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宮澤賢治の世界
…という催しが、先日行われました。

宮澤賢治の子孫でいらっしゃる、宮澤和樹さんとそのご家族を招いて、
賢治の詩や童話にこめられた世界やその背景をお話いただくという。

奥様や娘さんによる音楽の演奏や朗読などもあって、演奏に使うバイオリンは賢治が所有していたものだとか。

いったいどんなイベントになるのか想像できませんでしたが、ワクワクする気配を直感してお出かけしてきました。

行ってみたら、予想以上に盛りだくさんで愉しいイベントでした!

今まで知らなかった賢治の一面を垣間見たり、裏話を聞けたり、
賢治所有のバイオリンで彼の好きだった曲を演奏されたり、花巻弁を使える人の詩の朗読を聞けたり。

和樹さんは、賢治の実弟・清六さんのお孫さん。
お顔も、なんだか目元のあたりが本で見たことのある賢治に似ています。
そして笑顔がとても穏やかで美しく、ニコニコと賢治にまつわる興味深いお話をいっぱいしてくださいました。

賢治は今でこそこんなに有名ですが、存命中は「春と修羅」と「注文の多い料理店」の2冊しか出版してません。
それがこんなに有名になったのは、弟の清六さんのご尽力によるものだとか。

なので、賢治にとって清六さんはプロデューサーみたいな感じかも。
ゴッホにとっての、弟のテオの存在みたいな。
私はこれまで清六さんの存在を存じ上げませんでしたが、彼がいなければ、私たちは未だに賢治と出会ってなかったかもしれない。いてくれてよかった。

つまり清六さんは、賢治をとてもよく知っている人であり、その人から孫としてずっと賢治のことを聞いて育ったのが、今回お話くださった和樹さんなのです。

せっかくなので、面白かったエピソードをいくつかメモ。

賢治といえば「アメニモマケズ…」が有名ですが、実はあれは作品ではないのだそうです。詩でもない。
手帳に書かれていたものを、清六さんが「これも賢治の一面として知ってほしい」と思って世に出したのだそうです。
清六さんは孫の和樹さんにこう言ったそうです。
「あれは作品でもなく、詩でもない。あれは祈りだ」と。
祈りの想いが、私たちの心を打つのかもしれません。

また「アメニモマケズ」があまりにも有名になって、
賢治に対して、そこからちょっと重い暗いイメージを持つ人もいるらしく。
そして、有名な写真があるでしょ。
黒いコート着て、ちょっと下を見てうつ向いて歩いてる写真。
あの写真と「アメニモマケズ」で、かなり深刻な人だと思われがちだそうですが(私はカッコイイと思うけどなあ)、
実際にはとてもユーモアがあって明るい人だったとか。

有名なコートの写真も、深刻な性格が表れているのではなく、
彼はベートーベンが好きだったそうですが、ある時ベートーベンがコートを着てうつ向いて歩いてる絵を見たのがきっかけで、その姿を真似して撮影したのだとか。
そういわれて、写真をよーくみたら、口元が緩んでる感じがします。

などなど、あまり知られてない賢治の魅力をいろいろ教えていただきました。

その上、賢治のバイオリンで賢治の作った童謡を奏でてもらったり、
キラートラックとしか言いようがない必殺「永訣の朝」の朗読があったり。
もう、朗読者が永訣の「え」を発する前から、涙腺が緩んでますから。

そんな涙あり、笑いありの楽しい時間を過ごしたのでした。
最後には宮澤ファミリーと一緒に記念撮影も。

今回よかったのは、実は宮澤賢治は、私が思っていた以上に
もっと洗練された、もっとカッコイイ人だったんだ、と知ったこと。
頭が良くて、思索も深く、センスが良くて趣味もいい。

作品だけでは分からなかった、その人となり。
血の繋がった子孫から、賢治のエッセンスを届けてもらった気がします。
説明できない不思議な感覚に包まれて、今までよりも彼をグッと身近に感じられ。
とても貴重な機会にめぐりあえました。

そういえば最近、賢治の作品読んでなかったなあ。
これを機に、久しぶりに本棚探して、いろいろ読んでみようかな。
森山開次に会ってきた。
うちには、雑誌やパンフなどから切り抜いた、お気に入りの写真やイラストをとっておく箱がある。
大小のときめく紙切れが詰まった箱。

ときおり中身を眺めて楽しむのだけど、今の私にはときめかない切り抜きも出てくるので、そういうのは手放して。そして新しいものが入って。
…と、ゆったり中身が循環していく「切り抜きボックス」ですが、おそらく10年以上も前からずーっと箱にキープされている、長老の一枚があります。
それは美しい…というより、目を引かずにはいられない空気を放っている、ダンサーさんのA4サイズの写真。

切り抜いた当時は、いったい誰なのかも知らなかったけど、それが森山開次だった。
その紙切れが放つ、不思議に目が離せない在り方が好きで。
彼が踊ったところを見たこともないのに。

その後ブレイクして、マスコミへの露出も多くなり、
「ああ、あの切り抜きの人、森山開次っていうんだ」とようやく知った次第。
TVで踊ってる姿を垣間見る機会もあり、いつかは実際にライヴで観たいな〜と、つねづね思っていたのでした。

そしたら、ついにきました。
ソロダンス公演「KATANA」。

公演は、東京3日間と広島で1日。
なぜに他の都市を飛ばして広島?と不思議でしたが、
広島在住の森山ファンにとってはラッキーとしか言いようがない。
情報を聞いてすぐチケットをゲット、当日を楽しみにしてました。

そして公演。

森山開次も初めて観たけど、それ以前に、ソロダンスの公演を観ること自体初めてだったので、いろんな面で新鮮でした。

広い舞台とたくさんの観客の中で、一人で踊る力量はすごい。
同時にそれを最大限に魅せる演出も重要。
音響と照明も素晴らしい。音は特に大事だなあと。
音響システムと音づくりと両方が、舞台とぴったりマッチして、踊りの切れ味と迫力をきっちり引き立てて。

踊りは、その1時間ほどの公演のあいだ、ぜんぜん目が離せませんでした。
静止したところから動く瞬間、次の瞬間、何が起きるのか。
息を詰めて見守るしかない。

身体能力の極度に卓越した人が、巫女舞やってるような。
祈りを感じさせるものが、繊細かつ大胆に、全身全霊で踊る森山開次を通して表現される。

この「KATANA」という作品、10年前に初演したらしい。
その時点で、10年後にもう一度踊りたい、と思っていたのだそう。
そして10年後の今、42歳で再演。

10年前の(おそらく切り抜きの年齢に近い時期の)森山の踊りも見てみたいが、今の彼は更なる成長を遂げた上での再演なのだ。

舞台後半、紅い椿がたくさん降ってくるのが印象的だが、10年前は自分で500個手作りしたのだそう。
今回は各地で舞台美術を作るワークショップを開催する中で、みんなに作ってもらった5000個の椿を降らせたとか。

漆黒の舞台に降りしきる5000個の紅い椿。そこに踊る白い姿。
目をつむっても、残像が踊るような。

身体での表現だからうまく言葉にならないのは当然か。
評論家ならいざ知らず、1人の観客である私は彼を語る言葉を持ち合わせない。
言えるとしたら、とてもシンプルなこと。

人の身体って、なんと美しいのだろう、と。
ただし、それは人の身体なんだけど、身体を超えたところにあるものが表現されていることから感じる美しさ、とでもいうか。

舞台に魅入っているとき、森山開次を「人の身体」としては見ていない。
そういうレッテルは既に剥がれている。
ただ、ここに在り、世界の流れの中で動き続ける、ある一つのエネルギーの現れ。

公演の最中は、頭に思考が浮かぶこともなく。
そうやって、ただただ生まれてくる現れに魅入っているうちに…いつのまにか終演してました。

鳴り止まない拍手。
気づけば、ほとんどの人がスタンディングして拍手している。
私も立ち上がっていた。
彼の踊りをみたそのままに、同じエネルギーにシンクロしていたのかもしれない。

何度も何度も、森山開次もアンコールに応えて戻ってきてくれた。

隣にいたカップルの男性がつぶやいた。
「広島、すげーな」。
もしかして、東京公演も行った人の感想なのかな?
純粋に、みんなの感動の嵐につぶやかされたのかな?

森山さん、広島で公演してくれてどうもありがとう。
身体の隅々まで、命の潮流がゆきわたるような時間を、ありがとう。
クジラとイルカに会ってきた。
DSCF1724.jpg
高知までホエールウォッチングに行ってきました!
高知の友人宅に前泊して合流、計9人で漁船をチャーターするクルージング。
もう、前々からものっすごい楽しみにしてました。

私は小さい頃から、好きな動物といえば「ゾウさんとクジラさん」。
自分が小さいからか、大きい動物が好きみたいです。
でもゾウさんは動物園にいるので、実物を見た上で好きだったのですが、
クジラさんは、動物園や水族館では飼えないので、今まで一度も本物を見たことがありません。
好きではあるけど、どこか遠い、架空の動物に近い感じでの「好き」でした。

それがついに、ようやくお目にかかれるチャンスが到来したわけです。

もちろん野生動物だし、この広い海の中、数時間のクルージングでは逢えないこともあるらしい。とは聞いてましたが、
「いやいや、こんな好きなのに逢えないわけないでしょ」と、逢う気マンマンで臨んだ次第。

四万十川源流付近の友人宅から約1時間半。黒潮町の大方という港のある地区に向かいます。
9時出航で、その前にクルージングの説明を受けます。
その中で一番衝撃だったのは、クジラとイルカの違いについて。
知ってました?
4mよりも大きいのがクジラ、小さいのがイルカ。

私はびっくりでした。ええっ、そんな適当なの?と。
実際、ちょうど4mくらいのハナゴンドウとか、どっちに入れていいのかきまってないんだって。
科学の世界もかなりいい加減なのね。

この土佐湾のホエールウォッチングで見ることのできる海洋哺乳類は、
クジラはニタリクジラ(笑ってるみたいな名前が可愛い。似鯨と書くらしい)。
イルカはマイルカとゴンドウイルカ。
それに、4mのハナゴンドウ。
ニタリクジラは14mくらいあって、乗る漁船と同じくらいの大きさだとか。
うちの店の対角線の距離よりはるかに大きい感じですね(笑)。

広い海の中でクジラを見つけるための目印(潮吹きとか、鳥の群れとか)も教えてもらいました。それらを手掛かりに、約4時間のクルージングでクジラをみんなで探すわけです。
うーん楽しみ。

そして出航!
そもそも、クルージング自体が久しぶりで気持ちいい〜☆
前日まで台風などの影響で欠航続きだったのが、この日は晴天、波も穏やか。
すばらしいクルージング日和。
さらに太平洋も久しぶり。
ここ最近、瀬戸内海しか見てなかったから。
波のパワーがやっぱり違う。遥か彼方からのエネルギーが伝わって。
海の雄大さをあらためて味わえました。

が。クジラは1時間以上沖に向かっても、出てきてくれません。
絶対会える予定なので「まだかしらね〜」と、みんなで首をかしげてましたが、
もう陸地が見えなくて、360度水平線というくらい遠くまできた頃にようやく出没。
「ウオオオ〜!」と、みんな大興奮。

2頭くらいいたかな?
海面にあがって呼吸するときに潮が吹き上がるので、それを目印に船を寄せていきます。
いちど呼吸すると、また海中に戻っていきます。そうすると4〜5分、あるいは10分くらいしないと戻ってこないらしいので、しばらくそのあたりで待つことになります。
今回は2頭いたので、交互に海面にあがってきてくれて、わりといいペースで眺めることができました。
でも、呼吸するとすぐに戻っちゃうのが玉にキズ。
船長さんも「今日はサービス悪いですね〜」と。
もっと長く海面にいてくれるクジラもいるらしい。

とはいえ私たちとしては、初めてなのでこれがベスト。
実際、かなり近くまで来てくれて、船を超すような大きさに圧倒されて、
ゆったりと泳ぎながら、こちらの様子も伺ってくれて、大満足。
さらに。潮を吹くと、そこに虹が出るの〜☆
あまりに潮吹きが近くて、その水しぶきがほんのりかかった場面も!
いや〜十分幸せです!
この場所から港まで1時間半くらいかかるとのことだったので、
いっぱい見たし、そろそろ戻りましょうか。と、それなりに満足して帰路につきました。
ちょっと心残りなのは、イルカと会えなかったことくらい。

そして戻り始めて1時間ほど。
みんな疲れてうつらうつらしていたところ、
船長が「イルカの群れだ〜!」と。
みんな瞬間にガバと飛び起き。

もうびっくり!

どうやら餌になる魚の群れがいたみたいで、
あれよあれよという間に、船の周りはイルカだらけに!
映画などで観る以上に、海面をあちこちで跳びはねていて。
水平線のあたりまで、ここかしこにイルカ、イルカ、イルカ。
もうどこを見たらいいかわかんないくらい!
360度認識機能を搭載したい!と本気で思いました。この日ばかりは。

しかもクジラもいました!
見れば3〜4頭、イルカの合間にいて、あちこちで潮吹いてます。
さらにイルカとクジラで餌を取り合って、
バフンッ!とクジラが跳ね上がります。
「あれは滅多に見れないよ〜!」と船長さん。

そしてお腹がいっぱいになって機嫌がいいのか、
イルカもクジラも、船の近くまで来てこちらの様子をみています。

クジラは船の幅ほどもある大きな尾っぽを見せてくれたり、チラッとこっちを見ながら(と、私は勝手に思いました)船の下をくぐってくれたりと、どんなに大きいのか見せつけられ。クジラ好きの私は卒倒しそうでした(笑)。

イルカはやっぱり遊び好きでサービス精神旺盛。
船に伴走して泳いだり、お腹を見せて泳いだり、目の前で何頭か揃って一緒に跳んでくれたり。

「これは今年一番の大きな群れだったね。ずっと先のほうまでイルカがいたからね」と、海に行き慣れてるはずの船長さんさえ大興奮。
おそらく1000頭くらいいたとのこと。ええーーっ!

その大規模な群れの気配が落ち着いて、海面に姿を見せなくなるまで船長さんが追ってくださったので、クルージングの時間も大幅に延長され、陸地に戻ったのは15時ごろ。なんと6時間も船に乗ってたのでした。
船長さんも長時間なのに、親身にありがとうございます。
高知の人の優しさにも触れることができた素敵な時間でした。

「やっぱり、こんな好きなのに逢えないわけない!」という確信がそのまま現実化した気分。
海の神様に祝福された気がします。
クジラさん、イルカさん、逢えてよかった。ありがとう。
船長さん、太平洋さん、天候さん、どうもありがとう。
そして一緒にいった皆さん、あの奇跡的な時間を共有できてよかった。
あの感動を「よかったね〜!」と一緒に反芻できる人が近くにいっぱいいるのはなんて幸せなことだろう。

その後「大方ホエールウォッチング」のFBに、当日のレポートが記されていて。
スタッフさん側からの視点が楽しい。
「今回のお客様は、乗船前からとても張り切っておりました」とか。
(あのテンションはクジラに会う前の人間としてはフツーだと思ってました(笑))
「ウォッチング結果はなんとマイルカ1000頭以上、ニタリクジラ2群4頭」(1000頭以上、だったんだ〜)
「毎回海に出ている船長もハイテンションになるほどの、マイルカとクジラの餌の奪い合い!フィーディングがあちこちで見れました」(あれ、フィーディングっていうんだね)
「船長が言うには「今年一番見れたがやないか」とのこと、最高のウォッチングでした」(やっぱり最高だったんだ!)などなど。
こうしてあらためて書いていただくと、またもやあの時の感動が湧いてきます。
スタッフの皆さんもありがとうございました。
大方ホエールウォッチング、シーズンは10月末までだそうです。
クジラに会いたいときには親身なスタッフさんもいらっしゃるし、おすすめですよ。

と。そうしてクジラやイルカと出逢ってから数日が経った今。
これまで架空の存在だったクジラが、私の世界に突如リアルに参入したわけで。
ビフォー鯨とアフター鯨では、私の世界が微妙に変わってきているのに気づきます。
地球の7割を占めているという「海」が、私の内側により意識的に入ってきた感じ。

海に棲む野生の存在と、目を合わせて繋がった一瞬がある。
私がこうして広島にいて、こんなことを書いているときも、海のどこかではクジラやイルカがあんな風に生きている。
あの光景に実際に遭遇すると、ほんと、自然環境を大事にしないと、って思う。

道を歩いていても、道路をあの大きさのクジラが横切るのを一瞬夢想する。
朝とか、ふとした気分で軽く踊るときが結構あるのだけど、
そういうとき、今まではだいたい風や空や季節の香りや気配や、自分の気分に踊らされます。
アフター鯨の今は、気づくと海を感じながら踊ってることがしばしば。
海の深みと広がりを、野生動物を通して、感じることができたのだと思う。

奇跡的な出逢いの時間に、心からの感謝を込めて。

またいつか、会いに行こう。
私がもし海の大切さや美しさを忘れて、心が狭いところに閉じこもりそうになった時には、とりあえず会いにいってみよう。
きっと、今のこの気持ちを思い出せるはずだから。






岩合光昭に会ってきた。
今、動物写真家の岩合さんが、広島で写真展を開催している。
その名も「ねこ歩き」。猫ばっかりの写真展だ。

ちょうど私たちの休日に、トークショー&サイン会が行われるときき、
「本人に会えるんだったら、せっかくの機会にいってみよう!」
と、先日お出かけしてきた。
しかも、その直前に招待券までもらって。いいタイミング!

でもこれ、たぶん東京に住んでたら行かないシチュエーションだと思う。
吉祥寺に住んでて(吉祥寺なら行くけど)、新宿や銀座の百貨店で開催してるイベントに行くことは殆どなかった。

「忙しいし、次の機会でいいや。またすぐ来るだろうし」
みたいな。妙に「東京だからいつでも大丈夫」感があった気がする。
よく考えたら、実際にはそんなに機会はないんだけどね。
だって、その人自体は世界にただ一人しかいないんだから。

広島に来てからは、そういう面で行動的になったかな。
「わざわざ広島に来てくれてるんだから、逢えるときに会っとかなきゃ」って。
あんまり情報量の多すぎる街より、広島くらいの規模からチョイスするほうが、
私のキャパには合ってるのかもしれない。

閑話休題。
今回初めて、ご本人にお会いできたわけですが、
やっぱり思ったとおりの、TVなどでお見かけするそのままのナチュラルな方でした。
仕事柄、ずーっと動物と向き合ってるから、動物のシンプルでまっすぐな感じと共振してるのかしら、と思ったり。

トークショーでは、撮影した写真を掲げながら、その撮影前後の猫エピソードなどを語っていただき、とても楽しくすごせました。
話の内容も面白いのですが、それよりも、それを語るときの岩合さんのキラキラした嬉しそうな目が、こちらまでその場にいるような気分にさせてもらいました。

「私はたくさんの方に、猫の味方になってもらいたいんです」と、キラキラ目で何度かおっしゃってたのが印象的。
ああ、岩合さんは本当に猫好きなんだなあ。と。
こんなに愛のある写真を撮っていれば、証拠はあがってるようなものだけど、
やっぱり本人に一目お会いすると、しっくりなっとく。

周囲におられるお客さんもみんな猫好きばっかだから、みんな私と同じように嬉しそう。
短い時間とはいえ、とても平和でのどかなひとときでした。

もちろん、その後のサイン会も参加しました。
握手もしてもらいました。
意外とふわりと優しい手。猫をなでるのに向いてる手。

そういえば今まで岩合さんの写真集、持ってませんでした。
あまりにもメジャーで、あちこちで写真を見かけるからかなあ、
持たなくても既に見たような気がしてたのかも。
ついに占猫図書館に並びました〜。
またまた猫本が充実して、ニンマリ。




養老孟司に会ってきた。
養老先生に会ってきました。広島で講演会が開催されたのです。

この前の年末休み「なぜだかコーヒーを飲みながら新聞をゆっくり読みたいぞ…?」という気分にかられ。
訳のわからないまま(あんまり読まないのでね)新聞を丹念に眺めていたところ、講演会の広告を発見。

某銀行が「相続税対策セミナー」を開催する中の基調講演と位置づけて招待したらしく、ありがたいことに入場無料。
「おお、このために新聞を眺めてたのか!」と、いたく納得。
相続税の対策が必要な人生ではないけれど(笑)、その日のうちに参加申込みハガキを出したのでした。

養老先生には前から会ってみたいと思ってました。
講演会だから距離は遠いだろうけど、ライブと同じで、一緒の空間にいて実物の存在と会うということは、とても大事だと思います。
本や文字や映像だけでは伝わらないものが、ダイレクトに伝わったりするから。

で、実際に会ってみて。
やっぱり著作で感じていたのと変わらない自由奔放な方でした。なんだか安心。
素のまんまで、肩肘はらず、好き放題あちこち寄り道しながらしゃべって、あれ、いつのまにか予定の一時間たったから、あとは自分で考えてね、じゃあ。みたいな。

意識とか身体の話をいろいろと、とりとめなく思いつくまま興味深いエピソードを交えてお話してくれて。
まとまった一筋の話というより、気持ちのいい刺激をくれる言葉のシャワーを浴びたような感じ。

面白かったことをひとつ挙げると、
「私が死ぬって、私には関係ないことですから(笑)」みたいなことをサラリと言った時の在り方が印象的でした。

たしか意識の話で、意識がなければ本人は気づけない。夜寝てるうちに死ぬこともあるけど、本人は意識がないから関係ないでしょ、みたいな文脈の話だったと思う(かなりあやふやです。論理で聴いてないのでスミマセン)。

まあその内容はともかく、その「関係ない」をフフッと含み笑いしながら言っちゃう先生の在り方をみて、
「ああ、死ぬって、ある意味そのくらいのことなんだ〜」と感じたのです。
言葉の意味としてではなく、養老先生が認識している「死」についての立ち位置、在り方、感じ方がダイレクトに伝わってきて。
在り方そのものをライブで味わうので、本で読む以上に素直にナットクするのです。

そもそも、相続税対策セミナーになんで養老孟司(笑)?と思ってた。
でもよく考えたら、相続って人の死が関わるものね。
このセミナーに相続対策のために本気で来られて、つまり、もしかして「死」と向き合うことを本気で考え始めた人がいらしてたら、
「死ぬって、そのくらいに感じていいの?」ってラクになった人もいるんじゃないかなあ、とか思いました。
「死」に向き合うときは、つい深刻になりがちだけど、養老先生のようなスタンスもアリなんですよね、という。

とかなんとか、いろいろ楽しい時間でした。
ちなみにメインイベント「相続対策セミナー」は、いったいどんな世界なのか興味はありましたが、残念ながら仕事が入ってたので、講演だけで会場を抜けてきました〜。主催の銀行さん、ありがとうございました!

そして、こういう高揚したタイミングが読書に最適。
本棚を漁って、買ったまま読んでなかった養老先生関連の本を2冊発見。
「かけがえのないもの」と、甲野善紀さんとの対談「自分の頭と身体で考える」。
リアル養老孟司を体験後に読むのは、これまでとひと味違う読書感ではないかと楽しみです。

三宅洋平に会ってきた。
「何だか最近、デトックスしたい気分〜」とか思ってたので、この前の休日、前からオススメされていた、街なかのよもぎ蒸し専門サロンに行ってきた。

ちょうど同じ日、三宅洋平が選挙フェスで広島に来ると聞いていた。

ので、街に出るついでにそっちも行ってみることにした…というより、今思えばむしろ何となく、無意識的にその日によもぎ蒸しを合わせた感じもする。

三宅洋平は音楽家で、今回の参議院選挙の比例区立候補者でもある。

以前311関連イベントのステージで1度観たくらいの認識だったけど、
今回の出馬にあたってのチラシをみたら
「政治をマツリゴトに」とか
「人間が地球にとって有益な微生物であれる社会をつくりたい」とか
普通に聞いてしっくりくる言葉がたくさん並んでいて。

生まれて初めて「言葉がしっくり入ってくる」候補者に出会ったかな、と思ったのでした。

私は(きっとこの文章を読んでる多くの人と同じで)、もともと政治には疎いうえに苦手感もある。
もちろん選挙には行かなきゃね、と思うのだけど、正直、投票したい人に会ったことがない(自分が投票できる範囲で)。
「どの人だったら問題ないかしら…」とかなり消去法チック。

すばらしい理念や考え方をお持ちの候補者の方々は、結構多いと思う。
でも、どこか正論すぎて。
「そりゃそーだ、もっともだ」とわかるんだけど、頭では理解しても、ハートにするりと入らない。

で、どこが今までの他の方々と違うのかはわからないけど、三宅洋平は私にとっては、きわめて馴染みのある、ナチュラルで、いかにもそれがフツーの考え方だよね。と思えたのです。

でもそれはそれ、チラシみてるだけでは実際のところはわかんない。
ちょうど私の休日に、広島まで来てくれるなら会いに行ってみようと思ったのでした。

で、当日。
「14時ごろにパルコ前に来るらしい」というボンヤリ情報で、15時ごろに行ってみたのだけど、選挙カーはあったものの人影はなく。
「あれ、もう終ったのかな?としたら、ご縁がなかったかな〜」と、とりあえずさっくりスルー。

そのまま予約していたよもぎ蒸しに行って、すっきりさっぱり身体のデトックス。
大地の恵みである薬草たちと、水と火と風(蒸気)の4つのエレメントが合わさった浄化のシステム。ん〜爽快!

その後、近くのお気に入りスポット、世界平和記念聖堂でハートをデトックス。
さらにその後、これまたその近くに、前から気になっていたカフェを発見して、ついついオーナーさんと話がはずんでしまい、あっというまに19時前。

いろいろデトックスして気持ちよくなった帰りがけ、
何となくパルコ前を通ってみたら、ものすごい人だかり。
三宅洋平の選挙カーの近くにミニステージが設営されていて、誰かが歌をうたってる。
横のテントをチェックしたら、野外フェスと同じようにタイムテーブルが貼られていて。
どうやら15時すぎからフェスを開催していて、いろんな人が歌ったりトークしたりしていた様子。
そして、あと数分でトリの三宅洋平が登場することになっているではないですか。

うーん、これはやっぱりご縁があったかな、と最前列に陣取って、街頭演説(ライブ?)を聴いてきました。1時間くらいかな。


政治って(あと宗教もそう)、一般的にはどこかタブー視されてる感じがあって、内面では何を思っていようと、常に外に対してはニュートラルでいないといけない…みたいな雰囲気が世間にはある。
なので(免疫できてないから)、政治とか思想の話自体に抵抗を感じる人も多い。

実際、私も以前は選挙とか政治の話とか聞くの、苦手だったし。
(私は311以降、そのへんがちょっぴり変化してきました。それまでとは全く別の世界に生きているんだという認識がクリアになってきたから)

なので、ここではその演説の内容とか、そういう話はしません。

ただ、やっぱり会ってみて、しっくりきました。
私や、私の周囲にいる人達の感性や考え方と基本的なところが一緒。
「そうそう、それが普通だよね。この考え方」と思うような。私にとってね。

選挙に出るために必要な600万円(立候補するだけでそんなに必要なんて!)は、3ヶ月全国ツアーしてカンパで集めたのだそう。
つまりやっぱり、この考え方に共感している人がそれだけいるということだ。

近くで彼のトークを聴いていると、ハートにくる。
何かの振動がね、ハートに響くの。

責めることなく、怒ることなく、話し合いをしていこうと。
政治の闇を責めるのではなく、そこに光をあてていこうと。

それは理想や正論ではないよ。
実際に聴けばハートにするりと入ってくる。
ロジックではなく、理屈ぬきにハートへ。

その人が一人で当選して何になるの?という意見もある。
でも、それこそロジックだ。
何になるかとか、それは知らない。将来のことは誰にもわからない。
私の場合、ハートに入ったことで、理屈ぬきに「その意志を持つ人を当選させてあげたい」と、思いました。
それに、こういう人が当選したら面白いんじゃない?みたいな。
それがハートのあり方。

街頭ライブイベントは、普通の宣伝活動より手間もお金もかかるやり方だけど、
各地でこうやってフェスを実行して、
ちゃんとハートに響く言葉で伝えようとしてくれているのがよくわかる。
頭の理解では誰も動かない。でもハートに届けば、必要な変容がおこるから。


うん、もし興味があればツイッターやブログなど、ネットで「三宅洋平」をチェックしてみてください。
この文章を今読んでる人だったら、面白いと思う。

彼の場合、全国区なので日本全国、誰でも投票できます。
2枚目の比例区の投票で、個人名を入れることができるんだって。
私、今まで比例区って政党の名前しか書けないんだと思ってました。
よかった。初めて、心から素直に「国会に行ってもらいたい」と明確に思える人の名前を書いて投票できそうです。
全国で、だいたい120万票集まれば当選するんだって。
なんか、同じような意見の人、そのくらいいると思うんだけどなあ。

政治の細かいことはよく分かんないし、政策が正しいとか正しくないとか言い出すときりがない。
たとえば原発のことを意見すると、必ずその反対意見の人が反発するのがお約束になってるみたいに(それは賛成・反対どちらにしてもね)。

なので、そんなことはここで語るつもりもない。
ただ、演説を実際にきいて「うん、この人に当選してほしい」と、シンプルに思ったときのことを書きとめておきたくて。

そして演説が終わったあと、彼とお話する機会も持てました。
私はこの人にいったい何を話すのだろう?と思ってたら(私は自分が思考することなく、勝手に口が喋るのです)、

「お話きいてるうちに、いろんなものが溶けてデトックスされていきました。ありがとう」と。

彼はそれを聞いて、
「ああ、それはよかった」と笑い、そしてハグして握手してくれました。
出会えて、よかった。

まだ当選したわけじゃない。けど、そんな先の話ではなく、今。
こういう人が選挙や政治に関わっていること自体が、今までになかったことだと思った。
周りで手伝ってる選挙スタッフの人達も、みーんな野外フェスに来てるような人ばかり。フェスのボランティアと同じような感じで楽しんでる。
きっと、これからもこういうシンクロが増えていくんじゃないかなあと感じたり。
…という事実を目の前に見れたことが、何だかすごく嬉しかったのだと思う。

いろんな意味で、デトックスの日だったみたいです。
気持ちのいい、一日でした。


追伸
昨日になって初めて三宅洋平のブログをチェックしてみた。
「泣いても笑っても選挙期間はあと240時間」というフレーズがあった。
というか、今はもうあと1週間。
…と。選挙期間をそんな風にワクワクドキドキすごす体験も今回初めて。
選挙って、当選してほしい人がいると結構面白いんだね。
現実、の最前線で活動する人たちに会ってきたこと。
ここ最近、風邪気味でボーッとしてたせいか、逆に埋もれていた記憶などがよみがえり、ちょっと前のことなどを書きとめておきたい気分に。

で、ちょっと前。マヤ暦で銀河の活性化の正門が10日間開いていた時期。
ちょうど311以降に興味を持って、会ってみたいなあと思っていたお二人の方が、続けざまに広島に来られたのでした。ラッキー。

それは、田中  優さんと、てんつくマンさん。
さっそく講演会とワークショップに参加してきました。

お二人とも、以前から原発問題をはじめ、社会や環境の様々な問題に向き合って活動されている方ですが、私自身が存在を知ったのは311以降。
原発や電気のことなど、いろんなことを調べたり、今何が起きているのかを学んでいく中で出会いました。
そして、この震災後の状況にリアルに向き合っている人たちだなあと感じてました。
そんなわけで、今この現実の最前線で活躍している人のナマの声を聴きたくて出かけた次第です。

田中さんの講演は、明解でわかりやすく、力強く優しい気持ちに満ちてました。
てんつくマンさんのワークショップは、ハートフルで楽しく、夢の力とグラウンディングの力がバランスよくしっかり繋がってました。

その時の内容やご本人のプロフィールには詳しく触れません。
私が説明するより、ネットで検索したほうが間違いないと思います。

私が書きとめたのは、この激動の現実の最前線で、自分のなすべきことを理解して、それを実際にやっている人たちのエネルギーの感触を憶えておきたかったから。


今、私たちはもの凄い急速な世界の変化を体験してます。
いちばんわかりやすいのは、やっぱり原発事故による放射能汚染。
毎日毎日、今この瞬間も、福島の原発施設では放射能が放出されて。
すごい世界になったなあ、と思う。

ほんと、人類初体験の新ステージに311以降ワープした感じ。
今まで誰も体験したことのない世界に入ったわけで。
大気も水も土地も、どんどん放射能汚染が進んで…って、まるでゴジラとかウルトラマンとか、昔のSFの世界が現実になっちゃった。

マンガみたいだけど、現実。
やっぱりナシの方向で、とか、リセット、とか、無理。
見ないふりしても、事実として、海流にのり空気にのり、大地に染みわたり、世界中が今までとは違う濃度で放射能を浴びる生活になってるわけです。
最近、旅に出てないけど、ある意味新しい地球を日々旅している感じはあります。

もちろん、ものの見方は人それぞれですが、
私は、この新しいSF的現実の中で、個人もまたその状況に応じて変わっていくことになると感じます。
どう変わるかも人それぞれですが、とりあえず新しい地球では「311以前の現状維持」というのだけは確実に無理っぽく思われます。

そしてその変化は、この現実から逃避せず、恐れることなく、反発することなく、まずは受け入れ、流れにのって心に感じたことを一つ一つ行動に移していけば、自然に変わっていくような気がします。

本当に旅と同じで、日々何が起きるかわからない。
ある意味、大冒険の毎日。

こんな大きな世界の変容を体験し、参加できるこの時期になぜだか生まれてきたんだなあ…と、時折思い出しては、その凄さにビックリしています。

とまあ、いろいろそれなりには受け入れてるつもりなのですが、
やはり人類初のステージを体験するなかで、どこか現実から離れてしまっているような微妙な浮遊感を感じたりすることもあり、現実に根づいてない感触もしばしばなわけです。


…で、田中さんとてんつくマンさんです。
その現実の最前線みたいなところでリアルに向き合っている人たちに会ってみたかったわけです。

お二人に共通していたのは、まずはその本気さと真剣さの当然っぷり。
そして本当の意味でポジティブであること。

リアルな厳しい状況を目の当たりにした上で、諦めたりとか「どうせ無理」とか「現実は甘くない」みたいな、社会に蔓延している制限のある考え方にまどわされない。

真剣に本気でポジティブで、未来に大きな希望を持ってる。
その気持ちの強さと当然っぷりを肌身に感じられたのがよかった。

そうだよね、この先より良くなっていくのは当然なんだよね。

このお二人のエネルギーに接して、私の場合「この先なかなか大変だぞ」と思っている部分が、無意識なレベルではそのままネガティブな感情とリンクしてたことに気づかされました。
この先なかなか大変だぞ、は単なる想定であって、
そこに「だからやる」と、ポジティブな感情をセットすればいいのね、この人たちみたいに。
…と、さっくり納得。
実際そういうエネルギーを持っている人に直接会うと、理屈ではない部分でいろんなことが納得できます。

おかげで、今の自分が現実にできることを、ハートを通して一つ一つやっていれば、それできっと大丈夫!という気持ちが自然に湧いてきました。

そして書きとめた今から、また心を新しくして、自分なりにできることを一歩一歩やっていこう!と元気に思ってみたり。

そんなわけで今できることを一つ。

てんつくマンさんが、送電線の国有化を目指して、七夕までに1000万人の署名を集めはじめました。
1000万人とはまたポジティブでパワフルでしょう?
それを聞いた時、人はそれぞれどんな感情を抱くのでしょう。
以前の私だと、表面では肯定しつつ無意識には「無理でしょ」という制限のある考え方にどこかで囚われてたと思います。
今は「ハードル高そうだけど、だからこそまずはやってみたい」と思います。
詳しくは以下へ。

http://maketheheaven.com/japandream/

ネットで気軽に署名できるので、賛同される方は是非。
1000万人のうちの一人になりましょう。
そしてよかったらどんどん広めてください。
いつのまにか心にはびこる、制限のある思いや考え方に惑わされることなく。
ダライラマ法王に会ってきたよ!
昨日、ダライラマ法王の講演会に行ってきた。

私は、ダライラマ法王のファンである。
店には写真まで飾ってある。ツイッターもフォローしている。
でも、ただのファンなので、チベット仏教とかはよくわからない。
あの、人としての個性が好き。
まとってる柔らかい空気や笑顔、ひとつひとつの仕草まで、何だか惹かれてしまうのだ。
もちろん、それが法王の法王たるゆえんでもあるのだろうけど。

歴史的にもあれだけ大変なご苦労をされて、今もなお困難の続いている現状があるはずなのに、
講演などで同じ空間で接している時には、そんなことが起きていることさえ忘れてしまうほど穏やかで(実際、今書いていてようやくその現実を思いだした!)、変な深刻さや真面目さがなく、遊び心と無邪気さに満ちている人だ。

昔、まだダライラマのことやチベットの現状をよく知らない頃、インドのヒマーチャル(ヒマラヤ地方、です)に遊びに行った。
温泉のある村でのんびり滞在してたら
「ここから車で8、9時間あれば、ダライラマが亡命している、ダラムサラという町に行けるらしい。そこで握手とかもできるらしいよ」と聞いて、
車を旅行者とインド人数人でチャーターして小旅行に出かけたことがある。
よくわかんないままミーハー気分でダラムサラに到着し、
さっそく「ダライラマにはどうやったら会えるのか?」と地元の人に聞くと、
「法王は今、日本に行ってるよ」とニッコリ。
…日頃の行いの良さをあらためて感じた瞬間でございました。

つまり、あの時点では逢うタイミングではなかったってことですね。
そして、そのことが何となく気になっていたのか。
たしか7〜8年前だと思うけど、東京にダライラマが来られ、
法王のご希望で、若い人のために無料の講演会を開くことになり、それに応募したら当選。

広い国技館の中央に座ったダライラマは、2階席から見ると3センチくらいのサイズだったけど、
それでも、その穏やかさや笑顔、不思議なくらい柔らかい自然な仕草に魅了されてしまったのでした。
そして一気にファン。

で、今回。
2日前に講演会のことを知り、しかもタイミングよくその日は店休日で、大きな予定もなく。
「広島って世界的には平和のシンボルっぽい町だし、もしかして結構ダライラマとか来ちゃうかもね!」
と引っ越し前に言っていた願いがもう叶ってる!と思いました。ラッキー。

久しぶりにお会いしたダライラマ法王は、相変わらず優しくて、柔らかくて穏やかで、気持ちよかった。
講演は講演というより法話で、仏教用語満載のお話しだったので、左脳的な部分ではよくわからないところもあったけど、右脳的には今ちょうど自分の中でテーマになっている変容についての話のように感じ、いろいろ味わい深い時間でした。

前の講演会の時は英語でお話しされてたけど、今回はどうやらチベット語で話されたみたいで、その響きも心地よかったです。
ファンとしては、内容を理解するよりも、
声の響きとか仕草とか、身体の揺らぎとかに波長を合わせてフワフワ楽しんでました。
それと、笑い!
ダライラマの笑い声を聞くだけで幸せな気分になれるのは、まさに魔法です。
とても心地よい時間を過ごせた一日でした。

前から不思議だったのは、笑顔や声にハマるのはともかく、ひとつひとつの仕草に魅了されてしまうことです。
話しながら、ポリポリと頭をかいたり、腕をさすったり。通訳中に他のことをやっていたり。あらゆる些細な仕草さえ目が離せないのです。

で、今回帰りに食事のために入った店で、MJのライブ映像が流れてました。
そしてやっぱり彼からも目が離せない。
全然違うはずなのに、何か法王とMJに共通したものを感じてツイッターでそうつぶやいてみました。
反応してくれた友人のコメントで、気づきました。

ああ、2人とも「今」にいることに真剣なのだ。と。

この瞬間を生きている人の、「今ここ」にいることができる人の、動きなのだ。

私達の多くは、なかなか「今」という瞬間に寛ぐことができない。
ほとんどの人が今に居れないので、見本になる人にもなかなか出会えない。
これは言葉で説明しても出来ることではない。
でも、ダライラマのような本物を見ることで「質」みたいなものを体感することができる。
それを味わえることに魅了されている自分の一部に気がついた。

そして、この「質」を体感するには、同じ空間に存在してみると一番わかりやすい。ライブとかと一緒だよね。
同じ時代に存在できてよかった。しかも直に会える環境でよかった(MJは残念ながら会えなかったから)。

こうしてナマで会える時には、なるべく会いたいなあと思いました。
今現在、広島で行われている平和サミットの打ち上げ(?)スピーチみたいなのを、
今度の日曜日の朝9時半からメンバーそろって平和記念公園で行うそうです。
なのでそれも行ってみる予定です。
どうやらハチロクの式典と同じく芝生を開放するらしいです。
市民の皆さんは参加されてみてはいかがでしょう(もちろん入場無料です)。
まだ会ったことのない方は、ぜひダライラマの空気に接してみてくださいませ。

思ったことは、そのままにせず行動でしめそう。
その思いやりの心を実行していこう。
…みたいなことを法王はいつもおっしゃってます。
思ったら、行ってみてね。

私も自分ができること、ひとつひとつ形にしていこう。
けっこうそれが一番難しいとこなんだけど、やっぱファンの人に会って火がついた感じかな〜。

また長くなっちゃった。
長くなったついでに、私の好きなダライラマの有名な言葉をひとつ。
…こういうのも、どうせみんな知ってるし、とか思ってこれまであんまりシェアしなかったんだけど、知らない人もいるもんね。
まずはこういうことからでも、私のできることを形にしていこう。

「愛、ゆるし、思いやりにより、
私たちはさらなる希望と決意を手にし、
より明るい未来に向かって進むことができます。
怒りや憎しみに負けてしまえば、道に迷い、
苦痛に満ちた人生を送ることになってしまいます。
ゆるしの気持ちを身につければ、
その記憶にまつわる負の感情だけを
心から手放すことができるのです。
ゆるしとは「相手を無罪放免にする手段」ではなく
「自分を自由にする手段」です。」

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