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共感する力。
かなり唐突ですが、先日、痛ましい結果となった、イスラム国による日本人人質事件について思うことを書いてみようと思う。
正直いうと、この事件について私が何か書くようなことがあるとは思わなかったです。今もね。いったい何書くんだろう?って。
でも今になって心を静めてみると、じわじわと染み出す何かがあって。それが何かを、知りたいような。知りたくないような。
で、しばらく放置した結果「すっきりしたい!」気がしたのです。
書くことで気づくことって結構あるからね。
自分が何を感じてるか知るための文章です。
こういうときって、たいがい長い文章になるので、苦手な方はすっとばしてください(笑)。

こういう出来事は、何日か経つとほとんどニュースに扱われなくなる。
もちろん、それが悪いわけじゃない。人は生きていて、時間はどんどん進んでいく。その間にも、たくさんの出来事が起きている。
ひとつひとつの事にしがみついていたらキリがない。
でも、その出来事が起きたことで、自分の内側に起きる何かがある。
それをスルーしないで、自分なりに整理したり、理解したり、その出来事により「何らかの変化した自分」を確認して、そこから次に進むことが大事な気がしている今日この頃です。
そうすれば執着しないで先に進めるから。

さて、この事件が大きく取り扱われていたとき、私は普段と変わりなく仕事して、ごはん食べて、友人と笑いあって、楽しい事もいろいろやってました。
でも、やっぱり、どこか心が重かったように思う。
言葉にするとしたら「こうしている間にも人質の方や身近な方々のご心痛はいかばかりか」という感じか。
別に、私が心配したからといって何の力になるわけでもないのに。
…と、またその無力感とかも混じり合って、どこか申し訳ない気持ちでいるわけです。それが静かな喫茶店の邪魔しないBGMのように、ひっそりと、でもしっかりと何をやってても心にかかっている。という。

まあ、事件を起こした側はそれが狙いだと思う。
「私たちは、これまでアメリカなどからたくさんの苦しみを被ってきた。罪のない一般市民や子どもが殺されてきた。この苦しみがどんなものかお前たちも味わえ!」ということだろうから。いわゆる「報復」なのだと思う。

私はその狙いにまんまとハマって、苦しんでしまうわけです。
といっても、人質の方や、以前のイラク侵攻や、今この瞬間にも行われているらしい闘争や空爆によって失われている命を考えると、恥かしいほど薄っぺらい苦しみですが。

不思議だけど、人は自分がある事で苦しんだら、
「それと同じ苦しみを他の人には味わってもらいたくない」
と思ってもいいはずなのに(だって苦しいのを知ってるんだから)、
「他者にも同じ苦しみを味わってほしい」と思うほうが簡単みたい。
心は易きに流れやすい(でも結局、それが「報復」になるから、ほんとは根本的には「易き」じゃないんですけどね〜)。
もちろん、こんなことを書いてる私もそうだ。
たとえば、自分があることで大変で苦労して頑張ったのに(たとえば確定申告の作業とか(笑))、
家族からは、私が感じてるほどには共感が得られてないとき。
「え〜っ、あんな大変なのに!だったらあの苦労を一度味わってみるといいよ」って(笑)。

本当はそんな自分ではありたくないのだけど、
たぶん「共感を求める心」がそうさせてしまうのだろう。

ああそうか。だったら、苦しみをわざわざ誰かに体験してもらわなくても、
共感さえしてもらって、気持ちに寄り添ってもらえれば少しは癒されていくし、起きたことを受け入れる勇気ももつことができると思う。

少なくとも、私はそうだ。
どんな苦しいことが起きていても(たとえば母が亡くなった時とか)、それ自体はもうどうしようもないことだとしたら、その苦しみにしっかり共感してもらっている、と感じることができれば、前を向いて歩く気になってきた。

そういえば、カウンセリングとかセラピーの場でも、共感とか寄り添うということを大事にするものね。

もしかして、こういったテロとか、今地球上に起きているゴタゴタがさらに複雑になってしまう原因は「共感の足りなさ」にあるのかも、とふと思った。

最初の原因はいろいろあるんだろうけど、そこから報復につぐ報復、のパターンが繰り返されてしまう原因は、最小単位でいうと「共感不足」なのではないだろうか。

もちろんテロなんて行為そのものは決して許されることではない。
でも「許さない!」と声高に叫ぼうが、その動機を解明しようが、
誰も既に起きてしまったことを元に戻すことはできない。
もし起きた原因を突き詰めたとしても、元にはけっして戻らない。

大変なことに巻き込まれた人たちも、それはどこかではわかってると思う。
でもそういう人たち(自爆テロをしようとまで思い詰める人々は、いったいどんな想像を絶する人生を歩んできたのか)が「前を向いて進もう」という気になれるほどには、世界からの共感が感じられないのではないだろうか。

経済や思想などの、あらゆるパワーゲームの中で、一般の罪のない人々が、こんな理不尽な目にあっているのに、世界に共感してもらえないことに悲しみと怒りがるのではないか、と思った。

ああこれか。私が心の奥底でじわじわ滲みていたのは。
そういったことに対して、私には共感力が圧倒的に足りなかった。と感じていたのだ。

実際、今回の事件にしても、私がここまで心を寄せているのは、たぶん日本人の事件だったからだ。
本当はこれまでに、他の国の人が同じように人質になっているのをニュースなどでみているのに、私は今回ほどにはリアルに感じていなかった。
それは単純明快、他国の人は私にとって遠い存在で、私にはそういう人に共感できるだけの器がなかった…というか共感力が弱かったのだ。

もちろん今の瞬間にも、世界にはいろんな問題や紛争が起きていて、どんなに共感力があったとしても、現実として全てを共感することはムリだと思う。

ただ、今回の事件が起きたことに刺激され、何もできなかった私が、地球上において今後少しでも何らかの形で自分を役立たせていきたい。と思ったとき、
地道に、少しづつでも共感力をパワーアップさせること、共感する器みたいなもの?を大きくしていくことが大切なのではないかと。

そうして、もし可能なら、人それぞれが今以上の共感力を持つなら、
地球上に起きることに対して、共感の総量が純粋に増えることになる。
そういった共感が増えることによって、何らかのムーブメントが起きたりして、
状況がより全体的に緩和されていく可能性もあると思う。
そもそも、そうなるためのピラミッドの底辺にあるべき「共感」の量が圧倒的に少ないのだろうな、と思ったの。
スポーツでもプレイヤー人口が多いほど栄えて、優秀な人がでてくるでしょ?
そんな感じで、とりあえずピラミッドの底辺で共感をちまちま大きくしていこう、と思った次第です。
そして、ピラミッドの底辺を広げたほうがいいと私は思うので、
せっかくここまで書いたからには、ここまで読んでくれた方にもいちおう共感力について意識することをお勧めしておこうかと(笑)。

ちなみに、共感力というのは、同情してその安っぽい感情にしがみついてしまうことではない。
本当に何の判断もなく寄り添って、受け入れて、そのことを感じる力。

世界中にテロや空爆、さまざまな紛争、トラブルがあって、それをダメだというのではなく、ただ本当に感じて受け入れる。
そして、受け入れたら応答する。
「(受け入れた今)それで、私にできることは何?」と。
そして、今できることをやる。
そのときの「自分そのまま」のことを。
私がこの文章をなぜか書いているのも、今回の起きたことへの私なりの「応答」かもしれない。

共感力があるほどに、きっと世界中の様々な事情に思いを馳せることが可能になっていくのだろうな。
それは自分の器の大きさにもつながってくるような。世界を臨む視野の広さにもつながってくるような。

世界にはいろんな考え方があり、どれが正しくて正しくないかを言い出したら永遠に終わらない。
私には、どう考えても、あるひとつの思想やシステムで世界を一色に染め上げることは難しいと思う。
ゆっくり時間をかけて、それぞれにより苦しみの少ないバランスのとれる落とし所を探っていくしかない。
しかもそれは何か固定された完璧な目標でもない。地球の環境や人類の状況により臨機応変に変えていく必要がある。諸行無常。
…と、書いただけでも難しそうなことだけど、一足飛びに全員が歓びに満ちることは無理としても、今の私が(何百年かかろうと)その方向を目指すとしたら今できることは「共感すること」だと思ったのです(というか、書いてるうちに思ってきた)。

このご時世、私達はどうしても自分のやることだけでせいいっぱい。なぜか慢性的に忙しいようになっている。だから共感してるヒマもない。
でも、共感できないから、共感しあえないから、こんなに忙しく頑張ってるのに、その割には豊かさや喜びを感じられないのかもしれません。

もしみんなが今より少しづつ共感力が強まったら。家族や恋人を思うような方向性で(同じくらい、は無理としてもね)世界に起きている事を感じることができたなら。何かが変わってくる気がします。

まあこれも現実味がないと言われたらそれまでですが。
そもそも「これ、書いておきながら自分にできるのか?」みたいな。
ただ、私はそう思ってたのですね。書いてみたら。
そして、自分に出来ない可能性がこわくて、このじわじわ滲みていたものを知りたくなかったのかも。

今回の事件自体、起きたことはもう元には戻らない。
でも尊い命が失われたことにより、きっと私と同じように、いろんな方がいろんな場所で、心のどこかにこの出来事が触れて、その人のどこかに変化を起こしている。
そのこと自体が大切なことだと思う。
その変化を無意識下に閉じ込めないで、意識に上げてくることで、
あのお二方と私は(もっといえばイスラム国とも)関わりをもったことになる。
彼らと関わったことによって、私はまた少し変化したのだと。
できうればそれが成長であればいいのですが。

私もこの事件を、時間がたつにつれて忘れていくと思う。折にふれ思い出すくらいで。でもそれでいいと思う。世界はどんどん変化しているから。
ただ、自分の内面に起きていることは流さないで受けとめて関わっていこう。

それが、少しづつでも変化し成長していくことが、今回亡くなられたお二方への私なりの手向けになるのではと。そんな気持ちでいます。

今回のことをきっかけに、また世界に気づきが起きていることに感謝して。
お二人の、心よりのご冥福をお祈り申し上げます。

そして同時に、ニュースにはならないけれど、今このときにも空爆などで命を落としている、名前も存じあげない人たちのご冥福もお祈り申し上げます。

私達がみなさんの犠牲をしっかり受け止めて、一歩一歩、平和な世界に向かっていけますよう。
どうぞ天から応援していてくださいね。

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