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第一劇場、あと10日。
いったい何度書いてるのか、第一劇場のこと。
去年の夏に初めて行って以来、すっかりストリップの素晴らしさに魅了され。
そこから何度も足を運んで、すっかりなじんできましたが、
残念なことに、惜しまれながらもこの1月末で閉館してしまうのです。

なので12月末からは、さらに足繁く通ってます。
もう2月には無くなっちゃうなんて。未だにピンとこないけど。
あと10日で、中国地方からストリップ劇場はなくなるんだね。

ストリップの魅力については、これまでのブログで何度か延々と書いてるので、今日はあまり語る予定ではありません(笑)。
まあでも、ついつい書くとしたら(書くんじゃん!)、ストリップという世界を知ってよかったなあと。
ストリップを楽しむことを選択肢の一つとして選べる人生になってよかった。
私の世界が拡がった感じがすごくする。

30歳を過ぎた頃、ふとしたきっかけでようやく落語の魅力を知り、寄席に行くようになったけど、その時の喜びと似てる。
人生の中で、寄席に行くという行為が選べる自分になってよかったなあ、と思ったの。

今後、広島からストリップ劇場が消えても、私は旅先などで「ストリップを観にいく」という愉しみを選ぶことができる。
京都とかお墓まいりで結構行くから、観劇をスケジュールに入れてみたりね。
よかった。世界を愛でる方法がまた一つ増えて。
そのきっかけをくれた第一劇場に感謝します。

そして感謝の気持ちをこめて最後を見届けたいので、最終日は第一劇場に出かけようと思います。
実は、本来その日は占猫の営業日なのですが。
でも不思議なことに、現時点でその日はまだ1件も予約が入ってないのです!

今日スケジュール帳を見ながら、そのことに気づき。
「これはつまり、行けってことですね!」とピピッと直観したのでした(笑)。
そんなわけで、1月31日は「都合により」臨時休業させていただきます。
皆様にはご迷惑おかけしますが、宜しくお願いいたします。
最後を見届けてくるね!

ちなみに最後の日は初めての観劇にはオススメしませんが(多分お客さんの人数がすごいことになるので)、残りの10日のうち、早めの平日などに行ける人がいらしたら、ぜひ行ってみてね。特に女性にオススメですよ。

もちろんストリップを観て思うところは人それぞれですが、私の個人的な体験でいうと、人生を制限している何らかの見えない「枠」が壊れる気がします。
その枠が何か、は説明が難しい。
それは広範囲にわたって、薄く無意識的に人生を縛っているもので、言葉で端的には捉えきれないもので。

私の場合、ざっくり言うと「女性」というものについての制限された考え方、だったような気がする。

多くの女性は(男性もきっと同様なんだけど)、社会とか世間とか家庭とかから「女性とはこういうもの」と定義づけられた(おそらくその「定義」でさえ、家や文化背景によって様々で)、見えない制限というか縛りがあって、生まれた時からその世界にどっぷり浸っているが故に、大なり小なり無意識にその見えない枠の影響を受けている。

例えば「ストリップ劇場に行く」という行為は、私と同じく、最初はなんとなく敷居が高く感じる人が多いと思う。女性が行きにくい感じのイメージ。

でも、そもそも一度も体験したことがないのに、なんで最初から勝手に敷居が高いイメージを持ってるんだろう。

それは生まれた時からの私個人の嗜好ではなく、社会や文化によって後づけされた印象に影響されているわけで。
外界から教え込まれた印象がなければ、普通の劇場や映画館に行くのと同じ扱いでいいはず。
もちろん、一度体験した後の好き嫌いは人それぞれの嗜好があると思うけど、事前の印象が軒並み一律同じっていうのは、よく考えたらヘンだなあと。
それに気づかないくらい、私たちは外界からの影響に無意識だ。

たまたまストリップを例にしたけど、実際はいろんな場面で、同じように自分の体験に無意識に制限を設けてしまうのです。
それにリアルに「ああ!」と気がついて。

初めてストリップを観たとき、その時には衝撃で言葉にならなかったけど。
これまであまりにも当然すぎて、意識化もできなかったそれらの制限をぶち壊されたような気がします。
今もまだ、明確には説明不可ですが。現時点で言葉にするとこんな感じかなあ。
うーん、読み返すと、私が感じてる奥深さが全然表現できなくて、めちゃくちゃ薄っぺらい言葉になってるような。

まあでもきっと、縁がある人は自然に行くようになってると思うので、タイミングが来たな〜と思ったら、行ってみてね。
私も最終日以外にも、もし時間があればもう一回くらい行けないかなあ、と画策中です(笑)。
雪ふるふる。
大雪、きましたね〜。
広島では十数年ぶりの規模だったそうで。
私がこっちに来てからは最大積雪ってことですね。すごーい。

雪が降ると、テンション上がります☆
雪国の人には普通なのでしょうけど、私にとっては非日常。
まるで別世界に入り込んだような気分になります。

普段とは違う世界に来てるので、感覚もフレッシュになってる。
何を見ても新しいし、子どもの頃のようなピュアなフィーリング。

朝、窓ごしに、延々と空から降ってくるのを飽きることなく眺め。
同じ形はひとつとしてない。という雪の結晶たちが、ひっきりなしに、空の彼方からあんなに沢山降ってくること自体に畏敬の念を覚えます。

そして、ふるふると降りてくるリズムに催眠的なものがあるのかな〜。
いつのまにか昔の雪の思い出と繋がって、当時のフィーリングに入り込んでたり。

私は小学生の頃は父の仕事の都合で転居が多く、
小学2年生の2学期が終了した時点で、西日本から飛騨の高山に引越したことがありました。
その引越した当日がちょうどクリスマスだったのです。
まるで当然のように、普通に雪が降ってました。

それまでの転居先は大阪とか倉敷とか、西日本が多く、あまり雪とは縁のない場所だったので、本当にビックリしたものです。
「ええっ!クリスマスに本当に雪が降る街があるんだ!」
という心からの驚き。

絵本などでは、クリスマスというと雪のシーンが多く、なんとなく憧れてたのですが、あれは遠い外国のことだろう、と漠然と思ってた気がします。
それが、こんな普通に降ってるなんて!

運送屋さんが次々とトラックから家に荷物を運んでるその横で、
ずっと飽くことなく、驚きとともに空を見上げてる、あの時の感覚にいつのまにかワープしてました。

それを感じてることに気づいた私は、その繊細で瑞々しくてピュアな感覚自体にまたビックリ。
ああ、子どもの頃って、こんなに瑞々しい感性で雪を見てたのね。

と、雪のおかげで感受性をリセットしてもらえたようです。

夜は夜で、雪が全てを厚く覆った、シンと静かな雪景色を見ていたら、
今度は、20年近く前の、インドはヒマラヤの村で過ごした時間にワープしてました。

ちょうど一番寒い時期に、なぜかわざわざ寒いヒマラヤにいて。
その村に住んでいた友人の家で、薪ストーブを囲み、旅行者や村の人、あるいはサドゥまで一緒に、ほっこり仲良く冬ごもり。

サドゥというのは、ざっくり言うとインドの修行者。
ちょうどその人は友人宅に居候中で、普段はもっと標高の高い場所で修行(?)しているけど、厳寒期には村まで降りてきて寺院などで越冬するのだそう。

旅行者もローカルもサドゥも、いろんな人がひしめく狭い部屋の中、
チャイをふうふういただきながらお喋りしてると、不思議とあったかく。
でも外はマイナス10度を越す寒さ。
トイレが外だったので、必ず夜でも何回か出なければいけないのが修行(汗)になってましたが、そのとき体験した、山村のシンとして凛とした空気の雪世界と、広島の静かな真夜中の雪景色がどこかで繋がったみたい。

ちなみにカランと晴れた夜は、周りを囲む壮大なヒマラヤの山々が月明かりに照らされて、例えようもなく荘厳だったなあ。

とか。
雪が感覚の記憶を引き出してくれたみたいです。

そして雪が降り止んだお昼には、すっきりとした青空。
木々や家々の屋根に残る、手つかずの積雪が目に眩しく。
雪のあとだから、空気もきりりと澄んでいて。

まるでお洗濯したように感受性がすっきり純化されたよう。
世界のすべてがリセットされたような、清らかな気分になりました。

今回、受験生の方など大変な目に遭った人には暴言に聞こえるかもですが、
ときどきは、いっぱいの雪が降るの、悪くないかもね。
と、個人的な体験からは、そんな風に思ってしまうのでした(笑)。
のんびり年賀状。
ふう。ようやく4日ほど前に年賀状書きが終了しました。
仕事初めの頃までかかったかな〜。

私は「手で字を書くのが好き」なので、年賀状書くのが好きです。
オール手書きです。ただし、書きたいときにしか書けません。

なので、年によってはある12月の週末に「よし書くぞ!」と思い立って、
ドガガガっと2日くらいで書き上げることもあります。
だけど最近は12月末から正月明けにかけて、少しずつ分けて書くことが多いかなあ。今年もそうでした。
もちろん書いてるうちに、先方の年賀状が届いちゃったりします。

でも、焦りません。マイペースに書く。
私の場合、焦ると「書く」という行為がおざなりになってしまうのです。
年賀状は言祝ぎ。だと思ってます。
文章的には定型的なものが必ず入ってくるから、どうしても同じような文面になりがちです。それは「言祝ぎ」だから、それでいいのです。

ただ、それを何十枚も続けて書いてると、ルーチンになりやすい。
せっかくの年始のご挨拶を、おざなりな気分で書きたくないのです。
心をこめて、言祝ぎとして書く。1枚1枚、新しい気持ちで。

なんの工夫もなく、文字を書いてるだけの地味〜な年賀状ですが、心だけはこもってます(笑)。
「大変じゃないですか?」とか言われることもあるけど、好きでやってるからな〜。
この年賀状を書く、という行為自体がけっこう気持ちいいのです。

例えば、定型中の定型、
「皆様のご健康とご多幸を心よりお祈り申し上げます」
を、書くでしょ。
これ、心をこめて一日に何十回も書くと、言祝ぎによって自分の心も綺麗になっていく感じなのです。
写経はやったことないけど、もしや写経するのと同じような感覚になってるんじゃないかなあと思います。

なので、のんびり年賀状、けっこうオススメですよ。
これ、遅く届いた人への言い訳になるかな〜?(笑)。
しあわせを積み重ねる。
DSCF5558.jpg
今年も恒例の宮島・厳島神社に初詣に行ってきました。

天気がよくて、ちょっと遅めの到着になったので、そんなに混み合ってなくて。

境内は廻廊を歩いてるだけで、すーっと浄化されるような涼やかさ。

新年のご祈祷をお願いし、お姫様方に「今年もよろしくお願いします」とご挨拶。
ふわりと軽やかな、優しいエネルギーに包まれて。

おみくじを引けば、吉。
文言を読んでみると、大吉じゃないかと思うような内容で、素敵な年の予感。

ここ最近、昨年以来のテーマが、そのままおみくじにも書かれていて。
「思いたったことはすみやかになすべし」と。
やっぱり予定どおりに物事は流れてるのだなあ、と心強く思い。
嬉しいから、久しぶりに家へ持ち帰る。

帰りがけ、毎年参道に出てる屋台の中で、一番のお気に入り「◯◯焼き(まるまるやき、と読みます。そういう名前なの)」を買って食べて。

ここのお姉さんの作る「◯◯焼き」の焼き具合が素晴らしい。
今年もこの屋台が出てくれたことを言祝ぎながら。

もちろん食べるとなると、当然、鹿との争奪戦があるけれど、
今回エサをねだりに来た鹿は、どの子も聞き分けがよく、神社のお札が入った紙袋にも、服にも喰いつかれることなく。

食べる間に眺める、大鳥居と夕暮れと、薄い三日月が美しく、波の音は心地よく。

そして、宮島の商店街にほど近い、隠れ家カフェ「タムカイマ」へ。
古民家を改装した、居心地のいい素敵な空間が大好き。
久しぶりにオーナーご夫婦とお話できて、
おいしいぜんざいと生甘酒とドリンクで、ゆったりあったまって。

その後、横川に戻って、普段は東京にいるお友達と約2年ぶりの再会。
インド人のダンナとの間に子供が生まれて、ダンナと赤ちゃんとは初めてご対面。
お正月でも開いてた居酒屋さんで、飲んで食って。いっぱいお話して。

生後8ヶ月の赤ちゃんは、元気で愛想がよくてかわいくって。
旦那さんは、偶然、私がインドにいた頃2ヶ月近く滞在していた村の出身で、
尋ねてみたら、私が滞在したのはもう20年近く前のことなのに、
今でも共通の友人知人の話が出てきて、盛り上がり。

すっかりインドの村に戻ったかのような気分になりながら、
さらに綺麗さを増した三日月を眺めつつ、夜遅く家路に着きました。

…という、どこにでもある、さりげない初詣の1日ですが、
こうして一つ一つ、丁寧に追っていくと、ちょっとしたこと全てが嬉しくて、しあわせを感じているのだなあと。

ささやかな喜びが、たくさん積み重なって、ほわっと嬉しい幸せ感。
何がどう、と説明できない、ほわりとしたしあわせ。そして感謝。

こんな、沢山のしあわせが積み重なった1日を、今年もいっぱい過ごせますように。
あけましておめでとうございます。
DSCF5341.jpg
あけましておめでとうございます。

2017年、始まりましたね〜。
毎年言ってますが、またもやあっという間に時間がたって、
「えっ、もう2017年?」とビックリです。

ということは。
占猫もあっという間に今年で何と7周年。
これまたビックリです。
7年続いてる店って「長く続いてる」というイメージだったので。
うちの店が、私の思う「長く続いてる店」の一員になる日がくるとは。

でも「続けた感」が全然ないなあ。
毎日あっという間に時間が過ぎ去ってて。
毎日、全力疾走でセッションしてたらいつの間にか今に至ってました。…という感覚です。
そういえばリーディングしてる時は、常に「今」にしかいないものね。
あっれー、時間の感覚がここ数年速い気がするのは、そういうのも一因なのかな?

うーん、新年のご挨拶のつもりが、最初っから脱線してるなあ。
いやしかも7周年、実際は5月なのでまだ先の話だし(笑)。

よし、仕切り直し。

そんなわけで。
昨年は、本当に本当にたくさんの方にお世話になりました。
たくさんの出会いがあって、
様々な体験のなかで、多くの気づきや成長を促してもらえて。
いろんな方にいろんな方面から助けていただいて。
喜怒哀楽いろいろあったけど、今振り返ってみれば、昨年の体験すべてに心から感謝しています。

起きる必要のあることが、ただ起きているのだなあ、と。

そんな感じに思えてるので、なんだか年明けは静かで広がりのある心持ちなのです。

そして、だからきっと、今年もそう。
起きる必要のあることが、ただ起きてくるのでしょう。
自分を信頼し、自信を持って、すべての起きてくることをワクワクドキドキ歓迎したいと思います。
その中で成長していければ尚良し。

そして、だからきっと、今年もたくさんの出逢いがあるんじゃないかな。
初めて出会う人、旧交を温める人…。
もちろん、いつもお世話になってる人も、今年は今年で新しい出逢いなのです。
いったいどんな出逢いがあるのか。今からワクワク楽しみ〜。

今年というフレッシュな年を迎え、新しいエネルギーに新入生のようなワクワク感を感じています。
そっか、私たちみんなして2017年の新入生みたいなものですね(笑)。

ではでは皆さん新入生同士、今年も充実した時間を過ごせますように。
皆様のご健康とご多幸を心よりお祈り申し上げます。

2017年もどうぞよろしくお願いいたします。

新年のご挨拶に、愛と感謝をこめて。
セレナイトが好き。
セレナイトが好きだ。
それぞれに個性的な鉱物たちはどれも好きだけど、
セレナイトは、私の持ってる石の中では結構数が多い。
いつのまにか、いろいろ手に入れてる。
セレナイト好きの人のことを「セレナイター」と呼ぶとか呼ばないとか。

私にとっては、光と物質の境界線上にある存在。
じっと見てると、まるで白い光の束みたいなの。
光が物質化する瞬間、のような在り方。
普通に生活している場では、あまりお目にかからない佇まい。

光と物質の境にある美しさ。
私はボーダーに在るものに惹かれてしまう。
そのギリギリの境に入っていこうとすると、そのときだけでも深く深く世界に潜っていけるから。
頭で理解することが不可能な、その場所へ。

そんな場所に連れていってくれる、セレナイトちゃん。
いくつか持っている中でも、特にお気に入りが3つあって(3つもかっ!)、
その3つに共通しているのは、同じ人が磨いている石だということ。

311前まで、東京には私の友人が主催していた「虹の輪」というクリスタルのお店があって。
魔女のようなこの友人は、素晴らしくセンスが良く、美しい石しか置いてないの。
どんな小さい石でさえ、かならず彼女の目を通して、直感で選んできたものばかり。

つまり並んでいる石は「いるべくしてここにいる」ことを知っていて、
誇りと喜びに満ちてキラキラと輝いてる石ばかりなの。
私は「虹の輪」のおかげで、石の美しさを知り、愛でる眼を養えたと思ってます。

で、ある時、彼女がアメリカへの仕入れ旅行から戻ってきて。
新しい石たちがいっぱいある中で、ひときわ私の目を釘付けにしたのが、そのセレナイトたちでした。

今まで見たセレナイトとは、輝きの質が違う。
もっと光に近くなっている。
セレナイトに興味のない人からみたら同じかもしれないけど、
好きな人間にしたら、このミクロの違いはものすごい。
今までよりも、もっとボーダーギリギリにいて、もっと光として感じられる。

凝視していると、友人がニヤっと笑う。
「すごいでしょ〜。それ、手磨きなのよ」

アメリカのミネラルショーで出会った、あるアメリカ人。
彼はセレナイトが大好きで。
好きが高じてか、セレナイトを自ら手磨きしたものを出品していたとのこと。

ちなみに、普通の石は機械で磨いてます。
セレナイトは鉱物の中でも最も脆いうちの一つなので、
やろうと思えば手磨きできるのですね。

それを聞いてさらにナットク。
このセレナイトたち、その彼にもらってる愛がハンパない。
ものすごーくセレナイトを好きな人が、
ものすごーく愛を込めて、しかも手磨きで一つ一つ磨いてくれた石たち。
それが他のものより光を放ってると感じるのは不思議ではないよね。

そして一つ一つの作品に、それに合ったサイズの皮の手作りケースまでついている。
「お家」まで、彼がちゃんと作ってあるの。
どれだけ彼の愛は深いのだ。

彼が磨いてくれなかったら、セレナイトがここまで光を解き放てるとは知らずに人生過ごしてたと思う。
きっと今生ではお会いすることもないけれど、この作品たちを通して、いつも彼とセレナイト談義をしている気がします(笑)。

結局、何度か「虹の輪」に通ううちに、店にあった彼の作品の大半である3つも入手。
私の大事なセッションツールとして、占猫と自宅に鎮座ましましておられます。

セレナイトちゃん、いつもありがとう。
これからも愛と光をいっぱい届けて、輝いていてくださいね!
リーディングのご感想ありがとうございます。
いつもリーディングのご感想ありがとうございます。
今日はNTさんからのメールを紹介させていただきますね。
それは失恋のご相談のセッションでした。

☆★☆★☆

あゆたやさん、この前も本当にありがとうございました。
自分でも何となく分かっていたけど、なぜ彼への執着を何度も掴みに行ってしまうのか、自分が本当に苦しんでるのは何に対してなのか…
言葉にして頂いたことで、より自分自身、腑に落ちる事が出来ました。やっぱりなって感じでした。

思っていた以上にギリギリだったみたいです。
色んな人に話を聴いて貰ってて、もう立ち直らないといけない時期なんじゃないかって勝手に決めて自分を追い込んでました。
でも「失恋は心の骨折で、痛いのが当たり前で半年くらいかかるもの。苦手な事をすごく頑張ってこなしてるから焦らないで、あとは春になるのを待ってれば良い」
って言って貰えて凄く救われました。

『自分は振られた時から3ヶ月近くずっと頑張ってたんだ。ただ認めて欲しかったんだ。本当は頑張りすぎて疲れてたんだ』
って気付けました。

だから今までの、期限のない待ち時間と努力できない事に対する涙ではなく、今は違う涙が止まりません。
こんなに泣く事は人生で初めてで、突然涙が出てくるので動けませんが、今までが傷ついてるのに頑張りすぎてたんだと思います。

そして先日、自分でそのつもりはなくても、動いてしまったり頭が勝手に考えてしまってるんでしょうね…風邪をひいて熱が出て、強制的に動けず考える事も出来なくなりました(笑)。
そのお蔭で骨折も少しずつ落ち着いてきてます。まだ完治ではないですが、無茶をしなければ痛みは大丈夫ってところです。あと少しかな。

今は無理に動かず、自然に『春が来て、花が咲く』のを待ちたいと思います。

初めて占猫に伺った4年ほど前よりもずっと深く自分と向き合って、本当に苦しい3ヶ月でした。
でも、それだけ逃げずに自分と向き合って、自分に優しくする事が出来る自分は、他人に対しても同じ様に逃げずに向き合って優しく出来る人間なんだと思えています。

やり過ぎてしまう癖も相変わらずですが、だんだん自分の中でやり過ぎになってる時の感覚も掴めてきました。
何度も教えて貰った自分の本質の癖がやっと掴めてきました。ありがとうございます。

今の自分は誰に対しても誇れる・自慢出来る自分です。ありのままの自分を認めて受け入れられてるのかなと嬉しく思います。

現在の自分は、未来を決めつけない、流れに任せるという事が出来ています。
どんな未来に辿り着いても、その場所が自分の一番幸せな場所なんだと信頼できる自分がいます。

今の自分ができる、楽しくて幸せな恋愛を早くしたいな、ってワクワクが止まりません(笑)。

また新しい恋が出来た時とか、魂からのアドバイスを頂きたいと感じる事がありましたら、あゆたやさんに会いに行きますね!

☆★☆★☆

NTさん、嬉しいメールをありがとうございます。
失恋は本当にお辛いでしょうが、その経過の中で、今のご自分を信頼されている様子が伺えて、眩しいほどに素敵だなあと感じました。

実際、失恋は人を大きく成長させてくれる出来事です。
傷つきも大きいですが、気づきも大きいのです。

私はよく、失恋を骨折にたとえます。
失恋したら、骨折と同じく痛いに決まってるのです。
そして治るのに時間もかかります。
でもたいがいの人は、痛くないフリをして、あるいは痛さを感じないようにして、
すぐに次の恋を探してみたり、治ってないのに元気に走ろうとしてみたり。

痛くて動けないことをまずは認めて。
そしてしばらくは自分を大切に安静が一番。
そしてその安静のあいだ、たくさんの感情や思いや考えから逃げないで、痛みと向き合ってみてね。

そもそも、なんで失恋は私たちのハートを痛くするんだろう?

私が思うに、何らかのことに気づいて欲しいから、ではないかと。

「何らか」は人それぞれですが、
その人がより幸せになるために必要なことについて、です。

痛くなかったら、何度も同じことを繰り返すだけだもの。
こんなに痛くならないために、どうすればいいかに気づいて欲しいんだと思う。

失恋は、必ず、その人の先の人生を幸せにしていくための鍵を届けてくれています。
その鍵を使って扉を開けるかどうかは、その人の自由意志に任されてますが。

必ず、というのは、私のセッションでの経験上です。
うちに来てくれた人限定のデータですが、失恋で訪れる人のほぼ100%がそうです。
ほぼ、というのは正確に統計とったわけでなく、実感だけなので(笑)。

魂からのメッセージは、今後の人生を幸せにするための鍵を教えてくれます。
NTさんのように、その鍵を使うと、失恋から立ち直っていく経過の中で気づきが生まれ、その人の今に必要なことが起きてくるみたい。

本当に、失恋は苦しくて痛いことだけど、だからこそ自分が変容する大きなチャンスでもあるのです。

以上、魂からのメッセージを通訳させていただきながら私がいつも感じていること…でした。

NTさん、ありがとうございます。
どうぞ、心から、今まで以上に素敵な恋愛に出逢えますよう。
また骨折の痛みがとれて元気になったら、いつでも遊びにきてくださいね。
矢野顕子ソロデビュー40周年
…だそうです。
じゃあ、私のファン歴も30年を超えるってことか。
うーん、すごい年月、ずっと矢野顕子が好きなんだな〜。

この前、矢野顕子の「デビュー40周年記念さとがえるコンサート」に行ってきました〜!
クアトロだったので、立ち見席です。
大きなホールで遠くから観るよりも、近くで音を浴びたかったのでちょうどいいサイズのハコです。

しかも、前から3番目くらいの、アッコちゃんのピアノ前の位置で観ることができて、超ラッキー!
今回はソロではなく、TIN PANとの競演だったので、細野晴臣や鈴木茂、林立夫の演奏も堪能できてゴージャスな時間でした。

私は、矢野顕子は「天才」だと思う。
天才の演奏を、ナマで聴ける機会はあんまりない。
私はモーツァルトやホロビッツといった天才の演奏を、直接に聴く機会には恵まれなかったけど、矢野顕子とは同じ時代を生きて、その音楽を聴くことができる。
それがどれだけ幸せなことか。

天才って、いったいどういう人を天才というのか、いろいろ見方はあるかもだけど。
私が音楽で天才を感じるのは、軽み、かなあ。
いとも軽々と、まるで遊ぶように才能を溢れ出させている人に天才を感じてる気がする。

アッコちゃんがピアノと戯れ、遊び心のなかで喜びや愛を、天空をスキップするように軽々と表現していく、その姿と声とピアノと一緒に合わせて一つの楽器のよう。

世界には、有能な素晴らしいアーティストがたくさん存在する。
センスが良くて、才能があって、大好きな音楽家はいっぱいいる。
ただ「この人は天才だ」と、聴いているだけで、なんの理由もなく、そう感じてしまう人は滅多にいない。

もちろん私が知らないだけで他にも天才はいると思うし、また、天才だから良いとか悪いとかという評価の話でもない。

滅多に出会えないはずの、天才と思える人と出会うことができて、その天賦の才能がどんな風にこの世界を魅せてくれるのか、を目の当たりにできる。
ライヴに行くだけで、その純粋な喜びを分かち合える。
なんて凄い時間を共有してるんだろう。

と、私にとって矢野顕子のライヴに行くというのは、そんな感じの歓びなのです。

しかも今回なんて、前から3番目、目の前がアッコちゃん。
たっぷりと矢野顕子そのものを浴びまくったような素敵な時間でした。
いつもより近くだったのが嬉しくて。ちょっと日記にしてみました。
発熱。
この前、何年ぶりかに発熱しました。

一瞬の風邪だったのか。
あるいは、その前日に牡蠣を食したので、それが当たったのか(←疑惑濃厚)。

夜中に嘔吐と下痢になり。
朝には収まりつつあったものの、どうにも丹田に力が入らないから気力がでない。
おまけに、体内に残ったウイルスと戦ってくれてるのか、ぼよよんと発熱も。

そしてなぜか、これがまた素晴らしいことに、
ちょうどその日にかぎって、セッション予約が入ってないのです。

「これはつまり、休めってことですよねっ☆」
と、遠慮なく臨時休業にさせていただきました。
(もしもあの日、飛び込みでご来店された方がいらしてたらごめんなさい〜)

あとは、ずーっとずーっと寝続けました。
おそらく24時間中、22時間以上!
起きるのは、水分補給とトイレと予約連絡の対応のみ。
人ってこんなに寝れるんだ〜、と感心しきり。

おかげさまで、翌朝にはすがすがしく復活!
前日の気力のなさはどこへやら、リセットされて前より元気になりました〜。

ここ最近、風邪もひいてなかったから忘れてましたが、
発熱って、実は身体の中を殺菌してくれるので、肉体がリフレッシュされる気がします。生まれ変わったような感覚。
新しい肉体を持った私が、新鮮な感覚で日常をこなしている…みたいな感じで心地よいのです。
あ〜忘れてたな〜、この感覚。
私、発熱、結構好きだったのでした(笑)。

季節の変わり目に風邪をひくのは、身体の調整になると聞きます。
私も冬至の前に、冬モードにチェンジしたのかもしれません。

そうそう、そして新鮮な気分で店に来てみたら、
ちょうど隣で工事中だったコインパーキングも完成していました!
今まで以上に、車でのご来店がラクになったかもです。
これまでは隣に3台のパーキングがあったけど、反対側の隣に6台分増えました。

というわけで、お店の周辺環境も、私の体もリフレッシュ。
2016年もあとわずか。
元気に楽しく、今年を充実させながら、来年に向かっていきたいと思います。
門前の小僧
私自身はそんなに人生経験が豊富なわけでもなく、日がな一日、占猫の椅子に座って、皆さんの魂のメッセージをお伝えしている日々ですが、
たくさんの魂からのお話を聞くことで、いろんな経験を耳にさせていただいてます。

いろんな話を聴いていて気づくのは、そこには「どの魂でも持っている共通認識」みたいなものがある。ということ。
魂世界の常識、みたいな(笑)。

これは、この仕事の役得とでもいいましょうか。
どの魂もが当然の常識として語ってくれる、普遍的な知恵や理解を垣間見ることができるのです。
「門前の小僧習わぬ経を読む」という感じでもあります。

そんな門前の小僧が、通訳しながらいつも感じることの一つは、
「たいがいの問題や悩みは、深刻なものではない」ということ。

これはどうやら、魂にとっては常識的な認識のようです。

うちの店に初めて訪れる人は、問題や悩みがあるときに来られる場合が多いです(リピーターさんは、お楽しみでのご来店も多いですけどね☆)。

皆さんいろんな事情をお持ちですから、お話を伺っていると、どの悩みも大変苦しいことだと思うのですが、
でもリーディングしてみると、

その悩みは、あなたが思っているほどには深刻なことではない。

と、魂はいとも易々と言い切ったりします。

そのイベント(魂にとってはそれは悩みではなく、人生のイベントのようです)は、結局、その人の成長のために必要だったり、本人の魂が望む、予定調和の中の出来事だったりするみたい。今後の幸せのための布石みたいなね。

セッションが進むうちに、それが徐々に明らかになってくるのです。

なので、実際には何も問題は起きてない。…みたいなの。

「実は、人生に深刻なことはほとんどなくて、そのイベントは幸せになるための布石なんですよ。幸せになる準備ができておめでとう」

…みたいなことを、毎日のように聴いて通訳してるので、
私自身に何か困ったことが起きたときでも、最初はへこたれたりしますが、

「これも私の魂に聴いたら『必要なことがただ起きてるだけ。深刻なことではない』とか言われるんだろうな〜」

と思えて、おかげさまで、たいがいのことは気楽に考え直せるようになりました(笑)。

と。実はこの話、
ちょっと前、近所のお店の人と世間話をする中で、悩みを口にされたときに、ふとお伝えした話なのです。

そうしたら、
「その話を聞いただけで、なんだか心が軽くなったわ!ほら、体までホカホカあったかくなってる!」と、喜んでくださって。

私としては、こんなさり気ない話が喜んでもらえるとは予想外で。
もしかして、こうして書いておくと誰かの心が軽くなったりするのかな…?とふと思って書いてみた次第です。

うーん、でもこういうのは口伝だからこそ、つまり口で体験者が直接語っているからこそ、エネルギー的なレベルで「本当にそうなんだ」が伝わるのかもしれないし。
文字だと伝わりにくい気もして。

あ!よく考えたら、そう思って書いてないことがいっぱいあるなあ。
まあでも、今日はせっかく思いついたんだから。このまま載せちゃえ。

皆さんの魂からの素敵な話、いつも聴かせてもらってありがとうございます。
またシェアできそうな事があれば、口伝にこだわらず(笑。こだわってたの?)、ぼつぼつ書いてみようかな?と、思いました。

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