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赤ちゃんのここち
先日、常連のお客さんが、生後2ヶ月の赤ちゃんのお顔を見せにきてくださいました〜!
妊娠される前、いや結婚前からご来店くださっていて、ついに赤ちゃん誕生!ということでご挨拶にきていただいて、私もしみじみ感慨深く。

こんな、地上に降臨されたばかりの赤ちゃんに会えるとは。
なんせ2ヶ月ですよ。生まれたてホヤホヤ。
親類縁者でないと、なかなかこの時期の赤ちゃんに会える機会はありません。
いや〜、赤ちゃんパワーにクラクラ☆
まさに天使、天の使いです。

生まれたての赤ちゃんは、天国からのエネルギーをたくさんお土産に抱えて、この世界に降りてきて、みんなにギフトしてくれる。
出会う人にすべてに、分けへだてなく降り注いでくれる。

泣き声とかもう、私には天のシャワーですね。
特に生後3ヶ月くらいまでは何の自我もなく、ただ泣きたいから泣いていて。
そのピュアなエネルギーが身体に染み渡る。
生きてるぞ〜!っていう命のピュアさが、ハートにあったかいのです。
まあこれは第三者だから気軽に言えるだけで、泣かれるお母さんは本当に大変だし、赤ちゃんもいろいろ伝えたくて大変だとは思うんですけどね。


話がそれた。それで、ご来店くださった赤ちゃん、
この世界にご降臨ホヤホヤですから。
そこにいるだけで店の空気が清浄になっていく。
横にいるだけで、ほわほわと優しい気分になって。
ありがとうね!遊びにきてくれて。

そして赤ちゃんパワーは翌朝まで続きました。
翌朝、起き抜けに
「あ〜、生きてるな〜。私、生きてるんだ〜」と、いきなり幸福感に包まれる。

昨日、赤ちゃんにもらった感覚が、より結晶化したような。
なんというか、天国気分。
これ、もしや赤ちゃんのときに感じる居心地なのかも。

おだやかで、緩やかで、やさしい風が肌を撫でるような。
ほっこりと心が和らいでいく感じ。
南の島で、ぬるい風に吹かれてポーっとしているような。

なんだろう、感謝かな、愛かな、ふあふあ〜っと、やはらかいきもち。
信頼、かな?
赤ちゃんがお母さんや世界に対して、全てを委ねて信頼している、その心持ち、かな。
恐れがないから、縮こまらない。外にふわりと身体が拡がっていくような。
…みたいな、そんな素敵なフィーリングが届きました。

実は私も、おそらく生まれたての頃と思われる感覚の記憶がひとつだけあって。
でもそれは、あんまり心地よくない記憶(笑)。

なんか、暑くて、身体にまとわりついてるものがゴワゴワと邪魔で、
うーん、思うように身体が動かせないよう!みたいな、暑い中でもがいてる感覚が残ってるの。

私の推測では、きっと生まれたばかりの頃(夏生まれだから暑いのがその証拠)。
それまでは裸のまま、暑くも寒くもない子宮の中でつるんと心地よくしてたのに、生まれてみたら、おくるみに包まれてしまって(お母さんが誂えてくれた、地上の物質の中ではできる限り柔らかくフワフワの布のはずですが)、ゴワゴワして重くて動きにくかった記憶なのでは?と思ってるのです。

でもそういう不快な感覚だけじゃなく、本当は、この朝のような心地よい感覚の体験も持っていたんだと。
私の奥底に眠っていたその感覚の記憶を、前日に来てくれた赤ちゃんが甦らせてくれたんじゃないかと思います。

ほんと赤ちゃんパワー、翌日までありがとう!
ギフトをありがたく頂戴いたします。最高に気の利いたプレゼントでした〜。
命の潮流
秋に入って、勢いのあった夏の生命力が、少し落ち着いてきた感じがします。
先日、玄関先を掃除しているとき、
片方の翅がボロボロの、でも、とてもとても美しい、真っ白い小さな蛾が目にとまりました。

どうやらまさに虫の息、この世を卒業しかけている場面に立ち会ったようです。
もう飛ぶことはできませんが、地面を這ってがんばって動こうとしています。

この出会い、もしかして彼女が呼んでくれたのかな。
この世からの卒業を見届けるお役目をいただいた気がして。
よし、お役目をしっかり果たさなきゃ!と、掃除も中断です。

彼女は今生を生ききったかな。
命は次世代につなげただろうか。
どんな一生だったんだろう。

そんなことを想ってるうち、ついに動かなくなり。
卒業したのかな?と、少しだけ、そよ風のつもりになってフウ、と優しく息を吹きかけてみたら。
またピクっと、ほんの少し動くのです。歩こうとし始めるのです。

最後まで全力で生ききろうとする、白い小さな美しい蛾。

気づいたら、いつのまにか涙が頬をつたっていて。

そして本当に動かなくなるところまで見届けることができました。

命のエネルギーが、ふたたび宇宙に戻っていく瞬間を見届けられて。

そのとき。この世界に滔々と流れる命の潮流を、久しぶりに感じることができました。
ほんの時折ですが、この潮流に出会うときは、いつも畏敬の念を覚えます。

私がこの、命の潮流を初めて意識的に知覚したのは、4〜5年前の車の中でした。

車で店に通勤途中、おそらくカナブンのような甲虫が、
ゴツン!と、音をたてて勢いよくガラス窓にぶつかってきて。
そしてあっと言う間もなく、一瞬のうちに跳ねとんでいきました。

あ。死んじゃったかな。と、思ったそのとき。

今見たカナブンの命、そのカナブンまで連綿と繋がっている先祖カナブン達の命、彼らの仲間の種族、関わりのある植物、樹木、動物、そして人間 etc…と、カナブンから繋がって一気に、この世界の全ての中に流れている命を、その循環している大きな潮流をドドドドーーーーーっと、音をたてて流れているかのように一瞬に知覚したのです。

命は循環している。ということを言葉としてではなくリアルに感じた瞬間。

私たち生命は、この世から去ってはまたやってきて、巡り巡って命の流れを、宇宙の流れのリズムを体験している。
カナブンも、私という命も、その流れの中のほんのひとすじに過ぎないし、でも同時にすべてでもある。
宇宙の共有された命の全てでもあり、その一部でもある。

…ということを、カナブンのぶつかった一瞬に感じとったのでした。

以来、ときおりその潮流に触れる機会があって、
そのたびに遥か彼方までひろがる世界に、滔々と流れつづけている命の存在を感じ、
細いひとすじながらも、そこに確実に繋がっている自分を知覚する。

それは畏敬の念と同時に、安心感とくつろぎを感じる体験です。
ここに触れるたび、まるでバカボンのパパのように
「ああ。これでいいのだ」と、
何が「これ」かさえわからないけど、深くそう感じるのでした。

これでいいのだ。
カープ優勝によせて。
ついにやりましたね〜。カープ、25年ぶりのリーグ優勝。おめでとうございます!
優勝が決まったあと、夜空の下に出ることがありました。
なんとなく、普段とは空気の気配が違うように感じました。

いつもより軽やかな。ふわっと広がるような柔らかい感触。
みんなの歓びのエネルギーが影響してるのかな。

空気感はまた少し違うけど、ハチロクの朝、いつもと違う空気になってるのに気づくような、そんな感じ。

実は広島に来るまでは、野球自体にそんなに興味がありませんでした。
プロ野球にどんなチームがあるのかも漠然としか知らなくて。

しかしやっぱり、広島に住み始めると、自然にカープ色に染まっていくようです(笑)。

あちこちでカープ情報を目にし、耳に聞くので、いつのまにか選手の名前と顔が繋がったり。
いろんな店で「昨日3対1でカープが巨人に勝ったから本日ガソリン何円引き!」とか「現在カープは◯位!」とか、看板出したりしてるので、試合やニュースを見なくても、試合結果を知ってしまったり。

いつのまにか、それなりにカープが身体に馴染んでくるのです。

カープパワーすごい。ていうか、ファンの方々のカープへの愛がピュアでひたむきなんだよね〜。

そんな、広島におけるカープ愛のすごさ。を初めて体験したときのことを思い出したので、ちょっと書いてみようかな。



それはまだ、横川に占猫をオープンして間もない頃でした。

とりあえず店はオープンしたものの、土地勘もなく完全アウェイ状態。
横川がどんなところかもわからない。
なので時間を見つけては、ふらふらと横川探索し、いろんな店に立ち寄ったりしてました。

そんな中、ある焼き鳥屋さんに入ったときのこと。

あとで知ったけど、そこは元カープの選手が経営されている店だとかで、カープの選手やOBも結構見かけるのだそう。
そして私が初めて行ったとき、私の隣にちょうど、広島では有名なカープOBの野球解説者の方が座ってらしたのです。

しかし、もちろん、ぜんぜん知りません。

フツーにカウンターならではの会話を交わすうち、どうやらカープ関連の有名な方、というのが薄々わかってきました。
でも逆に、なのに名前も知りません。とは言えない雰囲気になってきました。

しかも解説者さんの連れの方が、そんなあやふやそうな私を訝しんで、
「もちろんこの人のこと知ってるよね、まさか知らないの?」的な感じの話を振ってこられるのです(汗)。

ここで変な知ったかぶりをしても、どうせバレるのがオチです。
「あの、すみません、私、1ヶ月くらい前に東京から来たばかりで、カープのことも野球のことも、よく知らないんですよ〜」と開き直りました。

そうすると、その連れの方は大変に驚かれました。
「えっ⁈じゃあ、野球みてないの?」
「ええ、そんなには…(汗)」
「じゃあ、サンフレッチェだ。サッカー?Jリーグ?」
「えっと、Jリーグも、あんまりわからなくて…(汗)」

それを聞いて彼はさらに驚きました。

「えっ…(本気モードの絶句)…じ、じゃあ、人生、何が楽しみなの?」

こうして書くと、これ、結構深い質問ですね。
確か答えられなくて、どうでしょうね〜とか笑ってごまかしたような。

私はその連れの方の、本気で驚愕していた様子が忘れられません。
お顔は忘れてますが、その時の衝撃度、みたいな。

そっか、広島では野球もサッカーも興味がない人間がいるなんて、想像もつかない方もいるんだ〜!と感銘を受けました。

それが広島に来て最初に触れた「カープ愛」でした。

いや、触れたというより、カープ愛の熱い一撃をくらったのです。
「広島に来たからには、そうと心得よ!喝!」って(笑)。

あ、ちなみに解説者さんも、お連れの方も、気のいい呑兵衛で気さくな方々でしたよ。念のため。

もちろん今は、こんな風に広島市民みんながみんな熱烈なカープファンじゃないことは知ってます。
でも「あんまり興味ない」といいつつ、おそらく私みたいに、何となくは、うっすらと、カープ色に染まってると思います。広島在住というだけで。

そしてそれはけっこう心地よい。
プロ野球の球団、というより「カープ」というエネルギーが普通に広島人の生活に溶け込んでいる感じが。
なんだか不思議なピュアさを感じる、広島の持つ「カープ愛」自体を、私は愛します(笑)。
野生のシカと初めて遭遇した日
この前、宮島で、食べ物を狙って後ろから迫ってきたシカと、結構本気の力くらべになりました。
もう食べ終えて横に置いていたプラケースを食べようとするシカ。
食べれないから!と、口から引き離そうとする私たち。
そのシカの絶対に放すまいとする力強さに、荒ぶる野生の気配を感じて、ちょっと心臓バクバクしたのですが。

それが引き金で、ずっと昔、初めて野生のシカと遭遇したときのことを思い出したのでキロクしようかと。


もう10年以上前かな〜。私たち夫婦は20代の頃に海外を旅しているときから野外で踊るのが大好きで。
日本に戻ってからも、当時シーズン中はほとんど週末ごとにあちこちで開催されていた野外レイヴによく出かけてました。
バイクに2人乗りして、テントや寝袋積み上げて。
忙しい仕事のストレス解消、キャンプも兼ねてのお楽しみでした。

で。あるとき群馬の山奥で行われた野外レイヴに東京から参加するため、真夜中に山道をバイクで走ってたときのこと。

本当は、そんな暗い山道をそんな時間に走りたくなかったのだけど、
たしか急な取材が入ったか、締切の関係かなにかで出発が遅くなったのでした。
会場に近づくほどに山奥で真っ暗。
ライトの光よりもその先は真の闇。
そんな中、手探りのように走っていたら、ライトの先、闇と光の境に、不思議な人影のようなものが。

あれ〜、この人酔っ払ってるのかなあ。こんな夜中にこんな場所で…にしても…あれ?ちょっと、人にしては大きくない?
と、思ってるうちに追いついた、その人影らしく見えたものは、ツノの立派な牡鹿が走っていたのでした。

ええーっ?!シカってこんなに大きいの〜っ?
が、第一印象。

山のようにキャンプ道具を積んだ、二人乗りの中型バイクよりもひとまわり大きい感じがしたのは、実際そうなのか、それともその野生のパワフルなエネルギーに圧倒されたからなのか。

なんにせよ、それは私にとって、初めて野生動物とお互いが意識的に向き合ったときでした。

正直「ビックリ」のひとことしかありませんでした。未知との遭遇。
今までに見たこともない存在の仕方をしている生命が、突然目の前にご降臨、という感じ。
「えっ?こんな風に存在しちゃうの?」と、ただただ新しいものへの驚きにビックリ。

だってね、まずバイクと同じくらいの速度で100キロどころか200キロくらいありそうな巨体がフツーに走ってるの。飛び跳ねながら。
そのたびに、ガツッガツッという重そうなアスファルトの軋み。
アスファルトを後脚で蹴るたびに動く、毛皮の奥の逞しく美しい太ももの筋肉。

そのエネルギーの凄まじさたるや。

もう寒くなりかけた秋の山奥での彼の呼吸は、バフーッバフーッとふいごのような肺活量で、あたりを水蒸気で真っ白にし、雲か霞で身体を包んだ仙人のよう。

リアルなのは、その息や体臭の獣くささ。
おそらく生涯一度もお風呂に入ったことのないシカ君は、気が遠くなりそうな濃厚な香りで。

…とかなんとか、考えてたのは実はほんの一瞬のうち。
それはスローモーションのようなひとときで、未知との遭遇に呆然としているうち、バイクが追いついてシカを抜かそうとしたその瞬間。

シカと目があった。
ちゃんと意識してお互いが繋がった。

でっかい目玉でギロリと睨みあげ、
「おら、お前らどこのモンだ。俺の邪魔するとタダじゃおかんぞ!」
とばかり、突然バオーーーーッ!と首を振り上げて、ツノで威嚇してきたのです。

ほんと、危なかった。
威嚇とはいえ、ほんのわずかの差(10cmくらいかな?)でダンナの腕はツノで裂かれる危機から逃れることができ。
ちょっとでも接触してたら、跳ね飛ばされてレイヴなんて行ってる場合じゃなかったかも。

シカ君的にも脅しのつもりだったらしく、それ以上追ってくることもなく見逃してくれました。

今こうして思い出しても、本当に立派な牡鹿で、しっかり全力で生きてきた生命力そのものでした。
動物園では感じられない、あの形容しがたい躍動感、力強さを体験できたのは人生の宝のひとつです。

ある意味、九死に一生を得て、あの生命力を感じるチャンスをもらえたことに感謝したいと思います。

ちなみにその後、無事到着したレイヴでは、ギリギリ生き残れた高揚感か、おかげさまでエネルギー全開。
まるでシカが乗り移ったかのように、明け方まで踊り続けましたとさ。
めでたしめでたし。
完ぺきです。
この前の道後温泉で、お湯からいただいたメッセージ、
「あなたは既に完璧なのです」
を受けて、ふと思い出した昔のことを書きとめようかと。

***

小学校に入ってすぐの頃。
お絵描きの授業のとき、どうやら水彩絵の具を使うのが難しかったようです。
「ようです。」というのは本人は自覚なくて、それでいいと思ってたから。

水彩ときいて、つまり水をたっぷり流せばいいんだな。みたいな感覚だったので、画用紙の上に水そのものを流すくらいの勢いで描いてました。
おかげで何を書いても、最終的には紙がヨレヨレにふやけた、どす黒いマーブル模様っぽいものしか浮かび上がらない。
「おかしいなあ」と思いつつも、まあ水彩画ってそういうもんだなんだ。と、疑うことはありませんでした。

が。たぶん初めての授業参観にやってきた母が、教室の後ろに貼ってある、どす黒い、何が書いてあるかも不明の、私の抽象画を見て衝撃を受けたらしく。

たしか、それから一週間もたたない間に、近所にアトリエを構えておられた画家の先生のところに問答無用で放り込まれ。絵を習いに行かされたのでした。

いちおう自分を擁護すると(笑)、もともと幼稚園の頃からお絵描き自体は好きでした。
ただ、とても不器用で。
「道具」を扱うことに関して、身体と道具がつながるまでにとても時間がかかるようなのです。
水彩絵の具もクレヨンと違って、パレットだの筆だの水入れだの、道具がたくさんあって複雑で、それぞれと仲良くなるまでが大変だったみたい。

と、たぶん言葉にしてみたらそういうことだと思います。
で、先生はそれを理解してらしたようです。
私の身体と道具がどうつながればいいかを、うまく馴染ませてもらえたような気がします。
おかげで、私の絵の技術は(センスはまた別問題でしょうから)、めきめきとアップして、お母さんもホッとひと安心。
小学2年の3学期に親の都合で転勤するまで、毎週日曜日の午前中、このアトリエに通うのが日課になっていました。

実はあれだけお世話になったのに、先生のお名前も忘れてしまいました。
油絵がご専門だったのかな。アトリエにはたくさんの油絵が立てかけられていて、部屋の隅においてある、板のパレットに載ったこってりした絵の具からも、なんだか大人の気配を感じてドキドキしたものです。

私は絵を描くのも好きでしたが、そのアトリエに行くこと自体が楽しみでした。
絵のほうは気分によっては描きたくない日曜日もあるわけですが、アトリエの雰囲気が好きだったので、結構な皆勤賞っぷりだったと思います

アトリエはまるで植物園の温室のように明るい空間でした。
高い天井から壁まで、3面丸ごとガラス張り(天井は半分くらいかな?あと壁が2面全面ね)なのです。
しかも、いい感じの木々がアトリエを囲んでいるので、まるで木漏れ日のような穏やかな光が降り注ぐのです。

もちろん幼い頃の記憶なので、多少自分の理想にアレンジしてる可能性はありますが、全然違ってる。ということはないと思います。
そんな気持ちのいい空間で、光を浴びながら絵を描く時間はとても至福のひとときでした。

まず、開始時間とか小うるさくありません。
お昼までに終われるくらいの時間で、みんな好きな時にまちまちにやってきます。
適当な時間に行くと、その日に描く対象が、アトリエの真ん中においてあって、みんなそれを囲んで黙々と描いているのです。

ほとんど誰もなにもしゃべりません。とても静かな時間。
ときおり先生が回って、見て、褒めてくれるだけ。
そう、先生は決して直そうとか正そうとかしませんでした。
道具の使い方に困ってたら、教えてくれるけど、絵の内容に関して手出しすることはありませんでした。

そして描きおわったら、先生のところにもっていきます。
先生は、それをしみじみと、しっかりじっくり鑑賞したあと
「素晴らしいですね」といい、
その画用紙の裏に「完ぺきです」と、書くのでした。

後ろに書くコメントは、必ず「完ぺきです」でした。
時々そこに花丸がついたりするので、完ぺきの度合いに多少の差はあるのでしょうが、言葉は常に「完ぺきです」でした。

小学1年生としては、最初意味がわからず。
親に意味をきいて知ったときも
「え。かんぺきなの?これが?」と疑ったものでした。

でも子どもは純粋です。
「先生がいうんだし、そうなのかなあ」と。
そして、だんだん完ぺきであることが当然になってきて、
いつのまにか「完璧な自分」を許している自分がいました。

先生は「私が今までに見てきた大人とちょっと違うぞ」と、子どもなりに感じられた人だったと思います。
言ってることと、思ってることが一致している、めずらしい大人。

それまで知ってた学校の先生や幼稚園の先生は、みんな「好きに描いていいよ」と表面ではニッコリ笑いながら、実際には「ちゃんと(常識の範囲内で)描きなさいよ」的な気配ムンムンでした。
子供はそういう、言葉にしない大人の思いに、その本人よりも敏感ですからね。

でもあの寡黙な先生は、みんなの絵を本当に完璧だと思ってました。
じっくりしっかり鑑賞して、うむ。と頷いて。

道後温泉のメッセージが伝えてくれたように、
「常に今が完璧」であることを、当たり前に理解していた人だったのかな。
と、ふとメッセージが届いたのに伴って思い出したのでした。

ちなみに、その後、私は引っ越してしまい、以来、絵を習うことはありませんでした。
でもそれ以降は、授業で描いた絵がコンクールで金賞をとったりとか、いろいろ入賞するようになりました。
(私自身は、入賞する絵としない絵の差がわかりませんでしたが。)

なんにせよ、先生のおかげで、
絵を自由にのびのびと描くことができるようになって感謝しています。

そうそう、だから私は絵に関しては常に完ぺきな感覚があるのだな〜、と書いてて気付きました。
思うとおり描けない時はあるけど、それでも「完ぺき感」みたいなのはある。
ああ、そっか。人生とか他のことも絵と同じ感覚で思えばいいのか。

いつも、常に、完ぺき。

三つ子のたましい百までも。
幼いころに、いい大人に出逢うのは大事だなあと、あらためて思った次第です。

とても大切なことを思い出せて、よかった。
先生、本当にありがとうございます。
911によせて
また今年も911がやってきた。もう12年前?
10代20代くらいの人には、どんだけ昔話なんだって感じかもしれない。
でも私には、毎年あらためて自分を振り返るいい機会になっている。

911の事件は、私にとってとても大きな衝撃だった。
あの日、内面で何かとてつもない大きな変化のスイッチが入ったのだと思う。

よくよく振り返ってみると、例えば、今タロットリーディングとかやってたりするのも、心の内面に興味をもち意識を向け始めたのも、もしかしたら911が発端かもしれない。

そのころの私は雑誌のライターをやっていて、日々締め切りに追われ、忙しく走りまわっていた。今思えば、大袈裟でなく仕事しかしてないような毎日だった。
でも、とても楽しんでいた。
毎日が充実しているように感じ、たくさんの出会いがあり、日々の体験を浴びるように楽しんでた。
今でもいい仕事だったなあと思う。
でもたぶん、逆にいえば、当時は物事を深く考えるということもあんまりなかった。

何となく、このまま世界はず〜っと、この忙しいながらも充実した気持ちのまま、どこまでも続いていくのだ…と、漠然と信じていたように思う。

それがあの日、911の事件をニュースで知り、ありえない映像をみて。

え?あれ?…もしかして、世界には私が想像もしたこともないような何かが知らない場所で起きている?と、一気に視野が拡がり、目が覚めたような感覚。

現実は、私が勝手に思っていたような世界とはどうも違うらしい、という触感。

その日もまた、いつものように何件かの取材が入っていた。
たしか有楽町とか東京駅あたりのグルメ系特集みたいなので、1日かけていろいろ美味しいものを取材する日だった。
街中のどこを歩いても話題や映像は911一色。
あるお店で、美味しい黒豚のしゃぶしゃぶを頂きながらも、いつもとは違う、説明できない不思議な感覚を味わっていたのを映像的に今でも思い出す。

「何か」のスイッチが奥のほうでカチリ。と入ったのだと思う。
そして気づかないまま、じわりじわりと新しい方向に人生が向かいはじめ。

あの頃とくらべるといろいろ変化したけど、目に見える一番わかりやすい変化としては、あれだけ好きだったライターを卒業して、いつのまにかタロットリーディングを始めていたことだろう。

なんで全然興味なかったタロットとか心の内面とかに、人生が方向転換していったのか。
あの頃は本当に謎だったけど、今では、直接的ではないにしろ、911の影響が大きかったと直感している。

ただ、じゃあ、それはいったい何がどう変化したのか?といわれると未だに説明できない。
それは、この先も生きていろいろ体験する中で言葉になっていくのかもしれない。
でも確実に感じているのは、これがきっと私にとって必要な変容だったのだということ。

911とか311とか、大きな事件は人に大きな衝撃を与える。
本当に心を痛めることだけれど、それだけに人を変容させるパワフルなエネルギーがある。
今までにも、いろんな機会に「911で私の意識(とか人生とか)が変わりました」という人や文章に結構出会ってきた(自分がそうだから、そういうのを引き寄せるのかもしれないけどね)。
大げさに感じるかもしれないけど、あそこで世界の意識が全体として大きく変容したのではないか、と私は思う。

そして311も、たぶん。
私もまだ言葉にはできないけれど、何らかの影響を受けていると思う。
同じように、あの大津波のありえない映像をみて、奥底のスイッチがカチッと入った人は多いだろう。世界中に。

たぶん、それはきっと、今の世界に必要な変容だ。

私のスイッチが911に入って、その後実際にタロットに出会い、さらにお店を始めるまでには数年かかっている。

そんなふうに、じわじわと時間をかけて、世界は変容していくのだと思う。

 911も311も、感情的には、起こらなければよかったのに。と思う。
でも、起きてしまったことは仕方ない。もう元には戻らない。

だからこそ、前向きにとらえたい。
これらの衝撃があったことで、世界中にいろんな変容がおきることを信頼しよう。

今の世界は、どうも混沌としていて、人に不安や怒りをおこさせる要素が多い。
でも911の今日、またあらためて自分に起きた変化を振り返り、
その変容に心から納得している私は、
これからも多くの変容が、個人に、世界に、今まさに現在進行形で起きつつあることを信頼しよう。

もちろん私自身の1日1日にも、そうした「今」に必要な変容が、じわじわと静かに起きていることを信頼しつつ。

毎年911にあらためて思うこと。


8月23日は玄米記念日
(これは2007年8月のmixi日記の再掲載です)


とつぜんですが、8月23日は私にとって「玄米記念日」です。
忘れもしない4年前、2003年のこの日、
「玄米の旨さ」を心底味わって、大衝撃を受けたのでした。

それまでも、たまーにオーガニックっぽい店とかで食べたことはあるけど、
特に興味もなく、味わいみたいなのも意識してなかった。

なぜなら、そのころ玄米を勧めてくれた人のほとんどが、
まず「玄米、身体にいいよ」「健康にいいよ」と言うのです。
その後で「それに美味しいし」と、味についてはオマケのように付け加えられるわけです。

で、基本的に快楽優先の私としては
「そっかー。じゃあ別に健康にいいとかその程度のことでは食べたくないなあ」と思ってたわけです。
炊くのメンド−そうだし、そもそも白米で充分うまいし。

それがある時から、食べることの大好きなうちの相方が玄米に目覚めたらしく。
「うちも玄米にしよう!」と言い出しました。

料理はほとんど相方にお任せしている私に選択権はないはずですが、
まるで保守派の亭主関白よろしく
「えーでも身体にいいってだけでしょ?どーかなー。それに圧力鍋とか土なべとか買うのも面倒だし〜」
と渋ってたら。
とうとう「誕生日プレゼントは圧力鍋がいい」とまで言い出したため、
ついに根負けしてしまったわけです。

そして、その運命の8月23日。
相方が我が家で初めて玄米を炊きました。
おかずも煮物とか、玄米と相性のいいものが少量並ぶ中、
ごま塩をかけて「どうぞ」と差し出されたのを一口食べた途端…

もうね、表現できません。
ぶわっと涙が両目からこぼれ落ちたの。なんでかわかんない。

これまでの人生で味わい体験していた「旨さ」とは全く別の系統の旨さを刺激され、とつぜん世界が広がった感じ。

(もちろん相方はそれを狙ってただろうから)最高級の無農薬玄米を選び抜き、細心の注意を払い、心を込めて作られたごはん。

魂や身体が「そうなんだよ!これが欲しかったんだよ〜!」って、一斉に叫びはじめて、祝福された感じ。

ごま塩なのか涙なのかわかんない塩辛さを味わいながら、滝のように泣きながら、ただただ味わってました。

その時のインパクト、人生が突如ひろがったような感じが忘れられず、また忘れたくもないので、我が家では「玄米記念日」が正式に制定されました。

これで5年目か〜。以来うちで炊くごはんのほとんどは玄米100%です。
そして人に勧める時には「とにかく旨いよ」っていいます。
自分の「旨い」の世界が広がるよ、って。

それをどうとらえるかは人それぞれでしょうが、
なんせ、私は私の感じたことを伝えるしかないもんね。
今回の記念日も、玄米に感謝して心を込めて炊かせていただきました。
(ちなみに自慢じゃないけど、料理は苦手でも玄米だけは炊ける私です)
いや〜、玄米の食える世界に生まれて良かったなあ、と味わいながらね。
911に想う。
もう少ししたら、アメリカ時間での911がやってくる。
毎年、いろいろ考える。
911は、個人的にも大きな出来事だったと思う。
私は911を境に根源の部分で意識が変わった気がするから。

たとえば、一番わかりやすい表立った変化としては
たぶん今おもえば、911があったから、タロットリーディングという仕事を始めてるのだと感じている。

あの頃はライターの仕事をやっていて、忙しいけど充実していて、それを楽しんでた。
逆にいうと、そればかりに忙しくて他のことは何もしてないし、考えてなかった。
すべては仕事を中心にあらゆることが回ってて、それでよかった。

で、ある日TVで、貿易センタービルが燃えてるのをみた。
釘付けになってると、2機めの衝突をリアルタイムで目撃した。
何が自分の中でおきたのかはわからない。
でもあの映像のように何らかの「破壊」が起きたのではないかと感じる。

え、世界はこんな状態だったの?

こんなにも世界に怒りがたまっているのを、どこかでうっすらと知りながら、でも日々の締め切りに追われ、それを良しとし、まあまあまあ…と見ないふりをしてた部分が、目の前で実にわかりやすい形で溢れ出たのだと思った。

私が原稿の文字数で悩んでる時、自爆テロを決意している人が、世界のどこかにいる。
それが、とてもリアルだった。

その翌日ももちろん仕事があって、たしか鹿児島の黒豚だったか、美味しい店の取材
をした。
美味しそうに鍋の中でぐつぐつしている黒豚の映像だけが記憶にある。

はっきりとなにかが変わったわけではないけれど、同じような取材をしていた前日とは、その時の自分の居心地はどこかが違っていた気がする。
ライターの仕事は大好きだった。
けど、これはもしかして私がやらなくてもいいのではないか…という感じが徐々に形になってきて、3〜4年後に会社を辞めた。

そして、何で占いなんてさっぱり興味のなかった私が、いつのまにタロットやカウンセリングとか勉強してるんだろう…?
と、しばらくは本気でナゾだったのだけど、
911で意識がかわったことに気づいてからは、潜在的にそれが影響して始めた感じがしている。
今やってるお仕事に関わるほとんどは911以後に初めて体験したものばかりだから。

きっと私にとって、あの破壊を見たあとの「居心地」的には、ライターよりもタロットのほうが、どこかしっくりきたのだろう。
その想いが何年もかけてジワジワと形になって、
それが認識できたのはほんの2〜3年まえ。気づいて驚愕しました。

911で人生変わった人は結構いるんじゃないかと思う。
私の周りにも、そうやって意識してみれば変わっていた…という人たちはいる。
そこからライター始めてる人もきっといるだろうな。

あの事件はとても痛ましい。
もちろん、あんな事件はないほうがいいにきまってる。
でも、既におきてしまっている今、
あの事件があったことによって、より自分の真実に近づいた生き方を選び始めた人たちがたくさん生まれたことを感じとっていきたい。

たぶん、あの事件から世界中が何かに目覚めたような。

…と、こうして文章にするとなんだか大袈裟に見えてしまうけど、
そんな感じがしてる。

きっとそうやって、世界は徐々に、いい方向に向かっている。そう思う。

とかなんとか、ここ数年、911が来るたびに徒然なるままに思うこと。
しかも、この感じていることも少しずつ毎年変化しているような。
だから今年は書き留めておこうと思って。

また長くなっちゃった。

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