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はじめてウンチをふいた日。
先日、お客さんが3〜4歳くらいの娘さんを同伴されてご来店くださいました。
とても賢いしっかりしたお子さんで、お母さんがセッション中も一人しずかにお絵描きしたりして待ってます。
うちのセッションはタロットだけでも1時間くらいかかるので、お子さんにしたら長い長い待ち時間だと思うのに。
お母さんのことが大好きで、とっても大事なんだなあ、とひしひし感じます。

そのセッション途中で一度、
「お母さん、トイレ〜!」と駆け込んできました。
お母さんも大慌てで、いったん中断。
「トイレ、できるようになったけど、まだ後始末ができないんですよね(笑)」

そしてトイレからでてきた時。
なんだか娘さんの顔がとてもキラキラしていて。
すると嬉しそうに、私にこっそり耳打ちしてくれました。
「あのね、私、はじめてウンチがふけたんだよ!」って。

本当に誇らしそうな笑顔に、とても崇高なものを感じました。
「え〜っ、すごいね!おめでとう!」と大声でお祝いしました。
人生初の自分でウンチをふいた記念すべき場所として、占猫が選ばれたことは光栄です。

ああそうだ、この頃には、いろんなことが人生初めてだったなあと思い出しました。
カップの取っ手がしっかり持てるようになったり。
ボタンがちゃんとかけれるようになったり。

その度に誇らしい気持ちになってたんだなあって。

私が初めてウンチをふいた日は、いったいどんな日でどんな気持ちだったんだろうな…と、ついつい思いを馳せてみたり。

娘さんどうもありがとう。
おかげさまで、今の自分ができるさりげない行為ひとつひとつに、
あらためて感謝することができました。
コップが持てること、ボタンがかけられること、お箸がもてること…。
それがどんなにすごくて誇らしいことか。

そう考えると、日常のささいな悩みなどアホらしくなりそうです。
「とりあえずウンチがふけるようになった私なんだから、大丈夫、どうにかなるでしょ」みたいな。
そのひとことで一蹴できるようなくだらない悩みでモヤモヤしてる時、けっこうありそうな気がしてきました(笑)。

宮島に初詣。
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今年初の日記ですね。

あけましておめでとうございます。
昨年はおかげさまで店も3周年を迎えることができ、
充実した一年となりました。
たくさんの方々にあたたかくお世話になりました。
今年もどうぞよろしくお願いいたします。
皆様にとって、素晴らしい年となりますよう。

さてさて。
お正月は、1日に氏神様におまいりし、
3日に宮島へ初詣にお出かけしました。
広島に戻ってきてからは、毎年の恒例行事です。

天気が良くて、あったかいお出かけ日和だったからか、今までで最も参拝客が多かったです。

つまり、厳島神社の回廊は大渋滞。
でも初詣はやっぱり雰囲気が気持ちいい。
渋滞しても、周囲の人もイライラしてないの。
新しい年を迎えてのフレッシュさとかワクワク気分がある感じ。

まわりののどかで雑多な、サワサワした会話をBGMに、ゆったり漂う中でフト気付く。

ここにいる大渋滞に巻き込まれている一人一人、みんながそれぞれの物語を今日まで生きてきてるんだ。と。

よく考えたら当たり前なんだけど、あんまりリアルに考えたことがなかった。
いつもはさらっと流してる。こっくり認識してないというか。
そのときはこっくりきた。
穏やかな雰囲気だったから、みんなのエネルギーを受け入れたんだな、きっと。
初詣だからこそできたのかな。ラッシュの電車じゃ無理だと思う。

それぞれが、いろんな価値観や大切なもの、喜びや悲しみ、あるいは想像もできないものを含みながら日々を営んでるんだ、と。
そして今この時に、こうして同じ回廊で一緒に渋滞してる。
新年の慶びと祝福のために。

ん〜すごい。なんと世界はこんなに緻密で濃厚なんだろう。

そんなこんな思いながら、青い空と青い海を人の頭越しに眺めつつ、
面白い年になりそうな予感にワクワクと大渋滞してました。

そして毎年、厳島神社でご祈祷もお願いしています。
なぜか不思議なことに、控室でご祈祷の順番を待ってるときから、厳島の神様といろんなお話をします。
本当に神様なのか?と言われると証明はできませんが、かなりの女子トークっぷりなので、厳島神社の媛さまのどなたかと思われます。

まあでも、それが私自身なのか誰なのかはあまり重要ではありません(と、その媛さまもおっしゃいます)。
いつも視点をパッと変えてくれる発想を突然もらえたり、素晴らしいきっかけやヒントをいただける、ありがたい時間なのです。

今回もいろんな話をする中で、突然、なぜか、
「そっか、じゃあ今年はいっぱい文章を書くぞー!」
という気分になりました。

え?何で?と、思いついた私もビックリですが、
たしかに、表現してみてようやく自分が何を思ってるか判明するタイプなので、
自己認識を深めるためにも良いかもしれません。
で、書いたらやっぱりブログに載せて記録しときたいよね。

というわけで、今年の目標(?)は、
「いろいろ文章書いて、言葉で遊ぶぞ。まめにブログアップするぞ」
になりました。

…とか、こうして書いてるうちに既に怯んでますけど(笑)。
三日坊主になるんじゃないの?と自信もなく。
だからこそ、こうして年始に宣言しとけば、昨年よりは書くかもね。

たぶんね〜怯んではいるけれど、どこか奥底で、ずっと表現してなかった昔のさりげない事とかを、外に放出したいんだと思う。
きっと昔の話、とか思い出すんだろうなあ。という予感。
何が出てくるかは、今後の自分のおたのしみ。

あ。やっぱり、こうやって書いてると書きたくなってきた。

秋の出雲旅行以来、なんだかリセット感たっぷりで、すっかり白紙状態だったのです。
360度、モンゴルの草原のような。何の目印もない、地平線だけ。

さてさて、ここからまずはどんな方向に歩いてみようかな?
…と、のんびり何かヒントがくるのを待ってたのですが。

そんな中でのとりあえずの目標というか、実は漠然とやりたかった事にクリアに気付かせてもらえました。
360度地平線の、とりあえずの一歩。
どうもありがとうございます。

こんなこと書いといて、ブログが三日坊主になったらカッコ悪いな、と思いつつも、気ままに喜びを表現していくような、楽しい年が始まった予感。

このフレッシュな気分を、しばらくはたっぷり味わおっと。

王様気分。
この前「身体にプレゼント」という日記の中で、

「全身トリートメントしてもらうと、身体が大切にされて王様気分になるらしくて大喜びします」みたいなことを書きました。

で、それを見た友人が「女王様じゃなくて王様なんだ〜!」と、
さっくり一言、気軽にコメントしてくれたのですが、
それが私に大衝撃をもたらしました。

あっ!ホントだ!
言われてビックリ。たしかに〜。
自覚なく書いたけど、あらためて感じてみても、やっぱり女王様感覚ではないのです。
うーん、なんで?自分でも不思議。

…と、さっそく細かく分析してみたところ(笑)、どうもね、いわゆる王様でもなく「子どもの私」が喜んでました。

純粋無垢な子どもの感じてる、大王様的な感覚。
赤ちゃんの頃とか?まだ性別の認識もないくらいの時期。
その頃の、大事にされている身体感覚とリンクして、子どもの私が喜んでいるみたいなのです。

え?つまり、身体はまだ子どものつもり…?
うーん、まだまだ探求する余地がありそうです(笑)。

それにしても、さっくり頂いたコメントで、こんな衝撃の事実が見つかるとは。
(女王様気分って感じたことなかったかも…。いつも子ども的な大王様〜)

おかげさまで新しく、かつ面白い自分を発見できました。
どうもありがとうございます。

というわけで、ブログにもメモしておこうと思った次第です。

クスノキの花
今、店の近所にある大きくて枝振りの美しい、健やかなクスノキさんが花盛り。
木全体が白っぽい色に覆われて、ほのかにほのかに爽やかな香り。

木の下に座ってると、パラパラと花が降ってくる。
直径2〜3㎜の小さい花だ。

突然、ふと、花がどんな形なのか知りたくなって、落ちてきた花をつまんでみる。
人生で初めてクスノキの花としっかり見つめあった。

すっごいキレイ。

形の違う2種類の美しい花弁が3枚づつ計6枚、交互に並んで幾何学模様のよう。
雌しべ雄しべ、花粉の在りかたも可愛らしい。
クスノキからしたら当たり前だろうけど、こんなに小さいのに、しっかり「花」やってます!っていう感じがいとおしい。

面白くなって、他の花もいろいろ眺めてみる。
一つ一つに味わいがある。
花弁が白っぽかったり、エンジ色と交互に並んでたり、グラデーションだったり。
雄しべの並び方も微妙に違う。形もさまざま。

どの花を見ても全部あり方が違う。
雪の結晶は一つ一つ全部違う形らしいけど、それと同じかも。

そっか、同じ形は二つとしてないんだ。

と、当たり前のことに気づいて。
おおっ!とビックリして我に返り、
一つの花のミクロの世界から、パッと顔をあげて現実に戻ってきたら、
そこには風とともに降りしきる無数の花、花、花。
足元には、その花々が降り積もって。

ああ、ここに存在する一つ一つが、全て違う在り方なのだ。
と、思うとゾクっとした。

つまり、もちろん、ひいては他の花もそうなんだろうな、と想いを馳せてみる。
そして葉っぱも、石も、鳥も、人間も。

この世界の果てしなさにクラクラする。

と。ちょっと強めの風が吹いて、パラパラパラと耳元で音をたてて、肩に集中して花が降り落ちてきた。
「ほら、そろそろ店に戻らないと。開店時間だよ」
って言われたかのよう。

開店時間5分前。あわてて店に戻る。

クスノキさん、いつもいろいろ教えてくれてどうもありがとう。
今日も宇宙の悠久さ、無限さに気づかせてもらって。
おかげで、ちょっぴりだけ謙虚になれたような気がします(とか言ってる時点で
かなり謙虚じゃないけどね。ちょっぴりね)。
富士山とスクランブル交差点と。
(これは2006年12月のmixi日記の再掲載です)

先週、タイで暮らしている旦那のいとこが久々に帰国。
タイ人の奥さんと生後8ヶ月の息子と一緒に、下北沢の店に遊びに来てくれた。
奥さん&息子クンとはもちろん初対面。
奥さんは日本にくるのも初めてとの事で、ちょっぴりだけ話せる日本語でちょっぴりだけお話した。

「日本で観光したいとこって、どこ?」
「富士山と渋谷のスクランブル交差点(笑)」

あ。そっか。
他の国の人から見たら、富士山とあの交差点は同じくらい興味深いんだ、と初めて気付きましたね。
あの交差点、自分は普段から仕事とかで頻繁に使ってるから、何のひっかかりもなく、それどころか「あ〜も〜人多すぎ」とかイヤになってる時さえあったり。

でも確かに、よく考えれば世界的にみてもかなり特異なスポットだ。
富士山と同じくらい体験してみたいのもわかる。
きっと日本のテレビがブロードウエイをニューヨークのイメージ代表みたいに映すように、あの交差点はタイのテレビでは日本の都会の典型的イメージとして何度も写し出されてるんじゃないかな、って思った。

「これから渋谷に行って、あの交差点のまん中に立ってみるの」と、彼女はとってもワクワクしてた。

何だか、私も味わいたくなってきた。
だってここしばらく、そんな新鮮な気分であの交差点を体験したことなかったんだもん。
でも、そういえば東京に来たころにはすごく不思議な光景として見ていたような気がする。
なんだかちょっと自分の感性を掘り起こしてもらえた気がした。

で、その週末。
実は、インタビュー取材の関係で渋谷に赴くことになってました。
偶然ってすごい。

カメラマンさんと取材対象の方の撮影をどこでするか、という話になった時、
わりと普段はおまかせするのだけど、その日はちょっとわがままを言った。
「もしかしてベタかもしれないけど、スクランブル交差点使いたいな」

意見は採用され、さっそく対象の方を交差点に連れ出して撮影開始。
もちろん信号が青の時しか写せないので、何度も何度も青の時に撮影を繰り返す。
私は邪魔にならないよう、荷物番として横断歩道の岸辺で待ってるのだけど、
人の波が押し寄せるその交差点をずっと見てました。

赤青赤青と、同じことが繰りかえされてるような錯角をおこしてたけど、
信号がかわるたびに、そこにいる人たちもかわり、同じシーンは二度とないわけで。
それは富士山の刻々と移り変わる雲を眺めるのと同じくらい、見方次第で飽きないよなあ…などと感じてみたり。

私は自然が好きなもんだから、自然の「その一瞬」は大事にしてたけど、
ついつい、都会ならではの「その一瞬」を軽視してた事に気付いた。
どっちも、どれも、すべて「その一瞬」なのにね。

インタビューした人は今春トルコの皆既日食を見てきた人でした。うらやましいなあ。
でも、皆既日食も富士山もスクランブル交差点も公園の紅葉も、はては蛇口の水のしたたりも、すべてその一瞬、体験した瞬間、それが自分だけの現実。

「一瞬一瞬を大切に」
という、いかにもフツーな言葉が、私の中ではまた少し深く理解できたような気がした週末でした。

そんなわけで、当日の私のスクランブル交差点の楽しみっぷりはかなりのもの。

まずは、わざわざ先頭切って歩きはじめる。
どんどん人の波が四方八方から押し寄せて、とうとうまん中あたりでカオスに突入!
あの空間の空気、瞬間のエネルギー。
もしかしたらもう一生会うことのない人とすれ違ったかもしれない。
その瞬間をたっぷり味わう。
鳥肌がたった。
まん中で少し立ち止まる。
後ろの人に一瞬どつかれるけど、あとはスムーズに避けていく。

空を仰ぐ。
すごーく天気よくて、空が青くて、ふわふわ雲で。
まわりはいろんな映像が流れてて、いろんな音楽と人の話し声がまじりあって。

ひさしぶりに、あのスクランブル交差点に「ちゃんと居る」事を楽しんだ気がしました。
練習ってカッコいい!
これは、この前書いたインド古典ライブでヨシダさんと話す中で感じたことの個人的メモ。

ヨシダさんと話していて印象的だったのは、会話の端々にでてくる
「練習してますから」という言葉。

「すごい良かったです〜!」「ええ、練習してますからね」みたいな。

この言葉に対する圧倒的な自信というか、そこにある揺るぎない感じが、どっしりした安心感を感じさせるのだ。
「練習してますから」を発する時のヨシダさんの”在り方”が、私をホッとさせてくれるというか。

もちろん個人的には、練習以外に才能も必要だろうと思うのですよ。
シタールでは日本の第一人者と言われているヨシダさんは、何せ上手いし、すごいし。
でもそれは「練習してるからだ」と本人にキッパリ言われると、
水戸黄門のご印籠レベルで「ハハーッ、とにかく、問答無用でそうなんですねっ!」とナットクしてしまう。

演奏家という人たちは、いくらセンスやイメージがあっても、それを表現するだけの技術がないとどうしようもない、というリアルな現実がある。
あの自信と安定感、安心感は、リアルな現実における練習と自己鍛錬によるのだなあと、実際それをやっている方とお会いしたことで実感させてもらえたのでした。

そして私は、練習というものがいかに素晴らしいのか…というか、ヨシダさんの在り方を観て、純粋に
「練習ってカッコいい!」と感じちゃったのでした。

うん。なんだか、不思議にも、練習というものをしてみたくなったのです。

そういえば、ふりかえってみると、最近「練習」ってやってない。
…そもそも、練習ってどんな感じだっけ。
つまり、自分の中で練習を重視してなかったということも判明(汗)。

たとえば、今のリーディングのお仕事。
仕事ってつねに本番だから練習なんてできない、と、どこかで思ってた気が。

私は日々、お客さんとのセッションで、その方の魂からのメッセージを通訳させて頂いてます。
これは私の感覚では「勝手にメッセージが口から出てくる」という感じです。

自然に湧いてくるものを、そのまま流す感じ。何の努力もしません。
実際、そこはむしろ努力しないほうがいいと思ってます。
”努力”という行為をするときは「私」が頑張っちゃうということなので。

セッションではメッセンジャーという立場からして、いかに「私」という存在を消していくのか、みたいなのも大事な気がしているのです。

でも、今や「練習カッコいい!練習やってみたーい!」な私としては、
プロとしてリーディングのお仕事をするかぎり、
何らかの形で練習は大事だし、何かやってみたいぞ、と思った次第。

もちろん、直観を鍛えるとか、瞑想するとか、知識を深めるとか、そういうのも自己鍛錬になるのでいっぱいやったほうがいいと思う。
ただ、今の私の感覚でいうともうひとつ「練習」っぽくない感じ。もう少し練習チックなのがいい(ていうか、スルーしないでそれもやりなよ…)。

うーん、じゃあいったい何を練習すればいいのか。したいのか。
とか考えてたとき、パッと降りてきたのでした。

それは、自分自身の基礎表現力を磨くこと。

魂からのメッセージって、言葉で受け取るわけじゃないのです。
瞬間のことなので、自分でもまだはっきり掴めてなくて、うまく説明できませんが、
まだ言語化されていない”何か”が降りてきて、それを瞬時に言葉へ変換している…という感じ。

つまり、私の感じでは「自然に口から出てくる」んだけど、
実はそこにいくまでの過程で、言葉になってないメッセージを、いかにその人の感覚に寄り添った形で言葉にするか…を自動的にやっているのだと思います。

だとしたら、その機能を鍛えて、より精妙な表現力を身につけるのは大事だし、練習しがいがあると感じた次第。うん、しっくりきた。練習したい。

現在、こんな風に「精妙なフィーリングの、ちょっとした言葉の差を感じ取ってメッセージを表現する機能」をいつのまにか持つに至ったのは、ライターをやっていた頃の経験値があるように思う。感謝。

だとしたら「書く」という行為によって、その機能を意識的に磨いていくの、大事な気がしてきました。

そんなわけで、実は最近「書く」をサボり気味だったけど、
こうしてブログとかで、自分の内側にあるいろんな気付きなどを、どんどん言語化していきたいなあと思ったのでした。
うん、練習っぽい。

と、こうして書いとくと、またサボり気味になった時とかに読んだらいいかな、と思って。そんな個人的メモでした。

いつの日か「ええ、練習してますから!」って気持ちよく胸はって言ってみたいなっ♪
双子座流星群。
今日はもう冬至だというのに、今さら双子座流星群って…とも思ったけど、個人的に書き留めたいので(このフレーズどこかで…)。

皆既月食に続いての天体イベントだった14日の双子座流星群ピーク。
おかげさまで天気も良く、しっかり観れました。
いつもは流星群の情報が届いても、
「この時期寒いしな〜(だいたい「何とか流星群」がくるのは寒い時期が多い気がする)」と、寒さに負けて観そこねます。

でも今回は、すごくいっぱい流れたからだと思うのだけど、
家の窓から眺める狭い範囲だけでも何個も流れてくれたので、
お布団にくるまって、あったかぬくぬくと部屋で観測できたのでした。ラッキー。

あったかいおかげで3時間くらい、何もしないでポーっと空を眺めてましたが、これ、外で観るとしたら結構大変な気がする。

でも月食の時は寒くてもわりと長く外にいたような。

月の場合、空にちゃんとずっと『ある』ので、時間の流れとともに変化していく月をずっと眺める、という行為を『する』ことは、わりとラク。

流星の場合はその逆で、流れる(=『する』)のを観るために、観測者側が『ある』という状態になってる必要がある。
で、たぶん、この『ある』という状態になるのが難しいのだと思う。

この『ある』は、待つのとはちょっと違う。待つ、だと『する』ことになる。

月とちがって何もない状態で「いつ来るんだろう」と、待つという行為を『する』のは苦行に近い。
だって、いつ来るかわかんないんだもの。

だからだな。今まで流星群の観測については、何かが大変そうなフィーリングがあってわりと消極的だったのは。それを無意識に感じてたんだね。

でも今回、窓越しにゆっくり観れたからこその気付きなのだけど、
『する(=待つ)』と思うと大変だけど、『ある』つもりで観測すれば、とても面白い時間でした。

ポツポツと輝く星空を観ながら、流星を無為に待つ時間の贅沢さ。
ポーっと見てると、だんだん星が私なのか、私が星なのか、一緒なのか。
わからなくなる。時間が消えていく。

それ自体が心地よく、『ある』という状態だったのではないかと。
今も記憶はさだかではないけど。
そんな状態になり、忘れたころに、スーっと流れ星が。
そして、ハッと我に戻る。そしてまた混じり合って、また戻っての繰り返し。

大小あわせると10個以上見れたかな。

でもそれで「最後にもう一つ観たら寝よう」と思ったとたん、我欲が出て『ある』ができなくなる。
空のスペースを目であちこち探してみたり、時間が長く退屈に感じてしまったり。

流星群の気付き。
やっぱり私は『する』より『ある』のほうが好きみたい。以上。

というメモですが。
こんなめんどくさい表現を考えたのは後付けです。
あの空や星との不思議な一体感は何だったのかな〜と思って。
あえて表現するとこんな感じかと。
「あの時、何をやってたんだろう」みたいなこと時折あるけど、こうしてしばらく時間をおいて寝かせとくとジワジワあがってきたりすることも。

あの感じを思い出せるよう書き留めたかったのでした。

さてさて、そして今日は冬至。
ご近所でいただいた柚子をたっぷり入れた、ゆず湯にまったり浸かってこようかな☆
皆既月食
今日はもう双子座流星群だし、今さら書くのもどうかと思ったけど、
やっぱり自分の記憶としてちょっと書き留めたい感じなので。

この前の皆既月食、すごかった。
ちょうどお仕事帰りに観れるタイミングで、空も晴天。
どうやら、ちょうど雲さえかかってなければ、日本全体で観測できたとのこと。
つまり、あのすごいのを、観る気があれば多くの人が見れたってことだ。

これまでの記憶では、こんなにしっかり観たことなかった。
少しづつ月が欠けていって、だんだん赤銅色に染まってく。
星がぽつぽつと輝きはじめる。
首は痛かったけど、ずっとみてた。
皆既月食中は、なんだか世界中がシンと静かになったような気分だった。

途中、厚い雲に覆われるときもあったけど、おおむね観れたかんじ。
皆既月食中もすごかったけど、
あっ!って、身体の中でエネルギーが動いたのは、月が地球の影からでてきたとき。
キラリとした月光を浴びて、
「あれ、月ってこんなに輝いてたっけ」と身体が跳ねるようなドキドキ感。
そこから、どんどん輝きあふれて、そして真ん丸なフルムーンでピッカピカ。

あ。これ、リセットしたな。

なんかね、そう感じた。

最近、言葉では表せないけど、自分の内面がいろいろ変化している感触があった。
でも何なのかもわからない。
でも確実に何かが変化してるような感じ。
感触的には、今まであった旧知のいろんなものをぜんぶ崩して、
まぜまぜしてるような感じかなあ。

それがね、あの月食をみてリセットされて、整ったかんじ。
大袈裟にいうと、再誕生なのかもしれない。ある部分でね。
それが何かもわからないので、説明はできないのですが、
大事なのは本人のフィーリングだもんね。
そう感じて、それがとても大切なことと感じられたらそれでOK。

この感じを、メモしておきたかったんだ。それだけ。

でも、この月食を日本全体で観測できたのはすごいと思う。
同じようなことを感じた人はけっこういるような気がする。
月光が再び戻ってきたときの、あのフィーリング。

きっと、いろんな意味でリセットが必要な時期なのかもしれないなあと。

うんうん。いいタイミングで観れてよかった。
おてんとさま、ありがとうございます。

さて、今日は流星群。
果たしてみれるかな?


灯籠流し
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さて昨夜、仕事が終わってから平和公園に行って、灯籠流しを見てきました。

遅めの到着だったので終わり頃だったけど、公園内にはまだまだたくさんの人たちがいて。

外国の観光客も多く、周囲は様々な言語が飛び交ってる。

まるでお祭りのような、でもちょっと違う空気の賑わしさ。

ライトアップされた原爆ドームが逆さに映った川面を渡る、たくさんの灯籠を、川べりの階段に腰をおろしてぼんやり眺める。

それだけで、何だか心の奥がお掃除されてクリアになっていくような。

これもまた、私の勝手な感じ方なのだろうけど、小さくゆれる灯火ひとつひとつが、空間に残っている過去のこだわりとか、今となってはいらない感情みたいなものに光をあてて、そっと優しく抱いてくれてる感じ。

「今までありがとう」って。

そしてそれを、光とともに水に流して、洗い清めていくような。

そんな風に感じている私個人にも、見ているだけで、そんなことが起こっていたみたいで。

しばらく眺めるうちに、心の奥の澱のようなものが、スッキリ洗い流された感じになりました。不思議。

その後、記念碑へお祈りに行ったら、ものすごい行列。まるで初詣みたい。

けど、もちろん賑やかではなく、でも、しめやかでもなく。優しい繊細な空気感。

ハチロクの平和公園の夜は、感謝と和らぎにみちているように思いました。

素敵な夜をありがとう。

ハチロクの朝
広島に来て2年目のハチロクは、平和式典には行かず、普段の日常の中で過ごそうと思った。

今朝、いつもより少しだけ早く目が覚めた。

ちょっぴり薄曇りでそこそこ蒸し暑く、すでに蝉たちはエネルギー全開で鳴きまくってる…という、いつもと変わらない、一見ふつうの夏の朝。

…のはずなんだけど、やっぱり何だか普段と違う気がする。

ハチロクの広島の朝は、どこか祈りにみちている。

うまく言えないけど、大晦日の深夜の空気の感触が少し似てるかも。

起きてすぐ、ハートに不思議な静けさがやって来た。

溢れてきたのは、この世界への感謝。

戦争とか、いろんな愚かしいこともあるけれど、それでもこうして、地球上では命が途切れないでずーっと続いているという奇跡。

その流れの中の一部として、この瞬間生かされていることへの、不思議さと感謝。

ん〜、この、今感じてる壮大なエネルギーをうまく言葉にできるといいんだけど、書いてみると陳腐になるなあ。

でも私は言葉が好きだから、こうして試みること自体がいいのかな。

あ、話がそれてる。

そう、そんな雄大で滔々と流れるエネルギーに触れている感じ。畏敬の念。

この中にいると、地球上で初の原爆投下を経験した、広島という場ならではの「許し」のエネルギーも感じられる。

この許しの感触、すごいなあ。慈悲とは何か、を垣間見せてもらってる感じ。

マインド的には、ここに原発事故とかの話も絡めたくなるのだけど、今はハートが優勢なので、これからしばし出勤時間までは、今感じてるものにもっと潜りたいので瞑想しまーす。

そのあとは今日もまた、いつもの日常をワクワク体験しよう。

ハチロクに。
まずはどうもありがとう。
続いてきた命を、今日も丁寧に生きようと思います。
この美しい気づきをどうもありがとう。

合掌。

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