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氏神さまがやってきた。
本日台風接近により大雨。かなりの激しい降りっぷりです。
選挙の投票への影響も気になるところですが、もうちょっとローカルな話をすると、
今日は、私が住んでいる町の秋祭りの日。
いつもなら大人と子どものお神輿2台が出て、それぞれに町内を巡ってもらえます。

でも、さすがに今日の天気では無理だろうな。と思いました。

念のため、前夜にご祝儀など準備しつつも、半分以上あきらめてました。
が、朝になってみるとザーザー降りの雨の中、前触れの宣伝カー(?)がやってきて
「子ども神輿は出ませんが、大人神輿は出ます」というではないですか。

本当に、豪雨の中、たくさんの方に担がれて、お神輿が巡ってきました。
うちの家の前で「わっしょいわっしょいわっしょい!」と言祝いでくださり。
お神酒やお供えのご下賜もあり。

うーん、すごい。町内会の皆さまの御尽力には頭が下がります。
この雨の中、お神輿にのって氏神さまが家までお越しくださるとは。
豪雨の中のご降臨、印象深い思い出になりそうです。
また少し、氏神さまとのご縁が深くなったのではないかと。


いつの頃だったか、
あんまり神仏関連のことに興味のなかった若い頃。20歳ごろ?
バイト先で知り合った年配の方に「氏神さまは大切にしたほうがいいよ」と教えてもらいました。

以来、住まいを変えるたび、氏神さまにだけは挨拶を欠かしません。
そして祭りの時とか、たまーに(なんせ興味がなかった時期なのでご勘弁を)おまいりに行ってました。
あと、遠方の友人の家に泊まりに行ったときなど、氏神さまの場所を確認して、
時間に余裕のあるときはできるだけご挨拶に伺うようにしています。

スピリチュアルに興味がない頃からの習慣なので、「なんでそこだけそんななの?」と当時はよく言われたものです。
私も今思えば不思議だけど、なんだかしっくりきたのですね。
「氏神さまは大切に」というフレーズが(笑)。すうっと心に入ってしまった。
心にすうっと入ったら、理屈じゃなくて納得できるみたい。

その頃、わりとひねくれてたので、有名で大きな神社に抵抗があったようです。
たとえば、その土地の人が初詣に行くようなとこ。
無駄にきらびやかで派手じゃん!と思ってたような(笑。幼い。今なら美しいと感じますが)。
それで、その年配の方に「初詣とか意味あるのかな〜、お賽銭とかでお金儲けして綺麗にしてるんでしょ?そういうとこに行くのもちょっとね」みたいなことを言ったんじゃないかと(笑)。

そしたらその人が
「たとえ神社の人がお金儲けしてても、神様は関係ないでしょ(笑)。まあでも、大きい神社が嫌だったら、家の近所の氏神さまに行けばいいよ。派手じゃないし、身近だから氏子の一人一人を大事にしてくれるよ」と。

おそらく当時は「氏神さま」という存在さえよく知らなかったと思うけど、大きな神社へのよくわからない反抗の受け皿的な感覚で、「私は氏神さまに行くんだ」といきがってたのではないかと思います。
時おり、氏神さまが大きな神社だったりしましたが、それはそれで殊勝にお参りにしてましたね〜。

でも実際、氏神さまと関わるのは悪くない感じがしてました。
その頃、メジャーよりマイナー好き、という傾向にもフィットしたし(笑)、
大病院ではなく、近所の診療所に私のことを把握してるお医者さんがいつもいらっしゃるような。そんなほっこりした安心感もあって。

あるとき遠方に住んでる弟が、転居したときのこと。
「なんか引っ越してから、いろいろ妙なことが起こったり病気したり、生活の歯車が噛み合ってない気がする」とボヤきました。
私は「もしかして氏神さまにご挨拶してないんじゃないの?」と言いました。

「へ?うじがみさま?」
彼も「氏神さま」という存在を、それまで知らなかったらしく。
でもその後、彼は近所の神社でご奉納してキチンと挨拶してきたのだそう。そしたら、
「すごいすごい!挨拶にいって以来、全部うまく流れ始めた!」との報告が。
それからは彼も転居ごとに氏神さまに挨拶し、定期的なご奉納も欠かしてないようです。

今のうちの氏神さまは、普段は宮司さんもおられない小さな神社ですが、時おり散歩がてらお参りにいくと、いつも綺麗に掃き清められていて、大事にされてるのだなあと感じます。
今日もまた、雨の中、お神輿が出て。
豪雨にご降臨くださった神様、担いでくださった方、ありがとうございます。

人の思いを感じられる地域に住めてよかったなあと思います。
氏神さま、ほとんど夜に寝に戻るだけの氏子ですが、これからもよろしくお願いいたします。
期日前投票
投票日はお仕事なので、期日前投票に行って来ました。
最寄りの出張所に出かけてみると、意外と多くの人が投票に訪れていてちょっとびっくり。

そういえば、期日前投票に来ている人がこれまでになく多い、とニュースかなにかで見たような気が。
さすがに今回は、自分の意見を国に伝えたいと思うような選挙なのかもね。
投票率が上がるのは、いいことだと思う。

いつも選挙のときは、私にとって
「そうだった、みんなが自分と同じ世界を見てるわけじゃないんだ!」と、あらためて気づき直せる良い機会になってます。
世界にはいろんなものの見方があるのだなあと。

たとえば今回の選挙、個人的には「とりあえずアベさんはナシで」と思ってる。
「だって、これまでの状況を見たら、どこからどう見てもそうでしょ?」と、
私にとってそれは明白な解で、誰もがその結論に達するでしょ。とか思うわけです。

が。選挙期間中は、普段より政治について様々な意見を耳にする機会が多くなります。
たとえばランチ食べに行ったりして、隣のテーブルの会話が耳にはいる。
ご年配の婦人が「やっぱり外交とか考えると、アベさんじゃないとねえ」とか言ってるのを聞いて、衝撃を受ける。
えええっ、これまでの状況を見て、そういう結論に達する人もいるんだ!
という「当然の事実」を目の当たりにして、我にかえる。

当然ながら、世界をどのように見ているかは人それぞれ。
自分の世界観が、とてもパーソナルなものであることを自覚するのは大切だ。

ついつい無意識に、みんな同じ世界に生きてる気がしてしまうけど、実は違う世界に生きている。

私が「アベさんじゃないと」に驚いたように「アベさんはナシで」に対して「ええっ、信じられない!」という人もいるわけで。

同じ世界を見ているのに違う意見だと思うと混乱するけど、違う世界を見ているから違う意見になるのだと思うと、それなりに理解できる。

そしてこれは選挙だけでなく、日常のあらゆる面でも同じ。
誰もが、それぞれオリジナルの世界を生きていて、それぞれの意見を持っているのだと。

その前提を忘れると、混乱どころか、怒りや苦しみさえ生みかねない。
思想や宗教的なことが原因で勃発している世界中の紛争とか、その延長線上にある気がする。

べつにお互いの見方に、同意できなくても納得できなくても、いい。
「違う世界を生きると、こういう考えもあるんだ」と理解できれば、それを前提にコミュニケーションすれば、自然にある程度の尊重は立ち上がってくると思う。

とはいえ、それがなかなか難しい。
ほんと、ついつい忘れちゃうからね〜。どんだけ自分本位なんだか(笑)。

世界の見方が違うと、生きる世界がリアルに違う。
このことは、タロットのセッションにおいても顕著に実感しています。
というのも、セッションの前と後で生きている世界が変わる人がいらっしゃるのです。

「あれ、さっきまでの私は何だったの?」
「全然違う世界にいるみたい!」「見える景色がぜんぜん違う」
と、セッション終了直後に驚いてるお客さんも。

おそらくセッションを通して世界の見方が変わることで、実際に生きている世界が変わるのだと思います。

あれ、ビミョーに話がそれてるかな?選挙の話に戻します。

で、もちろんいろんな価値観が拮抗した上での選挙結果は尊重しますが、
でもやっぱり投票率がひっかかる。
40%とか50%とか、それが当たり前みたいに思ってたけど、よく考えたら低いよね。

投票率が90%くらいになったら、どんな日本になるんだろ。ちょっと興味あるなあ。
90%投票して出た結果なら、どんな結果であれナットクできると思う。

そりゃまあ「投票に行きたくない」という世界観を持つ人が多いんだったら、40%も仕方ないけど。

もちろん投票に行こうが行くまいが自由だし、世界の見方は様々あっていい。
それで幸せだったり、人生が充実していればいいと思う。

でも今の人生や環境が心地よくなかったりして、それを変えたいと思ったら。
今の世界観による生き方を、意識的に変えてみるのも一つの手段じゃないかと思う。

さっき書いたように、日々のセッションの経験からすると、
ある世界観に住んでいて、それを当然と生きていた人が、別の世界観に抜けてみたら
「なんだ、こっちの世界に来れてよかった!」と感じる場合も多いみたいだから。

私の文章を読んでくださる人は(おそらく価値観が似てるだろうから)投票される方が多いと思いますが、
もしも忙しいから、しんどいから行けないな〜、という人がいらしたら。
その忙しさ、しんどさを変えるためにも、一票投じてみては如何かと。

政治を変えるとか変わらないとか、そういう外側のことはさておき、自分の行動パターンが変わることで、自分の生きている世界がちょっぴり変わってくるかもしれません。

600億円も税金使って行われる選挙。
せっかくだから、自分のためになるよう有効に使わないともったいない。
多くの人が参加されますように。

それにしても、書きながらフト出てきた「投票率90%」。
これまで考えたことなかったけど、そんな世界を体験してみたいな〜。
グリーン・ホジャリとパロサントの古木
というわけで、前文「ホワイトセージ」の続き的な。


そんなこんなで、
私はホワイトセージのへビーユーザーです。店でも家でも多用してます。
浄化やリフレッシュに最適のハーブですが、効用もさることながら、何と言ってもあの清々しい香りが大好きで。

そして、せっかくならできるだけ良質なものを使いたいので、
東京の頃からずっと、お友達で、ナチュラルインセンス(自然香)を扱っている「オルタード・ディメンション」さんから取り寄せています。

先日、いつものようにセージを送ってもらった際に「サンプル品」と称して嬉しいプレゼントが同封されてました。
それが、グリーン・ホジャリとパロサントの古木だったのです。

グリーン・ホジャリというのはオマーン産の乳香(フランキンセンス)の最高級品。
乳香というのは、ある樹木から採取される樹脂で、中東あたりでは最も普遍的に使用されている香料のひとつです。
オマーンは世界最高の乳香の産出国だそうで、
中でも樹脂の色がレモンイエローから緑色をしたグリーン・ホジャリが最高峰とされているとか。

私は、初めてグリーン・ホジャリにお目にかかりましたが、なるほど、普段見慣れている乳香とは色合いが違います。
もうちょっと濃い黄色というか、トパーズのような感じのが多い気が。
そちらももちろん綺麗なのですけどね。

乳香は何となく、私の中では鉱物を愛でるのに近い感覚なのです。
ほのかに香りをはなつ、美しい宝石の粒のよう。
その中でも選りすぐりであるというグリーン・ホジャリ、手に転がすと、涼しいグリーンの色合いを目にしつつ、清らかなエネルギーを感じられ。
焚いたら「他を抜きん出ていることが実感できる」そうですが、勿体なくて焚けない〜。

よほどの祝祭の時まで(それっていつなの?(笑))は、大切にとっておこうと思い。
お気に入りの陶器の小さな容器を宝石箱に見たて、その中に入れて、店の入口近くでクリアなエネルギーを放っていただくことにしました。

キリスト誕生の時、たしか三賢者がプレゼントとして持参した中にも乳香は入っていて。
小箱に入れると、もしやそんな三賢者の贈り物っぽい雰囲気にもなったかな?なんて。
ちょっと気分がアガります。素敵な宝物が、占猫にやってきてくれました。

そして、もう一つのプレゼント、パロサントの古木も見た瞬間に惚れました。

同封された説明によると、
このパロサントは、ペルー北西部のコラレス・ツンペスというアマゾン地域で見つかった自然の倒木で、樹齢110年と推定されたもの。
普通のパロサントに比べて、香りの成分がたくさん含まれているので、木質が密で重め。

現地で住民の祈りの儀式の後、香木としてカットされ、その一片がうちの手元に届いた…というわけです。

おお。そんなすごいものが、アマゾンに行ったこともない私の手元に来てくれるなんて!何という僥倖でしょう。

そうそう、そもそもパロサントとは何か?を説明するね。
これも「オルタード・ディメンション」さんの文章をざっくり編集して引用。

パロサントは「聖なる木」という意味で、インカ帝国の代表的な香木として儀式のときには盛んに焚かれてきました。
現在もアマゾンのシャーマンは、浄化やヒーリング、儀式の際に使用しています。
パロサントの芳ばしい香りに惹かれて、よい精霊が集まって力を貸してくれる一方、悪い精霊は追い払われるといわれています。

だそうです。中南米の代表的な香木ですね。
私もパロサントの香りは大好きで、アロマオイルも持ってるくらい。
古木ではないパロサントだったら、時おり店でも使ってます。

さて、今回ご降臨いただいたこの古木。
古木の木肌を巧く活かしてカットされた姿かたちも、いい感じなの。
幅3センチ高さ5センチほどで、すっくりと立つ姿が愛らしく。

両手でそっと包み込むと、乳香とはまた違う、清らかな優しいエネルギーが。
乳香はちょっと神々しい、クリアで結晶化された感じ。
パロサントはアマゾンの樹木そのもの。森のエネルギーが不思議な軽みを持って感じられ。
じーっと見つめていると、小さな小さな精霊が古木の肩に乗ってるような。

アマゾンの精霊が古木を介して遊びに来れるようになったのかも。
嬉しくって、さっそく占猫の神棚ーー私の大切なお気に入りのものを置く場所ーーに鎮座していただくことになりました。

そんなわけで、またまた「お気に入り」が追加され、占猫がさらに愛ある空間になりました〜。

占猫にはできるだけ、ここに来たことが必然、と感じられる「物語」のあるモノだけを置きたいと思ってます。

そうするとモノたちも「ここにあるべくして在る」という自信と喜びに満ちて、それぞれが輝いてくれます。
そして占猫という空間全体が、もっともっとお気に入りの、心地よい場所になっていく…。

「オルタード・ディメンション」さん、新しい占猫の仲間を届けてくださって、どうもありがとう!
ホワイトセージ
うちの店は、とってもシンプル。

リーディングもメニュー的に言えば2種類だけ(とはいえ実際のライブでは何が起こるかわからないのですが)。
カフェもノンアルコールのドリンクのみ。

当然、物販もやってません。
でも、例外的に唯一売ってるモノがあって。
それがホワイトセージです。

これも、売ってる、というよりはストック多めにしてある私物を、欲しい方がいらしたらおすそ分けしている…みたいな感覚です。
お店でもプライベートでもいっぱい使うので。

ホワイトセージは、葉っぱを乾燥させただけのシンプルなナチュラルインセンス(自然香)。
煙を燻らせると、清涼な香りが心地よく、気分をリフレッシュさせてくれます。
浄化にも最適で、ネイティヴアメリカンの儀式などでも使われるそうです。

私は、お店の掃除の最後の仕上げにも使うし(家でもね。空間を浄化します)、
セッションの時も使うし、外出先から戻ってきた時、あるいは気分転換のタイミングにも使います。身体に煙をまとわせる感じ。
クリスタルやアクセサリーの浄化にも便利。
新しいモノを家や店に迎え入れるときには、セージで歓迎します。本でも服でも。

そして、このホワイトセージたちをいつもお分けしてもらってるのが、
東京にいる頃からのお友達「オルタード・ディメンション」さん。

ホワイトセージだけでなく、フランキンセンスやミルラ、パロサントなどなど、世界各地のナチュラルインセンスを扱っていて、貴重なものや、珍しいものをいろいろ見つけてきては紹介しています。

こういうのって品質が重要ですが、オルタード・ディメンションさんは目利きでいらっしゃる。センスが良いなあ、と私はいつも思ってます。
こちらで扱ってるホワイトセージは、フレッシュで香りが清々しく、やっぱり良質。

なので東京から広島に来る際に、買えなくなるのがイヤで(笑)定期的に仕入れるようになったのでした。

「こちらで扱ってるセージ、ハイクオリティだと思うんだけど、どのへんで差がつくんだろ?やっぱりオーガニックだとか何とか、違いがあるの?」と、以前聞いたことがあります。

「んー、オーガニックっていうか、ネイティヴアメリカンの人たちが、野生で生えてるのをそのまま摘み取ってきてるだけなんだけどね〜」とのこと。

うーむ、リアルナチュラルですね。パワフルで野趣あふれてそう(笑)。オーガニック以上に好みかも。
そして、その野生の中から良質なものを選んで仕入れるには、やはりセンスが必要ですね。
目利きの友達がいてくれて、本当にありがたいことです。

オルタード・ディメンションさんはネットでも販売してるので、他の自然香なども覗いてみると楽しいかも。


…あれ?…ていうか、何故こんなにホワイトセージをのことを語り始めたの?
もうちょっと違う話を書く、その前振りのはずだったのですが。

そういえば最近、店にひっそりと置かれているホワイトセージをお客さんに発見されることが多かったな(ものすごーく目立たないところに置いてます(笑))。

「前から欲しかったけど、どういうところに売ってるんだろうと思ってた」
「気になってたけど、使い方がわからなくて手が出せなかった」
とか、そんな声を聴く機会が増えてたから、ちょうど良かったかも。

もともと書く予定だったことは、また次に。
これはこれで何となくまとまったので、このまま載せま〜す(笑)。
3日前から答えは用意されていた。
占猫の洗面台にある蛇口は、カエル。
カエルさんのモチーフが取っ手についてます。
媚びてない表情や姿がお気に入りですが、
最近、ちょっと水漏れが発生してきて。

些細な水漏れだけど、何年か前、ビルの上階での水道管破裂事故によって大変な目に遭ったことのある私たちは、水難に敏感なのです(笑)。
いや〜、あの時はどうなることかと。
店存亡の危機でしたが、本当に「これは神様に守られてる!」としか言いようがない状況によって何とか凌ぎ。

と、また話がそれてる。今回はカエルさんの水漏れでしたね。戻します。

で、水道工事の方に見ていただきました。
やっぱりまだ症状は軽いとのこと、部品を交換するくらいで済みました。よかった。
「ただ、この蛇口、おそらく使い方がわからなくて、色々な方向に動かそうとするお客さんがいるんじゃないですかねえ。丁寧に扱ってもらうといいですね」と。

なるほど。最近はレバーを上にあげたりする蛇口もあるものね。
カエルさんを見て、戸惑う方がいらっしゃるかもしれません。
実際は、普通の蛇口にカエルさんがついてるだけなので、グイッとひねるだけなのですが。

確かに、初めて見た人にはわからない可能性があります。盲点でした。
そこで蛇口の横に、カエルさんの取り扱い説明書をつけることにしました。

ちょうど予約が入ってない時間帯があって、さっそく作成開始。

書く内容はまとまったものの…なんとなく、文章だけだと、何か、ちょっと…。
そうそう!カエルの絵をちょこっと入れてみたらどうだろう?
え〜?でも、どんな絵にしたらいいかなあ…。う〜む。

などなど、カエルのイラストをどうしようか、と思い始めた矢先に。
「宅急便で〜す!」
と、勢いよくお兄さんが荷物を届けにきてくれました。

その荷物、さっそく開けてみた瞬間、びっくり!
目に飛び込んできたのは、カエルのイラストの箱だったのです。

えええっ?
まるで、今さっきの私の問いに、即座に返答をもらったかのようなタイミング。
「こんな感じのカエルがいいんじゃない?」といわんばかり。
しかも「そうそう、こんな感じがいいと思う〜!」と、しっくりくる絵柄で。
ものすごいシンクロだ。

これ、私の友人が出張先から送ってくれたお土産でした。
カエル型のおまんじゅうで、包み紙もカエルだったのです。

彼女が送ってくれたのは、3日前。
気が利いた人なので、お届けはうちの定休日を避けて本日指定。
そして宅急便のお兄さんは、ちょうどこの時間に配送してくれて。

つまり私の視点からすると、私がこのタイミングで「カエルの絵を描きたいがどうしよう?」という気持ちになることに対して、3日前から答えが準備されていたということ。

こういうシンクロを体験すると、先のことなんて考えなくても、きっと必要なことは準備されていて、起きることが起きるようになっているのだなあと、あらためて感じます。
人生を信頼できるというか。

ついつい、先はどうなるんだろう?とか、未来に起きることを予測しながら(でもそれは不可能なんだけどね〜)自分の行動を変に規制・抑圧してしまうことがある。

でも、必要なことは準備されているのなら。起きることが起きるなら。
不安や、まだ見ぬ将来のために、自分をコントロールする必要はないわけで。

たとえば友人は、3日後にカエルのイラストで悩む私を想定するのは不可能でした(笑)。
ふと送りたくなったお土産を、送りたい感じで送ってくれただけなのです。
それがこんな楽しいハプニングにもつながって。

先を恐れることなく、人生を信頼して「今、したいこと」を選択する。
それが結果的に、本人の想定するしないに関わらず、自分や誰かや社会や世界や宇宙のためになっているのではないか。
それがこの世界を循環しているエネルギーの自然な有り様なのではないか。

とか、そんなことを感じられた面白い出来事でした。

さっそく包み紙を参考にイラストを描き。
作業終了後は、頑張ったご褒美にカエルまんじゅうでお茶タイム。
ほんわか満ち足りた時間になりました。

さらに今回の出来事を、もう少しのあいだ思い出して楽しめるよう、カエルの包み紙を今読んでいる本のブックカバーにしてみたりね。

さて、そんな物語の中で描かれた説明書は、すでに洗面台の横へ。
カエルさん蛇口、占猫の中でもかなりの長老です。
ご来店の際、洗面台を使うときには優しく扱ってあげてくださいねっ☆
リーディングのご感想ありがとうございます。
いつもありがとうございます。
今日はりんごさんからのメールを紹介させていただきますね。

☆★☆★☆

昨日はセッションしていただきありがとうございました。

恐らく心がジェットコースターみたいに激しく動いたので、
心身共に負担が掛ったのか、今日は頭痛とだるさを感じています。
でも心はとても軽くすっきりとしていて、今日の天気のように晴れ渡っています。

お話を聴きに行って本当に良かったです。
ガイドさん(ハイアーセルフさん?)が本当にいるんだなぁと感じました。
温かさを感じると同時に、お話を聴いている最中に何度も何度も
心が上下するのを感じました。
とっ散らかってしまった心の交通整理をしてもらったような気持ちです。

普段から自分の心(ガイドさん)と、割とちゃんと会話できているという確認も出来ましたが、でもそれだけでは気付かないようなことを、今回気付かさせてもらいました。
やるべきことがはっきりして、そして自分の心に聞いてみると、
やはり「YES」と言っているので、間違いないと思います。

初めて伺ったのもあり、セッションの際に状況をあまり細かく説明しなかったのですが、
それでも、胸に響く言葉を貰えるというのがとても不思議ですね。

あゆたやさんから放たれる言葉は「核心をついた言葉」で、まるでプレゼントのように胸に届くと、そのプレゼントの中からさらに色んな言葉が飛び出て広がって行くのです。

そんな「核心をついた言葉」がいくつも渡されて、それぞれが花開いて、飛び出た言葉達が有機的な繋がりを結び、ストーリーを紡いでいく・・・・。
あくまでストーリーを紡ぐのは私自身。

今になって思うと、あのセッションはそういうイメージです。
核心をついた言葉も、ストーリーも自分の魂が一番分かっているんですよね。

セッション楽しかったです。
本当にとても素敵な経験をしました。
あの時の感覚を言葉を味わいながら、手放す一歩を踏み出しているところです。
またお邪魔します!

☆★☆★☆

りんごさん、セッションのイメージ表現がとてもステキで、
「わ〜、そんな感じなんだ〜!」と、読んでる私が嬉しくなりました(笑)。
届いた言葉が花開いて、そこからどんどん繋がっていく…
なんとなく、夏の空にあがる、たくさんの大輪の花火が思い浮かびました。

セッションで、タロットや数秘を通してやってくる言葉をそのまま放つと、
それを受ける方にとっては「核心をついた言葉」なのだと思います。
核心なので、ハートにすっと入ります。
理論的には脈絡のない話をしていることもあります。
おそらく横で誰かが聴いていたとしたら、何の話だかわからないことも多いかも。

でも、その人のそのタイミングには、その言葉なのです。

たとえば、私がそのメッセージを個人的に受け取ると「1たす1は8でしょう?」みたいな、ちょっと不思議なことを言ってるように感じる場合もあります。
そういうとき、セッション始めたばかりの頃は
(1たす1は8って読めるけど、大丈夫かな、ドキドキ…)とか思ってましたが、
「ああ!そうか、ほんとだ、だから3たす1は9なんだ!」などと返答があったりして。

ここでいったい何が起きているのか。
まったくわからないまま、兎にも角にも、そこにある言葉をお伝えするわけですが、
りんごさんのイメージを伺って、
「なるほど、届いた言葉からいろんな言葉が飛び出て、量子的な飛躍が起きてるのかも」
とか、思いました。

そして、有機的にシナプスが繋がるように、パラララっと全てが一気に繋がる場合があります。
そういう場面に立ち会うと、こっちまでそれが伝わって、心地よいです。
「そういうことだったのか〜!」
全ての謎が解けた!みたいな不思議な爽快感。
セッションでは私も同じ場所にいるので、そういう心地よい体験をおすそ分けしていただけるのも、この仕事の醍醐味です。

でも、これは得ようとして得られるものではなく、セッションでは必要なことが起きるだけ。
だからこそ、今日はいったい何が起きるんだろう?と、毎日ワクワクとセッションを楽しみにしている私がいます。
そのときの体験を、こうして表現していただくことで、私の体験も深まる気がします。

りんごさん、ありがとうございました。
気が向いたら遊びにきてくださいね〜。
次はいったい何が起きるのか。
いつかまた新しい体験を味わってみてくださいませ。
はからずも 縮景園で 中秋の名月
昨日、広島県立美術館に行ってきました。
レオナルド・ダ・ヴィンチにまつわる特別展があったの。
なるべく早めに行くつもりだったのに、またもや前の用事が押してしまい、美術館に到着したのが16時前。
今日しか来れないから仕方ないけど、閉館17時だから、あんまりゆっくり見れないなあ…と思ってたのですが。

なんと「今日は隣の縮景園での観月茶会に伴って、開館時間を20時まで延長してます」とのこと。ラッキー!

そう、昨日は中秋の名月。
縮景園は美術館に隣接している美しい日本庭園で、たしかに観月には最高のスポットです。
花見だとか梅見だとか、新春茶会だとか、日本の行事っぽいことを愉しみたい時には、私もちょこちょこ遊びにいきます。
でも普段は閉園時間が17時なので、お月見は考えたことがなかった。
そっか、こういうときには夜も開園するんだなあ。

今回のお月見は特別に何かする予定はなく、
「休日だし、家のベランダから日本酒片手に眺めるかな」くらいに思ってたので、
知らずに来たけど、何ていいタイミング。お月見のクオリティ(笑)が一気にアップ!

しかも月が出るまで、ゆっくり美術館も廻れたし。
いつも時間が足りなくてスルーしていた常設展にもようやく足を運べて。
(常設展よかった!ダリの大作など、有名なのにまだ直接出会ってなかった作家の作品も多くて楽しかった〜。私みたいに常設展スルーしてた人、おすすめします!)
そろそろ月が綺麗かな?という頃に、美術館から縮景園にゆったり移動。

観月茶会は広島の流派、上田宗箇流により開催されてました。
ぜひ野点席でお茶を一服、と思ってたけど、やっぱり当日席は全て売り切れ。
まあでも、お茶はなくとも月見はできる。

夜の縮景園の散策は、とっても新鮮。
庭園のどこから観ても、月が美しく。
天気にも恵まれ、雲ひとつない空にピカーンとクリアに、かつ優しく輝いて。

広い庭なので、視界にビルとか電信柱が入ってこないのが素晴らしい。
月と、周りの樹々のシルエットと、月の姿を映す大きな池。

イベントらしく普段の縮景園よりは結構な人がいたけど、みなさん静かに思い思いの場所で観月してる。
私たちは、池にかかる太鼓橋の上に座って、月と、池に映る月光を、ぽーっと長い間眺めてました。

周りにも何組もの方が座ってらして、橋の上は密度高め。
さわさわと聞こえてくる話し声は、意外と外国語が多く。どこで情報を知るんだろ。
みんな沈黙してるわけでもないのに、不思議と静謐な、落ち着いた空気が漂っていて。
もしや、みんなお月様に十五夜マジックかけられてたのかな。

1年で1番美しいと言われるこの月を、はからずも、こんな素晴らしいシチュエーションで眺めることが出来たこと自体、ありがたく喜ばしく。

まろやかでクリアな月光を浴びながら、想定外の嬉しい出来事が起きる日々〜冒険とサプライズの日々〜に感謝させてもらいました。

本当に、いつもありがとうございます。
これからも、ワクワク愉しい時間を創っていけますように。
思わずお月様に手を合わせた次第です。
書きたくなるまでは
この前、京都の話をアップしたとき確認してびっくり。
前回アップしたのはなんと8月半ば。もう2ヶ月近くもブログに触れてなかったなんて。
いやはや、ご無沙汰しております。

んー、確かそのころから仕事でバタバタしてるうち、いつのまにかネットに向かう気が失せてしまってたのです。自然消滅。
自然消滅なので、ネットにアクセスしてないこと自体にしばらく気づかなかったのですが、あるときふと「あれ、ブログ書いてないぞ」と思い出し。
でも、そのときにはなぜか全然書く気になれませんでした。

いつも占猫の店内にまったり座ってるだけの私が、外に向かって発信してるのはこの日記くらいのものなので、いちおう「生きてますよ〜」という生存確認がわり(笑)に定期的に書きたいという気持ちはあるのです。

それで「書かなきゃ!」とか思うのだけど、頑張って無理やり書こうとしても、どうやっても書けない(笑)。
で、しばらくもがいてましたが、あきらめました。
ブログなんてもともと書きたいから書くものであって、書きたくないのに書いたら、何かが違うような気がして。

「書かなきゃ」じゃなく「書きたい」と感じるまでは放っておこう。

そこからはすっきり腹をくくって、ブログのことは忘れて日々の生活を送っていたわけですが、この前、京都から戻ったらふと書きたくなって「あ、書けた」。と。
表現は、自然に出てくるのがやっぱり心地いい。

にしても、なんで書けなかったのか。
おそらく、そうなる前は「〜しなきゃ」という発想で物事をこなす場面が多かったのでは?と思いました。

私は支度とか準備とかが苦手で、とっても時間がかかります。
ちょっとばかり忙しくなっただけで、時間に追われてしまうのです。
そういうとき「早くやらなきゃ」「片付けなきゃ」「頑張らなきゃ」と、自分を追い込んでコントロールしようとしてたかも。

これは短期間なら有効な手段だけど、結局コントロールしてる間は、ずーっと気持ちが焦ってるので緊張して疲れ果てて、長期的には動けなくなってしまうのです。

今回たぶんもう「〜しなきゃ」という言い回しに飽き飽きして、疲れて、アレルギーになったんだと思います。
「しなきゃ」という形で思ったことにはテコでも動かないぞ!みたいな(笑)。
それで「書かなきゃ」に反発して、全然気持ちが向かなかったのではないかと。

しなきゃ、しなくちゃ、という言い回しで行動すると、日常を無事に過ごすことはできるものの、心が満たされることは少ないように思います。それで心が乾いちゃう。
達成感はあるかもしれないけど、それって、したいことをした時の満足感とはちょっと違うかも。

なのにけっこう無意識に、思考の癖でいろんなことに対して「しなきゃ」と思ってる。
しかも意識的になって気づけば、意外と「したい」に変換できることは多いのに。

たとえば、前の用事が押してしまって、開店時間ギリギリにお店に着きそうなとき。
つい「早く行かなきゃ!」とか自動的に思ってる。すると焦る。いろいろ忘れ物したりする(笑)。

でも、意識的になってみると、本当に思ってるのは「早く行きたい」なのにね。

早く行きたい。お客さんをお待たせしたくない。
「したい」に変換するだけで、緊張と焦りがなくなって「しなきゃ」のときより落ち着いて冷静に状況に対応できてくる。

「〜しなきゃ」は、自分を責めてる感じもあるから、苦しいんだろうな。
そのうえ「しなきゃ」にアレルギーな私は、反抗しちゃう。
ヘタすると「早くいかなきゃ」と考え癖で自動的に思いつつも、だからこそ無意識に反抗して、わざと遅く行きかねない(汗)。

これ、実はずーっと昔から延々と、やっては気づく…を繰り返している私の考え癖。
こんな風に日々の生活の中で、いろんなことが起きては、また忘れた頃に気づく。
今回の「ブログ書けないイベント」のおかげで、またこの思考癖に振り回されてたのに気づけてよかった。
延々と繰り返しながらも、少しは癖が軽くなってるといいなあ。

また緊張や焦り、心が何かに抵抗してることに気づいたら、
「もしや「しなきゃ」とか言ってない?」と自分に問いかけてみようと思います。
京都に行ってきました。
突然ですが、急用が発生して、1泊2日で京都に行って来ました。
京都、普段考えるとちょっと遠い感じがあるけど、お金のこととか気にしなければ新幹線でパッと思い立って3時間くらい?で到着。
意外と簡単に行けるものだなあと。

2日目の午前中には用事が終わり、その後はせっかくなので京都散策を。

今回、初めて訪れて大ヒットだったのが建仁寺。
風神雷神の屏風で有名な禅寺です。
こんな祇園の街中にあるのに、今まで行ってないのもなんだけど。

何がよかったかと言うと、のんびりできたこと。

私が京都に行くときは、だいたいは用事を兼ねた1泊2日。
時間的にあんまりのんびり観光した経験がありません。
しかも行きたい神社仏閣、気になるカフェ、美味しい食べ物…。
興味のあるスポットは山積みで。
ついつい次へ次へと、数をこなしてしまいがち。
特にカフェとか、お腹いっぱいにならないように一品だけ頼んで2〜3軒まわるぞ!みたいな(笑)。

あと、やっぱり全体的に観光客が多いのも影響あると思う。
どの観光スポットに行っても、途切れることなく人が流れてくるので、ゆっくり一つの場所に居づらい気持ちになってくる。
美術展で人気の絵の前に長く立ち止まりづらいのと似た感覚かも。

どっちかというとのんびり人間のはずですが、そんなこんなで京都に行くと妙に忙しい感じになりがちなのです。

で、戻ります。建仁寺。
京都最古の禅寺だけあってか、落ち着く落ち着く。
禅庭を囲むように、座れるスペースがたくさんあるのも嬉しい。

まだ紅葉シーズン前で、普段より人が少なかったからかもしれないけど、
思い思いの場所で、ゆったり座って、ぼーっと庭を眺める贅沢。
周りでは外国人観光客が、着物姿ではしゃいで写真を撮ってたり、座禅組んで瞑想してたり。
雨上がりの苔と土がほのかに香る庭と青空。眩しい日光。葉ずれの音をかきならす風。

あっという間に時間がたって、気づいたら2時間くらいお寺でのんびりしてました。
こんなにゆっくりできたのは、京都では広隆寺以来かも。
広隆寺も大好きなんだ。またいつか書きたいな(と、ここにメモ)。

その後、気になっていたカフェを堪能し、広島に戻ってきたわけですが。

短期の旅行であっても一度日常を離れると、普段の風景が新鮮に見えたり、季節の流れが移り変わってるのに気づいたり。
そういうのも旅の醍醐味のひとつかも。

今回の気づきは、近所のキンモクセイの薫りが強くなっていたこと。
そして空ちゃんと蓮ちゃんが、朝方、2頭とも私の布団に潜り込んできたこと。
おかげで寝返りが打てません〜。
京都前は、まだ布団の上や横にいたんだけどな。

どうやらいつのまにか、静かに秋が深まっていたようです。
アリさんに教えてもらいました。
ある日。庭先をふと見ると、落ちている鳥の羽が、何だか不思議な動きをしています。
?と思って、よーく見ると。
なんと一匹のアリさんが、必死になって羽を運んでいるではありませんか!

ちなみに、この羽のサイズは小鳥クラスじゃありません。
カラスほどじゃないけど、結構な中型の鳥だと思います。
15センチくらいはありそうな。

つまり軽いとはいえ、アリさんの何十倍もの大きさの獲物を一匹で運んでるのです。
ええっ?とビックリして。
仕事に出る前の忙しい時間にも関わらず、もう目が離せません。

その必死っぷり、ひたむきさが美しい。
アリさんがその体軀の全力を挙げて頑張ってるのが伝わってくる。
手に汗にぎって、固唾をのんで、アリさんの様子を見つめてました。

(ていうか、これ巣穴の入口通るのかなあ…)とか、
(そもそも、アリさんにとって、鳥の羽って食糧としてどうなんだろう…)とか、
想いとしては、ツッコミどころ満載でしたが、
その全てを封じるかのような、そんなことを思ってしまった私を恥じてしまうような、毅然とした頑張りっぷりなのです。

と。そこへ一瞬の突風。
フォっと辺りを軽くひとなぎして。

あっけなく、瞬きのうちに、今まであんなに頑張って運んでいた羽もろとも(むしろ羽だったからか)、アリさんは50センチくらい吹っ飛ばされ、ひっくり返ってしまいました。
アリさんの体長からしたら、50センチってどれくらいの距離感なのでしょう。

またそこから、アリさんは何とかして体勢を整えようと頑張ってるのですが、
突然の災難に対応しきれず、あわあわしている感じが伝わります。

そのあたりで、私は出勤の支度に戻りました。
それ以上見届けるのが辛くって。

私は「一生懸命頑張ったのに、その頑張りが無に帰する」というシチュエーションが大の苦手。
もちろん、自分自身の体験としてもイヤだし、映画とかで見てても辛い。
人の話であってもしんどいのです。
当然、アリさんであっても苦しい気持ちになって、いたたまれずその場から逃げてしまったのでした。

で、見ないふりをして、支度に戻ってから気づきました。

つまり、そういうシチュエーションを私は受け入れてないのだ。と。


何であれ「受け入れてないこと」が人生に起きると、苦しい感じ、モヤモヤした感じになります。
なのでシンプルに言っちゃうと、人生を気持ちよく生きるには「受け入れてないこと」を減らすといい。
あらゆるものを受け入れるほど、人生ラクになるわけです(ちなみに「受け入れる」と「我慢する」は違いまーす。これ話すと長くなるので今日は以下略)。

でも、不思議なことに、あまりにも長い間ずっと人生で受け入れてないことは、
受け入れてないことが当然で普通の状態なので、その事実自体に気づきません。

私もこの「一生懸命頑張ったのに無意味だった」という状況とそれに伴う感情を、今まで受け入れてないことに気づいてなかったのです。
「ああ、辛いなあ」と言いながら、その場、その感情からそそくさとスグに逃げてしまう。逃げても苦しいだけなのにね。
その感情にフタをして押さえつけ、一時的には収まるものの、次回それが起こるとまた再発。

これを繰り返しつつ、人はある時、日々の生活を営む中で「自分が無意識に何をやっているのか」に気づく。

私もこの日、延々とフタして逃げてきた感情に、アリさんのおかげで気づくことができました。
こんな風に些細なことからも気づけるから、人生サプライズ。毎日油断できません(笑)。

そして気づくと受け入れることが可能となり(というか、可能になったから気づけたのか)、この状況や感情を好きになるわけじゃないけれど、それでも冷静にはなります。苦しくはない。


その後、通勤途上、アリさんに想いを馳せました。
今どうしてるかな。あの羽、結局どうしたのかな。

私はある一場面に遭遇しただけですが、
きっと自然界では、こんなことは日常茶飯事なのだろう、ということは想像にかたくありません。

毎日命がけで生きる動物たちには、そんな「一生懸命やったことが無に帰する」なんて、当然のように頻繁に起こってるはずで。
それを淡々と、困りもせず、受け入れて、生きているのだろうと。

地球に存在する無数の生命が「一生懸命頑張ったのに無意味だった」的なことに出会っている。
それどころか、もっと生死に関わるような命がけの状況も頻繁に出会ってると思う。

としたら、私という一個人における、そういう状況がどれほどの事だというのか。
アリだってクモだってカブトムシだって猫だって虎だって象だって鯨だって、みんなに起きてることだ。
…みたいな、そういう視点だと、私のちょっとした苦しみなんて、地球全体の営みの一部としてみたら、そんなに大したことじゃない気がしてくる。

何だか、予期せぬ展開から、大きな視点で自分自身と地球を眺める時間をもらえたのでした。
アリさん、どうもありがとね。

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