあって、3分咲きくらいの頃から何度も通ってます。
感覚がリフレッシュしたビフォーアフターの違いを言葉で表すとしたら、
「呼ばれる声」の聴こえてくる領域が広がった感じ、かな。

私の感覚では「呼ばれる」ですが、もう少し説明っぽく言うと「気づく」範囲が広がった感じでしょうか。
たぶん今までも呼んでくれてたのに気づけなかった声が、感覚が澄まされたことで聴こえるようになったのかな。

これまでだとお花見で味わうのは、やっぱり桜や川、お弁当、青い空、風、川を渡る鳥…そういう、呼ぶ声の大きい、目立つものに魅かれるわけです。
でも今回は、普段のお花見だと気づかないような部分に意識の向くのが面白かった。

たとえば、いつもはお店に鎮座ましましている「わをんちゃん」も持参しました。
わをんちゃん、は私が作った魔法の杖。
めったに外出することはないのですが、「私もお花見したい!」と呼ばれて。

まあでも、故なき事ではないのです。わをんちゃんの杖の素材は桜の枝。
あの、光を含む枝で作ってます。お花見に参加するのは同窓会みたいな感じでしょうか。
ベンチの上で、ふるふると舞い散る花びらを浴びて愉しそうでした。

また、お弁当を食べてると、お約束のスズメとハトが食べこぼしを目当てにジワジワ近づいてきます。
そこまではいつもの出来事ですが、スズメ同士で場所とり争いをし始めました。
普段は気にならないはずの、そのケンカから目が離せません。観戦に呼ばれました。

スズメの体格もかなりの差があります。ジャイアンとのび太のような。
いや、例えが難しいな。弁慶と牛若丸のような。
弁慶が先にちょっかいをかけたのですが、牛若丸も負けてません。
小柄な体を活かして、軽いフットワークで相手を翻弄しながら、翼の付け根とか、痛そうなところに隙をみてはじわじわダメージを与えています。
弁慶は一撃必殺の様相で立ち回るのですが、牛若丸のジャブが効いたようで、けっこう長い闘いの末、撤退していきました。

よく考えたら当然ですが、スズメでも自分の体格に合ったケンカの仕方を知ってるんだ〜と感銘を受け。
私がお弁当を食べたり、お仕事してる間にも、こうして野生の世界では生きるための闘いが日々繰り広げられてるのか〜とか、しみじみ。

あるいは、シロツメクサに呼ばれたり。
帰る間際、川べりに無数に花を咲かせているシロツメクサから声がかかる。
「よかったら持って帰ってよ」「お店に飾って〜」「いっぱい咲いてるから」「見てもらうと嬉しいから」などなど。

「じゃあ、うちの店に来たいコは誰ですか〜?」と耳を傾けて、占猫に来たいシロツメクサとクローバーをピックアップして持ち帰ります。

シロツメクサを摘んでるとき、小鳥が蜜をついばんだのでしょうね、桜が花びらでなく花弁の根元から花の形のままポトリと落ちてきました。
すると、杖のわをんちゃんが、
「これ、店で留守番してるコたちにお土産で持って帰って〜!」と呼びかけます。はいはい、了解しました。

そうしてシロツメクサと桜の花をお土産に、お仕事に戻り…というお花見でした。

長々と「なんでもないこと」を書きつらねました。
これって、まとめちゃうと単に魔法の杖をお花見に持っていって、お弁当を食べながらスズメの喧嘩をみて、帰りにシロツメクサと桜をお土産に持って帰っただけのことです。

なんだけど、感覚がリセットされて呼ばれる範囲が広がったことで、とても世界が色鮮やかで繊細に感じられ、多様性のある豊かさを味わうことができました。
できるだけ普段からゆとりを持って、こういう感覚を大切にしたいなあと改めて思った次第です。
内容的にはどうでもいい話(笑)に長々とおつきあいありがとうございました〜。

追伸
今回の桜の写真は、横川で不妊治療専門の「ミヒロ鍼灸salon」を開業しているお友達、ミヒロちゃんの撮影でーす。横川の桜らしさがバッチリ出てて素敵〜!
お手紙セット
時系列的には、この前書いた梅吹雪の散歩のつづき。

すっかり梅の香に酔わせてもらい、そのまま家に戻るのは何となくもったいないような、ワンクッションおきたいような気がして、近所のカフェに立ち寄りました。

何となく、と書いたけど、本当はスグに戻りたくない理由はわかってます。
ニャンコ達が戻るのを待ち構えていて、帰るなり「ハラを撫でれ〜っ!」「あそべ〜っ!」とかモブりつかれ、梅の余韻など一瞬にして吹き飛びそうだから(笑)。

カフェでコーヒー飲みながら、普段は本を読むことが多いんだけど、
この日は久しぶりにお手紙など書いてみました。

手紙は昔は通信手段の一つと捉えてましたが、今や個人のレベルだと嗜好品に近い気がします。
書きたいときに書きたいことを書いて、そのエネルギーを誰かに届けること自体を楽しむものになってるような。

なのでその「書きたいとき」を逃したくなくて、私はいつもお手紙セットを持ち歩いているのです。

ちょっとした近所の散歩なのに、お手紙セットを持参してる自分に我ながら驚きです(笑)。
でもねー、いつ書きたくなるかわからないから、準備は欠かせません。
タバコを吸いたいときのためにタバコを持ち歩く愛煙家、みたいな感じでしょうか。

A5サイズのポーチに一式まとめていて、このセットと文庫本をお出かけには持参します。
A5が入らないカバンのときも、絵はがきと切手だけはスケジュール帳に挟んであります。

ではポーチには何が入ってるかというと。
便箋や封筒、絵はがきなどを折れないようにA5ファイルに入れてます。
あとは切手とのり、12色のミニ色鉛筆。
ペン2〜3種、携帯ハサミ、マスキングテープ2種。

んー、最近はこれくらいかな。
便箋や切手、絵はがきの種類は多めに入れてます。
封筒は綺麗な紙やフライヤーなどで手づくりしたものも。
どれを使いたくなるかわからないので。選択の自由をキープ(笑)。

だいたい季節モノと季節が気にならないモノと2種以上入れてます。
切手も絵はがきもレターセットも。
季節モノは今だと梅から桜くらいまでは準備してます。
気が向いたときに、季節の移り変わりに合わせてセットを替えていくのがまた楽しい。もう少ししたら新緑モノを準備しないと(笑)。

今シーズンのセットの目玉グッズ(!)は、今年に入って家を片付けてるときに発見した、
おそらく30年以上前の、40円官製はがき2枚。郵便番号枠が5つしかない(今は7つになってるのです)。
しかもどうやら梅の時期用に作られたらしく、切手のデザインが梅で、表の右下には梅のイラストまでついてるの。
昔は季節のあしらいが入った官製はがきを定期的に販売してたのか、かもめーるみたいなのの元祖なのか。
なんにせよ、紙の黄ばみ具合といい、アンティーク感たっぷりですっごい素敵!

この素敵さを喜んでくれそうな友人に、梅の季節になったらこれでお便り出すぞって思ってたのでした。
季節、ぎりぎり間に合いそう(笑)。北にお住まいの人ならちょうどいいタイミングかな。じゃああの人にも出そうかな…、南の友人はそろそろ桜のほうがいいかな…
などなど、出す人も時期に合わせてみたり。

「えー、こんなハガキどこで見つけたの〜?」とよろこんでくれる顔を思い浮かべつつ、カフェに入る前に立ち寄った、梅林の話をちょこっと書いてみたり。
書いてみたら、文字だけだと物足りない気がしたので、色鉛筆を使ってみたり。

昔は40円か〜。今はハガキ送料62円です。
22円分をレイアウト考えつつ足して(もちろん2円や10円など少額切手もセットに入ってます!)、ポストに投函して。
そして猫の待ち構える家へと戻ります。

いつの間にか、用事のない休日も、気づけば夕方近く。
さっくり衣替えもしようと思ってたけど、どうやらこうしてブログ書いてるうちに夜になりそうです(笑)。
が、ブログもお休みな日じゃないと、なかなか書く気にならなくて。
やっぱり手紙と同じで、書きたいときに書きたいから。

今日は梅のおかげか、気持ちよくスルスルと内側から出てくる感じ。
その分(?)読み直すと話がまとまってない気がするけど、まあ本人が心地よいのも大事だよね。ということで(笑)。

さーて、リフレッシュしたから、明日からまたはりきってお仕事するぞ〜!
ほころんじゃえば? 〜梅吹雪のなかで〜
久しぶりに用事のない休日を迎えました。
さっそく午前中から、近所の神社までぷらぷらとお散歩に。
しばらく忙しかったので「用事のないお出かけ」は贅沢した気分になります。

それに、ぼちぼち梅もキレイかな?という予感もあって。
神社の近くには、数本の立派な梅の木が立ち並んでいる畑があり、この時期はちょっとした梅林風情なのです。
香り高く咲きほころぶのを毎年楽しみにしてるのですが、今年の梅見は初めて。

お参りの後に立ち寄ってみたら、もう既に満開を過ぎた木も多く、徐々に散り始めるくらいのタイミング。
えっ、もうそんな時期なの?
そういえば春分も近いんだっけ。あっという間に月日が過ぎていてビックリです。

もちろん、これから満開という木もあって、梅林の中に佇むと、この時期でないと味わえない、あの清々しく、ふくよかな香りが身体を包み込んでくれます。

しばらくじーっと動かないでいたら、私が場に入ったためにいったん逃げた鳥や虫たちが、花に吸い寄せられるようにまた戻ってくる。

目の前で一心不乱に、ミツバチがホバリングしながら花の中をゴソゴソ漁ってる。
つぼみがようやく少し開いたかな?くらいの花の中にまで、頭をムリムリ突っ込んで作業してます(笑)。

この、梅のつぼみがまた、なんとも言えず愛くるしい。
固く締まっている時期でも、ぽわぽわ、ふわふわしたフォルムで。
さらに開花直前のつぼみとなると、その可愛らしさ、ほころびっぷりにウットリしちゃいます。

その時、ふっと、つぼみ達が言いました。

ほころんじゃえば?

「え?どゆこと?」思わず聞き返す。

ゆるんじゃえば?
花が開くように。
私たちみたいに。
なんかキンチョーしてるよ?

と、いっせいにあちこちから聴こえてきます。

その言葉が届いたとき、無意識のうちに自分の体が固く縮こまっていたことに気づきました。

あ、私、ほころんでないや。

なんとなく、緊張している。
なんとなく、漠然と、次にくるであろう「何か」に対して、身体が用心して構えていることに気がつきました。

じゃあその「何か」って何?と、自分でも突っ込みたくなるのですが(笑)。
無意識にやってることって、自動的だから気がつけない。同時に呼吸も浅くなっている。

でも気づいた瞬間、梅の香りもさっきまでよりたっぷりと、肺のすみずみまで入ってきてくれたような。同時に身体もふう、と緩んでくる。

そういえば、ここしばらく日々の暮らしのなかで「今までに経験したことのない案件」を進行させていたのを思い出しました。
やったことがないから、全てが未知数。
そのため、いつもより慎重で、緊張していたのかもしれない。

本人、頭では新しい経験が積めて面白い!と思ってたのだけど、
どうやら保守的な身体(笑)は、それについていけなくて固まっていたのかも。
これからどうなっていくの?って。

梅さん、つぼみさん、ありがとうね。
気づけたおかげでリラックスできて、春の気配をいっぱい感じられるようになれました。

やっぱり自然はすごい。とても素敵な先生です。

もし人間に「リラックスしなよ」とか「身体を緩めてみたら?」とか、言葉だけでアドバイスされたとして、すぐにその通り実行できるかは難しいところ。

でも、つぼみ先生は目の前で、それを実践しておられる。
実際にほころんで、ゆるんでいて。それを体感させてもらえるのです。

ちょうどさっき、偶然目にしたユングの言葉を。
「教育の最良の方法は、良い手本を示すことである」
だそうです。ほんとそう。

お手本である、ほころびかけのつぼみをじーっと感じているだけで、なぜか同じようにほころんで、緩んでいくのがわかる。すごいなー。

と。春の嵐のような強い風が、ドオッって吹いた。
紅花白花、梅の花びらが渦を巻くように風にのって舞い散っていく。
私の頬や身体をかすめながら。春の嵐の梅吹雪。

梅吹雪、薄曇りの景色によく映える。

次の休日も来てみるつもりですが、次は殆どが散っているかもしれません。
今のタイミングに逢えてよかった。
また折に触れ、いろいろご指導ご教授よろしくお願いいたします(笑)。
リーディングのご感想ありがとうございます。
いつもご感想ありがとうございます。
今日はYuuさんからのメールを紹介させていただきますね。

☆★☆★☆

先日はありがとうございました。Yuuです。
まずは前回の感想です。
ひとことで言うと「思いや考えにも癖ってあるんだ!」という驚きでした(笑)。

職場の人間関係で、少しはマシになったかな〜と思っていた「いい人でいようとする自分」が、実は職場だけでなく友人関係にも影響していた…そんな発見をさせて頂きました。
まったく同じ感覚なのに、ジャンルが違うだけでこうも気づかなかいのか…
むしろ自動化された無意識の思考といったところでしょうか。

友人関係をみるセッションでしたが、結果として自分を知る時間となりましたし、
また別のジャンルで悩んだときに、思い癖が出ていないか冷静になれるきっかけが出来たと思えました。ありがとうございました。

(中略)
あゆたやさんと出会う前は、自分が分からず、とにかく自分を知りたくて焦っていたような気がします(結果、そのおかげであゆたやさんに出会えたので「良し」とも思っていますが。笑)。

でも最近、知りたいと思う割に、あまり自己分析をしていなかったことに気づきました。
悪い言い方だと「他力本願」、占いなどを通して早く知ろうとしていた…という感覚です。

そんな自分でしたが、あゆたやさんのセッションは本当に「今」必要なことだけ、しかも自分では気づけないけど、確かに自分自身のこと…。
そんなセッションを繰り返す中、ゆっくりでも自身を理解したり変わることができるのだと知りました。

この1年を通して少し自分を分かってきたこともあり、出来る範囲で自己分析をしてみよう!という思いが芽生えてきました。

具体的には性格や好き嫌い、容姿も中身も、長所も短所も書き出して、いったいどんな人間なのか、本当は何がしたいのか、どうしてこんな自分で生まれてきたのか…など、今後進みたい道を自身と向き合って決めていきたい!という思いを持つようになったのです(自己分析ノートを作ろうかと。笑)

経験や表面的なことは自分で書き出すことができると思いますが、もっと奥深くのところ、自分で気づけないところについては、あゆたやさんの協力を得たいと思いました。

最初の数秘のセッションのときに、自分の数については一通りお話を聞いたのですが、今一度数秘からみた自分をしっかり聞きたいと思うのです。

そこでご相談なのですが、復習や確認の意味も含めて、最初と同じようなセッションを受けることは可能ですか?

焦って今すぐというわけではないのですが、聞くお勧め時期などあれば教えてください。 長文になってすみません。よろしくお願いいたします。

☆★☆★☆

Yuuさんは占猫の常連さんで、定期的にセッションさせていただいています。
このご感想を読んでもお分かりかと思いますが、
彼女のように、うちのお客さんは「自分自身を知る」ということについて真摯な方が多いです。

私からすると、本当に尊敬できる方々ばかりです。

自分と向き合うことは、どの人生に生きている方にも大切なことだと思うけど、実行するのはなかなか難しい。
生活が忙しかったり、向き合うのが怖かったり。
実際私なんか、これだけ人にはいろいろ翻訳してお伝えさせて頂く仕事をしてるんだから、
もう少し向き合えよ、と思うのですが、これがなかなかね〜(汗)。紺屋の白袴?

いつも言うことですが、セッションで私が占うことはありません。
その方の魂からのメッセージを翻訳している同時通訳者なだけですが、そのメッセージ内容が、おそらく「自分自身を知りたい」と思う人のハートにフィットするのだと思います。

そして魂から「次はこんなところに気づいてやってみるといいよ」とか、皆さんそれぞれにアドバイスされたりするのですが、Yuuさんのような人は、その助言をしっかり人生に取り入れていくのです。

そのアドバイスを生かして人生を送っていると、新しい次の展開や成長があったりして、そしてまた次の自分と出会いに来られる。
そういう、人生を大切に生きようとなさっている人は、喜怒哀楽いろんな経験があっても、どんなときも本気で向きあっていて、魅力的で素敵だなあといつも思うのです。

さて、それで数秘についてのご質問の件です。
これは常連さんによく尋ねられる質問なので、お答えするのにちょうどいい機会ですね。

ただ、これを読んでいて、まだ数秘をやったことのない人には質問自体がわかりにくいので、まずちょっと説明しますね。

数秘はまとめていうと「自分がこの人生で何のために生まれてきたか」という大きなテーマについて話します。
人生全体を語るので、初回のセッションはけっこう時間がかかります。

でも2回目からは「いちおう一通り初回にお伝えしたよね」という前提で、その時々に必要な部分をピックアップしてお話しする場合が多いです。
なので数秘は一度全部聴いたら、2回目以降はチャートをお持ちいただくと、タロットと数秘をミックスしたリーディングになるケースが一般的です。

もちろん、セッションでは何が起きるかわかりません。
2回目でも数秘だけとか、チャート持ってきてもほとんどタロットだけ、みたいな場合もあります。魂さん次第。

…というところでYuuさんのご質問です。
常連さんが何度かミックスでセッションしていて、その時々に必要な数秘のエネルギーを受け取っているうちに「初めて聴いた時みたいに、人生全体をもう一回改めて聴いてみたい」と思う場合があるのです。

それについては、やってみたい方にはむしろオススメです。
おそらく最初と7割がた同じような話をすることになりますが、同じ映画を何度も観るのに似てるかもしれません。

つまり、私がたとえ100%そっくり前と同じに話したとしても、聴く側が変化しているので深みが変わります。
映画も3回くらいみたら、最初には気づかなかったところに気づいたりするでしょ?
あれと同じ感じじゃないかと。

しかも、数秘のセッションは自分自身のための映画。
何年かに一度、初回と同じセッションをされることで「自分がどんな風に成長してるのかがわかるバロメーター」として使えるので、面白いですよ。

Yuuさんも、このメールをいただいた後、あらためて初回的な数秘セッションを受けていただきました。
最初に聴いたときには分からなかったことが理解できていたり、それはそのまま、その方の成長の深みなのだと思います。

Yuuさん、いつもありがとうございます。
これからも自分と向き合う旅を楽しんで行かれますよう。
その途上、お手伝いが必要なときには、どうぞご一報くださいね。
シリアルでまた少し世界が広がった件。
去年の夏あたりから、マイブームなのがシリアルの朝食。
有機のシリアルにヨーグルト(豆乳ヨーグルトにする時もあるよ。半々かな〜)、それにお気に入りの甘さ控えめジャムやフルーツなどを添えて、さっくりいただきます。

人生これまでは、シリアルにぜんっぜん興味ありませんでした。
ミルクをかけて食べるイメージだったので、
だとしたら、あの食感が好みじゃないなあ…とか思ってました。

それがある日、シリアル&ヨーグルトの組み合わせで食べさせてもらう機会があって、一気に開眼!
ええっ、ミルクをヨーグルトに変えるだけで、こんなに好みになるなんて!

食感がサクサクとして、味のバランスも私好みにアレンジできて。
以来、週に3日くらいは朝食にしてます(笑)。

それからは、今まで視界に入ってなかったシリアルの種類や、合わせるジャムなんかが気になり始めて。
いい感じのカフェで「自家製シリアル」とか販売してたら、ついつい買っちゃったり。
それらは興味のないときは、存在が目に入らなかったモノたち。

この、知らなかった世界(今回の場合はシリアルが存在する世界?)に足を踏み入れて、今まで見えてなかったものが、目に入ってくるようになる感じ、大好き〜。

シリアル以前(B.C.?笑)と同じ現実に生きているはずなのに、でもたしかに違う世界に変わってると実感できる。
シリアルに加えるのはミルクかヨーグルトか?という、こんな些細なことを体験しただけなのにね。

これぞ「知ること」の醍醐味かなあって思う。

体験して、知ることによって、今まで生きていた世界が一気に変わることがある。

そういえば、タロットや数秘のセッションでも、終了後、生きている世界が変わってしまう人がいますが、あれも、自分を「知ること」によって、知らなかった世界が目に入ってくるんじゃないかと思われます。

…とかエラソーに言ってますが、もともとの私はどっちかというと、いろんな言い訳をしながら、ついつい知ってる世界だけに居座りがちです(笑)。
でも「知る」のが好きだったら、やっぱりいろいろ体験してみないとね。
体験こそが冒険であり、スリルであり。歓びであり。

いや〜、世界はいろんな機会に思わぬところで広がっていくものですね。

あっれ〜、何の話をするつもりだったっけ。
もっと全然違う話をするための前振りで、シリアルが登場したハズなのに。
まあいいや。これはこれで、何となくまとまった気がするし(笑)。

何を書きたかったか思い出したら、また次に書きますね〜。
BBC交響楽団で啓蟄モード
ご縁あって、BBC交響楽団のコンサートの招待状をいただきました。
もう、大喜び!
有名オーケストラの演奏に立ちあえる機会なんて、そうそうありません。
幸運の女神が微笑んでくれたことに感謝して、
さっそく3月初めの満月の日、聴きにいってきました。

今回の演目は、ブリテン、チャイコフスキー、シベリウス。
私にとってこのプログラムも新鮮。ブリテンとシベリウスはちゃんと聴いたことがありません。
聴いたことのない曲を、いきなりナマ音で聴けるなんて贅沢〜。

指揮者はサカリ・オラモさん。あとで知りましたがフィンランドの方でした。
シベリウスはフィンランドなので、お国の作曲家の演奏ですね。

ソリストはヴァイオリンのアリーナ・ポゴストキーナさん。
パンフによると、1717年製のストラディバリウス「サセルノ」が使用楽器。
名前だけは聞いたことのあるストラディバリウス、いったいどんな音色なのか。

…などなど、著名な指揮者やオーケストラ、ソリストがズラリと揃って、すっかり舞い上がってます。

まあウンチクはさておいて、感想を。

すごーくよかったです!

って、ブログにわざわざ書こうとするくらいですからね(笑)。

前菜に、まずブリテンで心地よくハートをほぐしてもらい。
そのあと、ソリスト登場でチャイコフスキー。ヴァイオリン協奏曲ニ長調。

もうね、完全ノックアウトでした。
それはソリストさんの才能だったり、パッションだったり、ストラディバリウスの凄さだったり、楽団の演奏力、指揮者の魅力だったり、要因はいっぱいあるのだと思う。

でもそれらのことは、聴いてる瞬間には全てが忘れ去られていて。

その場、その瞬間に生まれてくる音そのものを、一瞬一瞬に浴びている感じ。
音色じゃなくて、音、波動、みたいなものが、私という存在の中をとおって、揺さぶっていく。

その中でも、ソロのヴァイオリンの音色が激しくかつ繊細に響くと、ぞわわっと鳥肌が立ってくる。
それは肌の表面を撫でたような感触ではなく、
生命の根源から突き上げるような、何かが呼び覚まされたことによる鳥肌。

どこか奥底から、私の「何か」が揺り起こされ、引き出され、ぐぐぐっと湧き上がってくる。
身体の内面から外に向けてエネルギーが解放されることで、心地よい鳥肌がたっている。
それが何度も何度も、寄せては返す波のように。
ヴァイオリンの音色がうねるたびに、私もぞわぞわざわざわ。

その不思議に心地よい感覚を味わってると、ふと、自然の息吹と自分の肉体がリンクした気がしました。

土の中で春を待っていた球根や種子は、おそらくそろそろ芽を出してくる頃で。
冬の間眠っていた虫たちも、目覚めて、もぞもぞと活動し始める頃で。

なんだか、自然界のそんな感覚と根っこで繋がっていたように思う。

私も地球上の自然の一部だから、みんなと同じように動き始めたのかな。
今まで冬眠していた部分が、音楽に共振して、目覚めを促されたような。

そうだった、もうそろそろ啓蟄なんだった。

たしかに、ここしばらく「冬眠」してたような気がする。
寒かったから漠然と縮こまって、そのまま気づかず放置されていた。
音に刺激されるたび、内面のこわ張り、古いエネルギーの滞りが溶けて流れていく。

ああ、もう春なんだね。

と。
気づけばいつのまにか、ソリストへの大喝采の中にいました。
私もめいっぱい拍手しました。
彼女のヴァイオリンは、私の何かを呼び覚ましてくれたようです。
演奏の前と後では、ちょっと自分の在り方が違ってる感じがしました。

そして休憩をはさんで、今度はオーケストラを堪能する時間。
シベリウスの交響曲第5番。

これがまた、春の訪れを告げる音楽でした。
あとで調べたら、実際にシベリウスも冬の終わりから春の訪れる頃の自然賛歌として作曲したみたい。
原本はわかりませんが「シベリウス自身がこの曲に残したコメント」がどこかのブログで掲載されてたので、書き留めておきますね。

「日はくすみ冷たい。しかし春はだんだん近づいてくる。今日は16羽の白鳥を見ることができた。神よ、なんという美しさか。白鳥は私の頭上を長いこと旋回して、くすんだ太陽の光の中に消えていった。自然の神秘と生の憂愁、これが第5交響曲のテーマなのだ」

うん、曲の感じはまさにこの通り!
もちろん、こんな予備知識はぜんぜん持ってませんでした。
だけど、澄み渡った美しい青空、凛とした冷たい空気、そこにゆるゆると春が訪れるような、まさにそのままの景色と空気感を感じられる曲で。

チャイコフスキーとヴァイオリンで、すっかり春モードにあらたまった気分でシベリウスを聴いたので、なおさらクリアに素晴らしく。

本当に「寒い北国の、雄大な大地で春のおとずれを全身で味わってる」かのよう。

最後のアンコールもシベリウスで、これでもか!というくらい美しい旋律の曲。
なんだか、わけもなく泣けてきて。

ハートの奥からトックントックンと、尽きせぬ泉のように、生きている歓び、春の訪れへの祝祭がやってきたのでした。

いやー、堪能しました。
プログラム構成も見事でした。冬から春にかけての今の季節にぴったり。

まさかオラモさんが啓蟄を意識してるわけじゃないと思うけど、
この公演を聴きに来た人は、春らしく目覚めたんじゃないかなあ。なんて。
少なくとも私は一足はやく、すっかり啓蟄気分になりました。

そして公演終わって外に出てみたら、雲ひとつない夜空にピッカーンと輝く満月が。
また新しいタームが始まるなあ。などと思いつつ、のんびり家路に着いた次第。

そう、そんなわけで、ようやくこうして日記も書けるように(笑)。
土の中から這い出して、ついにボチボチ動き始めたかな?

素敵なオーケストラの演奏で、私もリフレッシュしたみたい。
これから春をたっぷり楽しむぞ〜!

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