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大佛師・松本明慶に会ってきた。

福屋八丁堀店で開催されている「大佛師 松本明慶 佛像彫刻展」を観にいった。

松本さんは運慶快慶の流れをくむ、慶派の佛師。「平成の大佛師」と呼ばれています。
運慶から連綿と続く技や精神を、今に引き継ぎ体現されている方なのだそうです。

現代においてもなお、木造の大仏を手がけることが可能な技をお持ちで、日本各地のお寺に多くの仏像を納められていて。
最近では2014年に高野山に四天王を納仏、広島だと宮島の大願寺(厳島神社隣の弁天様のお寺)にある、2006年に納められた不動明王が有名かもしれません。

17歳で佛師を目指した当時、最後の慶派といわれたお師匠さまと出会い、亡くなられるまでの1年半ほどの短い期間に、受け継がれてきたものを口伝で伝えられたそうです。
お師匠はそのころ既に80代。先の短い人生の中で、一つ一つの技術を教える時間は殆どなく、若い松本さんには意味も理解できないような話をいっぱい伝えられたそうで、それを何十年もかけて理解してきたのだとか。

その、運慶以来、口伝で連綿と伝えられてきた「何か」が感じられる展覧会なのだ、と。

…とか、まるで前から知ってるかのように書いたけど、私の知識は付け焼き刃。
京都にある「松本明慶佛像彫刻美術館」に行ったことがあるくらい好きな友人が教えてくれた話を、オリジナルにまとめたものです。
(なので細かい部分が間違ってたらすみません。ニュアンス的には合ってるはず。ネットで調べたら詳しいことがいろいろ出てきますよ)

で、その友人が「今度、広島で展覧会あるよ〜!」と教えてくれて、さっそく2人で初日にお出かけしてきたのでした。

いやいや、すごいすごい。
デパートの展示会なので、美術館とはスケールが違うし、こぢんまりしてるのではないかと思ってたのだけど。
大小さまざまな仏像が300点以上。大きいものは私の背丈以上、小さいものだと5センチにも満たないような仏様もいらっしゃって、そのどれもが精緻を極め、活き活きとしたエネルギーに充ちています。
むしろ美術館と違って、すぐ間近でじっくり眺められるのもメリット。

よく「木には既に仏様がいて、それが見えていて、周りの要らないものをとってあげてるだけ」みたいな話を聞きます。また松本さんも、そのようにおっしゃってます(もしかして松本さんの言葉が一般に流布しただけかも?)。

実際、こうして細部までまじまじ眺めてみると「彫り手の意思で木を彫った」のではなく、ほんと「要らないものをとっただけ」であり、もとからこの仏様はここにおわしましたのだなあ…と、感じられる。
出来上がったものしか見てないのに、この木を彫ったらこの仏像が現れる以外にないんだな。と問答無用でわかる感じ。
それが何百体も、これでもか!と展示されていて、いつまでたっても見飽きません。

展示会には柔道着のような服を着た、松本さんのお弟子さんたちが何名もいらして、忙しく接客などに対応されてます。
その中で、同じ道着を着ているけど、赤い大きなリボンをつけた方が目にとまり。
松本明慶さんご本人です。17歳から彫り続けて55年、と聞いてるのですが、たいへんお若い雰囲気をまとってらっしゃる。来展者の方々と気さくにお話をされています。

松本さんは普段は工房にいらっしゃるので、京都の美術館に行ってもお会いできる機会はあまりないようです。
だけど、こういった出張個展の際は、ご本人が在廊されるとのこと。

私もこの感動を直接伝えたく、近くに来られた際に、お話する機会をいただきました。
友人も、チャンスがあればいろいろ聞いてみたいことがあったようで、そういった質問に真摯に答えてくださったため、お時間をいっぱい割いて頂いて、感謝しきりです。

いろいろ貴重なお話を伺えましたが、全部書くとキリがないのでひとつ。
友人が「口伝で伝えられてきたものを、今度はお弟子さんにどのように伝えていくのでしょうか」と質問した。
「難しいことを聞くなあ」と笑いつつ、いろんな角度からそれに対して答えてくださる。
そのいろんな角度からの答えの中で一番印象的だったのが、

「彼らには”それでいいのか?”と、いつも問うてるね」と。

そのときの「それでいいのか?」を、松本さんは私たちに向かって語気もピシリと、眼ざしも本気で、こちらに指を差し示し、まるでお弟子さんへ言うかのように伝えてくれたのです。

もうね、ドキッとしました。その本気度に。

きっと松本さん自身が、常に自分にその言葉を厳しく投げかけて55年彫り続けてきた。
その長い間に培われた「それでいいのか?」の真摯さが胸を打つ。

自分の内側で、たぶんごまかしてきた「うん、まあこの程度できてればいいんじゃないの?」という微妙な妥協。見ないふりをする。だってそこから先は、もし見ちゃったら大変そうだから。
…というような、そういう、漠然と隠してきたどこかの部分が、松本さんの「それでいいのか?」によって、鋭く明るい光が内面にもたらされ、煌々と照らされて見ざるを得なくなる感じ。
いや、どこかの部分というより、人生全体に対する姿勢かもしれない。

言葉にするとしたら「やばい、バレた!」みたいな感じがしたかな、その言葉を聞いたとき(笑)。

こんな言葉をこんなクオリティーで、いつも投げかけられているお弟子さんたちは、たしかにそれだけで修行になりそう。

これ、たとえば私が真似をして「それでいいのか?」と言っても全然ダメで(笑)。
やはり直接お会いしてお話できたからこそ響いた体験なのでした。

最後に「この素晴らしい仏像を彫られた手と握手させてください」と、握手。
そう言ったら、ユーモアもある方で
「じゃあ、大サービスで腕もさわってみるか?」と腕もサワサワさせてもらいました(笑)。
しっかりとした、強くしなやかなものが流れているのが感じられる。
見た目と同じく、70歳を超えた方の発する気配ではない。
「な。すごい筋肉でしょ(笑)、ずっと彫ってるからね」と。

いくら木の中に仏様が見えていても、技術があっても、それだけでは形にならない。
同時にそれを彫り出すだけの気力と体力をキープすることも求められるのだなあと。
そして、この会場にある300体の仏像。という現実に戻ってきて、クラクラ。

と、そんな濃密な時間を過ごさせていただいたのでした。いやー、満喫満喫。

で、この展示会、9月11日(火)まで開催中です。
文章も何だかまとまってないけれど「興味をもった人が行くのに間に合えば」と思い、急ぎ書きなぐってます(笑)。

ちなみに今回はご縁あって「興味ある方に観て頂きたい」と、何枚かの招待券をお預かりしています。
占猫までとりにきていただければ、まだ若干あります。ご一報くださいね。

ではでは。興味のある方がこの文章にたどり着いて、仏像や松本さんと出会えますように。
取り急ぎ、乱文ながらアップしまーす!
ぶどう到来

ここしばらく、西日本の豪雨から台風、北海道の地震と天災が続いています。
被災で亡くなられた皆様のご冥福を祈りつつ、1日も早く、今までの生活がとりもどせることを心からお祈りしています。
今の自分にできることを、日々積み重ねながら。

祈りって、想いを丁寧に優しく扱うことでもあるのかしら。
としたら丁寧に優しく生きることも、祈り。今日はそんなフィーリング。
こうして書く時も、想いを丁寧に優しく書きとめていこう。

☆★☆★☆

毎年恒例のぶとうが届いた。

果物好きで味にうるさかった父が、ずっと贔屓にしていたぶどう農家さんがいらして。
もう20年以上、父はそこから年に一度、毎年送り続けてもらっていた。

お中元の代わりにもなっていたようで、あちこちのお世話になった縁者の方々にも手配して。ついでに、子どもである私たちにも。
私が東京にいる時もずっと。2〜3年に一度しか実家に戻らなかったけど、年に一度のぶどうは必ず届くので、
「おお、もうそんな季節か〜」と、ぶどうが届くのが私にとっての秋の始まりの歳時記のようになっています。

そして父が亡くなって初めてのぶどうの季節を迎え。
去年までは父が注文していたけど、今年、私がぶどう屋さんに連絡したのでした。

何十年もお世話になってるぶどう屋さん、電話で父が亡くなったこともお知らせしたところ、
「そうでしたか…薄々そうなのかも、とは思ってたんです。前から体調が悪いと聞いていたし。それに、お父さんはいつも6月くらいには早々に注文してくださるんですよ。それが今年はなかったので、どうしたのかしらと思って…」と。

ぶどう好きの父が、張り切って2ヶ月も前から注文する姿が目にみえるよう。

「それにね、一般的にはだいたい、贈答用はお盆あたりに発送指定されるんですけど、お父さんは『その年の最も美味しいタイミングで送ってくれ』と言われるんです。そうするとだいたい、8月終わりから9月初旬になるんですよ」と。

それも、いかにも父らしい。美味しいものには本気(笑)。
たしかにぶどうは自然の恵みだから、気候によってタイミングが毎年違うものね。
なので、今回も同じように発注させていただいたのでした。

そしてその「今年の最も美味しい収穫」が届いたわけです。

もう、毎年箱を開けるところから楽しみで。
見た目から愛らしいの。愛がいっぱい。
大切に大切に育てたんだなあ、と素人目にもわかるほどに、ひとつひとつの粒が美しく、みっちりと瑞々しく、伸びやかに健やかに愛されて育っているぶどうなのです。
もちろんお味は言うに及ばず。

そういえば、去年の今頃はまだ父は存命で、食欲は衰え気味だったけど、ぶどうは食べてたなあ、とか思い出す。
さっそく初盆にはちょっぴり遅れたけれど、父が最も希望していた「一番美味しいぶどう」をお供えして。

ここの美味しいぶどうをいただいてるときは、なんだか父を身近に思い出すのでした。

そうこうするうち、先日、ぶどうを送った父の友人からハガキが届きました。
「彼が亡くなったので、もうあのブドウを口にすることはないだろう、と思っていたのでとても嬉しかった」と。
これまで毎年届いていた人たちは、きっとこのぶどうで父を思い出すのだなあと思うと、なんとなく微笑ましい気分になって。

きっとまた来年も注文させていただくことになりそうです。
手書きのちから
県立美術館で開催中の「ジブリの大博覧会」に行ってきた。
宮崎アニメで育ったので、ディズニーランドは行かなくても平気だけど、
ジブリと聞くと、ついつい心が動かされちゃう。

平日だからと油断してたら、思った以上に混み合ってました。
ネコバスに乗るのは、けっこう競争率が高かったなあ。

東京では吉祥寺に住んでいて、三鷹のジブリ美術館にもよく通ってたので、
なんとなく、今回の展覧会もどんな感じになるのかイメージできてました。
きっといろんな企画書とかラフとか、そういう資料類がいっぱい展示されてるんだろうなと。

想像どおり、すっごい情報量。
全部じっくり目を通してたら、一日中いても時間が足りないかも。
仕事前に立ち寄ったので、興味のあるコーナーに集中して、あとはある程度流しながら見るしかなかったです。

今回いちばん面白かったのが、
コピーライターの糸井重里と、ジブリの鈴木プロデューサーのFAXでのやりとり。

映画「もののけ姫」の宣伝コピーができるまで、4回くらい出し戻しのやりとりをしていて、その一部始終が展示されていたのです。
糸井さんがまず叩き台を出す。
それに対して鈴木さんが、どんな方向性にしてほしいのかを提案し。
あんまり主張しても自分でも違う感じがするし、かといって相手のもピンとこない。
お互いに言葉にならないところから、譲り合いながら、押し合いながら、気遣いながら、主張しながら、手探りの中で少しづつイメージを作り上げていく。
そして4回目、ついに「生きろ。」にたどり着く。

そこまでのドラマがFAXのやりとりを読むだけで、伝わってきます。

隣で同じ展示を見ていた高校生くらいの人が
「うっわー、全部手書きなんだ…」と感嘆しているのを耳にして。

あ、そっか。今どき手書きのFAXでやりとりなんて、やってないか。と気づき。
そして手書きだからこそ、この繊細なやりとりを成り立たせてるんだろうな〜と思った次第。

文字の勢いや強弱、行間のあけかた、字切りのリズム、さらにはイラストや、仕事の話以外の追伸的なメッセージ、その書き込み場所のバランスなどなど。
言葉の内容以外の部分に膨大なメッセージが含まれていて。
それを言葉にならない部分で、お互いが無意識に把握しながら、落としどころを見つけていったのでしょう。

宮崎監督の企画書などもエンピツ書きなんだけど、その筆圧とか勢いからも想いが伝わってくる。肉薄してくる。

やっぱり手書きのパワーはすごいなあ。

今回は展示の内容以上に、
手書き文字のリアルで生命力あふれる表現に、刺激を受けた次第です。

なんだか、お手紙書きたくなっちゃった。
もちろん手書きでね。
便箋としてはA4の無地の紙を用意。
筆記具いろいろ並べて。好き放題に書いてみよっと。
祈りの日、祈りの街。
もうハチロクからずいぶん経ったし、その話はまあいいかな?
と思ってたのですが、
「なんかブログ書くかな〜」と開いたら、こんなタイトルになったので。
そう、ハチロクの日のメモ。

毎年のように言ってるけど、ハチロクの広島は祈りに満ちている。
(あ。念のため。ハチロクとは8月6日のことです。広島ではハチロクと呼称されます)
朝起きて、窓を開ける。
いつもより空気が澄んでいる。
急にというよりは、ハチロクに向かって数日前から徐々にクリアになっていくふう、かな。
でも当日は全然それまでと違う感じ。
満月の輝きが、その前日までと全然違うのと同じように。

クリアで、祈りの優しい心地に包まれて、私もともに澄んでいくような。
空気が柔らかくて優しいの。

きっと世界中の人たちが、ヒロシマに想いを寄せてくれるから。

ヒロシマ、広島人が思ってる以上に海外では有名です。
以前バックパッカーやってた頃、アジア旅行中の欧米人と話してると、たいがいこんな会話になりました。

「おお、おまえは日本人か。私はこれから日本に行くのだ」
「どこ行くの?」
「トーキョー、キョート、アーンド、ヒロシマ!」
「え、前の2つはわかるけど、なんでよりによって広島?」
「そりゃ、アトミックボンブが初めて落とされた街だからに決まっとるだろ」

もちろんアジアに興味がある人たちだから、というのもありますが。
学生時代の10年ほどを広島でフツーに過ごしてきた私にとっては。
「そういうもの」だと思ってるから、ヒロシマがそんなに海外の人々にも意識されてるとは思いもよらず。
「へー、外国の人でも広島に興味あるんだ」と、当時は意外に感じてました。

ポルポトから解放された直後のカンボジアを訪れたときも。
これから復興に向けて頑張っている人に出会って、
「ヒロシマは、戦争で破壊された街にとって復興の希望だ」と言われたことがあります。

まだ公営の市場においても、陶器製の安価な地雷がご家庭用にフツーに売られ(泥棒よけに家の周りに埋めちゃうんだって。たしか一個200円くらい)、戦車が田舎道をはしりまわり、時々、街中でも機関銃の音が鳴り響き、川には海賊ならぬ川賊が跋扈しているような頃。

その人はドイツだかスイスだかの、法律を作る専門家で、
カンボジアには、法律を作り直すだけの知識を持つ人が殆ど処刑されていなくなったので、法律を作るお手伝いをしにきているのだと。

それでまた「どこから来た?」「広島」「おお!」という会話になり。
その「ヒロシマ=復興の希望」というのを、このとき初めて聞いたのです。
以降ベトナムなどで、それを言われる機会は他にもちらほらありました。

そうだよね、あんなに壊滅的な打撃を受けた街が、今はこんなに復活してるんだもの。
「たとえ破壊されても、ヒロシマみたいに甦ることが可能なんだ!」という。

学校ではいつも平和平和と教えられてきたけれど、おそらく教えてる側が期待するほどにはピンときてなかった。と思う。
私はハタチも過ぎて旅先でようやく、ヒロシマが世界の平和の象徴なのだと実感できたのでした。

と、話が横道にそれてましたが。そういった世界中のたくさんの想いが、ハチロクを澄みきった空気にしてくれるのだと感じてます。
きっと世界でも屈指の「祈りの街」ではないかしら、ヒロシマは。

学生の頃は、全然そんなことを意識することもなくボンヤリと住んでいたけど、
今はこの得がたい環境に住んでいることを、ありがたく嬉しく思っています。
遠方からのご来訪ありがとうございます。
7月、8月という夏休み時期は、遠方からのお客さんが多くなります。

東京はもとより、大阪、京都、佐賀、愛媛、徳島、長野などなど。
もちろん山口や島根、岡山などの近隣県の方、同じ広島県でも福山近辺の方も、こういう夏休み時期のほうが来やすいのでしょうか。普段よりもご予約が多い感じがしています。

観光を兼ねて、ご夫婦で、お子さんとご家族みんなで、あるいは親子三代でご来店くださるかたも。
東京・下北沢時代のお店の常連さんと邂逅したりすると(もう8年以上前ですからね)、長いお付き合いをいただくご縁に、あらためて感謝の気持ちがあふれてみたり。

普段の占猫よりも賑やかで華やいだ、夏休みっぽい雰囲気の日が多いような。

また、旅の計画に最初からセッションを予定に入れてくださっている場合もあれば、
ちょうど夏の旅行で広島に来たところ、偶然の巡り合わせでご来店いただく場合も。


こんなこともありました。
関東から土砂災害のボランティアで広島に来られていた男性が、帰る前に宮島を訪れて。

「ひと休みしたカフェで、ここのチラシを見つけたんです。スマホ持ってくるの忘れたから連絡できないし、とりあえず飛び込みで来てみました」と。

そもそも、宮島でうちのチラシを置いてくれてる店は一軒しかありません。
「タムカイマ」という、とってもとっても素敵な隠れ家カフェですが、隠れ家だけあって、「スマホがなくて検索できない観光客」が休憩にさっくり選ぶには相当確率低いハズなのです。

だけど実際はなぜかタムカイマを訪れ、なぜかチラシを目にし、その足で横川まで移動、滞在を延長して結局セッションを体験していただけて。

「本当に今の自分にピッタリの内容でした」と聞くと、言祝ぎ師としては、
「ああ、その人にとって必要なタイミングであれば、どんなに遠くても、どんな状況でも、お会いできる時には会えるのだなあ」と不思議なご縁をしみじみ感じます。

何というか、私が占うわけでなく、魂からのメッセージを通訳してるだけ、と思ってるので、
「おーい、連れてきたよ!この人、今ちょうど通訳が必要な時なんだ、よろしくね〜」と、その方の魂自身がうちの店までベストタイミングで案内してくれたんじゃないか、と感じるのです。

あらかじめ占猫にご来店予定でいらっしゃる方も、表面上の理由は「夏休みだから」だとしても、やっぱり「そのタイミング」なのですよね。

それはもちろん、地元のお客さんも「そのタイミング」に来てくださってます。
ただ遠方からわざわざご来訪くださる方は、時間やお金などの大切なエネルギーをよりいっぱい使わなければ来れない。
「この人の魂の導きっぷり、パワフルだな〜。よっぽど今のタイミングに必要なメッセージがあるのかな」と思います。

そんなパワフルな導きっぷりによるセッションを、夏は多く体験させていただける訳です。

とりとめのない文章ではありますが。
そんなご縁や出会いが嬉しくて、夏の日々、ジワジワと幸せ感が身体中に染み渡っていたので、お礼を言いたくて、ふと書いてみました。

皆さん、本当にありがとうございます。
遠方からの久しぶりのお客さん、初めてのお客さん、どうもありがとう。

そして、もちろん、近隣のお客さんもありがとう!
このとりとめのない文章は、遠方のお客さんのお話がメインでしたが、
とりとめなく書いていると、最後は地元のお客さんにも一言お礼がいいたくなったぞ(笑)。

この記録的猛暑の中、わざわざ足を運んでいただいてどうもありがとう。
今年の夏もお会いできて嬉しかったです!
また「そのタイミング」がきたら、いつでも遊びにきてくださいね。

追伸
最近、ぜんぜんブログを書く気分になれなくて。
どうしたことだ?と困ってたのに、とりとめはないけど、不思議と感謝の文章だとなぜか書く気分になって。ようやくキーボードに向かえました。
そういう意味でも、皆さんどうもありがとう〜!
水は巡る 〜大雨によせて〜
西日本があの大雨にみまわれた2日後、私は誕生日を迎えました。
ちょうどお店も臨時休業していたので、当日は家で静かに過ごしました。

人は自分の好きな季節を選んで生まれてくる、と聞いたことがあります。
数秘術でも、人は名前と誕生日を自ら選んで生まれてくる。と考えます。

でも若い頃は、それについて懐疑的でした。
「えー、じゃあ私は梅雨が好きってことなのかなあ?」

そこまで気に留めたことはないけれど、何となく、誕生日は曇りや雨の日が多い気がします。
どっちかというと、もっとカラリと暑かったり、新緑や桜の季節や秋のほうが好きな気がするんだけど。と思ってました。

でも今は、この時期に生まれたことを納得しています。
別に蒸し暑いのが好き(笑)なわけじゃないよ。

私は恵みの雨が降ることによって、たくさんの生命が活気づく季節だから好きなのだと。

いきいきした生命エネルギーと、それを支える水の豊かな時期に惹かれて生まれたんじゃないかと思うわけです。
水が豊かだと生命もゆたか。

その豊かさを感じたくて、梅雨の時期は、地球の水の巡りを感じながら佇んでみたりすることも。

あたりまえのことですが「生命」は、そこに常に寄り添う「水」がないと生きていけません。
だけど日本みたいな水の豊かな土地にいると、すぐその事実を忘れます。

20代の頃、気温40度を超えるシルクロードを旅したとき、私はようやく水のありがたさを実感できた気がします。
砂漠で生きる人たちが、どれだけ水を大切にしているのかを感じることによって。

旅の最初の頃。3泊4日の長距離バスの休憩で降りた店で、涼をとるためカラカラのタオルを水に浸したいとお願いしたら、こころよく水を持ってきてくださって。
喜んで水に浸し、それを絞ろうとした時。
そのかたが慌てて、絞ったわずかな水を、別の洗面器で受けるのです。
それをまた畑にまいたり、別のことに使うのでしょう。
私は何も考えず、地面に滴らせるつもりでした。
「砂漠では水が大事」と頭ではわかってたけど、本当の意味ではわかってなかったんだ。と知った瞬間でした。

また、私は気軽に「水をください」とお願いしたけど、どんなに貴重なものを分けてくださいと言っていたのか。それを気前よくシェアしてくれる人々の優しさも染みわたり。

…あれ、なんでこんな話をしてるのかな?

そうそう、大雨でした。
大雨で、今なお断水など影響が残っている場所はいっぱいあって。
自宅の近隣を通るJR芸備線も、全部開通するのに1年以上かかるのではないかとのこと(橋が壊れてますからね)。

暑い中、被災された方、本当に大変で、まだまだ地域全体が渦中にあるわけですが、
私自身は直接の被害がなかったからか、この災害を自分がどんな風に受けとめているのかを少しづつ感じ始めています。

それをちょっと言葉に出して整理してみようかな、と書き始めたみたいです。なるほど。
ん〜、それでなんで、シルクロードの話なんだ?

あ、そっか。
今回の大雨によって、水の大切さと凄さがあらためて感じられたように思ったのです。
シルクロードの時みたいに。

水は生命と密接に結びついていて、人間は水と離れて生きられないけど、近くにいると河川の氾濫などで被災してしまうのは、もうずっと神代の昔から起きていることだと思う。
「治水」は人類にとってすごく大事なテーマなのだと。

おかげさまで現代では、いろんな技術が発展したおかげか、きっと奈良時代や室町時代よりは水害は少なくなっていて。
でも、いつのまにか人間がこの大いなる自然の要素を手軽にコントロールできるような気持ちになっていたのかもと思う。少なくとも私はそう。
というか、そんなこと、考えたこともなかった。
水や川はコントロールされているのが普通で当然だ、と安心しきっていたのですね。

今回、そこに気づくことができました。
自然を完全にコントロールすることなんてできるわけないのに。
そんな当たり前の事実を忘れて毎日を生きていた。
本当はこれまでもこれからも、いつ何が起きるかわからない世界に生きているのでした。

普段はどこか無意識に、人間が地球の主人公みたいに我が物顔に振る舞っているけれど、
こういう時「そうだった。地球からみたら他の動物や草木と同等の存在でしたよね、私たち」と、謙虚な気持ちにさせてもらえます。



私は時おり、地球の水の巡りを感じながら佇む時間があります。

雨音に耳をすまし、雨の香りを嗅ぎ、皮膚に沁み渡る湿度をじんわり感じていく。

そして思い出す。

水は、誕生して以来いちども地球上を出たことはない。という事を。

新しい水が宇宙のどこかからやってくることもない。

何億年もの間、ずっと同じ水が地球上を巡り巡っているのだと。

この一滴は何億年も前から存在しているのだと。

そしてその水は、何世代も命をつないでくれていて、今、私の身体にも巡っている。

その壮大な水の循環を身体に感じている時、地球と一体化している感じがする。
地球の一部である自分を感じられるような。

あの大雨も、地球を巡っているひとつの営みにすぎなくて。
ただ淡々と水は巡っていて、そこに命が寄り添っている。

私たちは水の巡りの中で存在させてもらっている。

この、当たり前の事実を、なるべく日々忘れないで生きていたいと思います。
マヤ暦新年「赤い宇宙の月の年」
あけましておめでとうございます。
昨日7月25日はマヤ暦における「時間をはずした日」でした。
そして本日、新年を迎えました。赤い宇宙の月の年。
どうぞ今年もよろしくお願いいたします。

もう20年近く前、マヤ暦を使い始めたころは、かなりマイナーで。
でも最近はFBやツイッターなどでも「マヤ暦新年」のご挨拶をあちこちで見かけます。
ずいぶんポピュラーになって、嬉しいかぎりです。

おかげで今頃は「”時間をはずした日”なので臨時休業します」と言っても、普通にスルーしてもらえます(今年はちょうど定休日でした)。
でも雑誌のライターやってる頃は、休むの難しかったなあ。


こうやって書いてると「マヤ暦を使うとどうなるんですか?」と、よく聞かれます。

簡単に説明するときは「使ってるといろんなシンクロが起きてくるよ」と言ってます。

この暦は宇宙本来の自然な時間に沿ったカレンダーなのです。

なので本来の自分と宇宙の流れがシンクロしてくる。
この時間に馴染むにつれて、どんどん自然な流れに整えられてくる感じです。

たぶん毎年のように書いてるので(笑)、もうすこし詳しい文章も残ってます。興味のある方はブログのコンテンツ「マヤ暦」をご参照くださいね。

これまでに占猫の常連さんも、何名かの方は結構なヘビーユーザーになられてるご様子。
ときどき、どんなエキサイティングなシンクロが起きたのかをご報告くださったり。
「ねー、やっぱり不思議だけど、そうなんだよね〜」と盛り上がります。

私も最初に始めたときは、一気に人生が変わったもの。
ほんとに音を立てて「ガッコン!」と変わりました。
マヤ暦使ってなかったら、今の仕事はやってないか、あるいは何年も遅れて始めたのではないかと思います。

ちょうど新年が始まったばかりだし、興味のある方はスタートに最適なタイミングかも。
みんなでシンクロしていくと、生きやすい世の中になると思うなあ。
ちなみに、いまやマヤ暦はいろんな流派(?)があるみたいですが、個人的には「13の月の暦」が使いやすいと思います。


と、さて。
昨日、時間をはずした日は、何か特別に意識的なイベントがあれば参加しますが、
のんびりするのが好きだからか、本当に時間をはずしちゃって、何もしない年が多いです。
今回はまさに何もしませんでした。

というか「したいことしかしない」時間にしてみました。
そうすると「私ってこんな自堕落なんだ!」と笑えるほどに欲望のままでしたが、
うちのニャンコたちとおんなじくらいリラックスした時間を過ごせたように思います。

時間をはずした日は、なんせ時間からはずれてます(笑)。
なので、日常のルーチンなどから外れておくと、量子的な飛躍が起きたりするらしいです。

量子的飛躍が起きたかどうかはわかりませんが、
本日、新年の朝起きてみると、昨日までとは「別の場所」にいる感覚でした。

あれ、ちょっと違う場所に存在してる。みたいな。
自覚できる点としては、ここしばらく大雨の影響からか、どこか浮ついて落ち着かない感じがあったけど、どっしり寛いでリラックスしてる感じ。
あと、たぶん暑さとかで疲れてたんだと思う。
そういう疲れの雑味が抜けて、クリアになってる感じ。

しっくりときてる。新年に合わせて私らしくリセットされたんだな。

でも、これが一体どんな状態なのかはわからない。
それは今日からの新しい年を、赤ちゃんが一歩踏み出すように体験することで、次第にわかってくるんじゃないかと思います。
必要なシンクロが勝手にふるふると降ってきてくれるだろうしね。

赤い宇宙の月の年、はたしてどんな年になるのか。
新しい時間をワクワク旅していこうと思います。
W杯という祝祭
ついにW杯、終了しました。
すっかり満喫しました。楽しい物語を読み終えたような気持ちです。
期間中はどうしても寝不足気味でしたが、ようやく睡眠時間をしっかり確保できそう。

私、4年に一度、W杯が来ると「にわか熱心サッカーファン」になります。

いや、もちろんサッカーは昔っから好きなんですよ。
だけど、見始めると途中でやめられなくなるので、TVでやってても「んー、今は90分座ってる時間ないなあ」とかスルーしがち。
リアル観戦も、広島にいるとサンフレッチェ観に行きますが、カープと同じくらい。年に2〜3回も行けば頻繁なほうです。

でもW杯は他とは別モノ。
あんなハイクオリティな試合が、こんな短期間に濃密にこれでもか!と繰り広げられるなんて。正月と盆がいっぺんにきたような、とはこのことです。

世界最高レベルの個性あふれる選手たちが、各国の代表としてしのぎを削る。
毎回どんな試合になるのかワクワク楽しみで楽しみで。
まるでスポ根少年マンガのような(こっちが元祖だけどね)展開やストーリーに目が離せません。

今年は特に今まで以上にコミットした感じかなあ。
日本がベスト16に入ったのも盛り上がったし。
対ベルギー戦もいい試合だったものね。

やっぱり、ひたむきに諦めないで、最後まで全力で頑張ってるチームの試合は美しい。
胸を打つ。終わったあと、勝っても負けても充たされた感覚がある。

日本チームにも美しい試合を見せてもらえて、残念ではあったけど、充たされました。

決勝はクロアチアを応援してたので、こちらも残念だったけど素晴らしい試合でした。
全力で向かうクロアチアの多彩な攻撃に、サッカーの面白さを再認識。

まあ、それぞれのチームや試合の話をしてたらキリがない(笑)。そーゆーのはTVの特番などに任せて、と。

この前「W杯で寝不足気味〜」という話をしていたら、
「え、サッカーとか観るんだ。意外〜」と言われました(笑)。
これ、折にふれ結構言われます。あんまりスポーツに縁がなさそうなんだろうな。
うん、たしかに自分がスポーツするのは学生時代の部活以来、縁がありません(笑)。

でも観るのは好き。
やっぱ「サッカーの”祭典”」と言うだけあって、これは祝祭なのです。お祝い事。
世界中が、同じ時に同じ試合を、固唾を呑んで見守っているのを感じます。
世界がこの祭典でつながっている90分間。その一つ一つの物語が積み重なり、クライマックスへ祝祭と祈りが高まっていく。

もちろんいろんな考え方があって、W杯を快く思わない人もいるとは思う。
でも、こうして試合をしてる間、世界の多くの人たちが、このひとときに浸ってる。

苦しいことや、争いや、煩わしいことが世界には蔓延している。
でもこのW杯のひとときは、そういったことを脇において。
多くの人が世界中でつながっているのだと実感できる(世界同時にリアルタイムで観戦できるってスゴイよね〜)。

日本が試合をしているとき、渋谷とかではお祭り状態で盛り上がってました。
あの中にいながらにして、深刻な悩みと向き合っている人はあんまりいなかったのでは。

「お祭り」は大切だ。昔っからケと共にハレもある。

お祝いすることが、この世界や私たちにはバランス的にも必要なのだと思う。

個人的な祝祭と同じく、こうして世界規模で行われる大きな祝祭も悦ばしい。
もちろんオリンピックもそうだし、日本だと高校野球も高校サッカーも祭典。

世界は悲哀に満ちているけれど、同時に、たくさんの祝祭にも満ちている。

各自が好みの祭典において、純粋にお祝いのエネルギーを発散すれば、きっとその歓びはいろんな形で世界にポジティブに働きかけている。と、私はくっきり思うのでした。

各国代表選手の皆さん、素晴らしい試合をありがとうございました。

また4年後を楽しみに。
京都でリセット


6月末に、父の法事で京都に行ってきました。
京都にお墓があるので、年に1〜2回ほどしかお参りしませんが、
行ったときにはせっかくの機会なので日帰りにはせず、友人に会ったり、観光したり、時には仕事したり、1泊2日で旅行気分でお出かけします。

それにね、新幹線で日帰りで往復するより、2人だったら宿泊代込みのツアーという形で出かけたほうが料金が安いんですよね。
謎のシステムですが、なんだか大人の理屈があるらしく。遠慮なく享受させていただいてます(笑)。

京都は何度も行っても飽きません。
まだまだ行ってない名所がいっぱいあるし、
おいしい料理の店も、素敵なカフェも、行きたいところを挙げたらキリがない。

街をふらふら歩いてるだけで、面白そうなお店とあちこちで出会うしね。
1泊2日じゃ時間はゼンゼン足りないけど、毎年何回か行ってるので、京都とじわじわ知り合ってる感じはあります。
少しずつ馴染みのエリアとかが増えてきて、バスにも乗れるようになって。
そういうこと自体が嬉しかったり。

さて、今回の「名所にお出かけ」シリーズでは、銀閣寺に行ってきました。
銀閣寺、あんなに有名なのに、この人生で初めてお目にかかりました。
まあでも、そんなものですよね。
映像とか本で見てるぶん、すでに行った気になってスルーしてたり。

実際に見た銀閣寺、さすがに噂どおりの佇まいでした。
おお、教科書に載ってたとおりの立派な建造物。
が、やっぱり行ってみなくちゃわからないことがある。
行ってはじめてわかったこと。

庭が、驚嘆するほど美しい。

私にとって、銀閣寺の凄さは「庭」でした。
うっわー、庭がこんなに美しいなんて、教科書には載ってなかったよ。
もちろん、きめ細かなお手入れも、全体の侘び寂びの表現も素晴らしい。

でも何よりもっとも心が弾んだのは、苔でした。

何百年もの間に育まれてきた苔の有り様が、活き活きと美しい。
かといって苔なので、華やかに咲き誇るような美しさと違い。
まさに侘び寂びを体現したような、静けさと慎ましやかさと、その奥に潜む生命力とピュアな存在感に涙が出るほどハートがキュウっとなりました。

樹々から山肌、岩肌へと、滝が流れるように苔が棲息している。
造られた庭にあえて配されたという趣きではなく、とても自然にそこに在る。

苔は前から好きだったけど、その素晴らしさが120%で味わえる庭に出会えて、さらに好き度がアップしてしまいました。

まさか銀閣寺まで足を運んで、苔に夢中になるとは思わなかった。
人生、毎日が想定外の連続です。

そして哲学の道を散歩した後、帰る前には八坂神社へご挨拶。
占猫には、祇園祭で有名なちまきが毎年届いていて(店の入口におまつりしてます)、とてもご縁のある神社なのです。

ちょうど、大祓の茅の輪が設置されてました。
そっか、もう茅の輪くぐりの時期なんだ。
さっそく外国人旅行者に混じって、くぐる順番を待ちます。

ここ半年、父が亡くなって以来、普段は関わらない法律とか法事とか、その他もろもろ、今まで経験したことのないものを手さぐりしながら体験してきました。
戸惑いつつも、新しいことを学んで、古いものを片付けて、手放して。
そして今回の法事で、この半年かけてきたいろんな流れが、ついに収束を迎えたのでした。

毎日、一歩づつ目の前のことをこなしていただけなので気づかなかったけど。
けっこうこの半年で、いろいろ進んでたんだなあ。と振り返る。
半年前と状況、環境、私の在り方もかなり変化しています。
ようやくホッと一息つけるようになったのかな。

そして茅の輪くぐりの順番がきたとき、ふと思う。
ああ、ここからまた過去の私を手放して、新しいバージョンにリセットされて人生進むんだな。と。
もうずっと何十年もご縁のある神社で、はからずもこのタイミングに新生の私を祝っていただいたような。

同時に、あまりにも普通に長年ご縁をいただいてきたから意識してなかったけど、八坂神社との思っていた以上の関わりを自覚してびっくり。

そういう、ちょっとした世界の見方とかも、少しずつニューバージョンになってる気がする。
前よりももう少し、じっくり深く世界を味わえるようになってるかもしれない。
経験したことのない状況をくぐり抜けることで、気づかないうちにちょっぴりは成長していたのかも。

さて、茅の輪くぐり後、の私。
リセットされて、どんな人生になっていくのか楽しみです。
これからもいろんなことを経験して、ワクワクくぐり抜けて行きたいなあと思います。
新しいバージョンの私はどんな体験をしていくのでしょう。
きっと過去と同じ経験をしても、体験は違う。受け取る私の意識が違うから。

もしかしたら銀閣寺も「今だからこそ」の体験をしてたのかも。
半年前や半年後だったら、また違うものを受けとってるのでしょうね。

この世界があってくれて、そこに私を存在させてもらって、豊かな体験をさせてもらえて、本当にありがとう。
そんな気持ちになれた、久しぶりの京都でした。


あ。こうして書いてきて、気がついた。
今回ようやく、自分にとって喪が明けたのだと。
…というわけで。これからも引き続き、新生の私をよろしくお願いいたします。ぺこり。
7月7日(土)は臨時休業いたします
昨日の大雨、大変でしたね。
被害にあわれた方に、心からのお見舞い申し上げます。

またこれ以上の被害なく、皆さまご無事でありますよう。

さて、私のところにも「大丈夫?」とお気遣いの連絡を皆さまから頂いてます。
本当にありがとうございます。

おかげさまで直接の被害はないものの、通勤路の途中が冠水してしまい。

そのため、ものすごい渋滞になり、帰宅に3時間かかりました。

昨日ご来店くださったお客さんも、もしやお帰りが大変だったのではと案じています。

そんなわけで、今もまだ天候や状況が読めないので、今日は臨時休業にしました。

明日も状況次第ではお休みしようと思います。
その際はもう一つのブログ「タロット&数秘術の小部屋」のほうで告知させて頂きます。
(ご予約の方にはこちらから適宜ご連絡させて頂きますね)

皆さまにはご迷惑おかけしますが、宜しくお願いいたします。

本日は七夕ですね。
あいにくの雨や曇り空ですが、雲の上で織姫と彦星が出逢えますよう。
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