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はからずも 縮景園で 中秋の名月
昨日、広島県立美術館に行ってきました。
レオナルド・ダ・ヴィンチにまつわる特別展があったの。
なるべく早めに行くつもりだったのに、またもや前の用事が押してしまい、美術館に到着したのが16時前。
今日しか来れないから仕方ないけど、閉館17時だから、あんまりゆっくり見れないなあ…と思ってたのですが。

なんと「今日は隣の縮景園での観月茶会に伴って、開館時間を20時まで延長してます」とのこと。ラッキー!

そう、昨日は中秋の名月。
縮景園は美術館に隣接している美しい日本庭園で、たしかに観月には最高のスポットです。
花見だとか梅見だとか、新春茶会だとか、日本の行事っぽいことを愉しみたい時には、私もちょこちょこ遊びにいきます。
でも普段は閉園時間が17時なので、お月見は考えたことがなかった。
そっか、こういうときには夜も開園するんだなあ。

今回のお月見は特別に何かする予定はなく、
「休日だし、家のベランダから日本酒片手に眺めるかな」くらいに思ってたので、
知らずに来たけど、何ていいタイミング。お月見のクオリティ(笑)が一気にアップ!

しかも月が出るまで、ゆっくり美術館も廻れたし。
いつも時間が足りなくてスルーしていた常設展にもようやく足を運べて。
(常設展よかった!ダリの大作など、有名なのにまだ直接出会ってなかった作家の作品も多くて楽しかった〜。私みたいに常設展スルーしてた人、おすすめします!)
そろそろ月が綺麗かな?という頃に、美術館から縮景園にゆったり移動。

観月茶会は広島の流派、上田宗箇流により開催されてました。
ぜひ野点席でお茶を一服、と思ってたけど、やっぱり当日席は全て売り切れ。
まあでも、お茶はなくとも月見はできる。

夜の縮景園の散策は、とっても新鮮。
庭園のどこから観ても、月が美しく。
天気にも恵まれ、雲ひとつない空にピカーンとクリアに、かつ優しく輝いて。

広い庭なので、視界にビルとか電信柱が入ってこないのが素晴らしい。
月と、周りの樹々のシルエットと、月の姿を映す大きな池。

イベントらしく普段の縮景園よりは結構な人がいたけど、みなさん静かに思い思いの場所で観月してる。
私たちは、池にかかる太鼓橋の上に座って、月と、池に映る月光を、ぽーっと長い間眺めてました。

周りにも何組もの方が座ってらして、橋の上は密度高め。
さわさわと聞こえてくる話し声は、意外と外国語が多く。どこで情報を知るんだろ。
みんな沈黙してるわけでもないのに、不思議と静謐な、落ち着いた空気が漂っていて。
もしや、みんなお月様に十五夜マジックかけられてたのかな。

1年で1番美しいと言われるこの月を、はからずも、こんな素晴らしいシチュエーションで眺めることが出来たこと自体、ありがたく喜ばしく。

まろやかでクリアな月光を浴びながら、想定外の嬉しい出来事が起きる日々〜冒険とサプライズの日々〜に感謝させてもらいました。

本当に、いつもありがとうございます。
これからも、ワクワク愉しい時間を創っていけますように。
思わずお月様に手を合わせた次第です。
書きたくなるまでは
この前、京都の話をアップしたとき確認してびっくり。
前回アップしたのはなんと8月半ば。もう2ヶ月近くもブログに触れてなかったなんて。
いやはや、ご無沙汰しております。

んー、確かそのころから仕事でバタバタしてるうち、いつのまにかネットに向かう気が失せてしまってたのです。自然消滅。
自然消滅なので、ネットにアクセスしてないこと自体にしばらく気づかなかったのですが、あるときふと「あれ、ブログ書いてないぞ」と思い出し。
でも、そのときにはなぜか全然書く気になれませんでした。

いつも占猫の店内にまったり座ってるだけの私が、外に向かって発信してるのはこの日記くらいのものなので、いちおう「生きてますよ〜」という生存確認がわり(笑)に定期的に書きたいという気持ちはあるのです。

それで「書かなきゃ!」とか思うのだけど、頑張って無理やり書こうとしても、どうやっても書けない(笑)。
で、しばらくもがいてましたが、あきらめました。
ブログなんてもともと書きたいから書くものであって、書きたくないのに書いたら、何かが違うような気がして。

「書かなきゃ」じゃなく「書きたい」と感じるまでは放っておこう。

そこからはすっきり腹をくくって、ブログのことは忘れて日々の生活を送っていたわけですが、この前、京都から戻ったらふと書きたくなって「あ、書けた」。と。
表現は、自然に出てくるのがやっぱり心地いい。

にしても、なんで書けなかったのか。
おそらく、そうなる前は「〜しなきゃ」という発想で物事をこなす場面が多かったのでは?と思いました。

私は支度とか準備とかが苦手で、とっても時間がかかります。
ちょっとばかり忙しくなっただけで、時間に追われてしまうのです。
そういうとき「早くやらなきゃ」「片付けなきゃ」「頑張らなきゃ」と、自分を追い込んでコントロールしようとしてたかも。

これは短期間なら有効な手段だけど、結局コントロールしてる間は、ずーっと気持ちが焦ってるので緊張して疲れ果てて、長期的には動けなくなってしまうのです。

今回たぶんもう「〜しなきゃ」という言い回しに飽き飽きして、疲れて、アレルギーになったんだと思います。
「しなきゃ」という形で思ったことにはテコでも動かないぞ!みたいな(笑)。
それで「書かなきゃ」に反発して、全然気持ちが向かなかったのではないかと。

しなきゃ、しなくちゃ、という言い回しで行動すると、日常を無事に過ごすことはできるものの、心が満たされることは少ないように思います。それで心が乾いちゃう。
達成感はあるかもしれないけど、それって、したいことをした時の満足感とはちょっと違うかも。

なのにけっこう無意識に、思考の癖でいろんなことに対して「しなきゃ」と思ってる。
しかも意識的になって気づけば、意外と「したい」に変換できることは多いのに。

たとえば、前の用事が押してしまって、開店時間ギリギリにお店に着きそうなとき。
つい「早く行かなきゃ!」とか自動的に思ってる。すると焦る。いろいろ忘れ物したりする(笑)。

でも、意識的になってみると、本当に思ってるのは「早く行きたい」なのにね。

早く行きたい。お客さんをお待たせしたくない。
「したい」に変換するだけで、緊張と焦りがなくなって「しなきゃ」のときより落ち着いて冷静に状況に対応できてくる。

「〜しなきゃ」は、自分を責めてる感じもあるから、苦しいんだろうな。
そのうえ「しなきゃ」にアレルギーな私は、反抗しちゃう。
ヘタすると「早くいかなきゃ」と考え癖で自動的に思いつつも、だからこそ無意識に反抗して、わざと遅く行きかねない(汗)。

これ、実はずーっと昔から延々と、やっては気づく…を繰り返している私の考え癖。
こんな風に日々の生活の中で、いろんなことが起きては、また忘れた頃に気づく。
今回の「ブログ書けないイベント」のおかげで、またこの思考癖に振り回されてたのに気づけてよかった。
延々と繰り返しながらも、少しは癖が軽くなってるといいなあ。

また緊張や焦り、心が何かに抵抗してることに気づいたら、
「もしや「しなきゃ」とか言ってない?」と自分に問いかけてみようと思います。
京都に行ってきました。
突然ですが、急用が発生して、1泊2日で京都に行って来ました。
京都、普段考えるとちょっと遠い感じがあるけど、お金のこととか気にしなければ新幹線でパッと思い立って3時間くらい?で到着。
意外と簡単に行けるものだなあと。

2日目の午前中には用事が終わり、その後はせっかくなので京都散策を。

今回、初めて訪れて大ヒットだったのが建仁寺。
風神雷神の屏風で有名な禅寺です。
こんな祇園の街中にあるのに、今まで行ってないのもなんだけど。

何がよかったかと言うと、のんびりできたこと。

私が京都に行くときは、だいたいは用事を兼ねた1泊2日。
時間的にあんまりのんびり観光した経験がありません。
しかも行きたい神社仏閣、気になるカフェ、美味しい食べ物…。
興味のあるスポットは山積みで。
ついつい次へ次へと、数をこなしてしまいがち。
特にカフェとか、お腹いっぱいにならないように一品だけ頼んで2〜3軒まわるぞ!みたいな(笑)。

あと、やっぱり全体的に観光客が多いのも影響あると思う。
どの観光スポットに行っても、途切れることなく人が流れてくるので、ゆっくり一つの場所に居づらい気持ちになってくる。
美術展で人気の絵の前に長く立ち止まりづらいのと似た感覚かも。

どっちかというとのんびり人間のはずですが、そんなこんなで京都に行くと妙に忙しい感じになりがちなのです。

で、戻ります。建仁寺。
京都最古の禅寺だけあってか、落ち着く落ち着く。
禅庭を囲むように、座れるスペースがたくさんあるのも嬉しい。

まだ紅葉シーズン前で、普段より人が少なかったからかもしれないけど、
思い思いの場所で、ゆったり座って、ぼーっと庭を眺める贅沢。
周りでは外国人観光客が、着物姿ではしゃいで写真を撮ってたり、座禅組んで瞑想してたり。
雨上がりの苔と土がほのかに香る庭と青空。眩しい日光。葉ずれの音をかきならす風。

あっという間に時間がたって、気づいたら2時間くらいお寺でのんびりしてました。
こんなにゆっくりできたのは、京都では広隆寺以来かも。
広隆寺も大好きなんだ。またいつか書きたいな(と、ここにメモ)。

その後、気になっていたカフェを堪能し、広島に戻ってきたわけですが。

短期の旅行であっても一度日常を離れると、普段の風景が新鮮に見えたり、季節の流れが移り変わってるのに気づいたり。
そういうのも旅の醍醐味のひとつかも。

今回の気づきは、近所のキンモクセイの薫りが強くなっていたこと。
そして空ちゃんと蓮ちゃんが、朝方、2頭とも私の布団に潜り込んできたこと。
おかげで寝返りが打てません〜。
京都前は、まだ布団の上や横にいたんだけどな。

どうやらいつのまにか、静かに秋が深まっていたようです。
アリさんに教えてもらいました。
ある日。庭先をふと見ると、落ちている鳥の羽が、何だか不思議な動きをしています。
?と思って、よーく見ると。
なんと一匹のアリさんが、必死になって羽を運んでいるではありませんか!

ちなみに、この羽のサイズは小鳥クラスじゃありません。
カラスほどじゃないけど、結構な中型の鳥だと思います。
15センチくらいはありそうな。

つまり軽いとはいえ、アリさんの何十倍もの大きさの獲物を一匹で運んでるのです。
ええっ?とビックリして。
仕事に出る前の忙しい時間にも関わらず、もう目が離せません。

その必死っぷり、ひたむきさが美しい。
アリさんがその体軀の全力を挙げて頑張ってるのが伝わってくる。
手に汗にぎって、固唾をのんで、アリさんの様子を見つめてました。

(ていうか、これ巣穴の入口通るのかなあ…)とか、
(そもそも、アリさんにとって、鳥の羽って食糧としてどうなんだろう…)とか、
想いとしては、ツッコミどころ満載でしたが、
その全てを封じるかのような、そんなことを思ってしまった私を恥じてしまうような、毅然とした頑張りっぷりなのです。

と。そこへ一瞬の突風。
フォっと辺りを軽くひとなぎして。

あっけなく、瞬きのうちに、今まであんなに頑張って運んでいた羽もろとも(むしろ羽だったからか)、アリさんは50センチくらい吹っ飛ばされ、ひっくり返ってしまいました。
アリさんの体長からしたら、50センチってどれくらいの距離感なのでしょう。

またそこから、アリさんは何とかして体勢を整えようと頑張ってるのですが、
突然の災難に対応しきれず、あわあわしている感じが伝わります。

そのあたりで、私は出勤の支度に戻りました。
それ以上見届けるのが辛くって。

私は「一生懸命頑張ったのに、その頑張りが無に帰する」というシチュエーションが大の苦手。
もちろん、自分自身の体験としてもイヤだし、映画とかで見てても辛い。
人の話であってもしんどいのです。
当然、アリさんであっても苦しい気持ちになって、いたたまれずその場から逃げてしまったのでした。

で、見ないふりをして、支度に戻ってから気づきました。

つまり、そういうシチュエーションを私は受け入れてないのだ。と。


何であれ「受け入れてないこと」が人生に起きると、苦しい感じ、モヤモヤした感じになります。
なのでシンプルに言っちゃうと、人生を気持ちよく生きるには「受け入れてないこと」を減らすといい。
あらゆるものを受け入れるほど、人生ラクになるわけです(ちなみに「受け入れる」と「我慢する」は違いまーす。これ話すと長くなるので今日は以下略)。

でも、不思議なことに、あまりにも長い間ずっと人生で受け入れてないことは、
受け入れてないことが当然で普通の状態なので、その事実自体に気づきません。

私もこの「一生懸命頑張ったのに無意味だった」という状況とそれに伴う感情を、今まで受け入れてないことに気づいてなかったのです。
「ああ、辛いなあ」と言いながら、その場、その感情からそそくさとスグに逃げてしまう。逃げても苦しいだけなのにね。
その感情にフタをして押さえつけ、一時的には収まるものの、次回それが起こるとまた再発。

これを繰り返しつつ、人はある時、日々の生活を営む中で「自分が無意識に何をやっているのか」に気づく。

私もこの日、延々とフタして逃げてきた感情に、アリさんのおかげで気づくことができました。
こんな風に些細なことからも気づけるから、人生サプライズ。毎日油断できません(笑)。

そして気づくと受け入れることが可能となり(というか、可能になったから気づけたのか)、この状況や感情を好きになるわけじゃないけれど、それでも冷静にはなります。苦しくはない。


その後、通勤途上、アリさんに想いを馳せました。
今どうしてるかな。あの羽、結局どうしたのかな。

私はある一場面に遭遇しただけですが、
きっと自然界では、こんなことは日常茶飯事なのだろう、ということは想像にかたくありません。

毎日命がけで生きる動物たちには、そんな「一生懸命やったことが無に帰する」なんて、当然のように頻繁に起こってるはずで。
それを淡々と、困りもせず、受け入れて、生きているのだろうと。

地球に存在する無数の生命が「一生懸命頑張ったのに無意味だった」的なことに出会っている。
それどころか、もっと生死に関わるような命がけの状況も頻繁に出会ってると思う。

としたら、私という一個人における、そういう状況がどれほどの事だというのか。
アリだってクモだってカブトムシだって猫だって虎だって象だって鯨だって、みんなに起きてることだ。
…みたいな、そういう視点だと、私のちょっとした苦しみなんて、地球全体の営みの一部としてみたら、そんなに大したことじゃない気がしてくる。

何だか、予期せぬ展開から、大きな視点で自分自身と地球を眺める時間をもらえたのでした。
アリさん、どうもありがとね。
「色川」の思い出 〜後編〜
「色川」は6代続く、由緒ある老舗の鰻屋さん。
ランチ時、店の外には行列ができ、ウナギを焼く香ばしい匂いにお腹を空かせながらしばし待ちます。

カウンター越しに見る大将は、いかにも江戸っ子の雰囲気ムンムン。
炭火で焼きつつ、煤けた白いウナギ用の団扇をハタハタさせながら、仏頂面、いや真剣な顔で、ウナギに向き合ってます。
出てきたうな重、当然美味くないわけがない!

食べ終わってから、このまえ取材依頼した者です、と伝えました。
「美味しかったです!大将がまずは来てみて、と言われた意味がよーくわかりました(笑)」
仏頂面がニヤリと笑う。
「何だよお、人が悪ィな。こっそり黙って食ってるたぁ(笑)」

そして、いろんな話に花が咲き。
以来「浅草特集」だの「ウナギ特集」だの、事あるごとにいろんな取材をお願いさせていただくようになりました。


一言で、大将を会ったことのない人に説明するとしたら
「天然記念物に指定してもいいほど生粋の江戸っ子」です。

私は東京に住んでいながら、それまで時代劇や落語の中でしか「江戸っ子」に会ったことがありませんでした。
それが、大将を目の当たりにしてからは
「ああ、江戸時代のこの辺には、こういう人がいっぱいいたのかなあ」
と、ものすごーくリアルに感じ、より時代小説や落語が立体的に味わえるようになりました(笑)。

きっぷがよくて、気が早くてケンカっぱやくて、三社祭が人生一番の生きがい…とか、そういうスペックも、当然ベタなくらい「江戸っ子」です。

でも、説明としてはそうなるけど、私が当時いちばん鮮烈に感銘をうけたのは、

自分にとって何が大切なのかがわかっていて、それが一切揺るがない。
という点です。

仕事に振り回されがちだった当時、大将に出会えたのは本当に幸運でした。
自分自身にとって、いったい何が大切なのか。
それを思い出させてくれたような、我に返らせてくれたような。

己に対して誠実であるとはどういうことか、を見せてもらったような。

もちろん大将だって人間だから、弱い部分はいっぱいあったと思う。
でも私が接していた面、仕事に関する意志は確実に強く、揺るがない。

たとえば、最初に取材したときのこと。
カメラマンに撮影してもらう際に、
「どうすんの、うな重のアップ撮るの?お椀や香の物も入れるの?」
「はい、お椀もお願いします」
「蓋するの?」
「はい、蓋します」

そこで普通の店だったら、蓋するんだから、空のお椀を持って来てくださる場合が多い。
だけど、大将は言いました。

「そうか、じゃあお前、こっちきて見てろよ。いいな、これお椀な。ちゃんと見てるか?」
「はい」
「いいか、そら、中身を入れるぞ…ほうら、入った。いいか、見たな、蓋するぞ…これをここに置く、と。さあ撮れ」

大将は、お椀の中身が入ってるか入ってないか、たとえ目には見えなくても、それをカメラマンがちゃんと知って感じているかどうかが、撮影の質に影響することを知っているのだ。
その微妙な差へのこだわりと姿勢。

あるいは、個人的に食べにいったある時。
あまりの旨さにしみじみ感動し、カウンター越しについつい
「もうっ、なんで大将のウナギはこんなに美味しいの〜っ?」
と、感嘆詞と同じ感覚で大きな声を出したことがあります(笑)。

私としては感嘆詞レベルなので、まさかキチンと返事が戻ってくるとは思ってませんでした。でも、ちゃんと丁寧に応えてくれたのです。

「んー、俺にとって、これは勝負なんだよな(ニヤリ)」

「…勝負?」
「うん、俺ァやっぱ”こーゆーの”好きだろ?(と、ここでシュッシュッと、シャドーボクシング風パフォーマンス。「こーゆーの」イコール喧嘩とか闘いとかってことだと思う)何でも勝負がいいんだよなあ。すると気合が入る」
「はあ」
「まずは誰よりも早く起きて、築地まで自転車こいで、その日のいちばんいいウナギを全部掻っさらって来る。
選ぶのを卸の奴に任せたり、店まで持ってきてもらうようじゃダメだ。適当なの持って来るからな。
最近のやつはウナギの良し悪しも分からねえ。だから俺が全部さらってやるんだよ。カカカ」
「そんでもって、今度は仕込みな。丁寧にさばいて、くし打って、蒸して。その間、ずーっと「絶対勝ってやる!」と思ってる」
「で、開店だ。客が入って来るだろ。今か今かと待ってるだろ。俺ァ、炭で焼いて、煙まわして、いよいよ勝負の時が近い。この間もずーっと「勝負だ、勝ってやる!」って思ってんだよ」
「ははぁ…」
「で、焼きあがって、飯敷いて、のせて、蓋して、「はいよ、お待ちどう!」とお客さんに差し出す。そんで、お客さんが蓋を開けて…「勝負あり!」だ(ニヤリ)」

細かい言葉の言い回しはさておき、この会話は昨日のように覚えてる。

まさか、こんなに全力で朝から勝負ふっかけられていたとは。
そんなの、最初っから客に勝ち目はなく「美味い!」と言っちゃう手以外は残されてないでしょう(笑)

…と、そんな感じの人でした。
他にもいろいろ「思い出」となると、書きたいことはいっぱいある。

三社祭の神輿は「絶対にハナをとる」のが彼の矜持。
ハナというのは、お神輿を担ぐにあたって、担ぎ棒の一番メインの場所らしく。
その場所を、祭が最高潮に盛り上がったタイミングで誰がとるか…というのが、大将的にはこれまた「勝負」のようで。

あまりのハナに対する執念から、大将は「ハナ=87」という数字が好き。
店の電話番号にも87が入ってます。1187。イイハナ。

そして浅草寺の除夜の鐘。
大晦日、近隣の檀家さん?が一回づつ鐘をつくらしいのですが、その順番をクジ引きで決めるのだそうです。
で、大将は87番がいいので、くじを引く時に

「87、87、87、ハチジュウナナ〜〜〜っっ!!」
(と、くじを引くときの気合の入れようを、実際に目の前で再現してくれます。それはもう凄いです。昔あったマンガ、北斗の拳の主人公ばりです)

と、気合を入れて引くからか「そんで毎年、87番を引くんだよ」という。
除夜の鐘、毎年87番目。
「壁にかけてあるのは全部それな。「浅草の七不思議」なんだよ」
たしかに、当時壁には「八十七番」と書かれた短冊が何枚も飾られてました。

こればっかりは、にわかには信じがたく。
きっと住職さんやお寺のクジ係の人が、気合に負けて87番にしてあげたくて、なんか細工してるんじゃないの?とか思ってましたが。
でも半分は「あの気合なら、あり得るな」と思ってしまうこと自体がもう魔法。
なので、今思えば、やっぱり七不思議なのだろうと。

とかなんとか思い出話、いろいろ書いてしまいました。
長くなったけど、これは私の色川の大将へのオマージュでもあり。
他界したことを知って以来、何となくずっとこれを書きたかったのだと思います(書いてみて、ようやく気づいた)。

もう大将の「勝負のうな重」がいただけないのは残念だけど、
こんな人と出会えたことに心から感謝します。

素っ裸で、誠実で、いつでも真剣、いつでも本番。
それを体現していた大将を見ているだけで、毎回元気をもらえました。

「いつでも真剣勝負」の情熱、私も見習いたいと思ってます。
本当にありがとうございました。

追伸。
書き終えてから知ったネット情報を。
大将は2014年の3月24日に他界されましたが、
亡くなる前日まで普通に仕事をしていて、終わった後に「具合が悪い」と救急車を呼んで、
翌日にこの世を卒業されたとのこと。
ほんとに、最後まで粋な江戸っ子でしたね。
「色川」の思い出 〜前編〜
このまえの時間をはずした日は、土用の丑の日でした。
ネット上でもウナギの話が数多くあがっていて。
どんだけ日本人はウナギとコミットしているのだ。としみじみ感銘を受けました。

そして今日は、私も遅ればせながらウナギの話を。
というより、浅草の鰻屋さん「色川」の大将のお話を。

この前の「天然ウナギ」の記事でも言及しましたが、
私は東京にいる頃、ウナギと言えば浅草の「色川」まで出かけてました。
でも広島に来てからは、たしか311前に一度食べたきり。
以来、なかなか都合もつかず行けてません。

それが先日、東京出張の際にふと「久しぶりに色川の大将に会いたいなあ」と思い立ち。
ちょこっとネットで調べてみたら…
なんと、大将は2014年に他界されたとのこと。
今は女性2人で(おそらく奥様やご親族でしょうね)お店の味を守っておられるそうです。

そうだったのか…いつの間にか、この世から卒業されていたなんて。
まだまだ先だと思ってたけど、気が早い江戸っ子らしいなあ。とも思う。

なんとなく、大将のいない色川に入る気持ちの準備ができなくて。
結局、東京滞在中は行きませんでした。

というわけで。
そんなこんなの中、哀悼の意にかえて、色川の大将との思い出を書いてみたくなった次第。
おそらく長いぞ(笑)。



色川の大将との出会いは、取材依頼がきっかけでした。

当時の私は雑誌のライターをしていて、それはそれは忙しい仕事でした。
いつも何本もの締め切りに追われています。
その原稿書きの合間をぬって、編集者と打ち合わせ、企画に沿ったアポイントをとり、取材をこなします。

なので、食べ物やエリア特集などで何軒もの店取材が必要な場合、行ったことのない店には電話で取材をお願いし、当日初めて体験する…というケースがほとんど。

取材がきっかけで知らないスポットや人物に出会えるのは、この仕事の醍醐味でもありますが、
同時に「できれば自分が予めその良さを体験して、納得の上で紹介したいよな〜」という理想もあって。
でも、この業界のスピードからしたら、そんなことはまさに理想でしかなく。
毎日とにかく夢中で、目先のことをこなしながら駆け抜けていたわけです。

そしてある時、浅草特集だったかな。クチコミで(当時はネットではなく本当にクチコミです(笑))美味しそうな色川をリストアップして。
編集からOKが出たので、さっそく依頼の電話をかけたのでした。

「はい?」
「あの、雑誌〇〇ですが、今回の浅草特集で色川さんをご紹介したいと思いまして…」
「ふーん。いいけどさ、あなたはウチに来たことある?」
「えっと、あの、すみません、まだ伺ったことがなくて(汗)」
「ああ、じゃあさ、とにかく一回ウチに来てよ。取材は全然いいんだけどさ、まずは来てもらってからじゃないとわかんないでしょ?うんうん、じゃあね(カチャン)」

「…」
私は、電話が終わったあと、しばらく動けずにいました。
うまく説明できませんが、そっけないのに不思議にあたたかい何かを感じたからです。
そして(なんとかして行けないかな…)と思いを巡らせてる自分がいました。

ちなみに普段だったらコレ、取材を諦めるケースです。
何と言っても、締め切りが目前に迫ってますから。

ライター同様に編集部も時間に追われてるので、特に週刊誌など、企画自体あがってくるのがギリギリです(きっとどこの業界もそんな感じでしょうね〜)。

なのに発行日は絶対。締め切りだけは決まっていて、その間に担当カメラマンと私の空いてる日程を調整し、こちらの都合にできるだけご配慮いただいた日に取材を敢行するわけです。

逆に言うと、いくら紹介したいスポットでも、締め切りに取材が間に合わないなら諦める場合も少なくありません。

大将が言ったのは「取材はいいけど、まずは来てみてね」という、至極真っ当な話です。

でも現実問題、1日は24時間しかなく、締め切りまぎわの記事のために2度訪問する時間を費やす…というのは、当時の状況においてはかなり難しいことでした。

なんだけど、どうしても気になって。
結局は無理矢理にスケジュール調整して(2晩くらい徹夜する感じに詰めて)、まずはお客さんとして食べに行ったのでした。

どうしてそんなに気になったのか、自分でも不思議だったけど。
今思えば、大将は素のままの自然体で電話に対応してくれたのだと。
そこに潔いほどの誠実さを感じたのだと思います。

私たちは社会生活を送るとき、意識的無意識的関わらず、多くの場合、何らかの「仮面」をかぶって対応します(専門用語ではペルソナっていうみたい)。
「私は社会に対して、こういう人だと見てもらいたい」とか、あるいは
「社会に対して、こんな風にしていれば安全だろう」という仮面。
それがどういう表現であったとしてもね。
常識的な社交辞令のフレーズを言い回すのも仮面。
豪放磊落な明るいムードを出すのも、優しさを出すのも仮面。

んー、「仮面」だと語弊があるとしたら、お化粧する感じ?
お化粧やファッションと同じように、その”人格”を身にまとって外出する。

たとえば私だと、お仕事してる時は、家にいる時より「やさしい人」的なペルソナをつけてると思うなあ。意識して頑張ってるわけじゃないけど、自然にそうなってる。

私はかなり裏表がないほうだと自分でも思ってるのですが(結構ジマンの領域です!)、それでもやっぱり、こうして振り返ってみると、家にいる時とはちょっと違うと思う。

でもそれは社会に出るときの、私たちが教えられてきた普通な在り方です。
スッピン、素っ裸、家のパジャマのまんまで社会に出てくる人は少ないと思います。
(あっ、私は化粧しませんが(笑)。でも流石にハダカでは外出しません(笑))

取材依頼の電話口ではなおさらです。私を含め、ほとんどの方は仮面をつけています。
なのに、大将は素っ裸だったの。そのスッピンぷりが際立っていたとでもいうか(笑)。
ある日突如、気持ちよさそうに街中をハダカで歩いてる人と出会ったような、不思議な気持ちになったのだと思います。

仮面をはずした人を前にすると、なぜかこちらの仮面もはずれます。
忙しさに振り回されている私を、ハッと我に返らせてくれたような。
「ほんとそうだよ、そうだった、まずは行ってみないとね」
と、さっそくスケジュールをやりくりし、色川を訪れたのでした。

うーん、ここまで、色川の思い出というより、ライター時代の思い出になってるなあ。
ようやくここからか。どうやら長くなりそうなので、前後編に分けることにしました。
今日はここまで〜!
リーディングのご感想ありがとうございます 〜東京セッション特別編〜
いつもご感想ありがとうございます。
今回はちょっと特別編。
6月の東京セッション、ご感想を3人の方から頂いたので、
東京でのお礼を兼ねて、たっぷりゴージャスに(笑)3通あわせて掲載させていただきます。
その節は充実した時間をいただき、本当にありがとうございました。
掲載の機会にあらためて御礼申し上げます。
またいつか東京で皆さまとお会いできるのを楽しみにしてますね!

☆★☆

まずは1通目、acoさんからのご感想です


昨日も本当にありがとうございました。
小さい頃から何故か死への恐怖がすごいんですが、それが飛蚊症と結び付いてるのは意外でした。でも、言われたあとにしっくりくる不思議な気持ちになりました。

死への恐怖の想いに愛を。は、なんだか泣けてきたので、
なにか響いたんだとおもいます。

帰ってからの瞑想も、なんだかいつもよりスッとできました。

また、自分の想いの重さより軽い表現になってしまう感じや、
ハートからモワッと溢れる感じを表現したいけど、上手くいかないとか。
いままで人に言ったこともなかったけれど、その感覚を言葉にしてもらえたことで、
あー、この感覚は私のやつなんだ。と、思えたとゆーか。
なんとゆーか、嬉しかったです。
(中略)
論理的ではない私は、アユタヤさんのように感覚で話をしてもらえる人にとても感謝です。
すごくシックリくることをいつも気づかせてもらえてます。
本当ありがとうございました。
残りの東京滞在、楽しまれてください(^^)


acoさん、ありがとうございます。
私は自分のセッションについて説明するとき
ざっくり「ご自身の魂からのメッセージをお伝えする」と言ってますが、
そうすると、どこかから日本語が降ってきてるのだと思われる場合があります。

実際には、タロットや数秘を通じてエネルギーが届くので、それをこちらの語彙で日本語に翻訳している感じです(ここがある意味、昔ライターをやってた頃のスキルが役立ってるようにも思います)。

なので、届き方によっては感覚的な表現が多用されるメッセージもあります。
acoさんが感性の磨かれた方だから、より感覚的な言葉になるのかもしれませんね。

皆さんそれぞれに、個性的な表現のメッセージが届くから、
私もいつも「今日はどんな表現が口から飛び出るんだろう?」と楽しみなのです。

またお会いしましょうね。お互い感性を磨きつつ☆

☆★☆

そして2通目はMKさんからのご感想です。


先日は、長い時間お話をありがとうございました。
久しぶりにあゆたやさんに会えて、ゆっくり話ができて嬉しかったのと、聞きたいことが聞けてスッキリしました。

なんだか目的がきちんとわかったせいか、イラッとすることが減ってきました。
嬉しいかぎりです。

家に帰り、旦那にも話をしたら、
まさに二人の子ども達のこと、ピッタリだねって驚きと、
参考になってよかったと話してました。

今度俺のことも聞いてみてと、興味を持ったみたいです。

機会があったらぜひまたゆっくりお話を伺えたらと思います。
東京に来た際はまたよろしくお願いします。


MKさんとは、久しぶりの再会でした。4〜5年ぶりかな?
10年近く前、出会った当初は独身でいらっしゃいましたが、今や2人のお子さんのお母さんに。

久々のセッションは、お子さんの数秘もやったので、ちょっと長めでしたね。
(6歳くらいまでの幼いお子さんの数秘は、ご希望があればお母さんに必要な情報をお伝えしています。10歳以上は本人が聞く準備が整う時まで保留です。それ以前は応相談)

ダンナ様も数秘に興味を持っていただけたようで嬉しいです。
いつかダンナ様ともお会いできる日が来るといいなあ。

長年お付き合いくださって、ありがとうございます。
これからも末長くよろしくお願いいたします。

☆★☆

最後、3通目は月魄さんからのご感想です。


昨日はありがとうございました。
命の処方箋をいただいたように思います。

家に帰り、母に言おうと思いながら、口に出したことがないから、どうしたら良いのか…。

結局何も出来ず、諦めてベットに入って、暫くしたら涙が流れて自然に言葉が出て来ました。小さな声で少しだけ言えたかな。

でも…、最後に口癖のごめんなさいと無意識に言ってる自分がいました。
こんな酷いこと言ってごめんなさいって。

今、タイムカプセルの蓋の前で、何度も開けようか閉めようかとオロオロしてる子供のようです。

今日は朝から、ポ〜っとしてて何をするわけでもなく、いただいた薫りで心に涼風を巡らせ過ごしています。
大地や宇宙のエネルギーの中で生かされているのだと感じます。

またお目にかかれる日を楽しみにしてますね。
次は平和の祈りの地、広島で。


月魄さんは、富山から新幹線で駆けつけてくださいました。
広島よりは東京のほうが近いとはいえ、短いセッション期間内にタイミングを合わせてくださり、本当にありがとうございます。

きっと、それだけの貴重なお時間やエネルギーをかけてでも必要な何かを、魂が届けたかったのかなと思います。
そんな大事なお役目に、魂から白羽の矢を立てていただいて、背筋が伸びるような思いです。
感謝とともに、日々精進していきたいとあらためて感じました。

タイムカプセル、少しづつ、少しづつ、無理なく宇宙の流れの中で自然に開けていけますよう。

いつか、広島の店にも遊びにきてくださいませ。
自然な流れの中で、その日をのんびり楽しみにお待ちしています。
マヤ暦新年。
あけましておめでとうございます。
昨日はマヤ暦で「時間をはずした日」だったため、占猫も臨時休業させていただきました。
ほんっとうに何もしないで、のんびり家で時間はずしてましたね〜。

明けて新年。
いつもだとお仕事ですが、今日はちょうど定休日と重なって、引き続きのんびりモードです。

とはいえ、カレンダーを前年のと取り替えたり、新しいマヤ暦スケジュール帳に移し替えたり。
などと、新年らしい作業もやってます(笑)。
西暦と両方使ってると、新年が2回あるので、いい感じでリセットされます。

ところで、そんなことを喋ってたりすると、
「マヤ暦を使ったら、どうなるのですか?」
と、聞かれることがあります。

これはけっこう広大な質問です。
何を言えばいいのか、ときどき切り口に悩みます。
マヤ暦も、世界に数多くある暦の中の一つなだけので(うちは他に「地球暦」っていうのも使ってるよ〜)、
「グレゴリオ暦(西暦)使ってて、どんな感じですか?」
と言われたかのような感覚なのです(笑)。
さて今日は、どの切り口から話そうかなあ。

「暦」を使うと、その暦が持つ特定のリズムや周期、時間に同調するようになります。
それはどんな暦でも。馴染めば馴染むほど。

そのリズムが、マヤ暦の場合、地球や自然の営みにとてもシンクロしているように感じられるのです。
宇宙のリズムに則った暦。だから自分と宇宙が「当たり前に繋がってる」のを実感しやすい。

私たちが幼い頃から馴染んだ、1年が12ヶ月というグレゴリオ暦(西暦)も特定のリズムがあります。
その暦を使ってる人たちが共有する世界において、みんなが大なり小なり影響されます。

例えば、学校に行ってた頃は7月に入ると、夏休み前からワクワクしたり。
12月に入ると「先生が走るほどの忙しさ」を世の中全体から感じてソワソワしたり。
それは、ある角度からみると暦に影響されているわけです。

グレゴリオ暦、共有してる人が多いので便利なのはいいんだけど、
グレゴリオ教皇さんが人為的に作ったものだから、宇宙と繋がることにはあんまり興味のない暦なのです。
実際、使ってて「宇宙で生きてる実感」あんまり湧かないでしょ?(笑)
そもそもグレゴリオさん、そんなことを暦に求めてなかったと思うしね(笑)。

というわけで個人的な好みとしては、グレゴリオ暦よりマヤ暦が好きです。
自然や地球と一緒にいる感覚を日々に感じられるし、暦に馴染むほど、あちこちでシンクロニシティ(意味のある偶然の一致)が起きてきて、いつしか人生がスムーズになってきたように思います。

これは何回も書いてるから、詳細は今回パスですが、
私が当時まったく興味のなかったはずの、今の仕事を始めたきっかけも、元を辿ればマヤ暦を使い始めたことに発すると思ってる。
「ああ、あの時マヤ暦を始めたから、自然の流れどおりに今此処に至ってるんだなあ」と。

なので、興味がある人には
「普通にカレンダーだから、とりあえず使ってみるといいよ」
と、言ってます。
暦もそろそろ、自分のライフスタイルに合わせて選ぶ時期が来たのかな。

西暦と両方使ってるうちに、だんだん英語と日本語を使うバイリンガルみたいな感覚になってくるかも(ちなみに私はバイリンガルじゃないので勝手な推測です(笑))。

今は新年に入ったばかりだし、始めるにはちょうどいいタイミング。
「13の月の暦」(マヤ暦にもいろいろ流派(?)があるみたいですが、個人的にはコレが好き☆)で検索したら、手軽にカレンダー入手できますよ。

今年も宇宙時間との繋がりを感じ、自分を開いて、自然の流れのなかで(=宇宙の法則どおり)いろんな出来事や出会いをワクワク待ち受けたいと思います。

本年もどうぞよろしくお願いいたします。
広島第一劇場、期間限定で復活中です☆
今年の1月末で閉館することになっていた広島第一劇場。
それがいろんな事情が上手く奇跡的に重なり、4月から再開。来年2月まで期間限定で復活しています。

昨年の七夕に観に行って以来、ストリップの魅力にすっかりハマってるのはこれまでも何回か書きました。
でも最近思うに、現時点では「第一劇場にハマってる」という感じかもしれません(笑)。

あの昭和レトロな、趣のある劇場。

あんな星のモチーフがついたミラーボール、もう製造されてないのでは?
鏡張りの壁。微妙なスモーク。ゴーゴーと音をたてる巨大エアコン。クタクタになるまで使い込まれた赤いシート席。手が触れる部分がえぐれてしまってる入口扉。などなど。
そこで昭和の伝統芸能であるストリップが繰り広げられ…。

あの空間、空気感そのものが文化遺産に指定されてもよいのではないか。

とか思ってるくらいなので、再開したことが本当に嬉しくて。
スケジュールが合えば、なるべく都合をつけて劇場通いをしています。

ストリップに来る人は熱心なファンも多く、話をしてみると、けっこう遠方からーー大阪や東京、東北という人もいましたーー来てる方も多くて。
「いやー、広島はいいですねえ、天井も高いし、広いし」
「踊り子さんも、東京より広島で会うほうがフレンドリーな気がしますね」
などと聞けばきくほど、来年2月で終わってしまうのが本当にもったいない。

しかし、事情を聞くかぎり、2月以降の延長は難しそうな感じもします。
(いや、できればまだまだ延長して欲しいけど(笑)!)

だからこそ。
広島にいる人は、閉館までに一度は観に行かれることをオススメします。

ストリップは「女性性を最も美しく魅せるプロ」が目の前で踊ってくれるという、美しい芸能です。
一般的なイメージだと、女性には敷居の高い場所に感じますが、
個人的には、女性こそ楽しめるんじゃないかと思ってます。

最近は、昔より入場しやすいのではないかと。
この前行ったときは、女子に人気の踊り子さんが出演していたからか、観客の半分近くが女性でした。

これまでもストリップの魅力については延々と語っております(笑)。
なのでここでは別方向から、ちょっとだけ書くとしたら。

素晴らしい芸能はストリップ以外にもたくさんの種類があって、それぞれが魅力的です。
演劇も、ミュージカルも、落語の寄席も、バレエも、歌舞伎も…などなど、数えあげるとキリがない。

劇団四季も好きだし、宝塚歌劇だってワクワクするし、末廣亭もキャラメルボックスも歌舞伎座も好き。
ただ、たとえば劇団四季は広島に来たら行くけど、基本東京だし、宝塚歌劇団は宝塚にあり、末廣亭は新宿にあるし。
広島から行くにはけっこう大変です。

だけどストリップは、2月までは中国地方唯一の劇場が広島に存在するのです。
その先は、広島人は出張しないと観れないのです。
そうなると、はるかに敷居が高くなります。

エンターテイメントの好みは人それぞれ、万人にストリップの魅力を押し付けるつもりは毛頭ありませんが、やっぱり一度は体験したら面白いのになあ。とは思ってます。
こんなに手軽に観れるんだもの。

おそらく、イメージしてるものと全然違う世界が展開していてビックリしますよ。
私もほんの1年前ですが、これまでの人生にない、まったく新鮮な刺激が訪れてビックリしました(笑)。今まで出会ったことのない刺激。新しい経験。

もちろん、これまでの私にも楽しいことは他にいっぱいあります。
そこにまた一つ、ストリップという「人生を楽しむ選択肢」が新しく増えたわけで。
知らない世界がひらけ、人生が豊かになったように感じています。

そして第一劇場がある間は、他の「人生を楽しむ選択肢」よりも優先的に時間を費やしたいと思うのです。
「もうこれで終わり」にヨワいタイプなので。閉店セールとかもヨワいしね(笑)。

と。毎回行くたびにいろんな刺激をいただいて愉しいので、ついつい語っちゃいました。
まあまあ、ご縁があればいつか行ってみてくださいませ。
もしも、かぶりつきで観ている私がいたら、声をかけてね(笑)。
耳をすます。
今年は、うちの近所には野鳥がいっぱい棲息してるらしく。
毎日、いろんな種類のさえずりが聞こえてきます。
朝はそれをBGMにして、のんびり白湯など飲むのが最近の贅沢な時間。

特にウグイスの鳴き声は格別です。
毎日、ホーホケキョ。と素敵な鳴き声を響かせてくれています。
やっぱり有名なだけあって(?)、声量が違う。

今朝は家のすぐ近くにいたのか、いつも以上の音量で、しかも上品かつ繊細。
瑞々しい響きが、あたりの空気を震わせて、耳で聴くというよりはその振動を感受しているかのような。

そんな鳴き声で呼ばれたら、私がウグイスだったらソッコーで嫁になる!
と思ったくらいの響きに聞き惚れました。

夏は生命が全力開花する季節。
こんな普通の住宅街に住んでいても、いろんな命が周辺のあちこちで物音を立てていて、生を謳歌してるのを感じられます。

だから暑くてもクーラーしないで窓を開けてるのが好き(いや、真昼はクーラー大好きですけどね)。

たくさんの種類の野鳥の声。
蜂の羽音。
謎の虫の音色。
ぼちぼち、蝉しぐれもボリュームあがってきました。

耳をすますと、いろんな生命の営みが、夏を舞台に開催されているのが感じられ。
ああ、夏がきたなあ…と、しみじみ感じ。
それは、幼少期の夏休み前のワクワク感とリンクして、何だかドキドキ嬉しくなるのです。

何も用事のないお休みの夏の朝、一番のリラックスタイムです。

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