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のんびり年賀状。
ふう。ようやく4日ほど前に年賀状書きが終了しました。
仕事初めの頃までかかったかな〜。

私は「手で字を書くのが好き」なので、年賀状書くのが好きです。
オール手書きです。ただし、書きたいときにしか書けません。

なので、年によってはある12月の週末に「よし書くぞ!」と思い立って、
ドガガガっと2日くらいで書き上げることもあります。
だけど最近は12月末から正月明けにかけて、少しずつ分けて書くことが多いかなあ。今年もそうでした。
もちろん書いてるうちに、先方の年賀状が届いちゃったりします。

でも、焦りません。マイペースに書く。
私の場合、焦ると「書く」という行為がおざなりになってしまうのです。
年賀状は言祝ぎ。だと思ってます。
文章的には定型的なものが必ず入ってくるから、どうしても同じような文面になりがちです。それは「言祝ぎ」だから、それでいいのです。

ただ、それを何十枚も続けて書いてると、ルーチンになりやすい。
せっかくの年始のご挨拶を、おざなりな気分で書きたくないのです。
心をこめて、言祝ぎとして書く。1枚1枚、新しい気持ちで。

なんの工夫もなく、文字を書いてるだけの地味〜な年賀状ですが、心だけはこもってます(笑)。
「大変じゃないですか?」とか言われることもあるけど、好きでやってるからな〜。
この年賀状を書く、という行為自体がけっこう気持ちいいのです。

例えば、定型中の定型、
「皆様のご健康とご多幸を心よりお祈り申し上げます」
を、書くでしょ。
これ、心をこめて一日に何十回も書くと、言祝ぎによって自分の心も綺麗になっていく感じなのです。
写経はやったことないけど、もしや写経するのと同じような感覚になってるんじゃないかなあと思います。

なので、のんびり年賀状、けっこうオススメですよ。
これ、遅く届いた人への言い訳になるかな〜?(笑)。
手ぬぐいにアイロンかけるのが好き。
アイロンかけるの、けっこう好きです。
ただし、手ぬぐいとかハンカチとか、簡単なの限定。
お洋服のように、立体的に裁断されたのは苦手。

手ぬぐいやハンカチって、わりといっぱい所持してます。
ついついどこか行くたびにお土産で買ったり、もらったりすることも多いアイテムだしね。
替えがいっぱいあるので、使って洗濯したら、そのシワシワのままけっこう貯め込みます。
で、アイロンかけ甲斐を感じるくらい(笑)の一定量がたまってきたら、
何もない休日などに「よーし、やるか!」とお楽しみタイムの始まり。

まずはお気に入りの音楽と、その日の気分のお茶を傍に用意して。
ほつれた糸を切るためのハサミも忘れずに。

そしてのんびりと、山になってる手ぬぐい&ハンカチ達にアイロンをかけていきます。

どの一枚も、それぞれ趣向をこらしたデザインやカラーなわけですが、その模様や色合いをしみじみ眺めて愉しむときって、使ってる最中には殆どなくて(折ったまま使ってたりするものね)。
私の場合、このアイロンタイムに手ぬぐい鑑賞を愉しんでる感じ。

一枚一枚、広げるから「あー、そうそう、こういうレイアウトだったな〜」とか、鑑賞しながらプレスします。
ゆっくり観てると、それぞれにデザインした人、染めた人、布を織る工場の人…などなど、この一枚に関わった沢山の人達を感じられて。

布一枚のためだけに、この場所にいるという贅沢な時間。
ちょっと忙しくなって、時間に振り回されそうになったら、アイロンかけに没頭することで、またペースが戻ってきたりね。

地味ながら、時間がゆっくり流れるお気に入りのひとときです。
古着屋さんが好き。
実は私、昔なじみの方なら御存じですが、服にまったく興味のない人間でした。
たぶん、30代半ばくらいまで。
「夏暑くなくて、冬寒くなければいい」程度の感覚だったので、
ダンナのお下がりの服を着たり、同じようなジーンズとボーダーのシャツをえんえん毎日着てました。

それがある日、タイのバントーファンというNPOの活動で作られた、一点ものの手紡ぎ手織り草木染の服と出会って、服の魅力に開眼したのです。

その服は「服というものが、いったい私にとってどういう関わりを持つのか」を、
言葉ではないところで教えてくれたのだと思います。
服と私が関わっている。という衝撃的な事実を、ヘレンケラーの「ウォーター!」ばりに理解したのでした(大袈裟だな…でもホント)。

で、一度モノの良さが見えてくると、他の物も見えてくるみたい。
自分なりの服の魅力に触れてからは、視野が広がって、今では普通の市販の服でも気に入るものが見つけられるようになりました。
今や服を探すのも選ぶのも楽しいし(昔は苦行でしたけどね〜)。

ただ、相変わらず、私にとっていちばん根底にある服の魅力は、そのバントーファンの服が伝えてくれた「作り手の想い」みたいなもののようです。
それが感じられる服にはヨワい。無条件で魅かれてしまいます。

でも残念ながら、一般的にショップで売られている大量生産的な服だと、なかなかその魅力は感じにくい。
結局、自分好みの服を探すには古着屋さんにでかけることが多くなりました。
昔の服は、とても丁寧に作ってあって「作り手の想い」を感じやすいのです。

服に目覚めた当時、東京の下北沢という、服のメッカみたいな場所でお店をオープンしていたのは幸運だったと思います。
下北沢は「服というものをたくさん体験する」には最適な環境でした。
おかげさまで、たくさんの店を観て歩き、いったい自分がどういう傾向の服に魅力を感じるのかをざっくり短期間に把握できたのです。
普通、女子は中学生くらいから経験を積み重ねてくるのでしょうが、なんせ30代からの開眼なので、下北沢に集中講座してもらった感じかも。

そしてたくさんの店のうち、自然に古着屋さんに立ち寄ることが多くなりました。
特に欧州古着。その中でも、欧州がイメージしたエスニック風の古着とか大好きで。
たぶん60〜70年代とかにエスニックが入ってきて、それを地元風にアレンジしたのだと思うけど、いい感じで融合したものが多くて見てるだけでウットリします。

ただ、広島在住の現在、下北沢にいる頃よりどうしても古着屋さん自体が少ないのが実情です。
あるとしても、新旧交えた総合的なお店がわりと多い。
もちろんこれはこれで、たくさんのノンジャンルの中から掘り出しものを見つける楽しみはあるのです。
でも、しっかり意思をもってセレクトされた古着屋さんを訪れたいときもある。

そして、なぜかちょうど横川に一軒、そういう店があるのですよ。
欧州古着専門のシャルマンというお店。
そんなに頻繁にはいきませんが、時折思い出したように覗いてみます。

で、ちょっと前に久しぶりにいってみました。
たまに行くと、ほとんど総入れ替え状態。
それぞれ個性のある服を一枚一枚さっくり眺めて楽しみます。

と。
なぜかどうしても目が離れない服が一枚。
お。久しぶりにうちで引き取る服がきたかな。
シンプルで素朴な、こっくりした小花柄のワンピース。
ちょっと厚めのネル地で、シーズン的にギリギリかしらと思ったり。
でもその優しい風合い、問答無用でハートがほっこりする感じ。

こういうときは、きっとサイズもピッタリ。
ほら、ね。
何回か来ても、そういう服に出会えないときもあるけど、今回は即決。
一目惚れのあげく、サイズもピッタリだと運命の出会いを感じます。
この服、どのへんからやってきたんでしょうね。

「これは、たぶんドイツあたりかな〜。柄の雰囲気とか、あの辺の感じがしますね。この生地、しっかりしてるでしょう。かなり昔のいい生地なんですよ。そうですね、50年代とか。60年代より前のですね。もうこんなのは、なかなか見つからないんですよ〜。店としては、こういう服をもっと出したいんですけどね」
などと、スタッフの方がお話してくださいました。

こういった、ちょっとした物語が聞けると、さらに愛着がわいてきます。
私がこの服に感じていたのは、かなり上手な仕立てだけど、プロじゃなく家庭で愛情たっぷりに作られた気配。タグもついてないしね。
お母さんが、娘のために作ったような。
50年代のもの(らしい)と聞いて、何となく納得です。
きっとその時代は、家で作るのもわりと一般的だったと思うので。
娘の喜ぶ顔を楽しみに、貫禄のあるお母さんが思いをこめて丁寧に作ってるイメージ。
それが合ってるかどうかというより、そういう物語を感じながら着れるのが楽しいのです。私にとっての古着の魅力のひとつです。

というわけで、古着屋さんが好き。なのでした。

ああ、また長くなってしまった。
前編後編にわけちゃおうかとも思ったけど、そんな大げさな話でもないので、そのままアップします。
ここまで読んでくださった方、おつかれさまでした〜。
私の心の整理につきあってくださって、ありがとうございました。

まど・みちお が好き。
2月の終わり、28日、詩人のまど・みちお さんが肉体を離れました。104歳。

ああ、ついにこの日がきたか、という思いと、もっともっと美しい言葉を生み出してもらいたかったな〜という気持ちと。

でもさすがにそれは欲張りですね。
まずは104歳まで生きてくださっただけでもありがたいでしょう。
それに今までに創られた、たくさんの宝石のような詩を、まだまだ私は味わいつくしてない。ほんのちょっとしか触れてない。

まどさんの詩は読むたびに、いのちの不思議さと驚きに気づかせてもらえます。
新しい発見があったり、世界がひろがっていくのを感じます。
この美しく優しい詩の数々を、原文で読める日本人でよかった〜と心から思います。

「ぞうさん」とか「やぎさんゆうびん」などの代表作でもわかるように、読むだけで勝手にハートがあったかくなります。
他にもいっぱい素敵な詩を生み出している方なのです。

あの、ひとつひとつの詩を読むときのワクワク感、魂が歓ぶ感じは何なのでしょう。魔法がかかってます。

いのちそのものを、ひょこっと何気なくダイレクトに、でも、そっと包み込むようにやさしく触らせてくれるからかなあ。
いつのまにかエネルギーチャージをしてもらってるような。

まどさんの詩と出会えたのは、私の人生の歓びのひとつ。もう感謝しかありません。
これからも宝物として大切に味わっていこうと思います。

本当に本当に美しい言葉たちを届けてくれて、ありがとうございました。

大好きです。
駅弁が好き
本日、臨時休業して福岡に移動中。

最近の新幹線は早い!
広島から福岡まで1時間位で到着するみたい。

あっという間だし、どうしよう…?
と、一応悩んでみましたが、結局やっぱり買っちゃいました。駅弁。

駅弁を車内で食べるのが大好きです。

座席に座って、いそいそと包みを開けて。

そこには、まさにアートといってもおかしくない、お弁当宇宙が展開されており。
その世界をまずはひとしきり鑑賞し、堪能し、その後ゆっくりいただく喜び。
(たしか最近「和食」がナンとか遺産か文化財になったらしいですが、私だったら「お弁当」を登録推薦します)

このひとときに、何ともいえない充実感を感じるのですが、あれは一体どうしてなんでしょう。

まずはお弁当選びから気合いが入ります。
気にいったら、値段は問いません。
でも逆に、ピンとくるお弁当がない場合は悩みます。

今回、久しぶりに広島で駅弁を購入しましたが、しばらく買わないうちに広島駅弁が進化してました。

お客さんのニーズに合ったお弁当がズラリ。けっこうマーケティングしてるみたいです。

今回は全て広島県産の食材を使ったお弁当にしました。

量も少なめで、朝食べるのにちょうどいい。

ちなみに中身はこんな感じ。

あなご寿司・小鰯の押寿司・たこ飯・かきフライ・穴子竹輪・たこの揚げ物・サメの竜田揚げ・県産野菜の煮物・県産の卵焼き&ご飯…
などなど。

それがちょこっとづつ、可愛くレイアウトされて、お弁当曼荼羅が展開されていて。ん〜ウットリ♪

と、つい嬉しくて日記をチマチマと携帯で書いてしまいました。

そして、そろそろ福岡に到着しそう。

あっという間の移動でした。

それでもまた帰りには福岡のお弁当を買っちゃうんだろうな〜。


野外で踊るのが好き。〜夏休みキャンプの記憶に寄せて〜
昔は、学生時代とか、別に踊るのなんて好きじゃなかった気がする。
運動会などで踊らされるのは「めんどくさい」と心から思ってたし。
一日中、本ばかり読んでいた私にとって、なんでみんな揃って体を動かす必要があるのかさっぱり理解できなかったのだ。

でも20代に入って、海外を旅するようになって一気に180度転換。

その当時、タイとかインドとか旅してると、海辺や森の中でDJが大音量で音を出して、そのへんにいる人たち〜旅人も地元の人も〜が、朝まで踊りまくってるようなパーティーがそこかしこで開催されていた。

最初、タイの島で出会ったときはビックリした。
世界にこんなことやって毎日遊びまくってる人たちがいるなんて、と。

旅人の中には、そういうパーティーに合わせてアジアやヨーロッパを移動している人々もいた。
たとえば、各国で仕入れたアクセサリーなどを別の国で売ったりして生計の足しにしてるらしい。まるでジプシーのよう。日々お祭りで日々祝祭。
そっか、そんな生き方もアリなんだ。とカルチャーショックでした。

最初はビックリして、その光景をただア然と眺めてたと思うけど、
これが毎日のように島のあちこちで行われる。
満月だからだの、新月だの半月だの、いろんな理由をつけて(もちろん理由のないパーティーもいっぱいあります)。
とにかくみんな、踊る、踊る、踊る。

あまりに楽しそうなので、いつのまにか気づいたらその中に入ってたみたい。

そう、楽しそうだった。
みんな誰に合わせる必要もなく、ただ自分のあるがままのエネルギーを、それぞれ勝手に発散してる。
そこにあるのは生きる歓びだけ、という感じ。

それを見て、私が日本において縛られていた「踊り」の枠から解放されたのだと思う。
みんなで揃って踊ったり、人の目を意識して上手に踊ったりしなくていいのだと。

自分の中にあるエネルギーを、あるがまま、エネルギー自体が動きたいままに動かしていく。身体はそれについていくだけ。
瞬間瞬間にいることしかできない。過去も未来も考えられない。
ただただ「今」しかない。ただただ「在る」しかない。

瞬間に存在することはとても気持ちよく、夜中から踊り続け、いつのまにか空が白み、夜が明け、美しい朝日を拝み…。
そして音楽が鳴り止むころには疲れ果て、でも踊って汗をかいたことで、あらゆる不要物をデトックスして(実際、私の場合、半日踊ると風邪など治ります)。
その後の暑いタイの日中は、コテージのハンモックで深く深く眠りこける…。

そんな日々を何ヶ月も過ごしていた時期がありました。
そして、あのころだと思う。
自分の内面に対して、いろんな気づきがもたらされたのは。

今考えると(あの頃はスピリチュアルなこととか全然知らなかったからね)、あれは瞑想してたのだと思う。

だってマインドが動かないんだもん。今にしかいられない。
頭に支配されることなく、身体が勝手に動き、生命エネルギーが駆け巡り、叫びたいほどの歓びが湧き上がってくる。

そこにある一瞬一瞬の音(こうなると音楽としては聴いてない。一瞬の「音」を追ってる感じ)や野外の気配、風、空気などと同調し、それらへ溶け込むように自然に体が動く。

そしてついには自分がいなくなる。
私、がいなくて、存在だけしてる。
それは宇宙の流れと同化しているような感じ。
宇宙と一つに溶け合っていくような。

なので、私は瞑想というと、家で静かに座ってるよりも野外で体を動かしてるほうがシックリするみたいです。

と。
そんなわけで、海外で野外での踊りに味をしめた私は、日本に戻ってもあちこちのレイヴに出かけてました(帰国してみたらレイヴという名称で大掛かりなパーティーをやってました。海外で出会ったのはもっとこじんまりしてます)。
仕事のストレスも1日踊れば解消されるんだもん。

でも、いつのまにか世間では、夜どおし野外で大音量で踊るというのがいろいろ問題化されてきたらしく。
気がついたら、多くの(私が参加したいような)野外イベントで、真夜中に音を出さなくなってしまったのです。
なので、しばらく踊る機会がありませんでした。

それが今夏、野外で夜に踊れるキャンプイベントを岐阜でやるよ。という話をきき。
しかも3泊4日。
これまでも東京近郊などで、1泊2日のイベントはちょくちょく開催されてるのを知ってたけど、そのくらいだと広島からはなかなか行けません。

が、3泊4日となれば行く価値あり!と、ちょうどお盆時期だったのもあり、広島にきて初めて夏休みをとってお出かけしてきたのでした。

うーん、これ、本当はキャンプの日記のはずだったんですが。
実際のキャンプ日記は次の文章にて、ということで。


おろしたての石けんが好き。
新月で、梅雨明けもして。
いろんな意味で、また”新たに始まった感”を感じた昨日。
我が家では、石けんもちょうどおろしたてを使うタイミングとなりました。

私はおろしたての石けんを使うときの、ワクワクする瞬間が好き。
(なのでボディソープは普段使わないのです)
真新しいものを使うって、「新しい」というエネルギーに触れるのが気持ちいいのかな。
あのワクワク感が自然に起き上がってくる。
つまり、おろしたての布巾とか使うときも結構ワクワクなのだけど、
特に最近は、手作り石けんにハマっているものだから。

いろんなハーブなど入った手作り石けんを、いくつか常時ストックしてあって、
前の石けんが終わったとき「次はどれにしよう☆」と気分で選ぶのも楽しみのひとつ。

この前はタンポポの根入り石けんで、その前はヨモギ石けんだった。
それぞれやっぱり、何となく使い心地が違う。

身体の微妙なフィーリングに耳をすませながら、
「この石けんはどんな子なんだろう」と知り合っていくのが面白い。

ヨモギは洗ってる時はさっぱりした感じなのに、洗い終わったら身体にシールドがかかって肌を守るような使い心地。
タンポポは、その力強さがググっと入りこんでくるような感じで、お肌しっとり。特に洗顔のときには感じやすかったな〜、などなど。

さて、今回ストックしてあったのが、麻炭入り、合鴨農法の米ぬか入り、ローズマリーにラベンダー。
梅雨明けもしたことだし、さっぱりするイメージで、初体験の麻炭石けん(EM菌入り)をチョイス。

ワクワクと石けんの包みをひらく。
はじめまして〜、とご挨拶。
おろしたて石けんの清潔感ある佇まいをしばし味わう。

そして使いはじめるときは「どれどれ、どんな感じかな」と、身体の声に静かに耳をすませてみる。

きめ細かくて、思った以上に泡立ちがよく、身体のすみずみまで炭がいきわたって洗ってくれる感じ。
さすが炭。洗ってる間も洗い上がりもスッキリサッパリ。
肌がキュキュッと鳴りそうな。

うん、夏のチョイスにはベストだったな、と大満足。

今年の夏の本格的なスタートの日、私にとってはそんな風に始まりました。
山菜の天ぷらが好き。
この時期、食べる愉しみのひとつが、山菜の天ぷら。

うちの家の近くに「乙斗精(おっとせい)」という季節一品料理の店がある。
見た目、いかにも普通の小料理屋さんなのだけど、出す料理は尋常ではない。

大将の料理の腕はもちろんのこと、本物の旬が味わえるのがすごい。
野菜も米も、大将の実家の田舎で採れた新鮮な素材を使い、
特に春秋は天然の山菜を、大将自らが山に入って採ってきて、それを魔法の味付けで出してくれるのだ。

しかも値段も良心的。
たとえばランチタイムに「おまかせ定食」をいただくと、破格の730円。
お魚(肉はまず出てきません)と旬の野菜を使った惣菜が7〜8品ズラリと出てきて、どれも美味!
素材を活かした味わいだったり、新しい味覚に挑戦してみたりと、素材ひとつひとつと向き合って、大将が料理を楽しんでいるのがすっごくよくわかる。

そもそも山に生えてる野草とかって、何時間も山を歩き回って採るのも大変だけど、そのあとの下ごしらえとか掃除とか、手間と時間がかかるものなのに。
よほど好きじゃないとやってられないと思う。

やっぱり喜びにあふれてクリエイトしてる人の仕事は素晴らしい。
まさにクリエイターであり、その料理は芸術品であり。

と。ついつい、またヒートアップしてしまいました。だって美味しいんだもん。

で、山菜の天ぷらだった。
そうなんです。春のこの時期、この店でいただく「山菜天ぷら盛り合わせ」が、私に至福を与えてくれます。

大将が店休日に採ってきた野生の山菜なので、何が出てくるかはその時次第。
ときにはスギナとかホトケノザみたいな、道端にも生えてるような、いわゆる雑草たちまで登場します(美味しいよ)。

今はスーパーでも養殖の山菜は売ってるけれど、野生の植物とは大きさから勢いから、もう全然違います。
野生のフキノトウやコゴミ、タラノメ、谷ウド、バカノメ…などなど。
そこに今ならそろそろ、薫りが華やかな藤の花の天ぷらが添えられてみたり。
どれも春の萌えたつようなエネルギーにはちきれんばかり。

大将曰く、今年は一気にいろんな山菜がまとめて出揃ったので、この付近の天然ものの殆どはGW前に終わりそうな感じがする、とのこと。
そろそろ今度はタケノコかな〜と。

こういった採集のタイミングは、その年の気候などによって変わるし、それにあわせて、いつならどこで採れるか…といった読みも大事になってくるみたい。
山菜採りのプロのお話を聞けるのも、愉しみのひとつ。

この時期は行けるかぎり、乙斗精にかよって(といっても仕事との兼ね合いで、がんばっても週2回が限度ですが)その日の山菜を頂いてます。

昨日も行ってきました。だってこの時期しか味わえないんだもん。
おまかせ定食と山菜天ぷら盛り合わせを注文(そして昼からビール☆)。
定食のお惣菜にも、旬の野草がふんだんに使われていて。しあわせ〜。


この店で山菜を頂いていると、食べるという行為は、まさにその食物の生命をそのまま頂いてるんだなあって、リアルに実感できます。

身体に取り込んだら即、エネルギーに充ちる感じがするのです。

春の喜びにはちきれんばかりの野草たちの生命力が、そのままダイレクトに細胞へと染み渡っていくような。
こんなキラキラした命を、野草たちが私に贈ってくれたのだ、と、しみじみありがたく。

そう思うと、こうやって毎日、地球上のたくさんの命をもらっておきながら、無駄に生きるわけにはいかないな〜とか、真面目なことをフト感じてみたり。
山菜たちと同じように、喜びといきおいのある、ワクワクする時間を送りたいなあと。

普段は”食事”という行為を、当然のようについつい何気なく過ごして、
「ただ食べて味わう」という動作になりがちなのですが、
こうして野生の山菜たちの命と出会い、そのハッとするような質を体験することで気持ちがリセットされ、食べることの喜びと感謝をあらためて感じています。

そんな、いろんな意味で深く味わえる「山菜天ぷら盛り合わせ」と出会えてよかった。大将、どうもありがとう。
どうぞ、もうしばらくのあいだ味わえますよう(笑)。
真夏の手洗い洗濯が好き。
蝉しぐれが降りしきり、しっとり汗ばんだ肌を感じて目覚めるような、
ちょっと遅めの真夏の朝は、起き抜けからパッと気合いが入る。
「よおし、手洗いするぞ〜!」って。

カッ!と日射しが照りつけるような暑い日に、手洗いの洗濯をするのが好きだ。

私の持ってる服は、エスニック(徹底的に色落ちします)とか刺繍やビーズの入った古着とかが多いので、夏は特に一枚ずつ分けて手洗いするしかない服がほとんど。

自宅の二階の出窓にお気に入りの「天空の水場」があって、
そこから周囲の景色を眺めながら、ときおり通り抜ける生ぬるい風も味わいつつ、じゃぶじゃぶとたっぷりの水を使って洗う。

服を洗うのと同時に、朝起きたばかりのぼんやりした身体と心もきれいに洗い流され、すすがれていくような気分になる。

洗ってる水の感触、布の感触も心地いい。
だいたい汗を落とすだけなので、やっきになって洗うというよりは、
子供の水遊びに近い感じかも。
遊びだからか、だいたい3〜4枚も洗濯すると飽きてくるので、まめに少しずつ、が楽しむコツでもある。

洗い終えた服は「おつかれさまでした〜」と、一枚一枚、丁寧に形をととのえて干す。
そして冷たいものでも飲みながら、空にはためく洗濯物を眺めて、満足。
服はもちろん、心も身体も洗い清めた気分になって、洗濯完了!

…と、こうして文章にしてみると、
何ということはない「ただの洗濯」なのだけど。
私にとっては、この文章の上にキラキラした喜びがまぶしてある感じ。
いったい、夏の手洗いの何が私をこんなにも魅了するのか。

とか書いてみて、ふと出てきたのが、
インドとかタイとか、暑い国をぶらぶら旅していた頃の記憶。

当時、特に目的も用もなく、何ヶ月も旅をしていると、
洗濯だけが「今日のやること」という日がある。ひんぱんにある。

今と同じように、しっとり汗ばみながら朝起きて。
まったりと近くのカフェや屋台にごはんを食べにいって。
「今日は洗濯でもするかな〜」と思いつつ宿に戻る。

暑い中、宿の共有の水場で身体も濡らしながら、
一緒に旅してきた、ヨレヨレで日焼けした服や布をじゃぶじゃぶ洗う。

そしてそれを、宿の屋上とか、青空の下に干してはためくのを、
「いや〜今日もいい仕事したな〜」と充実感をもってほれぼれ眺める…という。

しかも、この洗濯という行為、インドに行こうが、カンボジアだろうがタイだろうが、共通の必須作業(まあランドリーに頼むという手もありますが)。

暑い時期の、日々の洗濯の記憶がそのまま重なって、
さらには旅の一連の、心地よい空気みたいなものを、
手洗い洗濯が総合的に感じさせてくれるのかもしれないなあ、と。

そんな風に思った次第です。書くと新しい発見があるな。
洗濯の話を軽くサラリと書くだけのつもりだったのに。

ふーむ。また久しぶりにインドとかの安宿で、
何の用事もない時間を過ごしながら、
じゃぶじゃぶ洗濯して青空に干してみたくなりました。うずうず。
職人さんに話をきくのが好き。
(これは2007年4月のmixi日記の再掲載です)

うちの店(註:当時の店。東京・下北沢のカレータロットカフェのことです)のすぐ近くに、クラフト寄りのギャラリーがあって、気になる展示があると、たまに覗きにいったりします。
最近入ったのは「職人展」というイベント。
どうやらいろんな職人さんの仕事を集めた展示会みたい。

私は職人さんの仕事が好き。
その人の技術とセンス、想いによって、つまり「心のこもった技術の結果」が現実にあらわれる。
その表れたものに宿る、ミの入れ具合を楽しむのが好きなのです。
雑誌の仕事でも、料理人から工芸関係まで、職人さんの愛情やこだわりをインタビューするのはすごく楽しい。

そんなわけで覗きに行って、主催の方とそういうお話をしたら、すっかり盛り上がって、いろんな想いを伺うことができました。

その方は木工職人さんで、テーブルなどを展示されてましたが、
たとえばもっと小さな、さりげない白木のなべしきについて。
きっと見た目は同じようなものは100円ショップにも売ってます。
でも触った時の触感が全然違う!
雑貨屋さんや100円ショップにある白木製品と全く違うのです。
ほんと、肌に吸い付くような感じ。

びっくりして聞いてみると、カンナのかけかたの違いだそうで、
どれだけ丁寧にきめ細かく手を入れてるかの差なのだとか。
細かいことを云うと角の面取りでヤスリをかけるのも、8段階くらいに分けて丁寧に仕上げるらしい。
それでお値段は2000円。
「そんなの時給にしたらやってられないですね」
「そうですよ。でも自分の気持ちがいい加減なものを作るのを許さないんですよねー」

直接、作品を作った職人さんと話して、さりげないこだわりや気持ちを聞けると、そのモノに対して、少し向き合い方がかわってくる。
単に触感のいい作品、からもう一つ深みのある部分で接することができるようになる感じがする。

結局、曲線のやわらかさが可愛い、触感抜群のミニまな板を購入させていただいた。
そして近くで店をやってると伝えたら、さっそく遊びにきて下さった。
エネルギーの循環。

「職人展」の意図としては、やっぱり、モノは気持ちを込めて丁寧に作ったものを大切に使ってもらいたい、そういう風習を取り戻したいという事なんだって。
日本の真面目な職人さん達は、現在はそれだけでは食べて行けないので、
ほとんどの場合、アルバイトしながらモノ作りをしているのが現実なのだそう。

そろそろ消費者は、それでも作りたい!という気持ちのある人が作ったものに対して、意識的になったほうがいいような気がする。
そのモノがなぜそこに表れたのか。
その、神秘に近いところを感受していきたいなあと。

「そのモノの良さ」を知る人が作ったものを、自分の感性なりに評価して、
丁寧に愛情持って使う生活を送っていきたいな、と思いました。

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