<< April 2017 | 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 >>
ツイッター再開 〜啓蟄を過ぎて〜
ここ何年か、ツイッターがガラケーに対応しなくなったため、
しばらくツイッターをご無沙汰してたのですが。
ふと、なぜだか、iPadでちょこっと再開してみようかな〜、とか思い立ち。
とりあえず、一言つぶやいてみました。

唐突だなあと自分でも思ったけど。
またすぐにサボるかもだけど。
まあ春だしね。
啓蟄も過ぎ、穴から出てきたんだなってことで。

何をつぶやくかは知りませんが、
よかったら、ゆるゆるツイッターも覗いてくださいね。
「あゆたや」でやってます。
ブログはどうしても、せっかく書くなら…とか、ついつい長い文章になっちゃうので。
短い思いつきとかは、ツイッターのほうが放出しやすいのではないかと。

ただ、すみません、ツイッターもFBも頻繁には覗かないので、
予約やお問い合わせなどは、相変わらず携帯メールが一番連絡早いです。

まだまだアナログな奴ですが、どうぞよろしくお願いいたします。
マンガラ追悼(2013年分再掲載)


ここ最近ばたばた慌ただしく、ほとんどネットにも繋がってなく鎖国状態でした。この前ブログ書いて以来、もう1ヶ月近く?
が、この間に、なぜか意外とこのまえ書いた「数秘術では想定内」についての反響が大きくなっていて。
中でも、師匠のマンガラに興味を持たれた方が多いような気がします。
マンガラは2012年にこの世を卒業したのですが、実際に物理的に会った時間はわずかなはずなのに、沢山の言葉にできない何かをいっぱいもらったように思います。

それで、ふと亡くなった際に書いた文章を思い出して。
長い長い文章ですが、再掲載します。
マンガラを知りたい方にいいかなと。
そして私も再読して、感謝の気持ちを新たにしたくて。
ときどき、大切な想いは再掲載してみよう。と思った次第です。

ちなみに彼女、マンガラ・ビルソンの著作が日本でも2冊発売されてます。
「直感のタロット〜意識のためのツール〜」
「わたしを自由にする数秘」(共に市民出版社より発行)
もっと興味がわいたら、そちらも読んでみてね。良い本ですよ。
この世を卒業する前に、マンガラがみんなに届けてくれたギフトだと思ってます。

☆★☆★☆

すっかり時間が経ちましたが、昨年10月、私にタロットと数秘術を教えてくれたイギリス人のマンガラが、肉体を離れました。

もっと前に、このことについて何か書きたい感じはあったのだけれど。
あまりにもいろいろな想いがぎゅうぎゅうとまとめて押し寄せて。
全然まとまった言葉にならなかった。

今頃になってようやく自分を客観するための何かくらいは書けそうな気がしてきたので、とりあえず書いてみる。長いかも。


その訃報を2日後にきいたとき、急なことでビックリした。
だいたい年1回ペースで定期的に日本を訪れて、ワークショップを開催していた彼女。
たしかに前年は病気療養中とのことで来日しなかった。
でも、以前にも持病の腰痛が悪化して来れない年もあったし、また良くなれば来日するだろう、と気軽に考えていたので本当にビックリした。
寝耳に水。しばらくは何の反応もできなかった。
そして、しばらくしてようやく事の重大さに気づき、涙がボロボロ溢れてきてとまらなくなった。

そのとき、
「泣かないの〜」と、マンガラがやってきて、笑いながら、あのフワッとした独特のフィット感でハグしてくれた感じがした。涙がとまった。一瞬ね。

マンガラと私は、時間的にはそれほど長く親しい関わりではない。
ちょうど10年前に出会ったのだけど、そこから会ったのは5〜6回かなあ。
てことは、ざっくり計算すると、この10年で延べにして1ヵ月ほどの関わり方なのだ。
しかも私はそんなに英語が喋れないので、込み入った会話や親しい話を交わすこともそんなになかった。
それなのに、与えてもらったものはとても大きなものだった。

マンガラ、ありがとう。
この人生であなたに会えて本当によかった。
マンガラと会ってなかったら、私の人生は全く違うものになっていたと思う。

そもそもタロットと数秘に出会ってない。
そして、タロットや数秘が見せてくれる内面宇宙の意識の奥深さを、こんな風に店を作って、みんなとシェアすることもなかったと思う。

今こうして、毎日たくさんの人とセッションして、意識変容のお手伝いができる人生になったのも、元はといえば、つまり彼女と出会ったからだ。

たぶん、でも、ずっと前から会うことになってたんだろうね。
逢える人とは、いつか必ず会えるから。


それまでの私は、スピリチュアルとか占いとか、全くの懐疑派だった。
「星占い?人類12分割して何がわかるの?」みたいな。
なんせ興味がないので、関わる気持ちも知識も何もなかった。
私の人生には存在しないも同然の分野だった。

それが10年ほど前のあるとき、ある人から唐突に
「あなたタロット、絶対向いてるから」と言われたのだ。「はぁ?」

全然知らない、食わず嫌いな世界のものをいきなり「向いてる」とか言われ、しかも「絶対」とか言われ。
そんな経験がなかった私は、なぜか珍しく拒否しなかった。少し興味を持ったのだ。
そして「ちょうどもう少ししたら、イギリス人の素晴らしい先生が来日するの。
年に一度なのよ。よかったら教えてもらったら?」
と、そのタロット講座のチラシまで受け取って。

が、そのチラシを見たとたん、私は即座に諦めた。
時間とお金が予想以上に必要だったから。
当時の私の感覚からすると、興味本位で学ぶにしては、その受講料金はとても高くて手が出せなかった。

もうひとつ講座の日数は、週末を2回使って6日間。
その頃の私は雑誌のライターの仕事をしていて、週刊や月刊の連載を4つくらい抱え、並行して企画特集記事も定期的に担当し…と、文字どおり休みが1日も取れない状態が普通だった。
1〜2日ならともかく6日はとても無理だな、と。

で、仕事に忙殺され、すっかり忘れていたあるとき。
ひょんなことから臨時収入が入ったのだけど、それがほとんどピッタリ、その講座代金だったのだ。
つい「あ、これはあのタロットのお金だ」と思ってしまった。
そのお金をみて旅行好きの私のこと、「あ、ハワイに行ける」とか思ってもいいはずだ。なのにタロット用だと思ってしまった。

しかも仕事も、週刊連載が一つ終了することが決まり、スケジュール的に、ちょうど講座の期間中なら、休みをとることも可能…という状況がなぜか突然おとずれていた。

そんなわけで、全く何もわからず、タロットの予備知識もないまま受講しに行った。
いろんな流れが、その講座へ行くように示している気がしたから。
「占いなんて興味のない私がいったい何をやってるのだろう?」と訝りながら。


実際に体験してみると、マンガラのタロットは、懐疑派の私がそれまで勝手に想像していた「占い」とは全く違っていて、自分の意識に気づきをもたらすツールだった。
おかげで受講を始めて間もなく「占い」への偏見は解かれ、懐疑的な感情はなくなった。
が、それまで「自分の内面と向き合う」ということを殆どしてなかった私には、講座で伝えられた内容は、最初さっぱり理解できなかったのを覚えている。

ただ、マンガラという人物は最初からとても印象的だった。

たぶん、私がマンガラからそのとき伝えてもらったのは、タロットの知識ではない(あの時点ではまだ何も理解できてなかった。それらは後付けしていったものだ)。

彼女は「そのものの本質」を伝えてくれていた。
つまり「本質をありのまま伝えるとはどういうことか」を教えてもらったのだと思う。

それに気づいたのは、講座の3日目くらい。
ようやくスピリチュアルな専門用語にも慣れ始めたころ、受講者の誰かが
「これは良いカードなのか、悪いカードなのか」みたいな質問をしたのだと思うが、それに答えてマンガラが、
「この世界には良いも悪いもないのです」と、さらりと言い切ったのだ。

私はそのときの彼女の在り方に驚いた。
というか、ようやく「良いも悪いもない」という言葉の、本質を伝えてくれる人に出会ったと感じたのだ。
なぜなら、その言葉が、その発された瞬間にハートに入ってきたから。ストンと腑におちたから。

もちろん言葉としては、以前から知っている。
今までにもそういうことを言う人にはいろいろ出会っていたし(毎日いろんな方々をインタビューする仕事でしたからね)。
でも今思えば、その言葉を、本質的な確信を持って言っている人に会ったことがなかった。
たぶん、その人たちにとってもそれは単なる知識で、本当の意味では理解していなかったのだろう。
だからいくら言われても、理屈としてはわかってもハートには入ってこない。
なので、こちらも流しながら頭で受け取って知識として聞く、という感じになる。
でも、それが普通一般だし、そういうものだと思ってた。

でもマンガラが「良いも悪いもないのです」と言ったとき、本当にひと筋のブレもなく、確信を持って本質を知っているところから言葉を発したのだ。
それで私は瞬時に
「ああ、良いも悪いもないんだ」と深い実感として伝わり、理解した。

理解がくるのは一瞬だ。
それを本質で伝えられる人がいてくれたら。

私は英語があんまり話せない。講座も通訳の方を通して行われる。
だから、言葉自体は日本語で耳に入るのだけど、その本質はそのまま、彼女の持っているものが言葉ではないところで伝わってきたのだ。

それ以降、講座の間中、ひんぱんにそういう体験をし、
まだタロットそのものの理解はできてなくても、これは私にとって大事なものになる、という予感を、その講座で手に入れたのだった。

そしてその後も、マンガラの在り方を味わいたくて年に一度の来日に合わせて行けるときには行くようになり(それで数秘術も学んだわけです)。

彼女はあらゆる方向から、いろんなことの本質をストレートに伝えてくれた。

講座に行くたび、そのときの自分に理解できる限りの最奥まで行けることが多く、新しい自分を発見することができ、おかげで今の私がいる。
彼女に出会う前の私にくらべて、どれだけ意識の在り方が変化したことだろう。

最後に会ったのは2010年の秋。
広島に移住した年に、店を休んで東京に会いにいった。
「広島で夫と2人、猫2匹とのんびり店を出している」と近況報告したら、それは良かった、と笑ってたっけ。

本当にマンガラは私の人生にとって大きい存在だった。
私も彼女のように、本質そのままを伝えられるように、あるがままをシェアできるようになれるといいな、と心から思う。


死にゆく人は、いつも大きなギフトを届けてくれる。
親しい人が肉体を離れるたび、私は成長させてもらってると思う。

彼女が肉体を離れたのを知ったとき、泣かないの〜とハグしてくれたとき、
実は、2〜3の個人的なメッセージを届けてくれた。

その瞬間、何かが私の中で自動的に解放され、手放された感じがあった。

そのときには何が起きたかわからなかった。
ただ、最近になって感じているのは、セッションのときカードを見ていつものように口を開けると、以前には表出したことのない言葉や表現が現れるようになっている。

何かが解放され、カード一枚一枚のエネルギーに対して、以前より自由な認識と拡がりが出てきたらしい。
「え、そんな読み方するの?」と私自身が驚くような新しい発見が毎日のように現れてきている感じ。

知らないうちにカードのエネルギーに枠というか制限を設けていたのが、一気に解放されて360度の自由度でリーディングしてる感じで、果てしなく面白い。
それは私にとって大きな変化だし、また少し成長したということだろう。
素晴らしいギフトを届けてもらったと思う。


最初に学んだ時点では、頭ではさっぱりわからなかったけど、やってみるとタロットは私にピッタリ合っていたと思う。
そしてそれはマンガラだったからこそ、理論ではなく、タロットの魅力と魔法をダイレクトに伝えてもらえたのだと思っている。

そういえば、一番最初に「タロットってどんなものだろう」とマンガラのセッションを受けたとき。
彼女の第一声が「あなたはタロットリーダーになる可能性があることを覚えておいてください」だった。
その当時は「そのリーダーってどんな機械なんだろう?」くらいに思ってたのだけど、言葉としては不思議と覚えてた。
そしていつの間にか、タロットリーダーになってる私がいて。

先日ちょうど「マンガラのエッセンスを味わいたいから」と、セッションに来られた方がいました。
その後、メールが届きました。
「あゆたやさんを通じ、マンガラのタロットや数秘に触れる機会をいただいて感慨深いです。肉体を離れてなお出会いや繋がりをもたらすマンガラという人の愛の深さに感銘を受けます」と。

ほんとうに。私もマンガラに出会えたのは大きなことだったので、その歓びをセッションという形でシェアできるのは嬉しいことだと、あらためて思いました。


そう、いつもマンガラとハグすると、ちょっと独特な感じがあったのを思い出す。
ボディの感触が、肉体というより、もっと密度が薄くて軽くてふわっとしてる。シフォンケーキのような。
彼女とハグすると、独特の軽みに包まれて自動的に優しい気分にさせてくれるのだ。

それが、今もときおり、そのマンガラの感触にふわっと突然抱かれるときがある。
「その感じでOK、GOOD」と言われてる感じ。

それは別にタロットをやってる時ではなく。
朝の光に包まれているとき、陽射しのぬくもりにほっこりしてるとき、何かとても心地よく、充ちているとき。
「そう、あなたはその場所にいるだけでOKなのよ」と言われてるような。
「そっか、”ここ”にいればOKなのね」とニッコリする私。

肉体を離れてなお、やさしい関わりを持つことができ、大切なことを教えてくれている。

これからもマンガラから伝えられたことを大切にし、私の内面で育み、時間と流れのなかで、必要な動きと発展性をもって自分なりの形で世界にシェアしていこうと思う。
それが一番マンガラに喜んでもらえると思うから。
マンガラ、本当に本当にありがとう。
感謝をもって、先に進んでいきますね。
数秘術では想定内
長年、定期的にセッションに通ってくださっているリピーターの方が、こんな話をしてくれました。

「4〜5年前に数秘で言われた内容、当時は絶対ありえない!と思ってたのに。実際には、今それが起きていてビックリです」と。

最初に数秘術でお伝えした話が、あまりにもその時点での考え方や価値観からかけ離れ過ぎている場合があります。
そのため、当時は全然わからなかったのに、数年後、気づいてみたら、いつのまにか数秘で聴いていた流れどおりになっている…という。

人は「今」考えてることとは全然違う、今の自分には想像もできないところに流れつくことがあります。それはただ単に想定外だった、というだけ。
数秘は本人の想定外・想定内に関わらず、人生本来の可能性や方向性を示してくれるツールなのです。

その、まったく想定外なことを聴かされてビックリした、典型的な例が私です。

最初に師匠のマンガラのセッションを受けたとき、開口一番、こちらは一言も何も言ってないのに、
「あなたは数秘に特定の数字が出ているので、将来タロットリーダーになる可能性があります。覚えておくといいでしょう」と言われ。

この言葉が、マンガラと交わした最初の第一声だったのです。

でも、タロットがどんなものかも知らない頃に言われたので、
「リーダーって、それは何の機械の話をしてるんだろう?」
と思ったくらい意味不明の第一声でした。

それに、当時は大好きな仕事に就いていたので、タロットリーダーになることに興味がありませんでした。

その頃は雑誌のライターをやっていて、週刊・月刊連載などを何本か抱え、合間に特集記事なども入り、インタビューや取材、原稿書きなどで忙しい日々を送っていました。
今思えばいつも締め切りに追われ、休みも殆どなかった気がします。
でもやり甲斐を感じていたし、当時はずっと続ける気マンマンだったのです。が。

「数年後には自分でビジネスを始めたり、なんらかのお店を出したりする可能性がある」と言われ。

いやいや、ありえないでしょー!ビジネスだとか店だとか!
そんなのやったことないから、全然イメージすることさえできないし。
てかその前に、気に入ってる今の仕事を辞めるなんて考えられないし。

…などなど。さっぱり理解不能、イメージできないことばかりが伝えられ、よくわからないまま聞き流していたのです。

それが、どうですか。

その2〜3年後にはタロットのセッションを開始、4年後には編プロを辞め、フリーのライターと兼業で「CURRY TAROT CAFE」をオープン、その後は自然な流れでいつのまにかライターを卒業し、リーディングで生計を立てはじめ。

で、数年後にハッと気づく。
「あれっ、最初にマンガラが言ってたとおりじゃん!」と。

数秘術のセッションをやると、ときおりその時の私と同じような反応を示す人がいます。
今の自分にはさっぱりイメージできない、あり得ない話である、と。

うんうん、わかるわかる。その気持ち。
でも私の体験からすると、理解できなくていいと思う。
今は想定外かもしれないけど、数秘的には想定内。

タロットは、ざっくり言うと「今どこを見て何をすればいいか」というメッセージをお伝えします。「今」にフォーカスするのです。
つまり、その人が「今聴くとわかる話」です。

でも数秘術は「この人生、なんのために生まれてきたのか」という大きい話をするので、まだその人が人生の中心軸、メイン街道に触れてなければ、体験や実感とリンクしない内容も多々あるのです。

なので「今の自分」は数秘が伝えることを理解できなくていいのです。
そういう場合、おそらく「このタイミング」で聴くこと自体が重要だったのではないかと。

大切なのは、何が自分の人生の中心にあるのかを知ること。意識化すること。
そうすれば自然に、よりスムーズに、人生の中心軸に沿って生きていくようになるみたい。

数秘術の考えでは、人は名前と誕生日を自ら選んで生まれてきます。
その2つのデータに、自分が選んできた人生の地図…青写真がプリントされているのです。
ここからチャートを作ってリーディングしていきますが、青写真だから細かいことを説明するというより、方向性や可能性を示していく感じです。
とてもシンプルなんだけど深くて的確で、プリミティブで根源的。

この数秘のダイナミズム、根本にあるものを深くシンプルに見ていくシステムが、とってもエキサイティングなのです。
初めてセッションするときは長い旅になるけれど、自分の方向性、人生の軸を知っておくと、世界の見方がリフレッシュされて面白いよ。

聴くタイミングが来たら、いつでも遊びにきてください。
新しい角度から見る人生へと、ご案内したいと思います。
一緒にワクワク、数秘の旅に出かけましょう。

そして数年後、お釈迦様の掌の上の孫悟空のごとく、
「ああ〜っ、この状況も数秘的には想定内だったのか〜!」
とか、振り返ってはその不思議を楽しみましょう(笑)。
私はこのセリフ、これまで何度つぶやいたことか…!
「いつ頃、彼氏と出逢えますか?」
先日、匿名で質問が届きました。

☆★☆

質問なのですが、あゆたやさんの占いでは恋愛について
「○月頃に出逢いがある」など、わかるものですか?
今まで誰ともお付き合いしたことがなく、これから先が不安でなりません。
少しでも不安を取り除ければと思い、このような質問をさせていただきました。

☆★☆

という内容です。
匿名の質問に対しては、たいがいスルーしちゃうのですが、
これ、とてもポピュラーな質問なのです。よく聞かれます。
同じような不安を持つ人が多いのだと思います。
ちょうどいい機会なので、お答えさせていただきますね。

まず端的にいうと、うちのタロットでは殆どの場合、時期的な話は出てきません。
つまり「何月ごろに出逢いがあるか」については、あまり答える気がないようです。

私のセッションは、私という主体が「占う」のではなく、タロットに表れている、その人の魂からのメッセージをお伝えしています。
私は表れていることを読むだけですが、これまでのセッション経験の中で、魂から時期的な話をされたことは滅多にありません。

メッセージの流れの中で、可能性としての時期が突然語られたりする場合はありますが、質問の答えとして語られる要素ではないようです。

タロットは「その人が今聞くといいこと」が出てきます。
ということは、おそらく時期的な話というのは、殆どの場合「その人が今聞かなくていいこと」なのでしょう。必要がないから出てこないのだと思います。

とはいえもちろん、この質問をされた匿名さんは先の不安や心配で、本当に苦しいことと思います。今まで誰ともお付き合いしたことないなら尚更です。心中お察しいたします。

でも。よーく考えたら、出逢いが何月か分からないのが問題なのではなく。
一番困ってるのは、不安になってるのは「今」なのです。

そもそも、仮にもしタロットが「運命の人とは半年後に逢えますよ」とお伝えしたとして。それでその人は本当に苦しみが軽くなるのでしょうか。
おそらく、そのメッセージを心から信頼して、半年後を幸せな気持ちで待てる人は少ないと思います。

その一瞬は気分がラクになるかもしれないけど、
結局のところ「本当かなあ」と、どこかで信じきれないまま、ぼんやりグレーな心で現実逃避しながら、半年の時間を過ごすことになるんじゃないか?と、私は感じます(もしかして信じ切れる人なら、そういうメッセージも来るのかもね)。

だとしたら、もし明確に時期が語られたとしても、不安からは逃れられない可能性が高いのです。

つまり匿名さんは、もう少し突き詰めてみると、何月に出逢えるか知りたいのではなく、
「何月に出逢えるかで不安になっている『今』の苦しみをどうすればいいか」を知りたいのではないでしょうか。

そうであれば、タロットはお役に立てると思います。
なぜなら「今聞くといいこと」が出るから。

何月に出逢えるか分からなくて不安で苦しんでいる今、聞いておくといいメッセージ…なら出てきますよ。

匿名さん、そんなわけで、おそらく出逢いの時期は出ないと思いますが、
もし、今の不安にどう向き合えばいいのかを知りたいのでしたら、タロットのメッセージ聴いてみてくださいね。
今のご自身に必要な何かが届くのではないかと思います。
いつか魂に呼ばれたときには、ぜひどうぞ。
どこかのタイミングでお逢いできるのを楽しみにしてますね。
早起き蓮ちゃん。
DSCF0506.jpg
大寒を過ぎ、ぼちぼち立春も近くなりつつありますが、
寒さはまだまだ健在で。冬がしっくり馴染んでいる日々です。

私は寒いのが苦手なので、当然、自分の意志でお布団から出るのは困難を極めます。
が。そんな怠け者を容赦なく叩き起こしてくれる頼もしい助っ人が、我が家で唯一の早起きっ子、蓮ちゃん。

まだ全然爆睡している、一番寒い朝方に、にゃーっ!と声高に部屋に入ってきて。
で、私がまどろみの中で蓮ちゃんを認識するまで、目覚まし時計よろしく延々と鳴き続けます。
おそらく一番寒い時間なのだと思われます。布団に入らせろ!と。

こだわり蓮ちゃんは、私の羽毛布団がお気に入り。
ダンナの布団には見向きもしません。
しかも「布団入りの儀式」は形式が決まっていて、必ず左の肩口から入ります。
右側からはなぜか決して入りません。右は儀式的にダメみたいです。

しかも。そもそも寝てるあいだに勝手に入ればいいのだけなのに、
私が「はいどうぞ」と、わざわざ布団を持ち上げないと入らないの。だから叩き起こされるんですけどね。
いったいどんだけお嬢に育ててしまったのやら…。

持ち上げたところを、当然のごとくスタスタとお入りあそばしたら、腕と身体の間にすべりこみ。脇を枕にしつつ、無理やり腕を蹴り倒してスペースを広げて陣取り。
そしてナットクできる態勢が整うと、満足そうにゴロゴロ喉を鳴らし始めるのです。

その満足気なゴロゴロが可愛くて、意識が朦朧とした中でもチョコっと撫でたりして。
が、当然すぐに私の方は寝落ちてしまいます。
そうして相手にされなくなると、飽きっぽい蓮ちゃんは、いつのまにか布団を抜け出るみたい。
でも、抜け出てしばらく遊んでたら、また寒くなる。
そしてまた部屋に入ってきて、私を叩き起こし…。

と、この儀式が飽きることなくエンドレスに続きます。
いくら寝坊の私でも、これが3〜4回続くと、さすがに起きる気になるのです。
この私を起こすことができるとは。蓮、恐るべし。

実際、この寒い時期、私自身の意志で布団を抜けるのは困難を極めます。
そういう意味では、ちゃんと起こしてくれる有難い存在なのです。

ちなみに空ちゃんは、お寝坊派。
私たちが起きた頃を見計らって、のんびり起きてくることが多いです。
特にこの時期は、コタツから出る気ぜんぜんナシ。

つまり蓮ちゃんの働きによって、私たちの朝は無事やってくるのでした。
起こされるときは、やめてくれ〜。と思うけど、トータルで見たら大変ありがたい。
飽きることなく朝の儀式を繰り返す蓮ちゃんに、敬意を表します。



リーディングのご感想ありがとうございます。
いつもご感想ありがとうございます。
新年初めての掲載なので、あらためて説明しますと、
このコーナーでは(コーナーだったの⁉︎)、リーディングを体験されたお客様から届いたご感想を紹介しています。

自分でいうのも無責任きわまりないのですが、私のリーディングがどんなものなのか、私自身もうまく説明できません。
そこでお助けしてもらってるのが、頂いたご感想。
いろんな方のいろんな角度からのご感想を紹介することで、まだ体験したことのない人の、ご来店のための参考になればいいなあと思っています。

それに、もらったメールはついつい埋もれがちですが、こうしてブログに残しておくと、私も読み返すことができて嬉しいもんね。
お忙しい中、ひと手間かけてわざわざお伝えくださる想いそのものが、本当にありがたく。
ここに掲載しきれないご感想もありますが、いつも嬉しく励みになってます。

…と、いつも思ってることだけど、紹介のたびに書くのも何なので。
新年にあらためて感謝をお伝えさせていただきます!

さてさて、前置きが長くなりました。
今日はK子さんからのご感想を掲載させていただきますね。

☆★☆★☆

今日は楽しいセッションありがとうございました。
帰るときにはスキップしたくなるくらい、心が軽くなりました。

不思議なもので、ふと「いまだ!」と思って伺ったセッション。
いただいた言葉は、まさに「いま」ほしかった言葉でした。
いまの状態はとても楽しいけれど、
このままずっと続くのかな?このままでいいのかな?変えるために何かしなくていいのかな?なんて
いろいろと考えていました。

でも、「自然とそうなる(行動を起こしたくなる)ときがくる」という言葉。
すっと胸に届きました。
正直、いますぐ何か行動を起こせと言われたら無理でした。
だったら、きっとあきらめていました。

私は私自身と向き合いながら、彼は彼自身と向き合いながら、
ゆっくりじっくり、もっと距離を縮めていけばいい・・・。
すごく嬉しい言葉でした。

前回のセッション後、私たちの関係はすごく変化しました。
いまのような関係性が築けるなんて、あのときは全然想像もしていなかったなぁ。
あゆたやさんとのセッションは、自分を変える勇気をくれるのと同時に
やっぱり物事をプラスに導くパワーをいただいているような気がします。

きっと、今回のセッション後も良いことがある!って、都合良く前向きに思っています(笑)。

次にセッションに伺うときは、彼ともっともっと距離を縮めている私だったらいいな。またお会いできる日を楽しみにしています。
いつか、「彼氏」として彼を連れて行ける日を夢見て・・・☆

☆★☆★☆

本当に不思議なのですが、タロットは「その人が今聴くといいこと」が出てきます。
人それぞれ、内容はさまざまですが、それだけは全員共通です。

ご本人の詳しい事情を知る由もない私は、さっぱり状況も不明なまま、タロットに表れているものを詠んでいくのみ。
私のほうでは、そのメッセージが「今聴くといいこと」なのかどうかも分からず通訳しています。
それはご本人には「今聴くといいこと」だとわかるのです。
なので「すっと胸に届く」ようです。

ちなみに、そのメッセージが耳に心地よい言葉かどうかは保証できません(笑)。
でもタロットに出たってことは「今聴くといいこと」なのです。
ご本人に聴く準備ができたお話…ということでしょうか。
なんせ言祝ぎですから。
言葉でお祝いしてくれるのです。

だからK子さんが言われるように「自分を変える勇気をくれる」のかもしれません。
それは「物事をプラスに導くパワー」でもある。

タロットは、すべての人に共通して「今聴くといいこと」がでます。
そして、それはつまり「その人を幸せにするためのメッセージ」なのです。

そんなタロットの魔法が、私は大好きです。

K子さん、ありがとうございます。
また「いまだ!」と思ったときには、いつでも遊びにきてください。
次回、言祝ぐタイミングを楽しみにしてますね。
  
第一劇場、あと10日。
いったい何度書いてるのか、第一劇場のこと。
去年の夏に初めて行って以来、すっかりストリップの素晴らしさに魅了され。
そこから何度も足を運んで、すっかりなじんできましたが、
残念なことに、惜しまれながらもこの1月末で閉館してしまうのです。

なので12月末からは、さらに足繁く通ってます。
もう2月には無くなっちゃうなんて。未だにピンとこないけど。
あと10日で、中国地方からストリップ劇場はなくなるんだね。

ストリップの魅力については、これまでのブログで何度か延々と書いてるので、今日はあまり語る予定ではありません(笑)。
まあでも、ついつい書くとしたら(書くんじゃん!)、ストリップという世界を知ってよかったなあと。
ストリップを楽しむことを選択肢の一つとして選べる人生になってよかった。
私の世界が拡がった感じがすごくする。

30歳を過ぎた頃、ふとしたきっかけでようやく落語の魅力を知り、寄席に行くようになったけど、その時の喜びと似てる。
人生の中で、寄席に行くという行為が選べる自分になってよかったなあ、と思ったの。

今後、広島からストリップ劇場が消えても、私は旅先などで「ストリップを観にいく」という愉しみを選ぶことができる。
京都とかお墓まいりで結構行くから、観劇をスケジュールに入れてみたりね。
よかった。世界を愛でる方法がまた一つ増えて。
そのきっかけをくれた第一劇場に感謝します。

そして感謝の気持ちをこめて最後を見届けたいので、最終日は第一劇場に出かけようと思います。
実は、本来その日は占猫の営業日なのですが。
でも不思議なことに、現時点でその日はまだ1件も予約が入ってないのです!

今日スケジュール帳を見ながら、そのことに気づき。
「これはつまり、行けってことですね!」とピピッと直観したのでした(笑)。
そんなわけで、1月31日は「都合により」臨時休業させていただきます。
皆様にはご迷惑おかけしますが、宜しくお願いいたします。
最後を見届けてくるね!

ちなみに最後の日は初めての観劇にはオススメしませんが(多分お客さんの人数がすごいことになるので)、残りの10日のうち、早めの平日などに行ける人がいらしたら、ぜひ行ってみてね。特に女性にオススメですよ。

もちろんストリップを観て思うところは人それぞれですが、私の個人的な体験でいうと、人生を制限している何らかの見えない「枠」が壊れる気がします。
その枠が何か、は説明が難しい。
それは広範囲にわたって、薄く無意識的に人生を縛っているもので、言葉で端的には捉えきれないもので。

私の場合、ざっくり言うと「女性」というものについての制限された考え方、だったような気がする。

多くの女性は(男性もきっと同様なんだけど)、社会とか世間とか家庭とかから「女性とはこういうもの」と定義づけられた(おそらくその「定義」でさえ、家や文化背景によって様々で)、見えない制限というか縛りがあって、生まれた時からその世界にどっぷり浸っているが故に、大なり小なり無意識にその見えない枠の影響を受けている。

例えば「ストリップ劇場に行く」という行為は、私と同じく、最初はなんとなく敷居が高く感じる人が多いと思う。女性が行きにくい感じのイメージ。

でも、そもそも一度も体験したことがないのに、なんで最初から勝手に敷居が高いイメージを持ってるんだろう。

それは生まれた時からの私個人の嗜好ではなく、社会や文化によって後づけされた印象に影響されているわけで。
外界から教え込まれた印象がなければ、普通の劇場や映画館に行くのと同じ扱いでいいはず。
もちろん、一度体験した後の好き嫌いは人それぞれの嗜好があると思うけど、事前の印象が軒並み一律同じっていうのは、よく考えたらヘンだなあと。
それに気づかないくらい、私たちは外界からの影響に無意識だ。

たまたまストリップを例にしたけど、実際はいろんな場面で、同じように自分の体験に無意識に制限を設けてしまうのです。
それにリアルに「ああ!」と気がついて。

初めてストリップを観たとき、その時には衝撃で言葉にならなかったけど。
これまであまりにも当然すぎて、意識化もできなかったそれらの制限をぶち壊されたような気がします。
今もまだ、明確には説明不可ですが。現時点で言葉にするとこんな感じかなあ。
うーん、読み返すと、私が感じてる奥深さが全然表現できなくて、めちゃくちゃ薄っぺらい言葉になってるような。

まあでもきっと、縁がある人は自然に行くようになってると思うので、タイミングが来たな〜と思ったら、行ってみてね。
私も最終日以外にも、もし時間があればもう一回くらい行けないかなあ、と画策中です(笑)。
雪ふるふる。
大雪、きましたね〜。
広島では十数年ぶりの規模だったそうで。
私がこっちに来てからは最大積雪ってことですね。すごーい。

雪が降ると、テンション上がります☆
雪国の人には普通なのでしょうけど、私にとっては非日常。
まるで別世界に入り込んだような気分になります。

普段とは違う世界に来てるので、感覚もフレッシュになってる。
何を見ても新しいし、子どもの頃のようなピュアなフィーリング。

朝、窓ごしに、延々と空から降ってくるのを飽きることなく眺め。
同じ形はひとつとしてない。という雪の結晶たちが、ひっきりなしに、空の彼方からあんなに沢山降ってくること自体に畏敬の念を覚えます。

そして、ふるふると降りてくるリズムに催眠的なものがあるのかな〜。
いつのまにか昔の雪の思い出と繋がって、当時のフィーリングに入り込んでたり。

私は小学生の頃は父の仕事の都合で転居が多く、
小学2年生の2学期が終了した時点で、西日本から飛騨の高山に引越したことがありました。
その引越した当日がちょうどクリスマスだったのです。
まるで当然のように、普通に雪が降ってました。

それまでの転居先は大阪とか倉敷とか、西日本が多く、あまり雪とは縁のない場所だったので、本当にビックリしたものです。
「ええっ!クリスマスに本当に雪が降る街があるんだ!」
という心からの驚き。

絵本などでは、クリスマスというと雪のシーンが多く、なんとなく憧れてたのですが、あれは遠い外国のことだろう、と漠然と思ってた気がします。
それが、こんな普通に降ってるなんて!

運送屋さんが次々とトラックから家に荷物を運んでるその横で、
ずっと飽くことなく、驚きとともに空を見上げてる、あの時の感覚にいつのまにかワープしてました。

それを感じてることに気づいた私は、その繊細で瑞々しくてピュアな感覚自体にまたビックリ。
ああ、子どもの頃って、こんなに瑞々しい感性で雪を見てたのね。

と、雪のおかげで感受性をリセットしてもらえたようです。

夜は夜で、雪が全てを厚く覆った、シンと静かな雪景色を見ていたら、
今度は、20年近く前の、インドはヒマラヤの村で過ごした時間にワープしてました。

ちょうど一番寒い時期に、なぜかわざわざ寒いヒマラヤにいて。
その村に住んでいた友人の家で、薪ストーブを囲み、旅行者や村の人、あるいはサドゥまで一緒に、ほっこり仲良く冬ごもり。

サドゥというのは、ざっくり言うとインドの修行者。
ちょうどその人は友人宅に居候中で、普段はもっと標高の高い場所で修行(?)しているけど、厳寒期には村まで降りてきて寺院などで越冬するのだそう。

旅行者もローカルもサドゥも、いろんな人がひしめく狭い部屋の中、
チャイをふうふういただきながらお喋りしてると、不思議とあったかく。
でも外はマイナス10度を越す寒さ。
トイレが外だったので、必ず夜でも何回か出なければいけないのが修行(汗)になってましたが、そのとき体験した、山村のシンとして凛とした空気の雪世界と、広島の静かな真夜中の雪景色がどこかで繋がったみたい。

ちなみにカランと晴れた夜は、周りを囲む壮大なヒマラヤの山々が月明かりに照らされて、例えようもなく荘厳だったなあ。

とか。
雪が感覚の記憶を引き出してくれたみたいです。

そして雪が降り止んだお昼には、すっきりとした青空。
木々や家々の屋根に残る、手つかずの積雪が目に眩しく。
雪のあとだから、空気もきりりと澄んでいて。

まるでお洗濯したように感受性がすっきり純化されたよう。
世界のすべてがリセットされたような、清らかな気分になりました。

今回、受験生の方など大変な目に遭った人には暴言に聞こえるかもですが、
ときどきは、いっぱいの雪が降るの、悪くないかもね。
と、個人的な体験からは、そんな風に思ってしまうのでした(笑)。
のんびり年賀状。
ふう。ようやく4日ほど前に年賀状書きが終了しました。
仕事初めの頃までかかったかな〜。

私は「手で字を書くのが好き」なので、年賀状書くのが好きです。
オール手書きです。ただし、書きたいときにしか書けません。

なので、年によってはある12月の週末に「よし書くぞ!」と思い立って、
ドガガガっと2日くらいで書き上げることもあります。
だけど最近は12月末から正月明けにかけて、少しずつ分けて書くことが多いかなあ。今年もそうでした。
もちろん書いてるうちに、先方の年賀状が届いちゃったりします。

でも、焦りません。マイペースに書く。
私の場合、焦ると「書く」という行為がおざなりになってしまうのです。
年賀状は言祝ぎ。だと思ってます。
文章的には定型的なものが必ず入ってくるから、どうしても同じような文面になりがちです。それは「言祝ぎ」だから、それでいいのです。

ただ、それを何十枚も続けて書いてると、ルーチンになりやすい。
せっかくの年始のご挨拶を、おざなりな気分で書きたくないのです。
心をこめて、言祝ぎとして書く。1枚1枚、新しい気持ちで。

なんの工夫もなく、文字を書いてるだけの地味〜な年賀状ですが、心だけはこもってます(笑)。
「大変じゃないですか?」とか言われることもあるけど、好きでやってるからな〜。
この年賀状を書く、という行為自体がけっこう気持ちいいのです。

例えば、定型中の定型、
「皆様のご健康とご多幸を心よりお祈り申し上げます」
を、書くでしょ。
これ、心をこめて一日に何十回も書くと、言祝ぎによって自分の心も綺麗になっていく感じなのです。
写経はやったことないけど、もしや写経するのと同じような感覚になってるんじゃないかなあと思います。

なので、のんびり年賀状、けっこうオススメですよ。
これ、遅く届いた人への言い訳になるかな〜?(笑)。
しあわせを積み重ねる。
DSCF5558.jpg
今年も恒例の宮島・厳島神社に初詣に行ってきました。

天気がよくて、ちょっと遅めの到着になったので、そんなに混み合ってなくて。

境内は廻廊を歩いてるだけで、すーっと浄化されるような涼やかさ。

新年のご祈祷をお願いし、お姫様方に「今年もよろしくお願いします」とご挨拶。
ふわりと軽やかな、優しいエネルギーに包まれて。

おみくじを引けば、吉。
文言を読んでみると、大吉じゃないかと思うような内容で、素敵な年の予感。

ここ最近、昨年以来のテーマが、そのままおみくじにも書かれていて。
「思いたったことはすみやかになすべし」と。
やっぱり予定どおりに物事は流れてるのだなあ、と心強く思い。
嬉しいから、久しぶりに家へ持ち帰る。

帰りがけ、毎年参道に出てる屋台の中で、一番のお気に入り「◯◯焼き(まるまるやき、と読みます。そういう名前なの)」を買って食べて。

ここのお姉さんの作る「◯◯焼き」の焼き具合が素晴らしい。
今年もこの屋台が出てくれたことを言祝ぎながら。

もちろん食べるとなると、当然、鹿との争奪戦があるけれど、
今回エサをねだりに来た鹿は、どの子も聞き分けがよく、神社のお札が入った紙袋にも、服にも喰いつかれることなく。

食べる間に眺める、大鳥居と夕暮れと、薄い三日月が美しく、波の音は心地よく。

そして、宮島の商店街にほど近い、隠れ家カフェ「タムカイマ」へ。
古民家を改装した、居心地のいい素敵な空間が大好き。
久しぶりにオーナーご夫婦とお話できて、
おいしいぜんざいと生甘酒とドリンクで、ゆったりあったまって。

その後、横川に戻って、普段は東京にいるお友達と約2年ぶりの再会。
インド人のダンナとの間に子供が生まれて、ダンナと赤ちゃんとは初めてご対面。
お正月でも開いてた居酒屋さんで、飲んで食って。いっぱいお話して。

生後8ヶ月の赤ちゃんは、元気で愛想がよくてかわいくって。
旦那さんは、偶然、私がインドにいた頃2ヶ月近く滞在していた村の出身で、
尋ねてみたら、私が滞在したのはもう20年近く前のことなのに、
今でも共通の友人知人の話が出てきて、盛り上がり。

すっかりインドの村に戻ったかのような気分になりながら、
さらに綺麗さを増した三日月を眺めつつ、夜遅く家路に着きました。

…という、どこにでもある、さりげない初詣の1日ですが、
こうして一つ一つ、丁寧に追っていくと、ちょっとしたこと全てが嬉しくて、しあわせを感じているのだなあと。

ささやかな喜びが、たくさん積み重なって、ほわっと嬉しい幸せ感。
何がどう、と説明できない、ほわりとしたしあわせ。そして感謝。

こんな、沢山のしあわせが積み重なった1日を、今年もいっぱい過ごせますように。

Back to Top▲