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突発性感謝症候群
私の持病のひとつに「突発性感謝症候群」というのがある。
勝手に名付けたオリジナルですけどね。
症状は名前のとおり、
突然あらゆるものに感謝の気持ちが起きまくる。です。

これだけ聞いたら、悪くない感じでしょ。
もちろん、ハートの感じとか気分は最高なんですよ。
でもね、あらゆるものに感謝して感動して感受していると、
通常でさえ苦手な、日常の生活行動が遅々として進まないのです。

たとえば、朝起きて。

聴こえてくる鳥の鳴き声に感謝。
その多様性、その喜びあふれる音色、全てが天国の音楽のよう。
満足しきるまでじっくり耳を澄ます。

廊下を素足でひたひたと歩く。
その触感と適度なひんやり感にニンマリ。
足が交互に廊下についたり離れたりする、その奇跡に感謝。

水道の蛇口をひねる。
窓から射す日光でキラキラした美しい水が、私の掌の中に勢いよく入り込んで渦をまく。
そのエネルギーのダイナミズムを手の中で感じられることがありがたくて、ただただ感謝。

もちろん、それを洗顔のためにパシャっと顔に触れる瞬間ときたら!

そして洗いたてのタオルにふかふかと顔を埋めてモフモフする幸せ。
ついつい必要以上にモフモフモフモフ続けてしまう(以下略)。

…と、一事が万事、こんな状態になってしまうのです。

たぶん、憶測ではありますが、これはつまりオープンハートになってるって事だと思います。
2歳とか3歳くらいの時に味わっていた、世界に対するフィーリングと似てる気もする。
本当に気持ちいいんだけど、この世界をずっと味わっていたい気分にもなるけれど、
時間の概念がなくなってしまうのが悩みどころ。

たとえばセッションのご予約を頂いていたりとか、時間という流れの中で人と関わる仕事をしている者としては、
お客さんに迷惑かけたくないし。
でもついつい今あるものに夢中になって、その場にじっくり腰をおろしてしまって、
そしてまた時折、ハッと現実に戻ってきたり。
その行きつ戻りつの葛藤の感じさえ、けっこう気持ち良かったりして。きりがない!

…という感じの症状なのです。
まあ現実社会の時間の中で、あたふたと「生活」をこなしているうちに(てか、そこはほとんどダンナにフォローしてもらってるのですが)、いつのまにか自然に元に戻るので問題はないんですけどね。
(ちなみに、この症候群のタイミングでセッションするのもまた楽しい!)

で、ちょっと前まで、症状出てました。
今は戻ってきた感じ(出てる時は、キーボードとか打てない。無理)。ただいま。

突発の原因はいろいろです。
今回はたぶん、先日のレイ・ハラカミの訃報が届いたのをベースにしながら、
ハチロクの日に訪れた、不思議な静けさと祈りのエネルギーがパカっと開けたような気がしてます。
前回は、明け方にふと窓を開けたら、西の空に沈みかけの満月の輝きを一目見ただけでパッカーンと開いたなあ。
原因不明も多い。朝起きたらハートがオープンになってました、みたいなのも。

今回はいつもとオープン具合が少し違ってた感じがあって(新しいオープンハートの質感を体験しました!これを喋ると長くなりそうなので今回はパス)、
そのせいか、戻ってきてから「このこと、自分の記録として日記に書き留めとくといいかも」という発想が生まれたのでした。

こうして客観的(?)に書いてみて思ったのは、
よく書物とか、いろんな場面で「オープンハートが大事」みたいなことを耳にしますが(魂の通訳してると、たしかにそういう旨のメッセージも多いです)、
現在の、時間に追われやすい社会でオープンハートになるのは、リスクが高いんだろうなあということ。

だってたとえば、あの状態で通勤ラッシュの山手線に乗るのは私には無理。
つまり今の社会環境では、一般的にはクローズするほうが安全なのだ、と。

小さい頃はみーんなオープンハートだった。
それがいつのまにか安全を手に入れるためにクローズするようになっていく。
私だってオープンハートは、気持ち的には喜ばしいけど、現実の状況としては「症候群」っぽくなる。
もし山手線通勤してて、朝ハートが開いてたら私だったらサボるもの。オープンハートは(状況によるけど)社会生活に影響を及ぼしやすいんだと思う。

開いたってことは、それはつまりデリケートになるって事でもあるから、傷付きやすくなったりとか、いろいろめんどくさかったりするしね。
でも毎回、症候群のたびに日常生活に苦労しつつも「やっぱオープンハートは気持ちいい!」と思います。

私の個人的な見方だけど、ずっと開いてると大変かもだけど、たまに開くと「感謝のど真ん中」みたいなのがドコーンと味わえて、いろいろ総合的には生きやすくなる気がする。
たとえば、逆にハートがオープンしてなくて、何となく重苦しい感じの時もいっぱいあるけど、そういう時も特に困らなくなる。悩まない。開くときには開くと思えるから。

結局、陳腐な言い方になっちゃうけど、要はやっぱりバランスなんでしょうね〜。

あれ、こんな長い話を書くつもりではなかったのに。何でしょうね。
まあでも、おかげさまで、こんなことを思ってたのか〜と認識できました。

意外な長文にびっくりしつつ、今日はここまで。
まだまだ感謝の余韻はあるから、気持ちいい音楽ききつつ、美味しいものでも食べてから寝よっかな〜。

…と、ここまでは3日前に書いたもの。
書いただけで満足してしまって、その日は「日常行為」が難しかったので(汗)、ネットにアップする行為ができませんでした。で、そのまま忘れてました。

…という感じが、生活に微妙に支障をきたす症状なわけですね。
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