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ツイッター再開 〜啓蟄を過ぎて〜
ここ何年か、ツイッターがガラケーに対応しなくなったため、
しばらくツイッターをご無沙汰してたのですが。
ふと、なぜだか、iPadでちょこっと再開してみようかな〜、とか思い立ち。
とりあえず、一言つぶやいてみました。

唐突だなあと自分でも思ったけど。
またすぐにサボるかもだけど。
まあ春だしね。
啓蟄も過ぎ、穴から出てきたんだなってことで。

何をつぶやくかは知りませんが、
よかったら、ゆるゆるツイッターも覗いてくださいね。
「あゆたや」でやってます。
ブログはどうしても、せっかく書くなら…とか、ついつい長い文章になっちゃうので。
短い思いつきとかは、ツイッターのほうが放出しやすいのではないかと。

ただ、すみません、ツイッターもFBも頻繁には覗かないので、
予約やお問い合わせなどは、相変わらず携帯メールが一番連絡早いです。

まだまだアナログな奴ですが、どうぞよろしくお願いいたします。
雪ふるふる。
大雪、きましたね〜。
広島では十数年ぶりの規模だったそうで。
私がこっちに来てからは最大積雪ってことですね。すごーい。

雪が降ると、テンション上がります☆
雪国の人には普通なのでしょうけど、私にとっては非日常。
まるで別世界に入り込んだような気分になります。

普段とは違う世界に来てるので、感覚もフレッシュになってる。
何を見ても新しいし、子どもの頃のようなピュアなフィーリング。

朝、窓ごしに、延々と空から降ってくるのを飽きることなく眺め。
同じ形はひとつとしてない。という雪の結晶たちが、ひっきりなしに、空の彼方からあんなに沢山降ってくること自体に畏敬の念を覚えます。

そして、ふるふると降りてくるリズムに催眠的なものがあるのかな〜。
いつのまにか昔の雪の思い出と繋がって、当時のフィーリングに入り込んでたり。

私は小学生の頃は父の仕事の都合で転居が多く、
小学2年生の2学期が終了した時点で、西日本から飛騨の高山に引越したことがありました。
その引越した当日がちょうどクリスマスだったのです。
まるで当然のように、普通に雪が降ってました。

それまでの転居先は大阪とか倉敷とか、西日本が多く、あまり雪とは縁のない場所だったので、本当にビックリしたものです。
「ええっ!クリスマスに本当に雪が降る街があるんだ!」
という心からの驚き。

絵本などでは、クリスマスというと雪のシーンが多く、なんとなく憧れてたのですが、あれは遠い外国のことだろう、と漠然と思ってた気がします。
それが、こんな普通に降ってるなんて!

運送屋さんが次々とトラックから家に荷物を運んでるその横で、
ずっと飽くことなく、驚きとともに空を見上げてる、あの時の感覚にいつのまにかワープしてました。

それを感じてることに気づいた私は、その繊細で瑞々しくてピュアな感覚自体にまたビックリ。
ああ、子どもの頃って、こんなに瑞々しい感性で雪を見てたのね。

と、雪のおかげで感受性をリセットしてもらえたようです。

夜は夜で、雪が全てを厚く覆った、シンと静かな雪景色を見ていたら、
今度は、20年近く前の、インドはヒマラヤの村で過ごした時間にワープしてました。

ちょうど一番寒い時期に、なぜかわざわざ寒いヒマラヤにいて。
その村に住んでいた友人の家で、薪ストーブを囲み、旅行者や村の人、あるいはサドゥまで一緒に、ほっこり仲良く冬ごもり。

サドゥというのは、ざっくり言うとインドの修行者。
ちょうどその人は友人宅に居候中で、普段はもっと標高の高い場所で修行(?)しているけど、厳寒期には村まで降りてきて寺院などで越冬するのだそう。

旅行者もローカルもサドゥも、いろんな人がひしめく狭い部屋の中、
チャイをふうふういただきながらお喋りしてると、不思議とあったかく。
でも外はマイナス10度を越す寒さ。
トイレが外だったので、必ず夜でも何回か出なければいけないのが修行(汗)になってましたが、そのとき体験した、山村のシンとして凛とした空気の雪世界と、広島の静かな真夜中の雪景色がどこかで繋がったみたい。

ちなみにカランと晴れた夜は、周りを囲む壮大なヒマラヤの山々が月明かりに照らされて、例えようもなく荘厳だったなあ。

とか。
雪が感覚の記憶を引き出してくれたみたいです。

そして雪が降り止んだお昼には、すっきりとした青空。
木々や家々の屋根に残る、手つかずの積雪が目に眩しく。
雪のあとだから、空気もきりりと澄んでいて。

まるでお洗濯したように感受性がすっきり純化されたよう。
世界のすべてがリセットされたような、清らかな気分になりました。

今回、受験生の方など大変な目に遭った人には暴言に聞こえるかもですが、
ときどきは、いっぱいの雪が降るの、悪くないかもね。
と、個人的な体験からは、そんな風に思ってしまうのでした(笑)。
三瀧寺で、年に一度のご開帳!
DSCF5263.jpg
紅葉美しいこの時期に、三瀧寺にお出かけしてきました。
ちょうど「もみじ祭」を開催中。とっても心待ちにしてました。
というのもこの期間、いつもは非公開になっている「二の瀧」前の庭園が開放されるのです。
普段、庭園の外からしか眺められない二の瀧を間近で堪能できるというシアワセ。
お抹茶をいただきながら、高低差のあるダイナミックな滝を、目前で仰ぎ見ることができました。
今年もまた来れてよかった。

し・か・も !
今回はもみじ祭の初日に足を運んだのですが、
なんとこの初日のみ、多宝塔がご開帳。
国の重要文化財という、平安時代の阿弥陀如来様に参拝できたのです。
平安時代に生きる人の想いを感じる、阿弥陀様のお姿はゆったりと落ち着いた表情。
また、多宝塔の内部全面に丁寧にほどこされている仏教の彩色図も美しく。
年に1日だけの貴重な機会。

さらに、三鬼堂では護摩焚きあり、鎮守堂ではお加持ありとイベント満載。
どちらも三瀧寺では初めてで新鮮な体験でした。

ちなみにお加持は、大般若経典という大きめのどっしりした経典を道具として使って、参拝者一人一人を後ろからぶち叩きます。
「後ろ向いてくださいね。いきますよ、叩きますよっ」と、お坊さんに肩甲骨のあたりと腰のあたりとバンバンバン!と勢いよく経典で叩かれました。
それで厄払いなどをしてくださってるのだと思います。
結構な力の入れ具合で身体にジンジンひびきましたが(笑)、不要なものを全部叩き出して心身スッキリした感じ。

そしてもちろん、いつものように滝のエネルギーを浴びてデトックスし、
この時期はさらに、赤、オレンジ、黄と鮮やかな紅葉の色づきからもパワーチャージ。

まるで光そのもののような、色とりどりに輝く葉っぱたちにウットリ。
これから冬に向けて、自然の色合いが単調になってくる前に、色の持つパワーを蓄えといてね、と言わんばかり。

紅葉って、身体にあるチャクラの色とリンクしてるのです。
チャクラというのは、インドでは古くから知られてる人間のエネルギーセンターで、ざっくり7つあるのですが、それぞれは特定の色でも示されます。

そのうち下部チャクラの色はまさに紅葉。
第一チャクラが赤、第二チャクラがオレンジ、第三チャクラが黄色。それに真ん中の第四チャクラが緑なのです。
なので私は紅葉狩りにいくと、いつもチャクラに色を入れてパワーチャージ!というのをイメージしてよく遊んでます(笑)。
冬に向けて食料を食いだめするクマのごとく、チャクラに色を流し込む。冬支度ごっこ。

チャクラのエネルギーに馴染んでる人や、馴染みたい人には楽しいかもです。
よーし、これで冬に向けてチャクラも万全!(笑)

ああ、またどんどん話が逸れてました。
もともとは三瀧寺の話でしたね。閑話休題。

と、そんなわけで、いろいろ遊べて盛りだくさんの半日を満喫したのでした。
三瀧寺のもみじ祭、11月23日まで開催中。
タイミングが合えば、日本の美しい秋を皆様も楽しんできてね〜。
まずは取り急ぎおしらせまで。

完熟極まる柿。
このブログではお馴染み、行きつけの季節料理の店「乙斗精(おっとせい)」。
その日、いつものようにランチをいただいたら「食後のデザートにどう?」と、完熟の柿を出してくれました。

もう完熟も完熟、トロットロに熟した柿。
皮も破れそうな柔らかいのを、冷蔵庫で冷やした一品です。

そういえば、最近こんなにトロトロになった柿、食べてません。
もしかしたら家で放置していても、こんな風になるかもしれませんが、
そこはやっぱり乙斗精が出してくれる一品。いただいたのは、樹上で自然に完熟した柿なのです。
「やっぱり、木でしっかり栄養もらって熟したのが一番美味しいけえね」

それはそうだ。
でも、完熟するのを待って収穫するのは、結構難しいのだそう。

すでに皮が破れそうになってるので、
「採るときにうっかりすると、ペチャって潰れるんよ。用心せんと」
また、蜂もいっぱい来るらしく、収穫に手間がかかるのだそうです。

さらに熟れに熟れると、カラスとの競争になるみたい。
人間もカラスも、熟れどきを見計らってます。
ちょっと出遅れると、カラスに先を越されてしまうのだそうです。

とか、大将からはそんな話が、まるで「世の中の常識だよね」的な扱いで繰り出されます。
でも常識じゃない私には、すごく新鮮で楽しいお話。

完熟極まる柿のために、人間とカラスが本気で対等に競ってるのを想像すると、ちょっと微笑ましい。けど私だったら面倒すぎて諦めそう。放置してカラスに譲っちゃうかも。

なので、大将にとっては普通でも、私にとっては、そんなにエネルギーを注いで手に入れた樹上完熟柿はかなりの貴重品です。

そんなお宝をいただいていいんですかっ?みたいな(笑)。

こういう物語を聞いてからいただく柿は、美味しさが際立ちます。
手や口をベトベトにしながら、がぶっとかみつくと、トロトロのゼリーのような食感で。完熟まで木でスクスク成長した実だから、滋養たっぷりの自然な甘さが心地よく。
木に守り育てられた実に宿る、大地の滋養をおすそ分けしてもらった感じ。

「本当は木から採ってすぐが一番旨いんじゃけどね」
いやいや都会っ子としては、これでも十分おいしゅうございました。
そんな柿エネルギーを身体に入れた勢いか、おかげさまでこんな文章書いちゃったくらい(笑)。

いつも美味しいものを、さりげなく出していただいてありがとうごさいます。
秋の味覚の本気モードを堪能できてシアワセ〜。ご馳走さまでした!
みんな、同じモノでできている。

(注:食事中の方、虫が苦手な方は読むのご遠慮ください(笑))

朝、ゴミ出しで外に出たら、家の前の道路端でカマキリが死んでました。
羽が力なくひろがって、仰向けで。
だけど、何だか動いてる。
不思議に思って近づいてみたら、お尻から黒くて長細いものが出てこようとしている最中でした。
おそらく寄生虫と思われます(汗)。

寄生虫って主が死んだら出てくるんだ〜。
その黒く細長いものが、グルグルウネウネと、自身の身体で大小の円をコイルのようにいくつも描きながら、必死に出てくる。
丸まっててよくわかんないけど、カマキリの体長の2倍以上はあろうかという長さ。

これ、普段だったら気持ち悪くて、見ないふり感じないふりして、速攻で逃げる場面のはずなんだけど、なぜか目が離せません(汗)。
出終わるまでずーっと見てました。
頭の部分では気持ち悪いと思いつつ、同時にハートは、彼の動きや質感に美しさを感じてたから。
そこに命のリズムが刻まれているようで。

出てきてもなお、一定のリズムで大小の円をコイル状に体で描きながら、留まることなく動きつづけるその様子は、どこか優雅ささえ感じられ。
天気の良い朝で、黒々したボディは朝日によってテカテカと光さえ含んでいるような。

この虫の動きのリズムを感じているうち、ふと、

あ。このテカテカした虫と、私の肉体は、基本的には同じ物質で出来ているんだ!

と気がついたのです。

同じ地球上にいる生物であるかぎり、根本は同じモノでできている。

だって、地球に存在する物質からしか、私たち生物の肉体は造られないもの。

私たちみんな、もとは同じ宇宙の塵からできている。
つまり。私とこの虫は、同じ地球の一員なんだな〜って。しっくり。

あるとき宇宙の塵が集まって、地球という星になり…という、宇宙の営みまで妄想している間にも、虫はなお留まることなく円を描いて動きつづけている。

生きてるって、美しい。

でも寄生主がいないから、いつか死んじゃうんだろう。

…と、道端でしゃがみこんでいると、ゴミ出しにきた近所の方がご挨拶。
さすがに「何やってるんですか?」「寄生虫みてます」とは言いづらく。
そのあたりで不審がられないように、家に戻りました。

そして仕事に行く頃に、もう一度見にいったら、
円を描いたコイル状の、立体的な形のまま死んでました。
テカテカの光はなくなっていて、粘土を造形して干からびさせたような。
時折、畑とか道端で見かけたことのある謎の物体。
これは寄生虫の亡骸だったのか〜。と人生初めて知りました。
そして、傍にはカマキリの亡骸が風に吹かれ、羽が揺れている。

両方とも、このまま放っとくと風に吹かれ飛んでいくのか。アリや微生物が分解するのか。
すごいなあ。
そうして全てがリサイクルされて、余るものなんて一つもない。
地球が自然に創ったものだけだと、生命の循環は完璧なんだな〜。

まるで教科書に載ってるような基本中の基本の知識ですが。
今回のカマキリと寄生虫との出会いのおかげで、これまで以上により深い理解と実感が訪れて。

と。そんなタイミングに、季節はずれのツクツクボウシが一匹、どこかで必死に鳴きはじめ。
でもこんな時期に、その呼びかけに応えるセミはいるのかなあ。
最後の一匹だったらどうするんだろう。
あ。毎年「最後の一匹」という運命のセミは、必ずいるんだ。
そっか、切ないなあ。

切なくも悲しくも、美しい。
そして、このセミも私と同じモノで出来ているのだなあ、と。

カマキリも、寄生虫も、ツクツクボウシも。
秋の、美しくも切ない出会いを、ありがとう。
蝉しぐれ。
蝉は7年とか13年とか、土の中で長く暮らして、地上に出たら1週間くらいで天に還るという。

7年間13年間ため込んだエネルギーを1週間で出し尽くすだけあって、
蝉の鳴き声を聴いていると、滝のようにエネルギーのシャワーを浴びている感じがする。
うっかり近くで鳴かれたときとか、空気振動すごいよね。
身体中の細胞が共振していくような。

昔は、蝉って「太く短く」の人生の代表だと思ってたけど、
最近は、土の中の生活も案外楽しいのかも。と思う。

土の中でじーっとしながら、地球や宇宙の叡智をたくわえているのかも。
意外と、いろんな場所の蝉同士で交信してるのかもしれない。
もしかしたら、別の種族の虫ともね。

そして最後のフィナーレが、今の時期、この奇跡的な音色を創り出すのかも…。
宇宙の叡智を知り尽くして、この世を卒業する直前の謳歌。

とか妄想しながら、滝のような蝉しぐれを浴びる今日この頃。
鳴き声がツクツクボウシにゆるゆるとバトンタッチしつつある中、
残暑の切なさをたっぷり味わっているところです。
夏生まれは夏が好き?
ずっと昔、いつだったか、
「人は自分が好きな季節に生まれてくるんだよ」と誰かが言っていた。
若い頃の私はそれを聞いてギモンに思ってた。

かくいう私は夏生まれだけど、
自覚的には暑いのや寒いのより、あったかいのや涼しいのが好きだから。
「だったら私は、春とか秋に生まれるんじゃないの?」と。

でも今はわかる。夏も好き。
それは暑いからではなくて(笑)、生きてるな〜って、実感しやすい季節だから。

虫や鳥、たくさんの生き物が活動していて、
花は鮮やかに咲き、樹々の緑も色濃く、生命の気配が濃厚な季節。
エネルギー量がものすごい。

灼熱の中、「暑いなあ」とか頭で判断しないで、
暑さそのものを、ただじっと体で感じていると、
肌の隙間から、エネルギーがじわじわと入り込んでくる。

その強烈なエネルギー(頭曰く「暑い」という名前のエネルギー)を感じている自分が、
「あ〜私は生きてるんだな〜。ここにいるな〜」という実感と直結する。
濃厚でコクのある存在感を味わえるというか。

たしかに、私にとってこの暑さは、生きてる実感をたっぷり味わうには嬉しいかも。
暑い季節だからこそ、私は実存してる感覚を感じやすいのだな。
きっと冬の寒さにも、逆説的に同じような効果があると思うけど、
私はどちらかを選ぶなら、やっぱり夏を選ぶもの。

あるとき、そのことに気がついて。
「夏生まれは夏が好き」説に、ようやくナットクしたのでした(笑)。
キンモクセイ
キンモクセイの季節だ。
町のどこを歩いていても、どこかからキンモクセイの香りが運ばれてきて、鼻をくすぐり「ほらもうこんな季節だよ!」と気づかせてくれる。
そして、幼い頃の、キンモクセイの香りとともにいた時のフィーリングがリアルに迫ってくる。

当時の感受性に舞い戻るいっしゅん。

雪のように降りつもる、小さな黄色い花。
木をずっと見上げて、落ちてくる花を飽きることなく眺めつづけてた。
あるいはその香りただよう中、空に見とれてたときの、切ないほどのワクワク感。
青と白のコントラストの鮮やかさ、光の含み具合…

具体的に何をしていたか記憶にもなく、ただ、その感触の中にすうっと入っていく。
キンモクセイの香りの中にいた、どこかの時間につながっていく。
キンモクセイの魔法。

そして、いつの間にか香りが町から去っていき、サクラと違って「そろそろキンモクセイも終わりだね〜」などと言われることもなく、ひっそりフェイドアウトし。
次に気づくのはまた来年のこの季節。
「え、もうこんな季節なの?」と。

ふと。
この愛すべきルーチンは年に一度。
じゃあ、あと100回も見れないじゃん。
ていうか、平均寿命からしたら、生まれて70〜80回しか体験できないよね。
おお!そんな貴重なイベントなんだ!

てことは。
つまりやっぱり、キンモクセイだけじゃなく、どの瞬間も貴重なイベントで見逃せないってことなんだな〜。
などと思いつつ、のんびりのんびり歩いたり、時にはじいっと佇んだり。
足どりさえ、普段とはちょっと違ってくる。
これもおそらく、キンモクセイの魔法。
月の入りを堪能しました。
中秋の名月の翌日は、満月。最近流行中のスーパームーンでもあります。
「よ〜し、今日の夜はゆっくりお月見するぞ〜!」
と、はりきってたのですが、なぜか仕事終了後にものすごーく眠くなって、帰った瞬間にお風呂も入らず爆睡してしまったのです。

で。
「あっ!お月見!」と、ハッとして目覚めたのは朝の4時過ぎ。
あっれ〜。しまった、いつの間に…とあわてて窓を開けてみると、
まだ、いてくれました。
雲ひとつない西の空にくっきりポッカリ。
寝ぼけた目には眩しすぎるほどの光量が、世界に燦々と惜しみなく注がれてます。

あれ、もしかして真夜中より、今お月見するほうが意外といいかも。
と思いました。
月の位置的に、部屋の窓からちょうどいい感じで座ってのんびり眺められるのです。
しばらく眺めてたら、ダンナも起きてきて。
この前入手した、すっごく美味しい日本酒を用意してくれました。

というわけで、早朝にまったり月見酒を楽しみながらのお月見に。
そして、そのまま約2時間ほど。月の入りまでお付き合いさせていただきました。

久しぶりでした。月が帰っていくまでを見送るの。
海外を旅行していた頃は、よくやってました。
当時、長逗留した土地での一番の楽しみといえば、月や太陽、空や雲とともにいることでした。
別に用事も何もないので、時間を贅沢に使えます。

今回みたいに時間をかけて月の入りを見たり、月や朝日が昇るのを待ち望んだり。
夕日が落ち、夕焼けが消え、いつの間にか天の川がくっきり見えてくるまでの一連の流れを、ずーっと、ただ、眺めてたり。

どの時間をとっても、もう二度と見れない、今だけの美しい世界が展開するのが楽しくて。
次の瞬間がどうなるのか見届けてたくて、ついついずっと眺めてしまうのです。

この満月もそうでした。
窓も開けると、朝の澄んだ空気が流れ込んでくる。
まだまだ暗くて寝静まった頃から、だんだん明るくなっていく。
鳥が目覚めて空を飛びかい始めたり、野良猫が鳴いたり、新聞配達のバイクが走ったり。
近所の家々も、朝早い家に次々に電気がともり。
また朝がきて、世界が動き始める。動物も人間も起きてくる。

その間にも刻々と月は移動する。空が白み始める。
凛とした空気から、だんだん人の気配が混じる空気に変わっていく感触。
そういう時間の流れを、リアルに感じる機会がしばらくなかったなあ、と気付きました。

そして時間の流れをゆっくり味わうと、この時間に生きてるありがたみがしみじみ感じられ。

月を見送ったあと、もうすっかり明るくなった東の空に移動して、
今度は日の出をしばらく待って。
ご来光も拝むことができました。
太陽が出てきた瞬間、世界が一気に変わるのがすごい。

そこまで見届けて、ようやく満足。
いや〜、爆睡してしまってどうなるかと思ったけど、結果としては、めったにできないことが堪能できてよかった。
やっぱり、できるだけ自然と接する時間をたっぷり豊かに創っていかないとな〜と思った次第です。
四万十川の水。
ホエールウォッチングの前日は、四万十川源流の山奥に住む友人の家に泊まりました。
広島からゆっくり車で7時間くらい。こちらからは初めての訪問です。
山奥とは聞いていたけど、予想以上の奥深さ。

その家から先は人が住んでいない、というくらいの山の中。
もちろん、ケータイは圏外です。
そして水道も引いてもらえなかったそうで、近くの沢の水をそのまま引いているとのこと。

この水が、びっくりするほど美味い!
四万十川の水はおいしいとは聞いてたけど。
私はそこまで水グルメじゃないので、それぞれの産地(?)の美味しさの違いとか、よくわからないほうです。
でもこの水はそういう細かいところを突き抜けて、とにかく圧倒的に美味い!というのがわかる。

なんというか、舌にきめ細かくまろやか。吸い付くようにフィットする感じ。
五体が大喜びしてる中、そこから体にすうっと染み渡っていく感じ。
ボトリングもされていない、湧きたてのクリアな生きた水。生命力が溢れた水。
こんなの飲み続けたら長生きするだろうなあ。

そして夜には高知名物「カツオのたたき」までご馳走になりました!
これまた新鮮で、しかも口に入れた時の薫りがこれまでに食べたものとは全然違う!
どうやらホンモノのたたきは、藁で燻すのだそうです。
しかも燻し歴35年という名人の技を食べさせていただいたらしく。
しばらくは、他のたたきを食べる気になれなそうです。

たたきと共に、その美味しい水で割った高知の栗焼酎を味わい。
さらにはその美味しい水で炊いた、友人が作ったお米を味わい。
最高の晩餐になりました〜。本当にどうもありがとう!

そしてもちろん高知の最高のお土産として、お水をしっかりいただいてきました。
家に戻ってから飲むのも、また良し。
山奥の川のせせらぎや朝の森の香りを反芻しながら、たっぷり楽しませてもらいました〜。

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