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第一劇場、あと10日。
いったい何度書いてるのか、第一劇場のこと。
去年の夏に初めて行って以来、すっかりストリップの素晴らしさに魅了され。
そこから何度も足を運んで、すっかりなじんできましたが、
残念なことに、惜しまれながらもこの1月末で閉館してしまうのです。

なので12月末からは、さらに足繁く通ってます。
もう2月には無くなっちゃうなんて。未だにピンとこないけど。
あと10日で、中国地方からストリップ劇場はなくなるんだね。

ストリップの魅力については、これまでのブログで何度か延々と書いてるので、今日はあまり語る予定ではありません(笑)。
まあでも、ついつい書くとしたら(書くんじゃん!)、ストリップという世界を知ってよかったなあと。
ストリップを楽しむことを選択肢の一つとして選べる人生になってよかった。
私の世界が拡がった感じがすごくする。

30歳を過ぎた頃、ふとしたきっかけでようやく落語の魅力を知り、寄席に行くようになったけど、その時の喜びと似てる。
人生の中で、寄席に行くという行為が選べる自分になってよかったなあ、と思ったの。

今後、広島からストリップ劇場が消えても、私は旅先などで「ストリップを観にいく」という愉しみを選ぶことができる。
京都とかお墓まいりで結構行くから、観劇をスケジュールに入れてみたりね。
よかった。世界を愛でる方法がまた一つ増えて。
そのきっかけをくれた第一劇場に感謝します。

そして感謝の気持ちをこめて最後を見届けたいので、最終日は第一劇場に出かけようと思います。
実は、本来その日は占猫の営業日なのですが。
でも不思議なことに、現時点でその日はまだ1件も予約が入ってないのです!

今日スケジュール帳を見ながら、そのことに気づき。
「これはつまり、行けってことですね!」とピピッと直観したのでした(笑)。
そんなわけで、1月31日は「都合により」臨時休業させていただきます。
皆様にはご迷惑おかけしますが、宜しくお願いいたします。
最後を見届けてくるね!

ちなみに最後の日は初めての観劇にはオススメしませんが(多分お客さんの人数がすごいことになるので)、残りの10日のうち、早めの平日などに行ける人がいらしたら、ぜひ行ってみてね。特に女性にオススメですよ。

もちろんストリップを観て思うところは人それぞれですが、私の個人的な体験でいうと、人生を制限している何らかの見えない「枠」が壊れる気がします。
その枠が何か、は説明が難しい。
それは広範囲にわたって、薄く無意識的に人生を縛っているもので、言葉で端的には捉えきれないもので。

私の場合、ざっくり言うと「女性」というものについての制限された考え方、だったような気がする。

多くの女性は(男性もきっと同様なんだけど)、社会とか世間とか家庭とかから「女性とはこういうもの」と定義づけられた(おそらくその「定義」でさえ、家や文化背景によって様々で)、見えない制限というか縛りがあって、生まれた時からその世界にどっぷり浸っているが故に、大なり小なり無意識にその見えない枠の影響を受けている。

例えば「ストリップ劇場に行く」という行為は、私と同じく、最初はなんとなく敷居が高く感じる人が多いと思う。女性が行きにくい感じのイメージ。

でも、そもそも一度も体験したことがないのに、なんで最初から勝手に敷居が高いイメージを持ってるんだろう。

それは生まれた時からの私個人の嗜好ではなく、社会や文化によって後づけされた印象に影響されているわけで。
外界から教え込まれた印象がなければ、普通の劇場や映画館に行くのと同じ扱いでいいはず。
もちろん、一度体験した後の好き嫌いは人それぞれの嗜好があると思うけど、事前の印象が軒並み一律同じっていうのは、よく考えたらヘンだなあと。
それに気づかないくらい、私たちは外界からの影響に無意識だ。

たまたまストリップを例にしたけど、実際はいろんな場面で、同じように自分の体験に無意識に制限を設けてしまうのです。
それにリアルに「ああ!」と気がついて。

初めてストリップを観たとき、その時には衝撃で言葉にならなかったけど。
これまであまりにも当然すぎて、意識化もできなかったそれらの制限をぶち壊されたような気がします。
今もまだ、明確には説明不可ですが。現時点で言葉にするとこんな感じかなあ。
うーん、読み返すと、私が感じてる奥深さが全然表現できなくて、めちゃくちゃ薄っぺらい言葉になってるような。

まあでもきっと、縁がある人は自然に行くようになってると思うので、タイミングが来たな〜と思ったら、行ってみてね。
私も最終日以外にも、もし時間があればもう一回くらい行けないかなあ、と画策中です(笑)。
矢野顕子ソロデビュー40周年
…だそうです。
じゃあ、私のファン歴も30年を超えるってことか。
うーん、すごい年月、ずっと矢野顕子が好きなんだな〜。

この前、矢野顕子の「デビュー40周年記念さとがえるコンサート」に行ってきました〜!
クアトロだったので、立ち見席です。
大きなホールで遠くから観るよりも、近くで音を浴びたかったのでちょうどいいサイズのハコです。

しかも、前から3番目くらいの、アッコちゃんのピアノ前の位置で観ることができて、超ラッキー!
今回はソロではなく、TIN PANとの競演だったので、細野晴臣や鈴木茂、林立夫の演奏も堪能できてゴージャスな時間でした。

私は、矢野顕子は「天才」だと思う。
天才の演奏を、ナマで聴ける機会はあんまりない。
私はモーツァルトやホロビッツといった天才の演奏を、直接に聴く機会には恵まれなかったけど、矢野顕子とは同じ時代を生きて、その音楽を聴くことができる。
それがどれだけ幸せなことか。

天才って、いったいどういう人を天才というのか、いろいろ見方はあるかもだけど。
私が音楽で天才を感じるのは、軽み、かなあ。
いとも軽々と、まるで遊ぶように才能を溢れ出させている人に天才を感じてる気がする。

アッコちゃんがピアノと戯れ、遊び心のなかで喜びや愛を、天空をスキップするように軽々と表現していく、その姿と声とピアノと一緒に合わせて一つの楽器のよう。

世界には、有能な素晴らしいアーティストがたくさん存在する。
センスが良くて、才能があって、大好きな音楽家はいっぱいいる。
ただ「この人は天才だ」と、聴いているだけで、なんの理由もなく、そう感じてしまう人は滅多にいない。

もちろん私が知らないだけで他にも天才はいると思うし、また、天才だから良いとか悪いとかという評価の話でもない。

滅多に出会えないはずの、天才と思える人と出会うことができて、その天賦の才能がどんな風にこの世界を魅せてくれるのか、を目の当たりにできる。
ライヴに行くだけで、その純粋な喜びを分かち合える。
なんて凄い時間を共有してるんだろう。

と、私にとって矢野顕子のライヴに行くというのは、そんな感じの歓びなのです。

しかも今回なんて、前から3番目、目の前がアッコちゃん。
たっぷりと矢野顕子そのものを浴びまくったような素敵な時間でした。
いつもより近くだったのが嬉しくて。ちょっと日記にしてみました。
タテタカコが好き。
先日、タテタカコのライブがヲルガン座で開催されました。
広島では約10ヶ月ぶりかな。
あ〜、そろそろタテさんの声を浴びたいな〜、広島に来ないかな〜、と思ってた矢先。
タテさんのライブは、ここ数年よほどの用事がないかぎり、かかさず通ってます。

タテタカコは、ピアノ弾き語る人です。もう、大大大好きです。
ピアノへの想いや、タッチのアートが素晴らしく、自由闊達で大好きです。
そして、それ以上に私を魅了してやまないのが、美しい声。
私たち夫婦の中では、その声がゆえ、人間国宝に指定されています(本気)。

声のことを文章にするなんて、野暮の極みではありますが、あえて書くと、
透明感があって、しかもパワフルで、天空と大地とを自由に駆けめぐる美しい声。
あの声を浴びていると、こちらまで透明になるような。

清らかな泉に浄められるような感覚があって、
そしてパワフルな生命力に、心の奥底までひっかきまわされる感覚もあって。

いつもライブでは、タテさんの声に浄化してもらうのと同時に、
気付いてなかった奥底の自分を発見することもしばしば。
私にとっては、かなりのトランスミュージックなのです。
どこか違う世界に飛ばされるような。

今回も、期待にたがわず充実のライブでした。
ラッキーなことに一番前の席に座れて、声を浴びるには最高のシチュエーション。

一曲一曲ごとに、繊細に、全身全霊で、音を降ろしてくる。
彼女が繊細に繊細に、そうっと運んでくる、最初の一音をピアノが発する、その瞬間。
潜象から現象へと音が届く瞬間がたまらなく美しく、息をつめて見届ける。

その一音からあとは、溢れるようにこの世に流れこんでくる音の群れ。
唯一無二の楽器である、彼女の声が空間に響き渡る。
その音の振動に身をゆだねると、ハートが響きとともに天地を駆けめぐる。

タテタカコが感じている、音楽でしか表現できない、命のダイナミズムのようなもの。
その世界は、とってもピュアで透明で。
といっても、キラキラした光の世界ばかりを切り取ってるわけじゃない。
悲しみもトゲもあって、でもそれらが全てピュアなのです。混じり気なし。

人間国宝の声を浴び、
クリアなエネルギーが、パワフルに心の奥を揺さぶって。
私の心もシンクロしてか、ピュアになる。

そして突如、音楽とはなんの脈絡もなく、
「ああ、私はもっと私でいいんだ。もっと自分のために時間もエネルギーも愛も、いっぱい注いであげていいんだ!」
と、心が叫んでました。

ピュアになると、どこかで心の奥に布一枚かけて隠していた思いが、さらけ出されるのかもね。

終了後すぐは、トランス状態でポーッとしてましたが、
この世に降りてきてみたら、またもや今回のライブでも、おかげさまでハートがつるんとクリアにお掃除されてました。

そしてヲルガン座のようなアットホームなハコのいいとこは、アーティストさんと身近に接することができること。
終演後、そのまま食事とかゆっくりしながら、ゆるゆると身体に魂が戻ってくるのを待ってるうちに、タテさんも店内にあらわれ。
ずうずうしく一緒に写真撮影をお願いしたところ、気さくに応じていただいて。
もちろん新作アルバムにはちゃっかりサインもいただいて。
ファンとしては、とっても嬉しいライブ後のひとときでした。

いつもありがとうございます!
タテタカコの声中毒ですので、禁断症状が出てくる前に、また広島にいらしてくださいね〜!
若冲に初対面!
先日、研修とお墓まいりを兼ねて京都に行ってきました。
1泊2日のプチトリップ。

短期間ながら予定が色々入っていて、せっかくだけど観光できる時間はないな〜と思ってました。
少しのゆとりなら、焦って観光スポット巡るよりもカフェとか行きたいしね。
が。最初に地下鉄に乗ったとたん、そこにあった吊り広告に目を剥きました。

「若冲の京都 KYOTOの若冲」展。

えっ、このタイミングで若冲やってるの?と。

どうやら伊藤若冲の生誕300年だそうで、しかも彼は京都生まれ。
ここしばらく京都のあちこちで、若冲関連の様々なイベントが開催されるみたい。

で。ご多分にもれず、私も若冲大好き〜!
でも今まで実物の作品は見たことがなかったの。
展覧会とか行きたいと思いつつ、なかなか機会がなくて。

それが偶然、展覧会の期間に京都に来てる私。
これは…行けってことですよね。

いろいろスケジュールをやりくりしてみて、結果、朝早く起きてタクシーをフル活用すれば90分くらいとれる!と、2日目の朝、はりきって京都市美術館へとお出かけしたのでした。

若冲、やっぱりすごい!
近くで実物をみると、筆がいったいどんだけ自由闊達なのか、よくわかる。
筆の動きとともに、若冲のエネルギーが心地よくなめらかに動いてるのが感じられる。

鶏の尾羽にあふれる跳躍感。
その動きを尾の先まで追っていくと、天にとけていく。
こういうエネルギーを目の当たりに感じていると、こちらの体も自然にうずいてくる。
私も何か描いてみたい!なんでもいい!楽しいことをしたい!と。
ほんと、描く、という行為自体が楽しそうなのです。

どの作品も素晴らしいけれど、私好みなのは、今回観た中では鳥類と植物かな〜。
特に鶏ちゃんは、さすがに凄かった。

もー、
好きで好きで好きで好きで好きで好きで好きで好きで、たまらないんだーーーーーーーーーーーーーーっっ!

っていう感じが伝わってくる。よーく、伝わってくる。
鶏を観るときの、彼の視点、彼の感受したものがそのままそこにある。

脚、とさか、尾羽の付け根、眼力、羽の動き…などなど、あちこちから沸き立ってくる生命の躍動にハートが熱くなってくる。
この情熱に私まであてられて、鶏に恋しそう(笑)。

他の鳥も素敵。どの種類の鳥も、それぞれの個性を若冲らしく捉えていて。
若冲の感受している「命の在り方」に触れることができた感じ。
それは本当に美しく、さらに、その感じているものを忠実に表現できる技術ももちろん素晴らしい。

高い技術を持つ彼が、心からただ楽しんでいることで、体が自然に動いて、情熱のままに、いつのまにか絵が現れている…みたいな感じだったんじゃないのかなあ。

また、興味深かったのは人物像。
いくつか展示されてたんだけど、動植物を見る目と、人物を見る目が全然違う感じが。
へ〜、若冲って人間をこんな風に見てたんだ〜と。

若冲は人間嫌いと言われてたらしいけど、なんとなくわかるような(笑)。
おそらく鶏のほうが好きでしょう。
…と、私には感じられ。

若冲の見方が、画面にピュアに誠実にあらわれているようで面白い。
隠すでも飾るでもなく、何もかも、自分の見たありのままを表現したんだろうなあ。

短い時間でしたが、おかげさまで若冲の描く歓びの力に充たされて、朝からバッチリ充電完了!

いや〜、はからずも「若冲作品を観たい」という前からの願いを叶えてもらって、神様ありがとう。天の采配に感謝します!
祝・第一劇場の閉館延期!
ストリップ話は、2回書けばもう充分だな。
と、思ってたのですが。
8月末で閉館予定だった広島の「第一劇場」が、多くの人の惜しむ声を受けて、
なんと1月まで延長が決まったのだそうです!拍手〜!

期間が決まっているとはいえ、まずは良かった!
初めて7月にストリップ劇場体験をして以来、すっかり魅了されてるので。

ほんと、一度行ったら驚愕しますよ。
私としては、あれは女性こそ観たほうがいいと思う。
今まで持ってた女性観が変わるかもしれません(笑)。

何人かのお友達やお客さんから、私のブログ見て「行ってきた!」というご報告をいただいてます(みなさん女性です)。
みんなビックリ&大コーフン。
その報告を伺っては「でしょ〜!(ふふ、同志が増えた。ニヤリ)」みたいな(笑)。

私もこの前また行ってきたのですが(笑)、その時合流した初体験の友人も驚愕しながら「言葉にならない〜」と言いつつも、
「今まで自分が思っていた『女性』というものが、どれだけマインドに条件づけられた、ただのイメージに過ぎなかったのか」みたいなことを言ってました。
(違ってるかもしれないけど、ショーの夢心地の中でそう聞こえました〜)

うん、特に女性は女性であるがゆえに、たいがいは何らかの、実際ではないイメージで女性を捉えてると思う。
そこを軽くぶち壊してくれる気はします。
「はい、これ実物です」って。何も誤魔化さない、ありのままがそこにある。
そしてそれはもちろん、美しい。

まあいろいろ語ってますが、言葉にならない部分が凄いので、まずは行ってみるのが一番です。
8月で閉館だと、書いても仕方ないな〜と思ってたのですが、
あと5ヶ月あれば話は別。まだまだチャンスあります。
と思って、熱く語っている次第です。

私も3回目になると、少しは慣れて余裕が出てきました。
ショーはもちろんですが、この劇場自体の雰囲気も、時間を経てきた貴重な昭和の気配。
ここは中国地方唯一のストリップ劇場なのです。
この素晴らしい芸能を、広島の人は今ならこんなに気軽に見に行けますよ。
しかも女性なら3000円で。入れ替えもなし。うーん、すばらしい。

私も閉館までになるべくいっぱい行きたいと思います〜。
もし劇場で見かけたら、よろしくね。
踊り子さんとツーショットでポラロイド撮影とかしてるかもしれません(笑)。
ふたたび、ストリップ。
はい、またもや「第一劇場」に足を運んできました。
前回、初めてのストリップ劇場体験は、かなり刺激が強く。

微熱状態のような、ほよよんと、まるで夢の中だったので、
でもあれは夢じゃないよね?という確認もふくめ(笑)、
やっぱりもう一度観にいきたい!ということになったのでした。

今度はツアーではなく、ダンナと2人で個人的に。
ショーは4回ありますが、入れ替え制ではないので、寄席みたいに好きなときに入れます。
だいたい、10日おきに出演者が変わるとのこと、前回とは違うメンバーです。

どの踊り子さんも、趣向をこらした演目で楽しめましたが、
今回は、中でもトリの踊り子さんの全力っぷりに圧倒されました。

色気とかも素晴らしいのでしょうが、それよりも私は、圧倒されるような迫力に感銘を受けたのです。
鍛えぬかれ、磨きあげた肉体が、ほんの数分踊っただけで汗だくになり、
汗のしずくが、ライティングできらりと光りながら舞台に落ちゆくのを見ていました。
その人が、すっと腕を伸ばしただけで、なぜか私の涙腺がゆるむのです。
凄みさえ感じる、その踊りから目が離せません。

もちろん、ベリーダンスでも、フラメンコでも、フラでも、能楽でも、どのダンスも上手の踊り手が踊るさまは本当に美しい。
でも、その凄みというか、全力っぷりが、今の私にとっては他の踊りよりストリップがダイレクトに伝わりやすい感じがする。

それはおそらく裸だから。
何も隠してない。隠せない。全てをさらけだす。
守るものがないから、本当にあるがままだから。
その潔さが、深い切れ味の凄みになって、
人が人として、自分に対して誠実に生きていくことへの覚悟、みたいなものを感じたのだろう、と思った。

何も守らない、全てをさらけだすあるがままの強さ、懐の深さ、しなやかさ、潔さ。
そういうものを、今の私が大事だと感じているから、余計ストリップの踊りに魅かれているのかもしれない。

とか、前よりはちょっと余裕が出たのか、そんなことを感じている自分に気付いてみたり。
いやいや、ほんと、こんなすごい場所が8月末で閉館するなんて。名残惜しい。

で。実は、もう一度行きます。
最後の5日間に、私が数年前、初めてストリップを体験したときの素敵なダンサーさん、牧瀬茜さんが出演することが判明したので。
これはもう行くしかありません。
それに3度目の正直というように、3回行けば卒業する気分になれる気もします。

さてさて、最後の第一劇場を目撃しようと思います。
北斎の富士山いっぱい!
県立美術館で開催中の「北斎の富士」展を観てきた。
冨嶽三十六景と富嶽百景の全作品148点(プラスαで159点)を一挙公開するのが、今回のウリ。

これでもかっ!というほど、北斎富士を眺めてきました。148点。

あの有名な赤富士とか、大波のやつとか、実際の版画で観れてよかったです。
細かいところまで間近でじっくり眺められて。
江戸時代に実際に作られ人気を博していたその実物。

北斎のセンスや独創性など、彼が素晴らしいのは前々から存じ上げており、今更言うこともありません。
よりリアルにくっきりと、凄さとかっこよさを堪能させていただきました。

そして、今回新しくハマったのが、彫り師と刷り師の技。
北斎は木版画だから、もともとの絵は北斎が書くけど、あとは誰かが彫ったり刷ったりしないと庶民に届かない。
だから、あの素晴らしい作品は北斎だけでなく、彫り師や刷り師の力量も合わせての作品なんだ。というのを実感できた展示でした。

きめ細かく生き生きした線、色のぼかしかた…。匠の技に圧倒されます。

作品には富士山だけでなく、当時の庶民の生活の様子なども描かれてます。
(その1人1人の着物や風呂敷まで、細かく彫ってあるわけですよ)
そこから伝わる生き生きとしたエネルギーと、作品への技から感じられる彫り師や刷り師のエネルギーが重なって、その時代にタイムスリップしたような感覚でした。

量が多かったのもよかったかな。
たくさんあることで、その時代(あるいは北斎の)の価値観や心意気みたいなものを浴びるほど味わえた贅沢な時間。

この正月気分抜けきらない、おめでたい気分にもちょうどよい、今年初の美術館お出かけでした。
中秋の名月に楽市楽座
前から「面白いよ〜」ときいていた、野外劇団「楽市楽座」の舞台を観てきました。

親子3人だけで全国行脚。入場無料の投げ銭だけで興行してるらしく。
舞台も自分たちで作っちゃうとか。屋根も壁もない劇場。
なんだか、昔ながらの旅芸人の一座って感じがあって、その在り方だけでもワクワクします。

今回の会場は基町ショッピングセンター。
実は横川からこんなに近いのに今まで来たことがなく。
初めて訪れました。
なんだか不思議な空気感のある場所で、それも楽市楽座の会場にはピッタリな感じがしました。
昭和の時代に建てられた、林立する高層ビル群が、ずっと前に香港をそぞろ歩いたときの感覚とリンクしたような。
日本というより、漠然とアジアな空気。私の好きな不思議懐かしい気配。

そして手作りの舞台は、ショッピングセンター内の広場のような場所に作られてました。
その周りを小さな木のベンチが囲んでいて。開演直前だったので、すでに結構多くの観客が集まっています。
舞台の裾で座長らしき人が、生ギターでいい感じの静かなBGMを演奏しています。
もちろん受付もありません。
でも衣装を着た役者さんのお一人が目に留めてくれ、空いてる席に案内、アンケート用紙や色とりどりの折り紙が入ったファイルを手渡してくれます。

あとで解説があったけど、この折り紙に投げ銭を包んで、面白い場面や頑張ってると思った場面で舞台に投げると、芝居がますます盛り上がる仕掛けになってます。

これ、ほんとハマりました(笑)。
一回一回は50円100円という小銭ですが、いろんなシーンで投げたくなる。
結局1000円くらいはそれでまんまと使っちゃう(笑)。
投げるの自体が演出になっている感じ。ヤマ場で周り中から色とりどりのおひねりが宙を飛んでくる様が楽しい。
ファイルには結構たくさん折り紙入ってたけど(笑)、ほとんどなくなるくらい投げてました。
(あ、最後にはザルも回ってくるので、もちろん「投げ札」もしましたよ〜)

で、舞台の話でした。
面白かったですよー。
これでもか!と野外劇の醍醐味をたっぷり味わえました!
プリミティブ感炸裂!
音楽だって、全部3人のバイオリンやギターなどの生演奏。
マイクも使わず、生の音色、生の声の波動がそのまま届きます。
野外ですから、吹いてくるそよ風も高層ビルの生活の灯りも、ショッピングセンターの空気感や通行する人たちもが背景であり光景であり。

舞台自体もちょっと特殊で、水に浮かんだゆっくりクルクル回ってる舞台なのです。
その上で、踊ったり歌ったり。
周りにいる観客は、座った場所に関係なく自由自在な視点の変化を楽しめますが、浮いた舞台の上で演じるのはバランスとるのも大変じゃないかなあ。と、フト思うのですが、やってる最中はそれを感じさせないパワフルさ。
舞台の上も下も全部使って走りまわり。

飛び散る汗を感じつつ、衣装が翻るときの風圧を感じつつ、
目の前50僂曚匹里箸海蹐捻蕕犬討い訖佑燭舛痢△修僚峇屬吠たれるエネルギーたるや。

それを素直に受け取ると、自分の体の中が熱くなる。
エネルギーの循環がおきてくる。
そういうのが私にとっての演劇の魅力ですが、それが変に洗練されることなく、剥き出しの状態でさらけ出されている。
だからこそ、コクがあって、濃厚で、奥まで染みてくる。
演劇の原点、みたいなものを感じさせてくれる舞台でした。

終わった後は、センター内でまだオープンしていたラーメン屋さんでひと休憩。
お店の人やお客さんと、ひとしきり劇の話になる。
「あの舞台、来た時に座長さんが1人で作りよったよ〜」と、お店の人。
あれを1人で組み立てたり、撤収したりって大変なことだ。
それを全国行脚で、何日かおきに繰り返してるわけで。
本当に、演劇をする人たちの情熱は測りしれない。
公演は、その情熱をおすそ分けしていただける貴重な機会。
またこんな風に来れるときには、なるべく観にきたいな。

ラーメン屋さんを出てみたら、高層ビルの先には、美しい中秋の名月。
もっちりと瑞々しい、やさしい気配の月でした。
全てが素晴らしいシチュエーションで、素敵な演劇の時間でした。

と。実はこのブログをアップした9月28(月)が広島の千秋楽。
夜19時から、基町ショッピングセンターで開演します。
今日は折しも満月。
月のエネルギーを感じつつ野外劇を楽しんでみたい人、ぜひ行ってみてね〜。
フェルメールの「真珠の耳飾りの少女」
そうだ、フェルメールつながりで思い出したことを。

フェルメール好き人間としては、近年で一番気合い入れて出かけたのが、
2012年に来日した「真珠の耳飾りの少女」。
本来、門外不出だったのが、オランダの所蔵する美術館が改修するタイミングで奇跡的に来日したのだとか。
しかも東京だけでなく神戸まで来てくれて。

あの有名な絵といつかは逢いたい!と思ってました。
それがこんな近くまで来てくれたのだから、オランダ行くより近いぞ!
というわけで、スケジュールやりくりして神戸まで出かけたのを覚えてます。

当然、大混雑を覚悟してたのですが、意外にも予想よりは少なくてビックリ。
もちろん、作品前にはしっかりとレーンが作られていたり、混雑を予定したレイアウトになっていて。そしておそらく普段はもの凄い人なのでしょう。

が。なんとその日は、はからずも神戸ルミナリエのオープン日だったのです。
ルミナリエのエリア付近にある美術館、外はルミナリエ目当ての人々で大混雑でしたが、そっちに流れたのか、館内は人が少なく、ゆっくり時間をかけて「真珠の耳飾りの少女」と対面することができました。1時間くらいは向き合ってたんじゃないかなあ。
あれは、本当に本当にラッキーだったと思います。

何十万人、いやもしかして何百万もの人に眺められ続けてきた彼女は、なんというか、既に「絵」ではなくなりつつあったように思います。
シンプルな色使いにシンプルな構図。
その目がしっかりとこちらを見つめている。
その瞳から目が離せない。
そして「あなたは誰?」と問われ続けていたような。

そして私はいつの間にか彼女と対面しながらも、
「私?私は誰?」と、自分の内面と向き合っていたようです。
おそらく言葉ではないエリアで、ずっと自分と問答していました。

そしていつの間にか、あっという間に時間が経ってる。別の世界にいたような。
フェルメールの作品と向き合うといつもそう。

特にこの少女はこちらを向いてるからか、これまでに出逢った作品よりも、ひときわ強いエネルギーを発しているように思いました。
そして観る者の内面に光をあてていくような力をもってました。
きっと彼女は、フェルメールが描いた直後とはどこか違うエネルギーになってるんじゃないかなあと思いました。

本物を観れてよかった。
…と。ふと思い出して。出逢えてありがとう。
フェルメールの「天文学者」
今回の京都行きの目的の一つが、京都市美術館で開催されていた「ルーヴル美術館展」に出品された、フェルメールの「天文学者」。

フェルメールの傑作の一つと言われ、しかも初来日だそう。
ちょうど関西出張セッションのタイミングに京都に来ていると知り、
これは行くしかない!とワクワクしてました。

ご多分にもれず、私もフェルメールが大好き。
作品が来日した時には、なるべく予定をやりくりして観に行くことにしています。

「初来日だし、きっともの凄い混雑してるんだろうな」と覚悟して出かけたのですが、意外や意外、人が少なくてゆっくりじっくり観ることができて大ラッキー!

おそらく、閉館ギリギリ1時間前に入ったことと、
祇園祭の時期だったから、祭りのほうに人が流れたのが要因ではないかと。
まあ何にせよ、嬉しい予想外でした。
私は私で、他の作品を観る時間を節約してフェルメール集中で観てたしね。
閉館間際だったからか、1対1で天文学者と向き合える時間まであって。
今この瞬間、この絵を見てるのが世界で私1人だけという贅沢な時間。

フェルメールの絵は、観てるだけでその静謐な世界に引き込まれる。
その世界に入り込む。すうっと集中する。静かな内側に潜っていく時間。
色と光と、空間のあらわれがなんとも美しい。
他の絵を観るときとは、何か違う感覚を刺激される。
「観る」ではなくて、まさに天文学者のいる部屋に立っているかのような。

ただ観てるだけなのに、美術館とは違う場所にいる感じ。
我に返ったときには、私の中の何かが静かに収まっている感覚。
うまく説明できないのはもどかしいけど、
とりあえず、実物に出逢えて嬉しかったことを書きたくて(笑)。
たっぷり天文学者さんと向き合えて、とても幸せな時間でした。

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